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 話し合いが出来ない。
 話をしていても 知識とそれをめぐる意味のない言葉とを並べるだけである。
 意味のある話をすると 逃げて行く。あるいは はぐらかしをしながら 話のすり替えの術にかけては 玄人裸足だと言わんばかりになっている。

 もう死んだのでしょうか? こうやって 死んでいくのでしょうか?
 生きている人は もう いないのでしょうか?

A 回答 (73件中51~60件)

オコリザルです。


A15の損得勘定についての話です。
自らに利益誘導しないでただ雑談に加わるだけで、さらに第三者でもない客観性です。当事者の片方として利益誘導をしないでさらに対面したもう一方の当時者が利益誘導を図るのを阻害、攻撃、いさめ、そのように対話することです。自らの主観で知解を進めるにあたって、唯識でいう平等性を発揮することでもあります。
自らの欲望を手放して利他を装うのなら、現実をゴミ捨て場にする輩と同質の言い分です。高次元の霊体がよくやるお互いに儲かるもうけ話です。
利他を放任したりアダムスミスを持ち出すようじゃあ、bragelonneさんも自らの欲望に気がつかない状態に、感染しているんじゃないですか。
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この回答へのお礼

 primeape さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 前回のわたしの反応は 《横からの評言》です。
 ☆☆ (No.15) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  今回のお話は 一般化して扱うのは むつかしいでしょうし 個別にそのご友人のことについて述べるにしても 第三者のわたしには 無理でしょうね。そういう問題を取り上げておられる。――もしくは 問題のそういう取扱い方をしておられると思います。
 ですから ぎゃくに思ったことを気軽にお話させていただきます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ その上で ご批判をいただきましたので お応えしてまいります。
 ただしこれも 前回で述べたことが 基本になっていると いま 読みなおして確認しました。
 ご友人との間のことは 分かりませんので あくまで 一般論として けっきょく
 ○ 損得勘定の扱い方 あるいは 利己と利他との調和
 ☆ の問題だと考えるのです。しかも
 ★ 自らの欲望を手放して〔* あるいは 棚に挙げて〕利他を装うのなら、〔* あたり構わず みづからの意識を排泄しまくって〕現実をゴミ捨て場にする輩と同質の言い分です。
 ☆ この命題と 同じ主張だと考えるのですが どうでしょう?

お礼日時:2009/06/08 09:36

補足ありがとうございました。


>望洋の嘆き
私なんか下手の横好きで何にでも首を突っ込んでしまう悪い癖のせいで、望洋の嘆き、になってしまうみたいです。
私がネットの世界を知ったのは50を過ぎてからでした。
もし、あと20年くらい早かったとしたら、私自身にも大きな影響があったかもしれませんね。
振り返ってみて
自分はこんな人間でいいんだ、みたいな感じになってきたのは40半ばくらいでしょうか。
いい意味で言えば、人ができた、のかもしれませんし
悪い意味で言えば、もう進歩が無い、のかもしれませんね。
体力の衰えを感じるようになってきて、何かしみじみとした事ばかり思うようになってきてしまいました。
(ちょっと情けないか・・・)

今の私にとってネットの世界は、大げさな言い方かもしれませんが
ちょうど、夢でも見ているような感じです。
現実というより、ちょっと未来に首を突っ込んでいるような感じさえします。
(少しオーバーかな・・)
知識のやり取り、だけでは無く、心のやり取りも出来たら素晴らしいと思います。
或いはそんな時代がもう来ているのかもしれませんね。

あと
私には分からない事なのですが
このような情報化時代が、若い人達の人格形成にどのような影響を与えるものなのでしょうか。
私は半ば夢を見ているような感じですが、若い人達にとっては夢では無く、確かな現実として受け止めているはずです。
良いものも悪いものも吸収していると思います。
仮想空間という言葉もありますが
虚構や空想といった世界に迷い込む危険があるようにも思えるのですが
どうなんでしょうか。

小説を書いている人に、虚構ほど面白いものは無い、ということを聞いたことがあります。
これほど面白い事は無い、というのです。
虚構だからこそ面白い、ともいうのです。
昔聞いたこの言葉が印象に残っているのですが
これらに振り回されて、現実を見失ってしまうのが怖いような気がします。
(老婆心かな・・・)

身の回りの虚構とか
虚構と現実の境とか
芸術と虚構とか・・・考えると沢山あります?
心の虚構とか・・・を考えると人の人格や対話のあり方までも及ぶものがあるかもしれませんね。
(これ以上は深く考えないほうが私自身のためになりそう?なので止めておきます・・・)

いつかは未来において
急激な情報化がもたらした人間社会への影響、なんて論文が発表される時が来るかもしれませんね。
(或いはもう既にあるか・・・?)


一人言をぐたぐたと書いてしまいました。
お付き合いありがとうございました。
それでは。
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この回答へのお礼

 bird48 さん ご回答をありがとうございます。

 ★ ネットの世界
 ☆ わたしは 携帯を持っていませんし PCについて その仕組みなどを知ろうという気が全然しません。故障をおこせば えらい騒ぎになります。
 たしかに 隔世の感を持ちますね。外国語と言えば 英仏独まででしたし 情報一般としてみても 比べものになりませんね。世界のニュースが 毎日 手の届くところで 飛び交っていますからね。

 ★ 仮想空間
 ☆ あるいは 仮想現実とも言うのでしたね。いま 別に オタクに関して質問していますが それだけに限らないでしょうが 新しい世代のことについて なかなか 直接の第一次の知識や情報に わたしは乏しいのです。

 ★ 虚構
 ☆ の問題は 表現にかんするすべての問題をあつかうと言ってもよいのでしょうね。
 自然科学ですら その文章表現は 芸術に属すと考えたことがわたしにはありますから 基本的に 虚構の問題だと まだ 捉えているところがあります。
 ★ 心の虚構とか・・・を考えると人の人格や対話のあり方までも及ぶものがあるかもしれませんね。
 ☆ 要するに 《うそ》ですよね。たぶん 経験思考を超えたところに関して うそを交えて 表現をすることに 人間は なっているのだと思っているのですが どうでしょう? 
 言いかえると うそを うまく現実に対応させたかたちで 全体としては むろん 経験世界としての真実で 自己表現をしていく。
 
 ですが この問題は それ自体を このように表わしても あまり面白そうではないみたいです。具体的な主題や問題に即して 虚構のあり方・使われ方を分析していくと 面白いのかも知れません。

 わたくしも このあたりで お茶をにごすかたちになります。情報化社会とは何かといった 正面から論じるような思索は 苦手です。実際に考えたことも じつは ありません。
 この質疑応答において 話が停止してしまった。という事件に遭って 考えていこうという行き方で歩んでいます。
 そんなこんなです。

お礼日時:2009/06/08 00:00

こんにちは、bragelonneさん。



●いまでも 年末調整は 会社が 税務当局の代理で しかも奉仕の精神で 税務作業を請け負ったかたちでおこなっている。



年末調整は、( 会社 )が 税務当局の代理で しかも奉仕の精神で 税務作業を請け負ったかたちでおこなっている。


失業者いっぱいなんですけど…

( 会社 )に属していない場合は、どうなんでしょう?

はたまた、

( 会社 )に属していても税務作業を請け負ってもらえてない場合も多々ありますもんね。

【QNo.4553320日雇い派遣の失業手当】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4553320.html
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この回答へのお礼

 電子文書にかんする印紙税について その事務処理としての費用が割りに合わないから 納税義務者を 文書の作成者本人ではなく その代理人に請け負わせるという問題です。
 それと同じ問題は 年末調整の作業が 挙げられますということを言ったまでです。それ以上のことは 言っていません。
 そのあと 新しい問題に入ってください。

お礼日時:2009/06/07 17:42

はじめまして。

bragelonneさん。
私は、Okwaveって何?の人なのですが、どうゆうわけか
たまたまあなたの質問タイトルが検索され
おや、こんなマジな問いかけをする人がいたんだと思って
やってきました。皆さんそれなりに真摯な意見をだされているなあ
とすなをに感心しました。
そこで回答ではないんで恐縮ですが、もっと議論を実りあるものにするために
bragelonneさん(かなりの教養をお持ちと推察しますが・・ほめごろしではありませんよ)の質問(今の日本人の状況を把握するうえでかなり意味の広がりが可能な本質的な質問のひとつだと思いますので・・要するにいい質問)の背景となるご自身のの豊富な具体例を少しご提示していただけないでしょうか?
(迷亭先生のようにもっとおもしくろくしませう。)
よろしくお願いします。

この回答への補足

 rongostudy さん こちらこそ はじめまして。ご投稿をありがとうございます。
 
 そうですね。いちおう こういうたぐいの質問を けっこうやって来ました。No.19の補足欄にいくらか この質問をもうけるまでのいきさつを書きました。或る種の挫折を味わって
 【Q:けんかをしては 何故 いけないのか】
 【Q:ぶっきらぼうは いただけませんか】
 【Q:すべてのひとを説得することができますか】
といったように問いかけ ここに来ているわけですが その前には 次のようなものを多く問うています。
 【Q:日本人は 死んでいるのでしょうか】07/09/15( noname#80116 が 以前のわたしです)。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3346636.html
 ☆☆ (その趣旨説明) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 人と人との関係 これは なくなったのでしょうか。この無関係というかかわりを死と言ったのですが われわれのあいだでは 死がひろがっているのでしょうか。

 たとえば《こんにちは》と挨拶するとき それは 《あなたと わたしとは 無関係である。これからも かかわりを持とうとは思わない。その点くれぐれも よろしく願いたい》と言い交わしているのでしょうか。わたしたちは それほど魂が弱ってしまったのでしょうか。(あるいは 魂の問題ではないと言うべきでしょうか)。

 いやいや 部分的な悪い事例を見ているだけだと言うべきでしょうか。あるいは もっと別の見方があるのでしょうか。
どうかよろしくご教授ください。

 〔焦点ないしきっかけは 上のように あいさつ言葉や会話内容です。その表現の奥に秘められた意図・こころです。かかわりを持つという感覚(その意味でのたましい)が弱っているのかなといったことです。〕
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ほかにも
 【Q:日本人は 人間ではないでしょうか】
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3893969.html
 【Q:《絶対》の概念を日本人は理解していないのですか】 
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3061598.html
 【Q:日本人は生ぬるいですか】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3783575.html
 【Q:日本は《マインドコントロール社会》でしょうか】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4254724.html
 【Q:あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください】
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3385985.html
 ○ これは 悪口を言い続ける罪滅ぼしにと いいところを探す旅です。

 ほかにもありますが ここらへんでとめましょう。
 ですから わたしの関心も体験も 《話が通じない》ということに焦点が当たっています。具体的な事例としては 次になります。
 【Q:男と女】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3689191.html
 ○ やり取りの中で 体験を語っていますが 長いですよ。意思表示をしなければ 気持ちも思いも 相手に伝わらない――そういった肝心要の《とき》はあるものだと訴えています。

 どこからでも どの点からでも 面白い あるいは 変だと思われたことがありましたら どしどし 追及してみてください。そのように追究していくのが ここでの目的ですから。

補足日時:2009/06/07 11:58
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こんばんは、bragelonneさん。



ANo.5の[この回答への補足]欄へお便りをいただいたようで、読みました。

●わたしのことを罵倒してください。お気の済むように。


えっ?!そんなこといっていいんですか?
お気の済むように?って…
ホントウニイイノ???

(^_-)-☆
うーん、じゃ、お言葉に甘えて
まずはここを開いてクイズにこたえてきてもらいましょうか?

【オープンクイズ】
http://quizken.jp/quiz/!/eyJkIjoiT1pKVkZjNkx1YnN …
http://quizken.jp/quiz/open/%E3%83%97%E3%83%AD%E …
頭の体操、エクササイズ~♪
【THE クイズ】
http://maker.goo.ne.jp/special/quizken


2 納税義務者についての問題点
http://www.nta.go.jp/ntc/kenkyu/ronsou/42/souma/ …

ちょっくら、ここに目を通してくれるかな

(一部抜粋)
印紙税の課税根拠は、(1)課税対象となる文書作成行為の背後に担税力の認められる経済取引等が存在する、(2)文書を作成することにより、取引当事者間において法律関係が安定化するという利益がある、ということにある。
このことを代理人が委任に基づいて作成する文書(代理人名及び委任者名が記載されているもの)についてみると、まず、文書を作成する基となった担税力の認められる経済取引等は、代理人側ではなく委任者側にある。また、その文書に記載証明されている事項に係る法律効果は、代理人ではなく委任者に帰属する。すなわち、文書の作成による「法律関係の安定化」という利益は、委任者に帰属している。
以上のようなことを勘案すると、単に代理権に基づいて文書の作成行為を行っているに過ぎない代理人のみを納税義務者とすることについては、印紙税の課税根拠と整合的でないように思われる。
しかし、第三者の委任に基づき作成される文書について、委任者(作成名義人)のみを納税義務者とすると、執行に当たって問題の発生が想定される。例えば、膨大な数の者からの委任事務を処理している金融機関等が、当該委任事務に係る文書(例えば、振込金受取書(72))の課否判定を誤り不納付となった場合、課税庁は、膨大な数の納税者について是正措置を講ずることとなる。そして、この是正のために、課税庁は、課税処理のための多大な事務量と課税通知のための多大な費用を要する。印紙税の最低税率が1通につき200円であり、過怠税額も本税額の1.1倍相当額ということがあり得ることを考えると、是正に要する事務量と費用の問題は深刻である。したがって、効率的かつ効果的な税務執行という観点からみると、代理人が委任に基づいて作成する文書について、その納税義務者を代理人とすることには相当の理由があると思われる。

是正に要する事務量と費用の問題は深刻みたいですね。
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この回答へのお礼

 littlekiss さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 さて 量は多いのですが それほどきびしいものでもなかったみたいです。
 ★ 【オープンクイズ】
 ☆ 孟浩然・春眠暁を覚えずの第四句――正解
 ☆ プロレスのクイズ――ほとんど知らないことばかり。昔なら 少しは知っている。十問中四問正解。

 ★ 【THE クイズ】
 ☆ 語源の問題を選択。十問中七問の正解。八百長は 相撲からではなく囲碁から出たとか。google は googol からだった。エコンテを知らなかった。
 
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   2 納税義務者についての問題点

 是正に要する事務量と費用の問題は深刻みたいですね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この一点で いいのでしょうか? それなら らくだ。
 いまでも 年末調整は 会社が 税務当局の代理で しかも奉仕の精神で 税務作業を請け負ったかたちでおこなっている。
 ▼ 効率的かつ効果的な税務執行という観点からみると、代理人が委任に基づいて作成する文書について、その納税義務者を代理人とすることには相当の理由があると思われる。
 ☆ と思われます。

お礼日時:2009/06/07 11:26

>話し合いが出来ない。


そうですね。
若い人と向かい合っていると特にそう感じます。
年代の差と言ってしまえばそれまでの事になってしまうのですが
お互いに余計な事は言わない、言う必要もない、といった感じです。
片や、こうしたネット上では、ご質問の内容の如く自己防衛の論戦を結構熱く展開しているように見えます。
相手の姿の見えない自己中心の話し合い、といった感じでしょうか。
(私も年甲斐もなくそんな感じでしょうか・・)

人と人が正面からぶつかり会う事が無くなってきたように思います。
良い意味でのケンカが出来ない感じです。
若い人と話す時には、なるべく馬鹿になって笑いながらするようにしていますが
こうすると、段々にですが向かい合って話しが出来るような感じがしてきます。
もっともっと馬鹿になって隙を見せた方がいいなと思う時もあります。
(あくまで私の場合ですが・・・)

あと
情報化時代の多様性といったものでしょうか
全てが多様であると言った認識が、個人においては逆に孤独を生んでしまうという事もあるような気がします。
自分が知り得ない事があまりにも多すぎるという、一種の絶望感、断絶感みたいなものがあると思います。
情報量が少なく貴重で共有感のある方が直接のコミニュケーションがしやすいのかもしれませんね。
若い人達が、情報の渦の中で自分というものを確かめながら生きていくだけで精一杯のようにも思えます。
そんな見方をすれば、「逃げ」や「はぐらかし」も、まあ仕方のない事なのかなとも思えます。
情報化時代がもっと洗練されたものになっていくのでしたら、人の意識も今とは変わってくるのかもしれませんね。

>もう死んだのでしょうか?こうやって死んでいくのでしょうか?
>生きている人はもういないのでしょうか?

大丈夫でしょう。
良い種を蒔けば良い苗が育ちます。
枯れたらまた種を蒔けばいい。
今までも蒔いてくれた人が沢山いました。
今は芽が出ていなくても、時期が来ればきっときれいな芽が沢山出てくると思います。
いずれその時が来ると思います。
短気を起こさずに待ちましょう。

悪しからずご参考まで。

この回答への補足

 bird48 さん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。この OKwave の規約では 《情報交換》という言い方をしていたと思いますが この質疑応答でのやり取りというのは けっこう 回答者も質問者も 得るところがあるように思います。
 時に 考え方のひらめきをもらったということでしょうし つねにとしては このやり取りをすること自体が 知らず知らずのうちに 考えを練って行っているように感じます。
 さらに言えば その後者の効用としてですが すでに広い範囲の人びとを前にして 自己表現をしている感があります。

 さて わたくし事ですが しばらく前に そのようなわたしの基本方針が言わば予期せぬ特別の回答者の投稿を得て 行き詰ってしまいました。それからです それにまつわるいろんな質問をし始めたのは。
 【Q:けんかをしては 何故 いけないのか】
 【Q:ぶっきらぼうは いただけませんか】
 【Q:すべてのひとを説得することができますか】
 などなどです。それも かなり吹っ切れて 前からの基本方針に戻って進めようかと思ったとき この質問が ふと 目の前にぶら下がりました。いやな予感と言いますか 前向きの姿勢に 暗い陰がしのび込んで来たような感じです。
 ここまで来て この暗雲も おかげさまで 晴れてきたようです。晴れ切ったとは まだ 思えていません。

 ぜんぶを引用して確認していくことも 出来ないと言いますか 芸がないでしょうから もうしませんが 一点 異論のような内容で反応した箇所がありましたので そこに触れてみます。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 情報化時代の多様性といったものでしょうか
 全てが多様であると言った認識が、個人においては逆に孤独を生んでしまうという事もあるような気がします。
 自分が知り得ない事があまりにも多すぎるという、一種の絶望感、断絶感みたいなものがあると思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 何と言いましたかね むかしの中国で。ええっと。
 ○ 望洋の嘆
 ☆ これは 昔からあるわけでしょうから 情報化時代だからという理由は あれっという感覚で 間髪を入れず 反応しました。しかも それを
 ★ 一種の絶望感、断絶感みたいなもの
 ☆ につなげておられる。わたしは 端的に言って 望洋の嘆は けっしてひとを落ち込ませるものではないと思うのです。かえって わが能力の至らなさに思いを致すでしょうし あるいはさらにわが存在のちっぽけなことに よきへりくだりを覚えていくでしょうし そこからちょっと前向きにでもなれば そのときには 人びととの協力であるとか 広く社会的な共生であるとか 
 ★ 絶望感や 断絶感や あるいは 孤独感 
 ☆ これらを突き抜けて 関係性や連帯性にまで 思いを馳せるのではないか こう思われるのです。たぶん 死んだのでしょうかと問うたのは 情報の洪水に嵌って流され 流失物の中に埋もれるにしても 
 ★ 自分が知り得ない事があまりにも多すぎる
 ☆ というのではなく そうではなく それでも知り得た部分のほうに目を向け ひととの差にも目をやり むしろ 自分はえらいとでも思うのではないか こうも疑われたからなのです。そういう意味で 話し合いができないし もはや望まないというような状態であり 情況であるのではないか こういううたがいなのでした。

 ま 感覚だけを 自分勝手に述べてしまいました。
 ご回答に就いて 大いに 参考にさせていただきます。

補足日時:2009/06/06 22:41
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現代の日本人から間が無くなってる事が、原因です。

昔の日本人は、社会生活すべてに間を入れて、社会の調和が出来ていました。現代は脳の思考ですべてを解決できると思い、間を入れなくなりました。また科学の発達、情報過剰で社会から間がなくなりました。間は情緒だから、人の心を癒します。脳の思考が休んで、脳波がアルファ波になった時発生します。例えば、民謡などで母音を伸ばす、コブシなどで発生します。日舞や能や太極拳など、動作がスローだと間が多くなります。日常生活に間を多くする事です。昔の日本人の得意わざである間を復活する事です。
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この回答へのお礼

 eyasi2012 さん ご回答をありがとうございます。

 ★ 現代の日本人から間が無くなってる事が、原因です。昔の日本人は、社会生活すべてに間を入れて、社会の調和が出来ていました。
 ☆ なるほど。昔は 雨戸があって 縁側がありましたね そう言えば。いまは アルミサッシの戸で 縁側は要らなくなったのでしょうか。
 そう言えば 落語も 落ちよりも 間がおもしろいのでしょうね。
 また この間があるから ゆっくりじっくりと 話し合いも出来るということかも知れません。

 ★ 現代は脳の思考ですべてを解決できると思い、間を入れなくなりました。また科学の発達、情報過剰で社会から間がなくなりました。
 ☆ 脳が発達したのなら 間が大事だと分かるはづであるのに どうしたもんでしょうか。それほど 忙しいのでしょうか。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 間は情緒だから、人の心を癒します。脳の思考が休んで、脳波がアルファ波になった時発生します。例えば、民謡などで母音を伸ばす、コブシなどで発生します。日舞や能や太極拳など、動作がスローだと間が多くなります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この中では 演歌がきらいです。暗い。どろどろ。引きずる。
 《太極拳》は 日本古来のものではないですが かまわないですか?

 ★ 間は情緒だから、人の心を癒します。
 ☆ ほんとうは わたしとしては それにつけ加えたい。
 ○ 間は 情緒にかかわると同時に 論理にもかかわっている。
 推論の妥当性とその主張内容にも うっとりと惚れることがある。それは ただただ論理的な整合性だけを言っておらず そうではなく おそらく 間主観性(かんしゅかんせい)つまり主観の共同性は 共同主観と言っても その互いの主観のあいだには 《間》があり この《間》で 交流しているという表現の妙も 与かっている。
 ☆ のでしょうね。それは こんにちはと言ったあいさつ言葉にも言えるのでしょうね。

 脳波なりα波なりは よく分かりません。研究も進むといいですね。
 ★ 日常生活に間を多くする事です。昔の日本人の得意わざである間を復活する事です。
 ☆ と。おあとがよろしいようで。

お礼日時:2009/06/06 15:10

死んだとは思いません。


私は話し合いにならなかった経験があります。
関係ない話もされました。
逆切れまでされました。
ですが話し合いが出来ない相手とも決着をつけなくてはいけません。
確かに日本人いや世界は死んだのかもしれません。
ですが私は世界は変えていけると思っています。
みなさんの手で世界を変えていきましょう。
後話し合いが出来ない人を馬鹿にしてはいけません。
その人からすればあなたとは話し合いが出来ないと思っているかもしれませんから…。

この回答への補足

 kawasaiwai さん ご回答をありがとうございます。

 たぶん おっしゃるところは これまでこの質疑応答でわたしが応答して来ました内容と同じことに行き着くのではないでしょうか。そういうことをおっしゃっているのだと思います。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 話し合いが出来ない人を馬鹿にしてはいけません。
 その人からすればあなたとは話し合いが出来ないと思っているかもしれませんから…。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これをお聞きして どうもわたしは――上に同感した内容とは別に その内容の取扱いに際して―― どこまでも いぢのわるいやり方で 反応を示したり対応をとったりするようだと思いました。いぢわるは わたしの専門なのですが そういういぢわるをしてやろうという場合とは少し違って 対応の仕方で わさびのように いぢの悪さが 織り込まれていると――他人事みたいに――思います。

 たぶん そういうことと思いますし ここでは それだけだとも思います。すなわち
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 死んだとは思いません。
 私は話し合いにならなかった経験があります。
 関係ない話もされました。
 逆切れまでされました。
 ですが話し合いが出来ない相手とも決着をつけなくてはいけません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ と kawasaiwai さんがおっしゃるところを わたしは このように《日本人は 死んだのでしょうか》と 悪びれず堂々と 正面から 言っていくのだと思いました。
 でも そのほうが おもしろくないですか? おもしろい・おもしろくないで済ませては いけませんか?
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 確かに日本人いや世界は死んだのかもしれません。
 ですが私は世界は変えていけると思っています。
 みなさんの手で世界を変えていきましょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ けっきょく 同感なんですが そのように言うのは照れくさいということでもないのですが そういう真面目な言い方をすると やはり 面白くないとは思うのです。どうでしょうか?
 いわば金平糖主義ですね。ごつごつ尖っていたほうが おもしろいでしょう。中身は けっこう おいしいですよ。

 と書いてきて気づくのは わたしも元気が出てきたみたいです。みなさんとの応答で ここまで来られたようです。でも 感謝の 気持ちは別として 言葉は言わない主義なんでえーす。

補足日時:2009/06/06 08:16
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回答を訂正します。

日本人は死んでません。寝てるだけです。自分の使命にきずくと直ぐに起きます。なぜかというと、世界中で情緒を理解出来る、唯一つの民族だからです。大学の先生が書いた本、日本人の脳、角田忠信著、大修館書店、によると、日本語を話して育った人は、脳の音感の構造が変化して、川や風の音、虫や鳥の声に敏感になり、自然の情緒を理解出来るそうです。これは世界中で日本語だけだそうです。また日本人は脳に依存しすぎて、苦しんでいます。だから人と脳の関係について説明します。宇宙の大元は完全調和の世界です。だけど調和の世界が成長、拡大するためには、まわりの周辺部の不調和を調和に変換する必要があります。そこで変換する場所として、仮の世界の地球が作られました。そしてその地球に、調和の世界から宗教で言う神の子、仏の子の、無我が来て、不調和世界の脳の自我と、合体して人が誕生しました。だから人は脳の自我に、苦しめられています。しかしいよいよ、2012年に仮の世界が終わり、人は脳を自我を分離して、調和の世界へ帰ります。
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この回答へのお礼

 eyasi2012 さん ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 回答を訂正します。日本人は死んでません。寝てるだけです。
 自分の使命にきずくと直ぐに起きます。
 なぜかというと、世界中で情緒を理解出来る、唯一つの民族だからです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《唯一つの民族》を言わず ひとは みな 情緒を持ち理解しうると言っては どうでしょう? そしてその分では このご訂正に同意いたしたいと思います。
 問題は 目覚めであり 気づきであるでしょうね。つまり 遅すぎるでしょうし 寝過ぎでしょうね。

 あとは 残念ながら ついて行けません。独走状態のように映ります。
 情緒と言ったって 何も自然環界の風情だけの問題ではありません。
 調和をおっしゃるのでしたら 情感とその共同性の問題。つまり ひととの間では つねにと言ってよいほど ほころびや破れが起きるでしょうから しかも 全体として・つまり人間の境地として この共同性の破綻についても 引き受け包むこととしての調和が――その動態が―― 大事でしょうね。
 このことに 頭で考えた――つまり おっしゃるところの 脳で考えたような――神も仏もへちまもありません。わたしたちがやることです。このくらいは 出来るでしょう。2012年を待たずとも いつでも 誰でも やれば出来ることでしょう。どうでしょうか?

お礼日時:2009/06/06 08:00

オコリザルです。


身近な友達の話です。
その友達にはbragelonneさんにもお話したことがある「野心」と「野望」の違いとか、簡単な心の話や前向きに考えるコツなどを話せるのですが、考え方に自己中心的で損得(これは善悪の象徴でもあります)に基づいた判断しか下せないので、友人としてあえてその点を責めたことがあります。
そうしたら、白紙を起点として判断できる数少ない人には、遠く及ばないのだと、弱音をはかせてしましました。
そのように病を抱える人がむしろ普通人だとすると、そのような人の会話には交流の前にあらかじめ秘めた思惑があり、それを望みの一種とするならば欲望です。
この友人に対してはエスパー能力全開でして、その心の潜在性、要するに宿っている無意識に対して、友人の主観を無視して直接、伝心させて自らの本質と自己実現に到達する最短距離に対して指示したりしています。おかげでだいぶ損得判断をする犬っころ状態から人間らしくふるまいを改めつつあるのですが、かなり人柄が人間らしくあっても、まだ(普通人として)弱音を吐きます。
このような普通人に多いのは、善性をそれのみが人間本性を象徴するかのように勘違いして、要するに善悪をめぐる葛藤に一区切りできていない状態です。
私の観察結果なら善人ほど欲深く、愛を本質と掲げるのは悪人の行いとまで批判します。
善悪の葛藤は神々(精霊?)が人の心に宿って繰り広げる場外乱闘ですよ。
傍観できるようになればプロレスを見ているようで面白いです。
外国人に関しては、信仰形態から類推するだけで経験になくても犬っぽさがうかがい知れます。

トピックスとして、人間より犬のほうがマシ。と、いう話です。
我が家では犬を飼っていないので犬好きの私は近所に用があるとき、そこら辺につながれた犬にあいさつします。お犬様にかまってもらって一緒に遊ぶんです。
そんなご近所のお友達になった犬に、(よくあることですが)はしゃぎすぎたり興奮したりで落ち着きのない犬がいました。
ある日(私のほうが)かまってもらいに行った時、はしゃぎすぎて手がつけられないことがありました。そうしたらその犬を霊体の犬の像が追いかけて、そして追いかけっこから、「その犬」と「霊体の犬」が重なった時、とたんにおとなしくなりました。その日以来、その犬は落ち着きにある犬です。落ち着きすぎて遊んでもらいに行っても「接してくれる」ような振る舞いです。そして、その犬からは愛を傾けられていることを感じます。
この現象を後になって考えるなら、私は普段心象の映像が視界を横切っても、それはあくまでも心の表れであると解釈していますが、この場合はその場に霊体の犬が現れたことと、普段とは違う解釈をしたうえで、それは「幸せを享受する飼い犬のイデア」とします。何者でも無い精霊です。そして(友達の)犬と精霊が重なった瞬間に、その犬に愛たる幸福な生き方を理解させる伝心を施したか又は、自らを離れた精霊世界からの案内を渡した。との解釈とします。この論理で納得がいきます。
これがお偉い人間様であると、犬ほど素直にはいかないで、霊と言えばご先祖様がどーのこーの、精霊と言えば宗教が違うのどーのこーの、イデアと言えば舶来思想がどーのこーのと、処方箋を有効に生かしてくれません。

この回答への補足

 primeape さん ご回答をありがとうございます。

 今回のお話は 一般化して扱うのは むつかしいでしょうし 個別にそのご友人のことについて述べるにしても 第三者のわたしには 無理でしょうね。そういう問題を取り上げておられる。――もしくは 問題のそういう取扱い方をしておられると思います。
 ですから ぎゃくに思ったことを気軽にお話させていただきます。

 ★ 損得
 ☆ 【Q:みづからにとって 《わたし》は 固有名詞ではないか】のNo.19で アダム・スミスの文章を引きましたが それは 損得勘定の問題です。互いの利益のことを考慮に入れることは ふつうのことだをわたしは考えます。《博愛心》にうったえるのではないという考え方です。利己主義のようなものは 薄く捉えて 前提になっていると考えます。要は それを 互いにどのように さらによい方へと導くかではないでしょうか?
 無償の愛は 信条とすることに わたしは文句を言いませんが 必ずしも出来ることではないように思いますし だったら――肩が凝るでしょうし――人との交通では とっかかりとしては 利己つまり損得で捉えて差し支えないと考えるのですが どうでしょう?

 ★ そうしたら、白紙を起点として判断できる数少ない人には、遠く及ばないのだと、弱音をはかせてしましました。
 ☆ 《遠く及ばない》という言葉の意味がよく分からないのです。俗に言うところの《おまえとは世界が違う。だから 話がかみ合わない。理解は出来ないだろう》といった意味でしょうか?
 わたしなら 上に言いましたとおり そのご友人の考え方に――この場合は――まづ合わせると思いますが それは ならないということでしょうか?

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 このような普通人に多いのは、善性をそれのみが人間本性を象徴するかのように勘違いして、要するに善悪をめぐる葛藤に一区切りできていない状態です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ このようにおっしゃるのでしたら その損得勘定という考え方にも合わせて行かれるのではないかと思ったりするのですが 事情はちがっているでしょうか?
 つまり 利他や博愛心という善性を前面に推し出すのではない方法があるように思うのですが どうでしょう?

 犬のお話も 同じような主題が横たわっているように思いました。つまり 今回は この一点のみ――全体として 気軽な横からの評言ですが―― 反応しました。〔たぶん〕失礼いたしました と前もって 申したほうがよいかも知れませんね。

補足日時:2009/06/06 07:44
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