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マイケル・サンデル氏のような授業を受けたいのですが…(進学相談?)

長文になります。
カテゴリが間違っていたらすみません

この間、マイケル・サンデル氏の“ハーバード白熱教室講義録”を立ち読みし
泣き出しそうになりました
わたし自身が求めていた問題を 論じている方々がいたからです
氏の見解はストレートで分かりやすく、私自身もそこに入り込み最前列の席で講義を受けたいと
自分でも驚くほどに強く思っています。

現在 高1です
中学校のとき(多少)グレはじめ ろくに勉強もせずに受かった進学校に入学しています
高校は 日本全国の平均より少し高いレベルの総合学科で
二年次からは国公立文系の大学に進もうと 最近 授業を真剣に受け始め 小テストの成績も
地味ながらあがってきていたところです

ですが いくら勉強してもハーバードには入学できないのでしょうか
浪人するという手もありますが できることなら避けたい

わたしは数学がまったくできず、模試での答案は真っ白です
いまからでは遅いのでしょうか

ハーバードまでいけずとも 日本国内で
サンデル氏のような授業を受けられる大学はありますか??

大学の哲学は
・海外の哲学書を原文で読む
・“わたしはなに?”
などを学習すると聞きましたが
わたしは そんなことを学びたいのではありません

哲学は 先人の思想を鵜呑みにするものではないと思うんです
自分で考えてやりたい

これは 無理なことなのでしょうか?

A 回答 (6件)

まず


> ですが いくら勉強してもハーバードには入学できないのでしょうか
ですが、可能です。英語が相当できないと無理ですし、その他の能力もかなり高い水準が要求されますが、少なくとも向こうから売り込みにくるくらい入りやすい学校でもあります。

> ハーバードまでいけずとも 日本国内でサンデル氏のような授業を受けられる大学はありますか?

皆無と言って良いくらいありません。もっとも、日本の大学でサンデル氏が教鞭をとった場合、沈黙だけが支配して講義にならないでしょう。
ただし、教授中心のゼミであれば、活発な議論が行われるゼミもあります。それなりにハイレベルな学校に限られた話ですが。



> 大学の哲学は
> ・海外の哲学書を原文で読む
> ・“わたしはなに?”
> などを学習すると聞きましたがわたしは そんなことを学びたいのではありません

これらは「基本的な用語」や「相手の言っていることを正確に理解するための文法」に当たるものです。例えば質問者氏は国語の点数は何点ですか? 現代文の論説文で、90点以上をコンスタントに取れますか? 哲学に限らず、大学できちんとした議論なりが出来るためには、それ以上の能力が必要とされます。その為のトレーニングとして大学の授業はあります。

言葉も通じないのに議論が出来ないのと同様に、これらの能力なしには議論をすることができません。

自分で考えるのは、それを表現できるようになってからです。
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この回答へのお礼

 答えてくださってありがとうございます

 国語は どういうわけだかできます
 …尤も数学が白紙と同等なのでいばれませんが

 ハイレベルなことを学びたい
 やはりまず うだうだいうよりも
 やるべきことは勉強ですね

 いい大学を選べるように
 

お礼日時:2010/11/02 20:24

>ただ 日本の大学ではあのような討論などなく


> 古典を読み 教授の一方的な講義を聞くだけでは…
> と思ったのです

確かに。

日本人がアメリカの高校なり大学に留学したとき戸惑う。
授業中、活発に討論が行われる。
討論力を高校から鍛えているわけです。

サンデル氏はユダヤ人だそうです。
2000年前に神殿は崩壊し、ユダヤ人は世界に離散したわけです。


さて、アメリカという国、石を投げれば弁護士に当たるくらい、弁護士が多い。
陪審員制度があるのも特徴。

アメリカというのは移民の国ですよね。
隣に住んでいる人は、肌の色も言葉も違うわけで、当然価値観も違うわけです。
出身文化圏が違う人達が、一緒の町に暮らしていれば、そりゃあトラブルが起こるわけです。

銃をぶっ放して自分の主張を通すってやり方以外、言葉という武器を使って相手を退かせることもするわけです。
いいまかせないと不利益になるので、言葉を使っていかに相手を屈服させるかを学校で鍛え上げ、言葉を武装して身につけ社会に出るわけです。

弱肉強食ですから、日本では考えられないことでも訴えられて、賠償を求められ、負ければ何億円もの賠償を請求され、勝てば何億円もの利益を得られるという、ラスベガスのような国なわけです。

そういうお家事情があるため、議論するという技術を高校からやっているのだと思う。
要するに兵士養成ですね。


日本の場合、言わないことを美徳とし、和をもって尊しとする。
日本人はよく言われる、「発言の場で何も言わずニヤニヤしているだけ」と。
「何を考えているかわからない気味の悪い人種」と。
「発言力が無い」と。


例えば大家さんと住民の間で敷金をめぐって争う場合、アメリカなら裁判に訴えますよね。
両方とも一歩もひかない。弁護士は自分が弁護する人が儲けるように裁判の場で雄弁に弁論する。
日本の場合「痛みわけ」をすることで和解する。
つまり大家も居住者も損害に対して折半をし両方が損をすることで、お互い納得してしまう。
アメリカ人では理解できない和の精神です。

日本には八百万の神々という変な概念がある。
それら神様は人間にとって必ずしもいいことばかりをするとは限らない。
悪いことが起こった時、神様と戦うということを日本人はせず、恐れ敬うことをすることで、不和を回避しようとする。


アメリカ人にしたら「腰抜けめ」でしょうが、引くということで生命を守ることもあることからすると、「勇気ある撤退」。

どっちかが強すぎたら、どっちかが引かないと、和にならない。
片方を片方が打ち負かしたら、負けた方は生きていけない。
共存という純粋理性に反することになる。


日本には和の精神があるため、日本人は議論をあまり好まないのではないか と。


10年ほど前に世界を震撼させた事件が日本で起こった、地下鉄サリン事件。
それを起こした教団の広報担当の人は、さかんにテレビに出て他のコメンテーターとやりあった。
議論で打ち勝てば<自分は善だ>という証明になると思っていた。
そして和をもって尊しの国において、和に攻撃をした。
さいさんの歩み寄りを受け入れなかった。

歩み寄りを受け入れなかったケース、2000年前に中東でも起こった。
再三の譲歩にも関わらず、ユダヤ教の熱心党はローマ帝国にはむかって暴動を起こし続けた。
時の皇帝はこういった「ここまで譲歩したのに反逆するのか。我々はここから先は戦争という法にのっとって行動する。生き残りたかったら死にもの狂いで戦え」
そして容赦無き殺戮が行われた。

人間として行動せず獣としてふるまうのなら、獣の世界の弱肉強食のように容赦なく全滅させるってことです。

サンデル氏はいつも正解を言っていない。
彼は答えを持っていない。
今の至るまで答えは出ていないが、議論をしていくうちに近づくと信じているから彼は続けてる。
これが彼の哲学をする動機です。

あなたの場合、サンデル氏の本を読んだことが動機となって活発に討論できる大学に行きたいとなったわけですよね。
でも、本当の動機はサンデル氏と同じものなのかも と思いました。
純粋理性を知る。
これはソクラテスも同じでしたよね。
ソクラテス以外 いろんな哲学差者も同じ動機です。
彼らの格闘を眺めていて、ふと日本の精神を見る。
彼らの探していたものはここにあるじゃん って思ったのですが、、、青い鳥?

大東亜戦争は純粋理性が人間によって踏みにじられた事件です。
それでも純粋理性は日本人の中に息づいている。
これを英語を使って他国に理解させることは不可能かも。
言葉では表現できないものだから。
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すいません、追加です。



各大学で夏季セミナーなど公開授業が行われています。
参加者に年齢制限は無いものが多いです。

例えば今回の東大の公開講義には聴講申し込みに制限が無かったようで、いろんな年代・職業の人が参加していました。


で、私ははっきりいって日本の思想が世界一、というかソクラテスが言ったイデアに最も近いものだと思っています。


『近代、日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的発展には他の国と異なる何ものかがなくてはならぬ。
果たせるかな、この国、3千年の歴史がそれであった。
この永い歴史を通じて、一系の天皇を戴いたという比類なき国体を有することが日本をして今日あらしめたのである。
私はいつも世界上のどこか一カ所位、このような尊い国がなくてはならぬと考えていた。
何故なら世界の未来は進むだけ進み、その間幾度びも争いは繰り返され、最後に戦に疲れる時が来る。
その時人類は必ず誠の平和を求めて世界的盟主をあげねばならぬ時がくる。
この世界盟主なるものは、武力や金の力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた最も古く又尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならぬ。吾々は神に感謝する。
天が吾々に日本という尊い国を作って置いてくれた事を』


誰が思いをつづったのかわかっていません。
恐らく哲学の歴史と同じもので、古の人々の考えにいろいろなものが加わり、時には余分なものが捨てられ、磨き上げられた哲学だと思います。


日本は何故アジアの進出したのか知っていますか?
靖国神社は何が奉ってあると思いますか?
思想です。
イデアが奉ってあるんです。

政治家が何故あそこを本体と考え訪れているのか。
功利主義に立てば中国のような戦略に政治がなってしまいます。
それではイデアに沿った政治とは呼べません。
人間の存在理念に沿った行いとは呼べません。

政治家は国を守るだけじゃなく、人間の存在意義を守る役割を担っている。

昔の武将は、言葉数が少なかったそうです。
やっつけでやってしまったら、国の存亡にかかわるので、慎重の熟慮した結果を言葉にしていたので、軽はずみに発言をしなかったそうです。

今、日本は中国からやんややんやと言われており、首相はやっつけ発言をしていませんよね。
周りから叩かれても、熟慮の末の考えに至るまでは、沈黙していますよね。

もちろんブッシュにはサンデル氏らがいたように、日本の歴代の首相にも強力なブレインがいたわけです。
その人達が熟慮して、慎重な行動をすることで、日本 いや イデアを守ろうとしているわけです。

で、日本にあって外国語に無い言葉や考えがある。
これを異文化の人に理解してもらおうと説明することは非常に難しい。

まして、日本の思想にはぐくまれた日本人が、異文化の価値観を持つ異文化圏の人と、対話が成り立つはずが無い。

だから、サンデル氏の講義にもしも私が参加していたら、考えていないから発言しないのではなく、考えているからこそ、むやみに発言できないことになる。

このサイトだとまだ許されるが、私が権力者だったら軽はずみな発言は大きな事態に発展することを考えると、容易にはできない。

権力者になったときに、不適切な発言をしないように鍛えるために、哲学講義を受けたいというのなら、大学の公開講座を受講すればいいと思う。
と、同時に日本の思想を理解し、日本の伝統を守ることも大事。

靖国神社が何が奉られているか理解することが大事。


イデアというのは普遍性を持つ。
従って、日本では通るが外国では通用しない思想ではない。
日本の思想がイデアだとすれば、日本の態度を諸外国が見て理解することが、イデアを知ることにつながると私は思うんです。

諸外国の人にこれを説明できるまでに力を鍛えるために、講義を受けたいというのなら、がんばってください。
日本語にしかない語彙を外国人に説明できるだけに語学力をみにつけてもいいと思います。
でも、もっとも大事なのは古よりの和の思想を理解することです。
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わたしゃ、今は削除されちゃいましたが、某動画サイトでNHKで放送されたものを全部観ました。


かつ、3冊講義内容の本 持っとります。

んで、ネットのニュースで彼の存在を知り、検索したところ某動画サイトにアップされていて、8月末に東大で公開講義が行われたことを知ったわけです。

で、HNK放送のバージョンをネットで観ていて、「日本はアジア諸国に謝るべきか、いつまで謝るべきか」に至って、「うーーーーん」ってなりました。

議論の御題は、「日本は悪い国、だから先人がやった行為だろうと、当事者ではない現代に日本人はアジア諸国に謝罪すべきか」


私がその場にいたら混乱したでしょう。
いろんな人達が「謝罪すべき」、とか、「歴史は継続しているものだから、自分がやっていないことでも日本人がやった以上責任があり、現在の日本人は謝罪すべき」とか熱く語っているのを眺めていて、困った顔になって沈黙している私に彼が指さし「君、どう思うか」と聞かれたら、無口な日本人をやったかも。

彼は「おやおや ここに友人が言ったような無口でシャイな日本人がいたよ」と笑うかも。

で、静かに「例題がよろしくないと思います。哲学はあくまで現実のことを命題とするのであって、虚偽のことを例にあげても、議論することはできませんし、それをやったとしてもなんら意味も価値もありません」と言ったかも。

「じゃあ 君は日本人は謝罪しなくていいというのか?」と聞かれたら、「あなたは火星人が地球人がかつて火星を侵略し、資源を奪い、大量に火星人を殺したから、その責任をとって謝罪と賠償をしろと言ってきた場合、地球人は謝罪すべきかどうかを考えろと言われ、いくら議論をしても意味が無いですよね」と答えたと思います。

「おやおや 君は今回の哲学的議論を台無しにしてくれた」と言われたら、私に問題があるのではなく、例えに問題があり議論に適切なものではないと言ってるだけです。アメリカが日本に原爆を落としたことを謝罪すべきかどうかも、正義を語るには不適切なものです」と答えたかも。


彼はブッシュ政権のとき大統領のアドバイザーだったそうです。
それで、功利主義者じゃないかと、私は思いました。


哲学は身近に存在する、アメリカに行かずとも、今自分の周りに存在する。
哲学は教えてもらうことじゃない、自分で考えるという人間にとってもっとも大切な学問です。
自分で考える力をつけるために哲学をするんです。

哲学は功利主義では近付けません。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます

 わたしは功利主義者ではありません
 ただ 日本の大学ではあのような討論などなく
 古典を読み 教授の一方的な講義を聞くだけでは…

 と思ったのです

 学生である以上 仕方がないことだと思います

お礼日時:2010/11/01 19:38

>哲学は 先人の思想を鵜呑みにするものではない


質問者様の意見はもっともです。

まあNo2さまとの比較意見として参考までに。
数学が積み重ねの必要な学習内容を伴うというのは事実です。
しかし人間には2種類の性向があります。天才肌と努力家の秀才です。

一流選手・一流音楽家といわれる人が努力をするというのは日本的成果美学です。
日本で大きいのは、(特に経済的に)家族の支え・一心不乱な行動重視主義・あと個人の変な焦りです。

話を見る限り、若し質問者様が大学に進学するとしたら、おそらくご両親が借金をして
留学させてくれるのでしょう。ご両親は貴方が大事であると確信しているからです。

鵜呑みかうのみでないかは、自分がその話を尊敬心とはいわなくても平常心をもって訊く
というところにあるとおもいます。自分の持つ「うるさい」という気持ちを自分ではない観点から見ることです。それが思想だと思います。

一流には常にスポンサーがいます。日本の「鵜呑みの秀才」は、法律家・経営学者もしくは
サラリーマンか公務員になるでしょう。鵜呑みではないというのはいいことかもしれません。

個人としてやらなければならないことは、分数計算・比例・関数など計算間違いがないように、
理解が進むようにハジを抑えて本当の基礎の基礎から、試験対策の「勉強」なのかもしれません、
基礎的なものなのかもしれませんが、数学が出来ないから、文学系というのは良くないです。

文系には未来がありません。

要らないものは、何個だって買うのに
必要なものを買うことが出来ない「自分」をもう一度見つめなおすべきです。
インターネットでタダの相談・本は立ち読み が 貴方の現実です。

あとコミュニタリズムは、アリストテレスの焼き直しで新奴隷主義です。社会というものの内容が、
ユートピアであるということは鋭く見抜けるようになるべきです。メディアがコミュニティーを作るのではなく、個人がコミュニテイー自体なのです。問題はこの方たちは、私がここでのべたアリストテレス的背景を知っていてそれでもその新奴隷主義がよいという人たちなのです。

テクノクラートだけに許されているのが、「ハーバード熱血ユートピア」の創造です。
でも貴方はエリートではない。エンジニアとしてエリートに仲間入りしてから考えてください。

それでも文系というなら、それは貴方のワガママです。
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こんにちは。



一般的ですが、アドバイスを。

短時間で高いレベルに到達する最短距離は、先人の教えに徹底的に支配され、

マシンのように訓練することです。 決して自分であれこれ考えてはならない。

経験も実力も無く、自信も実績も無い自分が納得するやり方、などという半端な

思考回路に支配されていては、得られる能力の1/10も手に入りません。

イチローしかり、世界的なピアニストしかりですが、徹底的な基本練習の繰り返しと

想定される問題集の繰り返しを他人の何倍もやることで超人的な能力を身に着けます。

凡人の大半は、それが出来ない。

あなたがこの考えに批判的であるなら、道は遠いし、逆に自分を支配する先人の

教えがどこにあるかを探そうとするなら道も開けましょう。

ドラゴン桜でも公文式でも同じです。 まずは徹底的な基本です。

例えば、小学5年生の算数問題をどの位高速で正確に解けますか?

大人ではこの設問を馬鹿にして歯牙にもかけない人が多いのですが、

東大始め、ハイレベルの大学に進む人の基本的な能力は凄まじいものがあります。

それらは全て、そういう子供時代の勉強を120%、徹底的に出来るようになって

それを積み重ねていって得られた能力なのです。

そして、そういう高い基礎学力が無ければ、先にいけない高いレベルの問題が

沢山出題されるのです。 もともとの頭のよさ云々ではないのです。

さっきの問題で言えば、二桁同士の掛け算を5秒程度で暗算できる程度の学力は

小学生でもやってる子は持っています。

そして、勉強のやり方は、勉強が出来る人に学ばねばなりません。

ハーバードもマサチューセッツも目標に定めて何も悪いことはありませんが、

そこに行くために貴方が支配されるべきノウハウを持つ人と付き合うべきです。

例えば、東大理三の現役大学生に家庭教師をお願いする、などです。

よく、自分を信じろという言葉がありますが、こういうケースでは決して信じては

ならないのが自分の思い込みや浅い考えです。

先人の受け売りをせずに自分で思考したいというあなたの考えはごく自然なもの。

ですが、基本がろくに出来ていない人がいくら自分のオリジナリティに

こだわろうとしたところで、所詮は凡人の愚考域を出ることは出来ません。

特に、哲学のような真理なり生き方なりについての根源を探るような学問の世界に

進むのならば、凡庸たる思考こそが排されなければならないはずです。

いわば、超人の思考世界に行こうという訳ですから、凡人の思考を捨てねば

その高みに昇る事は叶いません。 耳ざわりのよい、聞きなれないパラダイス理論に

同じような顔をした同級生達と迎合して盛り上がるようなことを目指している訳では

ないのでしょう?

だから、今はぼろ雑巾になる位まで、徹底的に支配されることをお勧めします。

凡庸を超えて超人に(まあ、比ゆ的ですが)ならんと欲するなら、長い人生、一度は

我を捨てる努力をする時が必要なのだと思うのです。

幸運を祈ります。
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