アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 話し合いが出来ない。
 話をしていても 知識とそれをめぐる意味のない言葉とを並べるだけである。
 意味のある話をすると 逃げて行く。あるいは はぐらかしをしながら 話のすり替えの術にかけては 玄人裸足だと言わんばかりになっている。

 もう死んだのでしょうか? こうやって 死んでいくのでしょうか?
 生きている人は もう いないのでしょうか?

A 回答 (73件中1~10件)

あなたが日本国籍を持つ大多数の人と話した結果そう思ったのでしたら、仰るとおりだと思います。


検証作業頑張って下さい。
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この回答へのお礼

 bari_saku さん ご回答をありがとうございます。

 ○ そうは思わない。
 ☆ というお答えでしょうか? ですが 理由が述べてないところを見ると 
 ○ 見解の持ち合わせがない。
 ☆ といったところでしょうか? ですが けっきょく 回答を寄せるという投稿ではないようですので やはり
 ○ あなたも 死んでいる日本人の口でしょうか?

お礼日時:2009/06/04 23:36

「個」が成熟しようとするこの世の中ですが


生きている人を探すことは非常に困難だと思います。
多くの方が「生かされている」「許されている」
ことへの「気付き」もありません。

さて、ご相談者様は博識で聡明な方だとお伺いいたします。
そこで、そうではない方があなたとお話をするのには
相当の勇気が必要かと思います。
「ことのは」は、より伝えたいことのディテールを鮮明にします。
しかし、受け入れ(理解する)ることが出来ない相手にその詞を
いくら時間を費やし丁寧にゆっくりと話しても・・・。

「今、生かされている」「今、許されている」
これを理解できる人間しかご相談者様とはお話ができないのでは?


回答というより自論を述べただけになってしまいました。
勝手羅列お許しください。
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この回答へのお礼

 aska09070 さん ご回答をありがとうございます。

 ★ 「個」が成熟しようとするこの世の中ですが / 生きている人を探すことは非常に困難だと思います。
 ☆ 《「個」が成熟しようとする》なら ますます人びとは《生きている》と思ったりするのですが そうも行かないという事情があるのでしょうか?
 ★ 多くの方が「生かされている」「許されている」 / ことへの「気付き」もありません。
 ☆ これが 事情であり 原因であるようですね。さて
 ★ 「生かされている」「許されている」
 ☆ これには深いこころがあるのでしょうね。一度や二度気づいても 分かったとは言えないところがあるのかも知れないと思えて来ました。大きなまちがいを侵さないでいても これらの気づきには 大きな意味があるのでしょうね。――そうでないと 《「個」の成熟》も なかなか 《生きた》ものにならないと。

 そういうふうには考えていなかったですね。ですから
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  「今、生かされている」「今、許されている」

 これを理解できる人間しかご相談者様とはお話ができないのでは?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これを聞いて めちゃめちゃ あせりました。
 この理解の具体的なことがらや さらにその出来れば分析を これから今の新しい目でも して行ければよいなと思いました。
 ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/05 05:43

#1です。


私は死んでいないと思うのですが、それを客観的に証明する手段を講じる時間がありません。
お手数ですが、その検証作業を質問者様にお願いしたく思います。
検証結果は私も興味がありますので、それを聞くまでは死にたくないですね。
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この回答へのお礼

 bari_saku さん そうでしたか。ちょっと わたしは 突っこみの姿勢が 過ぎたようですね。きちんとおしえてくださって ありがとうございます。

 わたしの場合は 趣旨説明に述べましたとおり 話し合いで起こる問題が いちばんのきっかけです。
 たぶん 多少の問題はあっても 全体として見て それは じっくりと時間をかけて よい方向へとすすんでいると言ったような感覚は 一般にあるのだと思います。わたしにも あったわけです。ふと これが 全体として見ても わるい方向を向いているのではないかと感じたものですから おしえを乞いました。
 こういうことは ひとりで思案していても らちが開かないでしょうから。
 ★ 検証作業
 ☆ になるかどうか または どういう作業になるか 分からないところがありますが みなさんのご回答を参考にして考えてまいりたいと思います。

お礼日時:2009/06/05 05:56

40代のアナログ人間です。


どのくらいの期間か定かではありませんが過去に一度一定期間小学校の授業から道徳の授業が消えました。その時点での文部省の理由は確か
〔道徳は学校の授業で教えるものではなく、家庭環境や生活の場から少しずつ学んでゆくものである〕
だった様な気がします。私は授業で道徳の授業があった世代でもあり、また道徳の授業も大好きだったのを今でも覚えています。
まず先生が教室の全生徒に
「学校の帰り道に100円玉が落ちていました。それを拾ったらどうしますか?」と、先生が皆にテーマを与えました。すると一人の生徒が手を上げて
「そのまま交番に届けます。」と答えました。すると、別の生徒が手を上げ
「先生が下校途中は道草せず、真っ直ぐお家に帰りましょう。っていつも言ってるじゃん!だから僕は真っ直ぐ家に帰ってお母さんに渡すよ。」と別の意見を述べました。教室中は意見が真っ二つです。それぞれ2つに分かれた子供同士がお互いの意見を主張しあいます。
さて、この授業ははたして無意味な時間だったのでしょうか。いいえ!決して僕はそう思いません。なぜならば道徳の授業の根底にあるのは正解を導き出すのではなく、その状況下において、どういう判断をしたらいいのか、最適な道はどれなのか、もっとほかに良い解決策はないのかを右脳を駆使し、立体的にシュミレートする能力を身につける場であったと私は思います。
最近、キレてヒトを殺してしまう、といった事件が後を絶たないですよね。確かに私だって過去にカッとなったことは数え切れない程ありますよ。でもヒトを傷つけたことは一度もありません。なぜなら、もしそこで相手と本気で喧嘩して相手を殺してしまったらどうなるんだろう、と瞬時に考えるのです。
ヒトを殺害する→警察に逮捕される→家族や親戚に迷惑が及び辛い思いをさせてしまう→刑務所に入る→出所したが前科がある身なので職が見つからない→家族と離婚=こりゃ、割に合わないな ってことで、その場はぐっとこらえて終了
これがいわゆる【理性】ですよね。
道徳の授業を奪われた期間の子供達は、このシュミレーション能力【理性】が無いまま大人になってしまった訳ですから、とっさのブレーキが効かないのでしょう。
それに道徳の授業を奪ったためにロボット人間(マニュアルで回答を見出す)を形成させてしまったこと。
別の質問コーナーで、都内の通勤・通学途中の車内でお弁当を食べていた学生を注意したら、「ガムは食べていいけど何で弁当はダメなん!?」等水掛け論になってしっまたらしく意見を求めたところ
「売店で売ってるパンはどうなの!」とか「どこかに車内で弁当を食べないでください、と書いてあればルールー違反」だとか「新幹線や特急は弁当食べてるのに普通電車はダメっておかしくない!?」とか散々ロボット的な発想の意見がありました。単純にひと事
【ひとに迷惑をかけてはいけません/道徳の授業の基礎】なんですよね。
幸いにも今は道徳の授業が小学校で復活したみたいなので、この子供達が大人になる頃、人間社会に再び〃生きてる人〃が戻ってくるのでは、そう願いたいですね。
長々と語ってしまいましたが、最後に、胸の中にずっとしまい込んでいた想いを述べる場を提供してくださいました質問者さまに感謝いたします。
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この回答へのお礼

 munamaca さん ご回答をありがとうございます。

 お話 伺いました。
 ★ 道徳の授業
 ☆ は 時間割にきちんとあったのですが いつも 自習になったころの者です。ただ クラス会〔と言ったでしょうか〕があって そのときは 学校での出来事やらについて みなが 活発に意見を出し合うという時間がありました。
 話をしていて はぐらかしはありましたが それを指摘されると だいたいは 認めましたね。不良は いましたが その一部の者たちとして はっきりと決まっていました。そこは 別の世界としてのようにです。
 乗り物に乗るとき 列をつくらず我れ先にという振る舞いがありましたが 車内では 普通にきちんとしていた記憶が強いです。

 ところで
 ★ 「新幹線や特急は弁当食べてるのに普通電車はダメっておかしくない!?」とか散々ロボット的な発想の意見
 ☆ この一点については なぜ《ロボット的な発想》なのかが わたしにも よく分からないのですが どうなんでしょう。なぜ ひとに迷惑をかけるのかが 説明できていないのではないかと ふと 思ったのですが いかがでしょう。特に 車内が空いているときなどですね。変なことに引っかかって 澄みません。

 最近では テレビでも 討論をする番組が増えましたが 話し合いは うまく行かないものでしょうかねぇ。

お礼日時:2009/06/05 06:25

おはようございます、bragelonneさん。



うーん、思い当たることといえば…

【印紙税】

マジ、経理のことは素人ですから、わからんこといっぱい。

領収書に印紙が貼られてないのを目にすると ? こんなんアリか???と

疑問を抱くことしばしば

わからんから、近々税務署へ足をのばし

印紙税のことを聞いてこようかと思っています。

平日になかなか時間の都合が取り難いのが悩みの種。

我がことから、本ご質問を読みつつ

「日本人は 死んだのでしょうか」を

【外国との契約時の印紙税】
http://www.kaneabbott.com/archives/14
【国等と締結した請負契約書】
http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/sh …
【No.4138 相続人が外国に居住しているとき】
http://www.nta.go.jp/taxanswer/sozoku/4138.htm

このあたりから考えた場合、話し合いになりはしませんか?

日本人は 生きている。 いかかでしょうか?

この回答への補足

 littlekiss さん こんにちは。あらためて――遅くなりましたが―― お礼欄をおぎないます。あやまらなくてはならないことがあります。

 ○ 外国との間で 課税・納税をどのように配分するか このような問題が 世の中には発生しているので それをめぐって 《話し合い》が必要だし じじつ そのために 税法は完備しているし そのための税務行政も用意がととのっている。死んでいるどころか 生きている。ではないか?
 ☆ こういうご趣旨でしょうか? 健康保険や年金にかんしても 国の範囲を超えて 互いに その保険料の二重支払いにならないように 配慮するようになって来ているようです。
 ○ 話し合いは じゅうぶんに なされているではないか。なにを血迷ったことを言ってるんだ。《日本人は 生きている。 いかかでしょうか?》
 ☆ ということでしょうか?
 税務当局は 徴税の取り残しのないように 血眼になっていると言いかえすのでは 反論にならないでしょうね。たしかに。
 ということは 経済活動ないし経済生活の上では いわば待った無しだから 《話し合い》が途切れるということはない。心配しなさんなというところでしょうか。
 どうも そのようにおっしゃっていたようですね。おそれいりました。どうも澄みません。二三回 もし次のご投稿があるようでしたら わたしのことを罵倒してください。お気の済むように。

 あと 問題は このように経済人間であることが ひとにとって 基本であるのか? ということになるでしょうか。
 妥当な意見が 世の中では 必ずしも通用しないという事態。このように既成事実あるいは既得権益のほうが たとえすでに古くなっていて新しい事態には合わなくなり妥当性にも欠けて来ていたとしても 優先される。
 ひとことで言って 有効な意見が 省みられず ただただそれまでの有力な意見のほうが そのまま 開き直り居坐りつづける こういった事態について やはり――経済活動としても―― 話し合いが望まれるでしょうし ただ話し合いが持たれればよいというのではなく 有効な意見や方策が 実行に移されることが 好ましいということだと考えます。
 社会保険庁の話題とその問題が 取り上げられて来ましたが たとえばその問題の事態について 話し合いは 結実したかということになりますね。はたして 日本人は 生きているでしょうか?

 * ご趣旨をきちんと把握しえなくて 申し訳ありませんでした。これに懲りず 今後とも ご教授のほどをお願い申し上げます。恐々謹言にて。
 これまでにも 失策は数々ありましたが 今回は 大エラーになってしまいました。・・・

補足日時:2009/06/06 08:56
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この回答へのお礼

 littlekiss さん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。全体として言って おっしゃっていることが どういうお答えであるのか よく分からなかったのですが どう問いなおせばいいでしょう。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「日本人は 死んだのでしょうか」を

  ○ 印紙税 および 相続税にかんする具体的な措置のあり方

 このあたりから考えた場合、話し合いになりはしませんか?

 日本人は 生きている。 いかかでしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ という内容は どういう内容であるのか。なかなか たっぷり時間をとって考えるというわけにも――ほかにご回答をもらっている限り――行かないので ここまでとします。分かりません。

お礼日時:2009/06/05 06:33

おはようございます。

昨日は、早くからウトウトして早朝覚醒してしまいました。

先日京都教育大学の学長が、あの暴行学生らを警察に通報しなかった理由を
「教育的配慮」と発言したことに、私は、その場で逆立ちをしてしまいました。

事件が事件だけに、質問をかわしたいとか逃げたいなら、刑事訴訟法をにらみながらも他にも言い方は沢山あります。

国立大学の学長にこんなレベルの人間が存在するんからね。

この学長個人を非難するために持ち出したのではなくて、
TOPに立つ人間のこれ程までの質の低下がなぜ起こってしまったのかです。

日本人全体が、呆けていて、注意力が散漫で、結局、TOPに立つ者を甘やかしているんだとおもうんですね。その方が自分はずっと楽ですから。
こういう怠惰の楽に落ち着いた風潮は、感性が鋭く、判断力、行動力ある人間を殺してしまうんですね。

そうですね・・日本は、政治は三流とずっと言われ続けて、さらに落ちてゆくと言うことが象徴しているのでしょうかね。
人材がいないんじゃなくて、日本人全体が生きた人材を作れない程に怠惰だということでしょうかね。

でも、落ちるとこまで落ちたら、いずれスサノウが目覚めるでしょう。
そこで息を吹き返すに違いありません。
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この回答へのお礼

 bananasand さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ 京都教育大学の学長
 ☆ いやに笑っていましたね。ああいうのは 確信犯と言うのでしょうか。何と呼べばいいのでしょうか。

 そのままの復唱になりますので 引用も よします。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 でも、落ちるとこまで落ちたら、いずれスサノウが目覚めるでしょう。
 そこで息を吹き返すに違いありません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ あれっ? 必ずしも スサノヲイストでもなかった部分を残しておられたと思っていたのですが? でもその部分よりも スサノヲはスサノヲなんですね。分かりました。もう落ちも いや 締めも しっかりとしてくださったので そのままうけたまわりました。

 * ほかの皆さんに 分かりづらかったですかね。

お礼日時:2009/06/05 06:44

聖徳太子が17条憲法の一番最初に持ってきたのが、


『和を以って貴しとし・・』という条文です。

一見、話し合いでなんでも解決せよという風にも
とらえることができますが、

はっきりとシロクロつけない。
責任の所在をあきらかにしない。

というような、日本人好みの問題解決方法にもみえます。

そういう意味では、日本人は昔からそうだった。。。と
言えるように思います。

この回答への補足

 narara2008 さん ご回答をありがとうございます。

 narara2008 さんご自身は 決して意図しておられないと思いますが ですから このご回答の内容にけちをつける意図もないわけなのですが それでも申します。聖徳太子は わたしにとっては ただのくそったれでございます。
 説明いたします。

 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 一に曰(い)わく、和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 指摘したいことが 三点あります。
 (1) 最後の一文は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 基礎とすると言っていると思います。明治維新においても 同じように《万機公論》と言いました。
 ▲ (五箇条の御誓文)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (2) 次に 同じ最後の一文の中からですが
 ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
 ☆ については 眉唾物です。お上つまり二階の論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。
 ◆ (上田正昭:日本文化の原点) ~~~~~~~~~~~~~~
 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔に
   《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 奔亡するものなほ多し。禁ずと雖も止まず》。
  とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・
 【上田正昭】 その翌年の正月にも 
   《諸国の役民は 郷に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。
   溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず》。
 というのが出ていますね。
 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。
 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。
     《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 
      国忘れたる 家待たまくに》(万葉集三・426)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。
 ▲ (万葉集 巻三・415番) ~~~~~~~~~~~~~~~
   上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首

 家にあらば妹が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとに帰って行きなさいと声をかけていますが
 聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。

 以上の三点より
 ★ 日本人は昔からそうだった
 ☆ というその現実は したがって 次のようになるのではないでしょうか?
 (1) 決して 議論としてのけんかをしないのではなかった。 
 (2) お二階さんと一階の市民たちとのあいだには みぞがあった。
 (3) 《和》は 後者の一般ピープルのほうにこそ ゆたかに息づいていたろう。

 ▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
 ☆ と言われても 庶民は もともと けんかをしつつも 仲間として 和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだしたとしても けっきょく 自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。
 どうなんでしょう? 初めから 日本は いぢのわるい国だったのでしょうか?

補足日時:2009/06/05 10:52
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はじめまして。


質問者さんの言うところの日本人とは「武士道」とか、お年寄りや子供、弱い立場の人を守ろうとする心や、国を憂う気持ちを持った人ということでしょうか。
一人一人のことは分かりませんが、少なくとも12年前に死んだ父親は、駄目なところもあったけれど、立派な日本人だったと私は思います。


私が子供の頃は、今よりもずっと車が少なかったので、子供も車道で遊んでいたり、空き地も広かったから外遊びをする子が多かったですね。
それを見守る親もいて、見守るだけではなくて、いたずらが過ぎる子や、危ないことをする子は余所の子でも大人がきちんと叱っていました。

私は40代の主婦ですが、子供の頃は悪いことをすると「お天道様が見ている!!」と言う発言をする大人もいました。
今、そんなことを言って子供を叱る大人がいたら、しらけたり笑う人が大人の中にもいそうですね。(私もこのままズバリは言えませんね)
お天道様と言っただけでは、子供にも本当の意味は中々伝わりにくいと思います。

私は子供の頃、「お天道様=太陽」という意味は知っていたのだけれど、それだけではなくて、子供向けの古事記も読んでいたので、特に親や先生に説明されなくとも、「お天道様=太陽=天照大神=日本人の先祖=私の先祖」という意味に取っていました。
本気で皇室(天照大神)が自分の先祖と思っていたわけではないけれど、感覚的に、自分が悪いことをすると自分に返ってくるだけではなくて、自分の親や先祖の顔に泥を塗る行為になるのだと思っていました。


私が子供の頃は、(私はサザエさんの開始前にやっていたアニメ、カムイ外伝から見ていた口です)サザエさんの家には、度々、波平さんそっくりのご先祖様が様子を見に来る話がありました。
それが面白くて、また不思議で、側にいた母親に、
「ねえ、お母さん、家にもああやって先祖が様子を見に来たりするの?」等と聞いていました。
本当に心配して見に来ていてくれたら、嬉しいな、楽しいなと思う反面、不甲斐ない子孫だと、がっかりされるのも嫌だなと思いました。

自分で自分は駄目なやつかもしれない、生きている価値がないのかもと思ったときには、
「でも、昔の人は強くなければ生き残れなかったはずだ。
その人達の血を受け継いでいるのだから、私も強くなれるはずだ。
駄目なままでいたら、さぞかし先祖はがっかりするだろう」と思い、子供の頃は気を奮い立たせていました。

でも、いつの間にかそんなこともしなくなっていました。
私は子供の頃の方が日本人の意味を真剣に考えていたと思います。
今では、その場限りの人目を誤魔化すことにばかり神経が行くようになってしまったと思います。
日本人でいたいですね。ずるくなってしまった今だからこそ。
様々な困難に立ち向かって、道徳心を持って生きてきた人達に子孫だと認めて貰えるように、これまでのことを振り返って、そして前に進みたいですね。


昔を美化してみている面もありますが、江戸時代の日本は、世界の最たるクリーン都市で、リサイクルも盛んでゴミが少なく、河川も綺麗だったと聞きます。
日本を訪れた欧米人の識者は、日本人の勤勉さや、子供を大切に育てる姿に感動したのだそうですね。そして、近代化(欧米化)が進んで、そう言った美徳が壊れるのを憂いたそうです。

質問者さんが仰る日本人というのは、近代化と引き替えに失われつつある精神文化を象徴していらっしゃるのではないかと思います。
それは、変わらずにあるべき姿ということだと思います。
それって世界遺産並に大切なことだと思います。

一人一人が日本人であることの意味を真剣に考えて、子供を育てていけば、お天道様(本当の強さの意味を知っていた人達)が見ている事を忘れなければ、日本人は死なないと思います。
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この回答へのお礼

 kiroran さん ご回答をありがとうございます。

 ひとさまの意見を聞いて 確認していては いけないのですが 弱音を吐いたようなかたちで このように質問をもうけてしまいました。――むろん いわゆる精神主義によるのではなく 基本的な日本人論であるとか具体的な提言であるとかについても 確認しつつ発展させていければとも思っています。
 自分の見方に引き寄せてしまうのですが おそらく  kiroran さんのご見解は 直前でわたしが述べたような歴史や社会の構造を踏まえた上で 同感いたしますし さらに みなさんとともに 深めていきたいと思うところですが いかがでしょう。

 ★ お年寄りや子供、弱い立場の人を守ろうとする心
 ☆ これを真っ先に あらためて掲げたいと考えます。
 ★ 「武士道」
 ☆ にかんしましては 上の第一の心を 武士でなくても 武士でないからこそ 保ちたいと 欲望します。
 ★ 国を憂う気持ちを持った人
 ☆ に関しましては 同じく先の心を 《国境》を超えて 持つ人びとと分かち合いたいです。すなわち 《国家》のことでは必ずしもなくて 市民らの生活という意味での《くに》を憂うのではないかと考えます。それならば 国境は要らなくなるのではないでしょうか?
 それぞれの民族とそのくにに応じて あらためて
 ★ 近代化
 ☆ と取り組んでいく道も 開けているのではないでしょうか?
 ★ お天道様
 ☆ は 国境によって遮られているとは思えません。
 ★ (本当の強さの意味を知っていた人達)
 ☆ も それぞれの民族や言語に応じて 歴史に出ているはづですから 
 ★ 世界遺産
 ☆ であれば それぞれのくにの人びとが 互いに いいものを相続し合って行ってもいいと考えます。どうでしょう?

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 今では、その場限りの人目を誤魔化すことにばかり神経が行くようになってしまったと思います。
 日本人でいたいですね。ずるくなってしまった今だからこそ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2009/06/05 11:19

No.4の者です。


多分ですが都内の通勤・通学の時間帯(混雑していた可能性大)と書いてあったので、お弁当のニオイがヒトの熱気と混合してその場に居合わせた他の乗客にはお世辞でも「いいニオイ」とは思えなかったのではと私は状況推測しました。その辺の状況も質問者さまが事細かく書き込みしてあったので、回答を投稿してきた方々もその状況を知った上での意見だったのではと...?何かおかしいですかね??
確かに普通電車でも例えば旅先でのローカル線で、窓が開けっ放しで車内にもひとがまばらだったとしたら、食べてもさしつかえないと私もおもいますよ。でも、今回のようなケースでは、いかがなものかと...
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この回答へのお礼

 munamaca さん わざわざ 澄みません。変なところに引っかかってしまいました。

 いまは都内ではないのですが 下宿して住んでいたときがあります。
 ★ 確かに普通電車でも例えば旅先でのローカル線で、窓が開けっ放しで車内にもひとがまばらだったとしたら、食べてもさしつかえないと私もおもいますよ。でも、今回のようなケースでは、いかがなものかと...
 ☆ ま たしかに 迷惑にならないとしても みっともよいものではないですよね。
 そう言えば みっともよくない例を わたしがやっていたと気づきました。郊外をよく歩くのですが 汗をかいてくると アイスクリームを 歩きながら食べることがあるものですから たぶん 食いついたのだと思います。

 とんだことで わづらわせ申し上げて 澄みません。これに懲りず また何かありましたら ご投稿いただきたいと存じます。では。

お礼日時:2009/06/05 12:42

確かに日本人は、死んでると思います、原因は情緒が不足してるからです。

人の心を育てるのは情緒です。脳の思考による人の知恵ではありません。現代人は何でも脳で解決しようとしますが、これが間違いです。西洋的風潮、自己表現、個性化を、無批判に信じ受け入れたために、日本人の行動パターンの基準が、脳の思考による自己表現になりました。昔の日本人は、自然の心である情緒が行動基準でした。脳の思考を理屈ポイ、インテリとかいって嫌ってました。だから日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを追求しています。禅、能、茶道、文楽、雅楽、演歌、日舞、短歌、俳句、浮世絵など、ではなぜ脳が悪いかというと、不調和世界の代表だからです。他方自然の情緒は調和世界の代表です。脳と情緒は対立しています。脳が思考する時は、情緒が無くなり、心がストレスになります。脳が休むと、情緒が交流して心が癒されます。だからこの世界は、脳の不調和世界と、情緒の調和世界が、衝突し混じりあう仮の世界です。仏教でも仮の世界だと教えます。また科学者アインシュタインも、仮の世界を前提にした相対性理論を発表し、その後実験で証明されました。予言では2012年に仮の世界が終わり、人は脳の自我を分離して、調和世界へ帰るそうです。

この回答への補足

 eyasi2012 さん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。日本の文化のことを取り上げて あらためてしっかりと育てていくのがよいというご見解だと思います。最終的には どういうことをおっしゃっているのか――なぜなら
 ★ 予言では2012年に仮の世界が終わり
 ☆ というふうに 反哲学をのべておられるので―― 分からないのですが まづ基本的に 情緒と論理の二つの側面(ないし世界)については パスカルの文章を確認しておきます。
 ▲ (パスカル:パンセ)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 《幾何学の精神》と《繊細の精神》との違い。

 前者においては 原理は手でさわれるように明らかであるが しかし通常の使用からは離れている。したがって そのほうへはあたまを向けにくい。慣れていないからである。しかし少しでもそのほうへあたまを向ければ 原理はくまなく見える。それで 歪みきった精神の持ち主ででもないかぎり 見のがすことがほとんど不可能なほどに粒の粗いそれら原理に基づいて 推理を誤ることはない。

 ところが繊細の精神においては 原理は通常使用されており 皆の目の前にある。あたまを向けるまでもないし 無理をする必要もない。ただ問題は よい目を持つことであり そのかわり これこそはよくなければならない。というのは このほうの原理はきわめて微妙であり 多数なので 何も見のがさないということがほとんど不可能なくらいだからである。   (前田陽一・由木康訳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ よく引き合いに出される(た?)文章ですが 単純に言って 前者が 《意識〔としての人間関係〕の対立と分析と分断と統合》の問題となり 後者は 《情感の共同性・その破綻と綜合》ではないかと見るのですが どうでしょうか? 簡単には 論理と情緒でしょう。

 情緒も 繊細の精神と言うだけあって わたしは 脳のはたらきを持つし 促しているようには思います。思いやり・察し合い・惻隠の情等々と言うようにでしょうね。
 ところが 論理と言っても これもやはり 意識というのは けっきょく  知覚やそれにもとづく認識でしょうから 感性の問題であると言ってもおかしくないでしょう。

 というふうに ひととおり 反論をのべておきたいと思います。一方に片寄っては あぶないですから。

 そうして 思うことは 考えるに 論理は論理で また 情緒は情緒で 日本人は それぞれの分野においてというような恰好で 秀でたところがあるのではないでしょうか。あったでしょうし 一部にはとうぜん あるでしょう。――生かされていないのではないでしょうか? その限りで
 ★ 確かに日本人は、死んでると思います、
 ☆ といちど言わなくてはいけないと わたしも 思います。そしてこのとき
 ★ 原因は情緒が不足してるからです。
 ☆ と同時に けっきょく 理論的な思惟についても どうも 中途半端であると思うのですが どうでしょうか?
 全体の調和も 望まれると思います。

補足日時:2009/06/05 14:58
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