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人間が人生で求めるものの中に、地位や名誉や名声があると思います。

「社会」という人間と人間のつながりにおいて、それらはお金よりも重要なものであると私は考えます。一方で、それを求める自分が汚い人間のように思えることがあります。
どうして地位や名声を求めることがいけないことの様に思えるのか自分でも良く分かりません。皆さんのご意見、ご感想を教えてください。

A 回答 (10件)

「あべこべ」だからではないでしょうか?



 地位や名誉、名声といったものは、「やったことに対して“与えられるもの”」だとしか思えないからです。

オマケを求めて、お菓子を買う行為、といった感じでしょうか?


 いけない、とは言いませんが、いずれ「痛い目に遭う」かと・・。
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私は名声や名誉ほどくだらないものはないと思いますね。


もちろん人間が社会生活を送るには、他人からの一定の評価は必要ですが。

私の経験として。
小学校の頃は勉強が出来たりしてチヤホヤされました。それは大変気持ちの良いものでした。
しかし中学に入ると、病気のせいで周囲から排除されました。
そのときに思いましたね。「他人の評価なんて薄っぺらで何の価値もない」と。
それまでチヤホヤしていた連中が、コロッと手のひらを返すんですから。
その後、悔しさをバネに仕事でそこそこ評価される身分に返り咲いたわけですが、今度は「デキるやつ」とチヤホヤされるわけで。
くだらねーって思いましたね。もちろんデキるって評価は、他人を退けたり自分のやり方を押し通すには非常に便利な道具ですので、それなりに大切にはしますが。
私にとってはただの道具以上の価値はありません。

他人の評価に美しさを求めるなど、滑稽で浅薄だとしか思えませんね。
会社で出世してるおっさん連中って、どうせ名誉とか名声とかってしょうもないエサが欲しくて、馬鹿みたいに会社に従ったんでしょうね。
苦労の割りに給料が上がるわけでも無いってのに、ご苦労なことだ。
名誉を欲しがる割に、やっていることは上役へのゴマスリ、強いものへの無批判な態度。長いものには巻かれろって思考。
出世して名誉は付くんでしょうけど、尊厳は感じられませんね。

私は誇りや尊厳(自分に課したルール)と言うものは大切だと思いますが、
名誉や名声(他人に無闇に迎合する生き方)などゴミだと思いますね。そんなもんより100円玉1枚の方が余程有難いです。
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やりたいことや、やろうとしていること、これから見つかるやってみたいことが


手段になりかわってしまうのを薄々感じるからじゃないのかな。
まあ、たしかに名声や名誉はくだらないものではある。そして同時にありがたい。
くだらなくてありがたいもの、、、そんな他のものを思い浮かべてみると、
求めるという関わり方にあるものではなくて、自然にひたひたと湧いてくるような関わり方が望ましい、
と、きっと思うのではないでしょうか。
ほかほかの白米に添えられたきゅうりの漬物のような、状況的な価値というわけ。
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お金や名誉というのは、社会的な二次的価値=他の何かの


実質的な貢献によって生じるものであり、本来、それを求めようと、
それを求めずに社会的貢献を志そうと、同じに得られるものなのです。

ところが、お金にしても名誉にしても、そうした苦労して社会貢献
によって得るよりも、マネーゲームや自慢といった、実質を伴わない
手段による方が、楽に(あまり社会貢献せずに)得られるので、
そうた拝金主義や虚栄心は、あまり良くないものに(必要悪程度に)
抑えておく必要があるのです。
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いけないことだとは思いません。


地位や名声の為に汚くなるのは問題だと思います。
しかし、社会においてお金よりも重要なものであるというのはちょっと考えが行きすぎではないでしょうか。

何故あなたは名誉を求めないのか。
何故あなたは高収入を求めないのか。
何故あなたは・・。

何が重要かというのは個人の主義であり、一般化することは出来ないと思います。
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名誉を求めるのが汚く思えるのは、名誉を得るために自分を演出する(偽る)ことがあるからだろうと思います。


優れた心の持ち主だから生まれる行動と、それが名誉を得られるからという理由で同じ行動をするのと、社会的な(他人から見た)結果は変わりません。
しかしその行動の主である人間の中では、偽った自分を認めてもらっても、それは本当に価値ある自分ではありません。

人間の価値を光にたとえるのなら、惑星ではなく恒星であるべきだと思います。
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そのくだらないものの所為で多くの血と汗と涙が流れた。

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>名声や名誉を求めるのはいけないこと?


いけないことではありませんが、名誉税といって個人のプライバシーが制限されます。
私人から公人になる場合があり、国会議員になれば配偶者のものも含めて資産公開をしなければなりません。
週刊紙に叩かれればひたすら我慢をしなくてはいけません。

自由とプライバシーを犠牲にしても名声名誉を求めるのは個人の価値観です。

ただし、一度スポットライトを当てられて沢山の人に注目されますとこれはかなりの麻薬ですので麻薬が切れた後の禁断症状は激しいものがあります。

名声名誉は所詮社会の認知するところで、その時の世論に迎合するしかありません。
世論が変われば名声名誉は砂上の楼閣です。

真に実力があれば、生きているうちに名声名誉もありますし、死後100年たって有名になるのは歴史が示すとうりです。

川端康成のようにノーベル賞を授与された後に自殺するのもその人の生き方です。
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星の王子様という小説があり、王子様はいろんな星を訪ねました。


ある星では自分は王様だから尊敬しろ と言いました。
でも、その星に住民は、その王様一人だったんです。
自分が自分に対して偉い人だという肩書きをつけて、やってきた王子様に偉い人だと思えと命令したんです。


こういうことは稀なことで、普通は自分の価値は誰が決めるのかというと、自分以外の他人です。
他人があなたの価値が高いと決め、あなたに地位や名誉を与えます。



古代ギリシャで、プラトンはこう考えました。

<善人であると評判の人は、もともと善人だから善人たることをするのか、善人であるという評判を得、それゆえに得られる報酬を目的として、善人たる行いをしているだけなのか。
どうすれば真実がわかるか。>



『その人から一切の名誉も地位も剥ぎ取り、罪人でもないのに罪人だとして、十字架にかけて鞭打ち、槍でついても、最後まで善人たる行いをまっとうしたのなら、その人は根っからの善人だったとわかる』って考えたんです。

確か『国家』の中に書かれていたと思います。


紫の衣(名誉・肩書きで最高地位の人は紫の服だったと思う)を剥ぎ取り、罪を犯してもいないのに有罪だとして、十字架にかけて鞭を打ったのに、それでも最後まで「神よ彼らをどうか罰しないでください。彼らは自分が何をやっているのかわからないのです」と加害者をかばう発言をして、槍で突かれ死を確認された人。
イエス・キリストの物語ですが、実はプラトンの国家の内容を後生の人が、イエス・キリスト物語にしたんですね。


実際問題、本当に善人かどうか確かめるために実験として殺しちゃったら、マッドサイエンティスト並みの怖さがありますから、あくまで物語上にとどめた善人の証明の仕方のプラトンの論文。



で、人はうつろいやすいので、人に与える評判も変えるわけです。
だけど、地位や名誉に執着する人は、自分の手からそれが零れ落ちないように執着して、離れるのを防ぐために防衛や攻撃という不自然なことをしなければならなくなるわけです。

例えば自分が許可した商品がもとで怪我をした場合、自分は販売を許可したのに、すべて開発した部下が確認義務を怠ったとして、部下の怠慢のせいで事故が起こったとして、全責任を部下になすりつけ、部下をクビにして、事故に対する責任を会社がとったかのようにしてしまう。
自分の首はつながったまま、自分は社長のまま。




もちろん地位や名誉を求めることで、より良い業績を上げようする意思が生まれやすいでしょう。
馬の目先にニンジンをぶらさげることで、より早く馬は走るだろうと考えるようなものですが、あながち間違いじゃない。


だけど、地位や名誉はあくまで飾りであり、返上しなければならないもの。

ある人はある会社で部長をしていた。
いろんな人たちと仕事をして、たくさんの仲間がいて、たくさんの仲間に見送られ定年退職をした。
その翌年の正月。 ポストの前でずっと年賀状を待っていた。
毎年、取引先や同僚たちからたくさんの年賀状が届いていたので、いつものようにたくさんの年賀状が届くのを想像していたんです。


その人は、魔法を喪失したと気づいていない。
地位や名誉は魔法です。幻です。


その人自身ではなく、その人にくっついていた地位や名誉が、他人を動かしていたんです。
魔法を失った(地位や名誉が無い)その人が、いくらやれと言っても、「もうあなたは部外者 命令する権限は無い、関係ないからひっこんでいろ」なんです。


人によっては地位を人を動かす道具として使う人もいます。
真面目な人に地位を与えると、それに応えて今まで以上に残業しまくって、成果を上げようとする。

「あの人は文句も言わずに遅くまで仕事をして すごいねぇ」と関心されて、ぼろぼろなのに、「ぜんぜん平気です」と言う。
そして燃え尽きる。

上の人は燃え尽きたその人から地位を奪い、別な人に地位を与え、また同じように利用するだけ利用する。
使えなくなったら、地位を奪って捨てる。
これが現実なんです。
それが欲しいですか? 魔法が欲しいですか?
たまにはそういう幻の世界を楽しむのもいいでしょうけど、その幻の世界を現実だと思えば思うほど、喪失時の痛手は計り知れないものがありますよ。

ゲド戦記って魔法使いの物語ですが、<帰還・ゲド戦記最後の書>は魔法を喪失したゲドが描かれており、魔法使いのゲド物語を求めたたくさんのファンから大ブーイングが起こりました。
奥の深い文学なのですが、多くのファンは奥行きが見えなかったようです。
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良くは分かりませんが、その事自体は求めても得られない事に属している、或いは得られたにしてもむなしい事の部類に入る事を、貴方の「本心」が知っているせいではないかと思います。



人間の生きる意味の本当の意味を貴方の本心が感じているせいかと思います。それは「結果」であって、目的ではない事を貴方は、うすうす気が付いているからです。
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