プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 皆さん、こんにちは。
 新参者です。
 ←なんでしたらプロフィールご参照ください。

 一般論風の疑問で、申し訳ないです。
 もう16年くらい前になりますか、往年のパソコン通信の精神保健フォーラムでシステム管理の精神科医の方に、(僕とは違う病気なんですが、)「鬱病は薬の無い時代でも、3カ月か、長くても1年くらいで自然に治った」というような事を聴きました。
 これは当時、基本的には嘘ではなかったと思います。
 どうだったかなあ、「躁鬱病、鬱病、抑鬱神経症」とか三区分されていたような時代だったかな。

 こちらで2か月くらい読ませていただいているのですが、ニュアンスが違う感じがします。
 不治説まで出てるし、なんというか、いったいどうなってきたのでしょうか。
 たいへんなところ恐縮ですが、鬱病の方の事をなるべく理解したいので、ご回答お待ちしています。
 

A 回答 (5件)

 決して嘘ではないと思います。


 現在でも、多くのかたが、「薬を飲まずになおした。」とおっしゃっていますし、それも、事実です。
 また、薬に頼らずに何らかの方法で治療を行うことも報告されています。

 ただし、治らなかった方もいましたし、現在でも薬に頼らなければ行けない方もいらっしゃいます。

 思うに、薬のなかった時代に、たとえば引きこもり、たとえば山にこもり、静かな暮らしをしていれば、普通は回復に向かっていったものです。
 しかし、現在、食べていかなければ行けない。滅入った状態でも、周りはどんどん動いており、静かに休む環境を与えてくれない。しかも、自分に具合が悪いことの認識ができていない。この状態では、悪くなる一方ではないでしょうか?

 昔はこうだったから、今もそれで可能だというのは、少し一方的ではないでしょうか。
 人それぞれに、それぞれの状態があり、一番良い治療法を検討すべきだと思います。

 いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

 お礼が遅れてすいませんでした。
 ブログで有名なkyupin先生は「鬱病は症候群だと考えるべきだ」という事を書いておられました。つまり、同じ鬱、鬱病の症状をていしても、いろんな種類の病気の含まれているものだということですね。躁の無い躁鬱病って、アンビバレンツですが、例えばそういう病気かもしれないとか、性格に近いものだとかいろんなケースがあるのかもしれないですね。昔案外「抑鬱神経症」なんだけど治らないとか、そういう話もあったかなあ。
 昔よりも楽になった事もありますが、「ドッグイヤー」で技術革新されるとも言われていますが、テクノストレスとかいろいろあるのかもしれませんね。
 精神医学の発達も願いたいですね。
 ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/21 14:49

精神科病院勤務の者です。

「鬱病」という病気そのものの病状、程度にもよります。私は今の病院の勤務は昨年からですが、その前の精神の病院は昭和51年から勤務していました。当時から「躁鬱病、うつ病、抑鬱神経症」、今は余り言わなくなりましたが、「精神分裂病」もありました。常に入院患者男女300人で中規模な病院でした。ご指摘の「3ヶ月か1年で治った」、私の知る限りでは完全に治った患者さんはいません。「神経症」「心因反応」とかの患者さんで二十歳そこそこの患者さんで治ったという人以外は、すべて、一旦入院して退院、後は外来で投薬を受けたりカウンセリングを受けたり、治ったという例は聞いた事がありません。国立病院とか、大学病院とか軽度の患者さんを扱う施設においては、そういう治ったという例はあるのかも知れません。一生、薬を飲まなくてはなりません。こんな浮き沈みの激しい病気はありません。昨夜も私は事務当直でしたが、昨年12月に退院した女性の患者さんです。外来で投薬を受けていましたが、昨夜、暴れだして家族が警察に通報、警察官に付き添われ入院しました。絶対の治る事はありません。
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この回答へのお礼

 お礼が少し遅れてしまいましたが、ご回答ありがとうございました。
 少し重めの患者さんがかかる病院なのですね。
 どうでしょう、鬱病でもケアが細かくなっておおよそ治っていても、念のために治療を続けるようになったとか、そういう事もあるんでしょうかね。
 「暴れる」というのは何の病気だかよくわかりませんが、前こちらのコーナーで質問があったんですが、妹さんが三十過ぎから急に性格が荒れだしたなどという話もあったんですが、失恋とかが契機とのことで、「そういう時こそ薬物療法でなくカウンセリングが大事だ」とか僕ですが回答したことがあったんですが、どんなもんでしょうねえ。
 諸外国比で入院病床数が10倍ほど多い日本ですし、「厄介事よろず引き受け所」みたいになっていてピュアな精神病の例が埋没しちゃうような事もあるように感じます。
 ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/21 14:57

kenju1128 さん こんにちは



35年ぐらい前になります。私は 死ぬことしか考えられない日々がありました。6ヶ月ぐらい続いたと思います。
バブル期 の OLでしたので 給料などは 右肩上がりで 日々遊びに明け暮れていたのですが いつのころからか 何をしても楽しくない日々がやってきました。その当時の 友人たちとの写真を見ても
明らかにやつれています。車とすれ違えば なぜ轢いてくれなかったのか? 夜 布団に入れば 上から何か落ちてきて死んでしまえばいいのに 会社で仕事中には 屋上から飛び降りたらどんなに楽だろう
とこういうことを毎日考えておりました。仕事は 凡ミスばかり 朝は遅刻寸前 家へ帰れば 母に八つ当たりして 兄弟に心配をかけておりました。唯一心が救われるのは 新聞で 自分より不幸な人々ががんばっておられる記事をみる時だけでした。実際は 私は ちっとも不幸ではなかったのですが。
そんな日々に 日ごろおとなしかった弟にひどく怒られて 最低家では ちゃんとしていなければ怖いという状況になりました。それで 生活リズムが整ったのでしょうか 特に楽しくなったわけではありませんが とりあえず するべきことするようになりました。億劫ながらも海外旅行などに行くようになりました。多分1年ぐらいで通常の気分に戻れたと思います。だから 楽しい日々が続いたというのではなくて 普通の日々です。当時 うつ病という言葉を知りませんでしたので もちろん治療もしませんでした。自分が病気だという自覚もありませんでした。今思えば本当に危ないことだったと思います。
それ以降 辛い事があって、くよくよすることはありますが死のうという発想はなくなりました。

また 30年ぐらい前に友人が うつ病を発症しました。仕事のストレスからです。
この人は 大きな病院で投薬治療を受けました。
半年ぐらい 投薬治療を受けたあとは 私とおなじように 辛いことがあっても ごく普通に
愚痴りまくって我慢して克服しています。

完治したと見てよいと思うのですがーーーー。
友人も私も 昨年定年退職した年齢です。
何とか サラリーマン生活をやり終えました。

この回答への補足

 昔の実体験という事で参考になりましたのでベストアンサーにさせていただきます。ありがとうございました。

補足日時:2011/03/25 13:56
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この回答へのお礼

 当事者の方からのご回答参考になりました。ありがとうございます。
 薬を飲まないで1年くらいで治ったという体験談と、ご友人も服薬して治ったというお話ということになりますか。
 実体のないバブルでしたが、ほんと景気いい話多かったですよね。
 平成不況とか、近年の世界金融恐慌とか、一般の人に暗い影を落としているかもしれないですね。
 何か日本人て不況になるとかえって残業増やすような種族で、今も悲鳴上げておられる方なども多いのかもしれませんね。
 管理社会も進んでるかなあ、はっきりわかりませんが、昔よりある種の「不条理性」も増しているのかもしれません。
 難し時代になってきました。
 ご回答大変ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/21 15:28

素人ですが、昔神経症の中の『離人症』が完治した経験が有ります。

もう32年も前になります。その経験から、心の裏側を書いて見たいと思います。又治ると云う事、治らないと云う事、寛解と云う事、完治との違いを書いて見たいと思います。

その前に原因を書いて見ます、『心を病む場合』心が騒がしくなっています、或いは二つの声が争っています、或いは心に圧迫を受けています、或いは生き難い想いの中で暮らす事になっています。

この原因という事になりますが、それは『心が二つ有るからです』簡単に言うと、顕在意識=自我意識と、無意識の時や、眠っている時(眠っていなくとも)の『自分が出ていない時に』働いている意識です。

自我意識は分かりやすいので説明はしないで、無意識の時に働いている、もう一人の自分に付いて書いてみます。

もう一人の自分を、自我意識は知らないでいます。何故なら、無意識になった事が分からないからです。意識が無くなった事を無意識と云うからです。

眠る場合を例にするなら、自我意識は眠る事はないと云う事です。眠る場合には、意識は無くなっています。そうなってから『無意識の自分が』体と心を預かって、深く心地良い眠りに入っています。

意識が眠れると勘違いする場合が有ります、意識を凝らして『無意識と喧嘩をしたまま』自我意識のみで眠れるものと、勘違いをして、『意識を凝らす場合です』この場合には、意識するほど眠りから遠くなっています。是が不眠症です。

では治る事を書いてみます。治る事は『意識しなくなる事です』今まで意識していた事を忘れてしまう事です。意識した内容とは『症状』です。すっかり症状を忘れた事を治ったと言います。

治らないと云う事を書いてみます。意識上に『嫌な感じ』を受けています、心に圧迫を受けています。その圧迫を嫌な事として、意識上に載せて、排除したいと何時も『意識しています』まるで『意識地獄のようです』

寛解という事を書いてみます、薬の力を借りて、何時も感じている嫌な感じが薄らいでいます。そうして環境の方も嫌な事を遠ざけて、嫌な事が少なくなる配慮が整いました、是が寛解です。

今度は完治です、嫌な感じを辛いと思いながらも、相手にしない生き方をしています。症状がきつい日も有りますし、無いと感じる日も有ります。ですが症状に逆らわないで、症状に振り回されない生き方を心がけています、症状がきつくても、嫌がらない生き方です。症状がなくなっても喜ばない生き方です。

すっかり症状を受け入れて相手にしない生き方が出来た時、症状が気にならなくなっています。気にならなくなった時点で、症状はなくなっています。症状が無くなった時点で完治です。

ですが心や頭を凝らした場合、症状らしきものは、『確かに存在しています』ですが、すっかり受入れた時点で、その感じは『当たり前の事』と分かります。只自分が好きと嫌いで『自分の頭の中で作り出していた、妄想』と分かります。

自分が嫌っていた事で、作り出していた妄想が『症状』だった事が分かります。

人間の心は二つの要素から成り立っています。感じる自我意識も自分の心ですが、感じさせる存在も自分の心です。その二つの意識の情報交換を嫌っていた事が分かります。

高い所を知らせている『脳内のシステム』があります。このシステムを嫌う事が『高所恐怖症』が起きる原理です。

人間に生まれた時から備わっているシステムを嫌う事が、全ての原因です。薬はそのシステムが持っている情報網を遮断したり、感じにくくしている効果を持っている事になります。

従って、薬の効果が時間が経つ事によって、落ちた場合、そのシステムが、又働き出す事になります。人間の脳の働きを鈍らせて、一時的に効いたと思っている事を意味しています。

症状を無くそうと云う心の働きが、普通に働いている『異常でも何でもない』普通に湧き上がる感情を、症状にまで高めています。高所恐怖症の場合と同じです。誰でも感じている事を、『本人だけが』異常と受け取っている事を意味しています。

赤ん坊が教えられなくとも、不安や安心を知っています。是は脳に刷り込まれた『命の働き』です。この働きと、自我意識が矛盾と対立する事が全ての原因です。言葉を変えるなら『心の矛盾と対立』を自我意識は、『違和感』として受け取っていると云う意味です。

従って完治すると云う意味は『心の矛盾の解消』を意味します。心が二度と争わなくなると云う意味です。心の矛盾を身体の機能に感じた時、自律神経失調症と言います。心に強く感じた時『心を病む』行動に感じた時『神経症」と言っていると感じます。

心の矛盾の解消とは、人間の背後にある、分からない者からの不安や圧迫を解消すると云う意味です。

言葉にするなら『神と和解する』と云う事です。
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この回答へのお礼

 親戚が来てましてお礼が遅れてすいませんでした。
 「無意識」ってフロイトなども提唱していましたか、思い出せなかった事を後で思い出すとか、いろんな事がありますよね。
 『神と和解する』ですか、文学でよく引用されていたので中学で聖書を買ってきて読んだりしていましたが、都市で新興宗教とか見たら、かえって気持ち悪くなったです。
 日本人は奇跡を信じるタイプの人じゃないとキリスト教は入信出来ないですね。
 ちなみに神棚と仏壇は家にあります。まあ、「色即是空」の訳からしてちんぷんかんぷんで意味わかんないのですが。
 まあ、大都会で知り合いとかいなかったらコミュニティーみたいな宗教も流行るかなあとも思います。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/25 13:40

結論から言わせて貰えば、人間の人間たる部分を司る前頭前野部と動物的部分{情動系(大脳辺縁系)}のリンケージが高度と言うか複雑化した社会において上手く調整出来難くなってるせいかもしれません。



最近、私の主治医がよくアドバイスすることは、体を動かせるなら1時間位何でも良いから運動しろと盛んに勧めます。
それでうつ症状は改善される事がしばしば見られるとの事です。

実際、同病の知り合いが、周囲の同病者の忠告を無視し、抗うつ剤を含め向精神薬を絶ち、遮二無二に肉体労働に従事し、思考すること止めたは語弊がありますが
日の出と同時に仕事に行き、肉体を酷使し、帰宅すれば食事、入浴以外の事はせず、後は泥のように眠る生活を半年続けうつ病を完治しました。
だから、昔は薬なしでも完治したのではないでしょうか。

本来ならば、症状を改善する為、飲んでいる抗うつ剤が、抗うつ剤を飲んでるからうつ病だと本末転倒な固定概念に囚われているのかもしれません。
ですから、完治・治癒に変わって寛解などの言葉が幅を利かせるようなったのだと考えます。

近年はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」パスカルの「人は考える葦である」ほど高尚な思考ではありませんが
内省ではなく自責に向いてしまう傾向が強い、特に自己責任がもてはやされる現代では。
それが脳の高次機能と生まれつきの動物的機能(本能)との整合性が取れない状態がうつ病として現れるでしょう。

以前から戦争などの生命の危機に直面すると、精神障害は減ると言われています。(戦争神経症を除く)
それは生存本能が脳の高次機能を凌駕がするからかもしれません。

古来より戦争の英雄などは性格異常者か冷徹な合理主義者が多いです。
WWIIのエースパイロットを例にあげれば、零戦のエース坂井三郎氏は合理主義者
彼と編隊組んだ僚機から撃墜された者はいなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95% …
ナチスドイツ空軍のシュトウーカの悪魔ハンス・ウルリッヒ・ルーデル氏の尋常ではない行動を考慮すると
性格異常者としか思えません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3% …

少々、話が横道にそれましたが、少し本能的生活に回帰するべきだと考えます。
欲望のまま生活するのではなく、日の出と供に起床し、頭脳のみではなく肉体も駆使して働き
日没と供に休息に入るスローライフ的活き方を指します。
日の光を浴びず、深夜から早朝に掛けてネット三昧なんて日々を過ごせば、心身に異常が生じてもおかしくなって当然です。
うつ病の改善に向かうにはそのあたりに解く鍵がありそうです。
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この回答へのお礼

 親戚が来ていましてお礼が遅れてすいません。
 一つの仮説という事なのかもしれませんが参考になりました。
 うちの親とかはスローフード、スローライフ健在です。戦中派です。僕はちょっと人工的になり過ぎましたかね。
 昔よりケアが細かくなって、「念のため投薬している」なんて事も多いんですかね。服薬をあんまり気にしないことなども大事なのかもしれませんね。
 僕は鬱病ではないのですが、雪が融けたら自転車で走ろうかとも思います。
 ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/25 13:54

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