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子どもを教育するのに、「誉める」のと「叱る」のでは、どっちが大事?

例えば、自分の子供の教育を考えた時、「誉める」のと「怒る」のでは、どっちが大事だと思いますか?
どちらか一方を選んでください。

子どもがいない方でも、どっちだと思いますか?
皆さんが子供の頃は、どんな感じでしたか?

A 回答 (15件中1~10件)

私の親は、悪いことをしたら叱りましたが、あまり褒めてくれなかった気がします。



どちらかに偏ると子どもを不安定にさせると思います。つまり、叱るだけで誉めないと無気力に傾倒し、褒めるだけで叱らないとわがままな子どもになりやすいということです。

ここで大事なことは、親からの教育がすべてではないということです。子どもはいろいろなところで学びます。それは家庭であったり、学校であったり、または友達であったり。親の教育は、彼らの倫理観を形成する重要なピースではありますが、それが全てではないのです。ですから、不当な教育を受けた子どもも、いい子であったり、大人になるにつれて自分を省みて理想的な人間になる、といったケースがたびたびあるのです。

まわりくどくなってしまいましたが、私の意見は、「よいことをやったら褒めてあげる。悪いことをやったら叱ってあげる。」という教育が最良だということです。親が子どものリアクションにいちいち気をもむ必要はありません。その点で、まだ子どもな親が多いと私は思うのです。

教育するということは、大人になったときに、子どもを社会的で必要とされる人間に導くということです。現段階で絶望したり、ナーバスになる必要はありません。むしろ、そんな親をみて子どもが不安になるのです。ですから、親はもっと先をみすえる想像力と根気を持つべきではないでしょうか。ときに大変な親も、なげてはいけません。責任は自分(たち)にあるのですから。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

そうですね、教育は学校であり家庭であり、周りの友人関係でもありますね。
そういう様々な場を通して“揉まれていく”のかと思いますが、それぞれでメリハリがない環境になっていて、子供の規範となるものが見えにくくなっているような気がします。
「誉める」「叱る」は善悪を分からせるものですが、それを与える側もきちんとした考えの下に行動していないので、子供が混乱して時として暴走することにもなります。
まずは、親を「誉める」「叱る」ことから始めないといけないかも知れませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 10:43

私は今の時代、誉める・叱る、の割合より、怒られる事に希少価値をみいだしています。


このご時勢いかんに関わらず社会に出て、どこの会社の人が誉めたり叱ったりしてくるのでしょうか?
以前は、近所のくそ頑固親父に怒られていました。
子供だから訳も判らず怒られただけなんだけど、それでも口答えもせず、逃げ出していました。
ところが、今は明かに悪いことを大人から叱られても逆ギレしたり、親兄弟から理不尽に怒られた事がないから、社会でほんの少し怒られても自殺を考える大人が....。
親が怒ることは限度こそあれ、そんなに悪いことではないように思います。
主題の質問自体に疑問を感じます。
珍しく質問者も、叱ると怒るとを誤入力されてますが、今の子育ての本題はは、誉める叱るの割合ではないように感じます。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

なるほど、怒る方も弱くなったし、社会的コミュニティの中で他人との関わりが希薄になった結果、怒るという機会が双方になくなったのかも知れません。
図らずも誤入力しましたが、怒るレベルを知らない親が過分に怒るあまり、子供が不幸になっています。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 10:34

『教育』というのは、「教え」「育てる」と書きます。



「教える」ためには、叱ることも必要です。
悪いこと、してはならないことを教え、マナーやルールを守れる人間に教育します。

「育てる」ためには、ほめることも必要です。
できた時やよいことをした時、ほめると自信を持ちます。
それが意欲や主体性を育てるのです。

子育ての原点を説いたものの一つに、【アメリカインディアンの教え】というのがあります。
ぜひ参考になさってください。
http://www.eonet.ne.jp/~th69/osie/osie.html
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この回答へのお礼

URL拝見しました。
なかなかいい示唆ですね。さっそく「お気に入り」に登録!!
何といいますか、子供にとっての教育環境は「家庭」と「学校」なわけですが、両方とも「褒める」と「叱る」がバランスできていないので、子供がいびつになるという気がします。
叱るにしても、家庭と学校では違うのに、その深度さえも推し量れないところに、子供の不幸がありますね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 00:22

お久しぶりです。




両方同じくらい大事だと思います。
恐らく人付き合い全般に似たことが言えるのではないでしょうか。


私はどちらもされた記憶があまりありません。
叱るの方が多かったのかな?褒められたことなんてあったのかどうか。


それでもどちらかで子育てしろと言われたら叱る重視になるかもしれません。それが良い事かは分かりません。
厳しいだけだと却って本人を駄目にしてしまうという意見も聞きますね。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>両方同じくらい大事だと思います
褒めるVS叱る、はバランスだと思います。
亀田兄弟を例に挙げて恐縮ですが、あの言動は世間的常識からは到底受け入れがたいものですが、ボクシングの技術だけでみれば、父親の「褒めるVS叱る」の絶妙なコントロールの賜物ではないかという気がします。
それ以外のコントロールができなかったのが不幸でしたね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 00:15

ご質問の趣旨と少し外れてしまうと思いますが、



「褒める」も「叱る」も、その両方を使っても
不足していると思います。

「認め」ないと、いくら褒めたって自尊心は育ちません。
叱っても凹んで自信をなくすだけです。

褒めることも叱ることも同じくらいに重要でしょうが、
一番大事なのは、事実を認識して認めることだと思います。

2つのうちでは、どちらかというと「褒める」
のほうがいいと思いますが、
「いい子症候群」になる可能性が否めません。
しまいには「いい子って何?言うこときいていればいいの?」と、
自主性も自信も失うでしょう。

「叱る」が強すぎても、
「自分はダメな人間なんだ、こんなこともできないんだ」と
自尊心もやる気も失うでしょう。

大人だってそうじゃないですか?
「君は仕事をちゃんとこなして、えらいなぁ」と言われるより、
「こんなやり方じゃ駄目だろう!」と言われるより、
「君のおかげで、このくらいの利益が出たし、全体の士気も上がった。
 だけど、この点は少し残念だったから、次は改善しよう」
と言われるほうが伸びると思いませんか?

ご質問への回答としては「褒めるのほうが大事」になりますが、
それとはまた別に、「認める」ことが大事だと思っています。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

そうですね、褒める背景を言うか言わないかで、子供の受け止め方は大きく違いますね。
単に褒める、単に叱る、ではなくてその根拠を言わないといけませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 00:08

「誉める」ことにより「伸ばす」のが大事だと思います。

ただ、小さいうちは「叱る」のではなく「諭す」のは必要なこととは思いますが。
万事物事には何事にも「訳」「理由」がありますから子供の好奇心を満足させるには押さえつけるのではなく「なぜ?」に回答できるように子供の発育に従って「諭す」からはじまって「説明する」「論議する」という順で、子供が小さいときからだんだん大きくなって大人になるまで必要でしょうね。
大変でしょうが根気よく「諭して」「説明して」「論議して」「誉めて」「伸ばす」のがいいと思いますね。
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この回答へのお礼

諭す>叱る>怒る、の順に親の感情が入っていくような気がしますね。
よく体罰を、“躾のつもりだった”と言う親がいますが、諭す過程があったならば、子供は少なからず不幸な結果にならなくて済むかも知れませんね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/02 23:40

こんにちは。

 69才男性 四人の子供の父

褒めると叱る:重要性は同じですが、使い方に差あり。

子供の時は叱っても言うことを聞く。 しかし、大人になると『叱られ』でも、そのことだけで潰れて行く。 この質問コーナーを見ても、そういう若者が少なくない。 大人は叱られても言うことは聞かない。 他人に注意されている無様な自分が他人に見られているという『世間体』だけが優先するのです。 

あなたのお子さんは、12才まではあなたの言うことを聞きます。 12才からはあなたのする通りのことをするのです。 ですから子供の時にきっちり優れた技能や知識、知恵を受け継がせることが出来た親は幸せだと思います。 

スポーツの世界では、古今東西を問わず父親が大きな役割を負っています。 父親に野球の手ほどきを受けた名選手と言えば、イチロー、松坂大輔、プーホールス。 サッカーの世界ではブラジルのペレ、アルゼンチンのメッシ。 相撲の世界では朝青龍と白鵬。 彼らは『天才』と思われているが、ごく普通の人。ただ違いは立派なお父さんの子に生まれたという幸運に恵まれていたこと。 

彼ら(お父さん)は自分の子供に植え付けたいと思う技能を持っていた。 それが凄い。 
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この回答へのお礼

「子は親の鏡」と言いますが、親の躾が如実に現れますね。
子供を見れば、親の資質は大体想像がつきます。
スポーツの話が出ましたが、話題の亀田兄弟はどう説明したらよいのか・・・
親子ともども不幸です。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/02 23:34

なぜそんなことで悩むのですか?


子供を教育する と考えること自体間違いです。
人間も自然の一部ですよ。
太陽も雨も風も必要です。この意味わかりますか?
つまり、悪いことをすれば叱る いい事をすれば褒める。
迷っていれば、いろんな選択肢を教えてあげる。
子供と一緒にあなたもそだちましょ。
だって楽しい子育て期間は、10年間くらいしかできないからねー
(*_*)/
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この回答へのお礼

いえいえ、私は子供もいないし悩んでいるわけでもありません。
アンケートということで・・・
>楽しい子育て期間は、10年間くらいしかできないからね
せいぜい小学校卒業くらいまででしょうかね。
段々自我に目覚めてくると、誉め方も叱り方も気を遣いますね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/02 23:30

子供いないです。



誉めるのと叱るはどちらも大事ですよ。
どちらも必要な時に必要な分だけで良いと思う。
叱らなければいけないときは叱り、良い事した時は素直に誉めてあげる。
何事も程々と言うか少なくても多すぎても歪んでしまうでしょう。
自分が子供の頃は・・・そうだな
親父には誉められた事は一度もなかったな 叱られた事も無い。
怒られたことばかり記憶にあるな。
怒るのは単に感情に任せてるだけですから叱るのとは大違い。
叱られる事に愛情を感じるが怒られても愛情は感じないね。
子供は意外とこの違いを分かってる。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

「叱る」と「怒る」・・私は質問中で何気に間違えて使いましたが、確かに違いますね。
感情が前面に出ると怒ることになりますが、叱ることは理性が介在してますね。
その調整が分からない親が多いような気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/02 23:26

「誉める」が大事だと思います。


確かに「叱る」は大事ですが、「誉める」ことの方がもっと大事だと思います。
なぜなら、私が高1の時、小テストを5回連続で満点をとって誉められると思い、母にそれを見せたのですが、
「こんなものどうでもいい。中間テストでろくに点もとれないのにお前は・・・・・・・・・・・・・・・・」
となぜか誉められるどころか叱られとてもショックだったのを覚えています。
また、私が小学生の時、初めて空手を習いに行ったのですが、終わった後、父がいきなり、
「お前はこんなこともできないのかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
と怒鳴って私を殴り、叱ったことがあり、それ以来、私は空手が嫌いになりました。
そんな両親なので、私は誉められたことはほとんどありません。
なので、確かに「叱る」のも躾では大事なのですが、あまりにも叱りすぎるのも、子供は自信をなくすと思います。(実際私もそうでした。)
なので、良くできたところは、ちゃんと誉めてあげた方がいいと思います。本当に。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

多分、親が子供に期待する到達点と、子供が目標としている到達点のズレがあって、叱られることで出てくるんだと思います。
子供の目標を見ずして大人の視線で考えると、子供には辛いですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/02 23:23

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