アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

人に話せば、抽象的だね、とか、何言ってるのか分からない、とか、言われます。

そんな私の言葉は可怪しいですか?

過去の質問見てくだされば、どういった書き方をしてるのかわかりますので、どうか、ご足労ください。

A 回答 (26件中1~10件)

No.24です。

話下手で説教臭くてすみませんが、再度です。

ご返信を読んでいて思うことがあり、幾度か返答を試みたのですが、何度書いても先の回答の言い換えにしかならず、本質的に言いたいことは同じなので、これ以上言葉が見つかりません。私が言い換え文の返答を書いたところで、ご質問者も先のご返信の言い換え文を書くことになってしまうと思ったので、ご返信の件に関して一つ一つ返答することは終えたいと思います。

ただ、一つ分かったことは、アスペルガーや高機能自閉症があり、生きにくさを感じている方たちは、妥協という感覚が理解できないので、異論とぶつかったとき、全否定されたように感じて苦しむのだと思います。
定型発達の人は妥協という感覚が理解できるので、異論に出会っても妥協点を見つけ出し、自分なりに消化できます。

ですから、定型発達者は相手に異を唱える時も全否定の意味で使うことは滅多にありません。どうしても間違っている、正さなければならないと思うときは全否定することもありますが、多くの場合はアドバイス(忠告・助言)です。
何もかもを直せ、従えと言っているのではないのです。
そのことだけは心に留めておいてください。

自分のことを受け入れて欲しいと望むのなら、自分も相手のことを受け入れることです。受け入れとは同調することではありません。共感するということです。
共感とは、全くその人になり切ろうとする(同調)のではなく、その人の世界観を理解する(その人は、その人の世界観を大切にしているのだという事実を知る)ということです。


>言えないんだよ。どうしても言葉ができない。

アスペルガーがあると口頭の会話の時には、咄嗟には相手の言っていることが理解できなくて頭の中が真っ白になり、言葉が出てこない、そんな場面に出くわすことがよくあると思います。
そういうときには深呼吸して、相手にゆっくりと話してもらえるように お願いしてはどうでしょうか。

そして、異論を言われても直ぐに否定されたとは受け取らずに、アドバイスと受け止めるように気持ちを切り替えてみてください。
頭の中が真っ白になったり、血が上ったように動揺すると、どうしても言葉が出てこないと思います。しかし、冷静になることが出来れば言葉が思い浮かぶと思います。

それもままならないときは、時間を見つけて会話の要点をメモしておくと良いと思います。
そして、そのとき自分はどういう返答をすれば良かったのか、頭の中でシミュレーションしたものを書き出してみてください。書くだけでスッキリすることもあると思いますし、ちゃんと伝えるべきことであったとお考えなら、そのメモをもとに、伝えたいことを要約したものを相手に手渡して読んでいただけば良いですよ。

自分で書いていて、えらく長文になってしまったと思ったときは、実際に文字数カウント機能を使って、そこから文字数制限を自分で定めて、新たに書き換えるのも要点を伝える訓練になって良いです。
(パソコンのことはご質問者の方が詳しいと思うので文字数カウント機能についての説明は不要だと思いますが、“文字数カウント”で検索すれば、カウントできるサイトが見つかるので、こういったものを利用するのも良いです。)文字数制限を意識した場合は意外と要約できるものですよ。


また、質問をするときには箇条書きで要点をまとめて書き出すのも良いです。
口頭で相談事があるときは、その箇条書きをもとにテーマを定めて一つ一つ話し合って行くのも良いですね。

人は誰でも自分の話を聞いて欲しいものなのです。
ですから、相手の人が話をしているときは一通り意見を聞いてから、自分の話を進めることも大切です。
話し上手は聞き上手と言います。これが難しいのですが、傾聴をすると相手も傾聴をしてくれるものなのです。

口頭の会話だと、「ずっと聴いているだけでは相手の言っていることを忘れそうだ、今、言わなければ!」という気持ちが強く、このことでこじれることが多かったのなら、筆談を活用しながら会話を進めるのも良いと思います。
あらかじめ、筆談を交えたいと相手に話しておくのです。そして、異論を唱えたいと思ったこと、確認を取りたいと思ったことの要点をメモしておけば、高ぶった気持ちが収まって冷静になることができるし、相手が話し終わった後に自分の意見を伝えることも出来ます。

相手の話が途切れなく続けていて、どうしても自分の意見をいいたいときは、落ち着いて「すみません、ちょっとお話しても良いですか?」と訊いてみてください。
穏やかに切り出せば、素直に話を聞いてくれる人は多いです。
怒れば怒りが返って来るし、穏やかになれば穏やかな対応が返って来ます。


怒りを吐き出したいときは誰にでもあります。
善意のつもりが、傷口に塩を塗る行為になってしまっていることだってあります。
でも、怒りを吐き出す前に一呼吸置くことを忘れないようにすると、自分の中で持てる能力の最大限を引き出して、気持ちを伝えることが可能になります。
抗議の言葉の中にも少しだけで良いのです。
思いやりの気持ちを込めれば、相手も思いやりを返してきます。

激しい言葉を受け止められる人、それは家族や家族のように親しい人、長い月日を掛けて信頼感を築き上げることが出来た人であると考えてください。
初対面の人、まだ面識の浅い人、これから信頼感を育もうとしている人と会話するときは、怒りを吐き出す前に一呼吸置くことを忘れないようにしてください。

そして少しだけ意を汲むようにしてみてください。
そうすれば、相手も歩み寄るということをします。
一歩一歩の歩み寄り、それが共感ということで、それぞれの気持ちを大切にするということです。
潤沢なコミュニケーションを望むとき、共感という感覚はとても大切で、これが会話を続けるうえで重要な役割を果たします。
共感を受けたとき、ご質問者も言葉がすっと浮かんだと思います。
それは、相手も同じなのです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。風邪をひいておりまして、解答が遅れてしまいました。申し訳ないです。

お礼日時:2014/01/11 10:46

#10です。

お礼ありがとうございます。

>感情を含んだ言い方ならって、じゃあ俺の言葉は普段は感情ないってのか? 声帯で話す分には、さっきも言ったが思考や言葉が捕らえられないから、できないのかもしれない。
>が、こうして文字をタイピングしてる分には、頑張って感情込めてるつもりだ。でも、できてなかったのか。悔しいし、悲しいな。

う~ん。「感情を含んだ言い方」と言うのは「誤解を招く表現」でした。すみません。
ストレートに言うのならば「あなたの気持ちをダイレクトに表現した文章」と言えばいいのでしょうか。具体的ならば「サイトから削除されたあなたの文章」です。

あなたの文章は、どれも「あなたの気持ちが伝わる文章」ではあります。ただ「あなたの真意を伝えようと、長くなった文章」は、読んでいる私に「あなたの気持ち」は伝わるが「あなたの真意」が分かりにくくなってしまう。

そういう意味では、私の理解力が低いのです。しかし「理解力の低い人は、理解しなくていい」と、あなたは思っていないと思うのですが、いかがでしょう?

>でも、それは、今は一人だからだ。いいか、何者にもおいて一人。0に近い場所。人はそれを現実逃避というんだが、どうだろう、分かるか?
>行ってはいけない無痛の場所。責任逃避。どう言えばいいのか分からない。だが、まぁ、人として駄目なところだよ。

わかるような気がします。気のせいかもしれませんが…
そこは「無痛の場所」ではあるのでしょうが、「あなた自身がそこにいることを許せない」のでは?
だから悩んでいるのかと…
それでも「逃げる」ことが「人としてダメ」とは思わないのですが…
「逃げる」ことで「命を守り」最終的に「時間が解決する」場合もあるのではないかとも思います。

>でも此処はそれを踏まえての場所だ。俺はそう思ってる。
>喧嘩売りたいわけじゃない。言わなきゃいけないところだと思ったからだ。

確かに、ここでは「情報選択」の必要はあっても「聞きたいことを聞く」には最適なところですね。
あなたのように「此処はそれを踏まえての場所」という「覚悟」があれば「言葉を選ばなくてもいい」のかもしれません。

そして、それだけに私には「怖さ」があります。誰もが「人の気持ちを土足で踏みつけてしまっているのではないか」という危惧を常に持っているわけではないという。
実際に、私があなたを傷つけてしまったように。

う~ん。書いていて、なんだか、自分でも「服の上から背中を掻いている」ような感じになってきました。

すみません。
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この回答へのお礼

長ければ真意が霞む。分からない。どうすればいいのだろう。それでも気持ちは分かるとは、何なのだろうか。

気持ちは分かるが、意味が分からないのだろうか。
焦っている、怒っている、悲しんでいる、苦しんでいる、の、だろうなぁとは思うが、意味が分からない。
外国人が怒ってるのは分かるが、言葉が外国語なんで分からない感じだろうか。

安心の場所、それは結果論だ。良い意味に嘘ついてるだけだ。
死んでるも同然の場所。生きる限りに発生する責任の放棄。
安心という言葉は皮肉。自分の心に何も無ければ、何もできないなら、勿論怖いものは何もない。
安心の悪化版と言えばいいだろうか。傷つきたくなければ、全く動かなければ、怪我なんてしないという極論だよ。

許せない、というよりは、止めた方がいいという感じか。俺は動くことが怖いとか、他にも意味がありそうだけど、でも、動くことをしない部分がある。
それは総じて悪化が怖いからだ。動けば失敗するとか、負けるとか、更なる間違いに進むことが怖いとか。

でも、動けば良いこともある。それは分かる。

なんというか、最低限の責任の放棄をしているように思える。一センチでも動けば、世界は勿論その差だけ動いて、何かを手に入れる。

話が良くも悪くも進まないんだよ。今持っている問題を抱えたまま、ずっと止まってる。ずっと悩んでるだけ。

動いたほうがいいに決まってる。石橋叩いて渡るくらいの臆病さでもいいから、安全を凄い確認して、進むことは勿論正解だ。だって、安心だって、幸福だって、完全に分かれば、進む以外にないでしょう?

俺はそれすらしない。だから世界も動かない。なんというか、許す許さない、そういった感情の判断はできない部分にあると思う。抽象的だな、これ。

逃げるの利点は分かるよ。でも俺のは利点じゃない。説明分からなくて、なんとも言えないけどね。 

人としてダメ。それはなんでダメだって説明すれば、そこに悪だとか善だとかがまず関わってくる。判断する材料だから、当然関わってくるだろう。

でも、そういったものの意味じゃないというか。もっと、もっと以前の話なんだよ。
全く判断できない0にいる。生物としての在り方を放棄しているようなもの。文字通り「何も言えない」。なんだろうなぁ、なんて言えばいいんだろう。

俺はおかしいって、前提に記述してる筈。まず、ここはメンタルヘルス。心の健康。精神的に問題抱えてる人が集う所。そして俺は病名言ったり、過去の質問見てくれれば嬉しいとか、俺はこんな人間だって、説明してる。

それを踏まえてる筈、だと思ってる。だから、これ以上、相手に教えられるところがない。

だから俺は悪くないって言いたいんじゃない。

明日、補足でまた付け足すと思う。仕事あるから、もう寝ます。

お礼日時:2014/01/08 00:51

No.22です。

懲りずにまた来ました…。


>参考に受け取ってるの裏返しは話を聞いていないだ。

他から得た意見を熟慮して、取捨選択をすること、そのことを指して、「鬱になっていない人は、他人の意見は正解ではなくて「参考として受け取っている」と回答しました。
逆に言うと鬱になっているときは、取捨選択が出来なくなっているということです。だから、拾うことも捨てることも適わなくなって、何もかもが辛くなってしまうんです。


>人生は人真似だ。

鬱になっていない人、鬱を本当の意味で克服した人は、自力で物事を判断しているから、自分を捨て去って他人そのものになり切ったりしないんです。
ある人から何かを学び、感銘を受けて、その志を見習うことはあっても、他人のクローンを目指すようなことはしません。他人の全てを真似て生きること、全くの別人を演じて生き続けること、それは、アイデンティティーを失うことと同じだからです。

意見を言う側も、「あなたは私のクローンになるべきだ」とは言っていないのです。ここは専門外の人も利用する場ですから、多くの人は正論を掲げている気は全くなくて、“助言” として「私の意見に利用価値がある、一理あると感じ取ることが出来るのなら、その一理をあなたに生かしてほしい」と、そいうい気持ちから言っているんだと思います。強制ではなくて、「私の意見を、あなたに馴染む形で、出来る範囲で生かしてもらえたら」と。
取捨選択が上手く行かないときは、心に響いたことだけを信じるので良いと思います。(なお、取捨選択が上手くできない今は、宗教だけは、お勧めしたくないです。)

自分の考えをすべてを押し付ける行為は、助言でも、回答でもなんでもなくて、「洗脳」です。
ご質問者は、助言と洗脳を同じものとして捉えているから、自分とは違う意見とぶつかったとき、全否定されたと苦しんでしまうんだと思います。

そして、他人の意見を全て受け止めなくてはならないと考えて、それには先ず自分をなくさなくてはいけない、自分を全否定しなくてはならいと考えてしまうから、苦しくなってしまうのではないですか?


>正解をぶつけてきて俺は受け止めた。それでなんで俺が間違いなんだ。

ご質問者が言う正解とは「正論」ということでしょう?
綺麗事とか、理想論という意味ですよね。
だから、ご質問者の心には響かない。
他人の言うことが綺麗事や理想論に聞こえてしまうのは、他人の言うことは、所詮、その人の人生観で、他人のアイデンティティーだからです。

私はご質問者が全て間違っているとは思っていません。
けれど、間違っていると確信していることが一つだけあります。
それは、ご質問者が自分で自分を全否定してしまっていることです。


こちらは推測になりますので、憶測だ、間違いだと言われてしまうかもしれません。でも、書きます。
ご質問者が自分を全否定してまっている一番の要因は、自分が一番苦しかったときに、お母さんに全否定としか思えない、残酷な言葉を投げつけられたからだと思います。これまでに、お母さんが、あなたを否定してきた言葉の数々が「ペット飼ってるようなもん」「何様だよお前は」の言葉で、全否定となって重く伸し掛かって来て、心が引き裂かれてしまったのではないですか。

小さな子供だって、世界中が敵でも、例え父親が敵だったとしても、母親が味方なら、少なくとも心は持ちこたえる、例え傷だらけになったって立ち直れる。でも、お母さんは そんなことには全く無頓着だった。
だから、あなたは苦しかったし、あなたが鬱病だと知って、急に優しくなったお母さんの行為が偽善にしか思えなかった。そうじゃないですか?

そのとき、あなたが悲しんだこと、お母さんを恨んだこと。
それは、決して間違いじゃないです。
お母さんが、あなたにしたことは間違っていました。
お母さんを信じられなくなっても、それは、あなたの所為じゃないです。
そうさせてしまうだけのことが、これまでに幾度もあったのならば。


私だって、あなたの立場なら、お母さんを恨みます。
そして、憎くて仕方なくて心が押し潰されそうになったら、自分の気持ちを全部話します。

私はそうしましたよ。
私の母を慕って無邪気に他愛のない話をする、まだ小さかった息子に耳を疑いたくなる暴言を母が吐いたので(その言葉は一度書いたけど消しました。辛くて そのままは書けません)、耐えられなくなって私は母と大喧嘩をしました。

子供の頃だって私は泣かなかったのに、
「お母さんはいつも子供を差別する。自分の子供たちにも孫にもそうだ。お母さんは、子供によって態度が全然違う。お母さんは、幼い私に向かって、嫌いな叔父さんと似ているって罵った。入園式の時だってそう。お母さんは、何で私だけ入園式に来てくれなかったの? 一人ぼっちで出席してる、そんな子、他には誰もいなかったよ。どうして幼稚園の遠足にも来てくれなかったの? 下に赤ちゃんがいるから無理だってお母さんは言ったけど、そんなの理由にならないよ。現に、子供の入園式も遠足も、赤ちゃんを連れて出席してる人は何人もいたよ」って、大泣きしました。

母は仕方なかったの一点張りでしたが、「そんな子、他には誰もいなかった」「他のお母さんは赤ちゃんを連れて出席してた」という言葉には顔色を変えていました。普通にはあり得ないことだと言われたのが、ショックだったようです。

でも、赤ちゃんがいれば行事に出席できないというのは、母にとって常識だから、私の言うことが全く理解できないのです。それは、その後も変わらなくて、姉からは、母は私が怒った理由が解らないと言っていたと聞きました。


それで母には諦めがつきました。
悲しかったし失望もしたけれど、子供の頃に泣けなかったので、怒って泣いて、本当にほんの少しだけどスッキリしました。

母を許せるようになったのは、そのずっと後のことです。
怒って泣くとう儀式を済ませないと、格好悪くてもプライドを捨て去って駄々っ子みたいに泣きわめかないと、私には決着の付けようがなかったんですよね。
母からも「ごめん」の言葉は聞けなかったけれど、でも、私が悲しかったということだけは分ってくれたし、差別はやめてくれという気持ちも受け止めてくれました。

全部は解っては貰えなかったけれど、少しだけ解ってくれた。
それでも良いんだって、長い月日を掛けて思えるようになりました。
また綺麗事と言われそうですけれど、でも、一番気持ちを受け止めて欲しい人に話したいことを話さないと、行き詰ってしまうことってあると思います。

人は急には変われないし、誰かを急に許せるようになるものではないけれど、胸のつかえは言うべき相手に吐き出さないと、心はずっと泣き続けたままですよ。
“格好悪くても言うべきことは言わないと” …です。

この回答への補足

そしたら過去の人は笑うだろうな。まだそんなことで悩んでるのかと。

勝手すぎる。

補足日時:2014/01/05 13:40
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この回答へのお礼

参考にしている言葉は、便利な言葉。言っておけば当たり障りなく相手を無視できる。

取捨選択すればいいとはいうが、捨てれば間違い、ということもあるんだ。捨ててしまっても間違いというか。
じゃあどっちにしろ失敗なら、捨ててしまえばいいとはいうが、何度も言うけど、俺は動けば殺傷を受ける。それは、無視できない問題だ。
じゃあ立ち直ればいいって言うけど、そんなもの水掛け論のような一方的なものだ。ああいえばこういう。そして俺がネガティブだ気弱だなんだと言われるんだ。

人生は人真似だって言っておきながら、俺は以前、そのことに対して貴方と同じような解答を出していたことを、忘れていた。なんで忘れてるんだろうって、悔しかった。過去、あんなボロボロで、微塵にしか無い自分の状態で、誰かの真似をすれば、相手からではなく、自分から相手の図ってもない洗脳で、自分が消え去る恐怖を知っていたはずなのに、なんでこんなこと言ったのだろう。
でも、人はそうじゃないのか? と思う。誰かの教えを、誰かの助言を、受け止めて、自分を確立していく。それが成長だと思う。

心に響いた言葉をやってみろ? 俺のセンスは最悪だ。必ず間違いに進んでしまう。極論、誰かを殺すことが正しい、と、言うように、そちらへ進んでしまう。ニュアンスは同じだ。だから自分が信じられないよ。
仮に響いた言葉を見つけても、それが自分の身の丈にあってないといけないんだろう。それに、その生き方は止めといた方がいい、とか、夢見すぎ、バカバカしすぎ、だとか、総じてそう言われるよ。多分。

何を選んでも、人は敵になる。意味合いは俺寄りの意味だ。
生きてれば、何を選んでも人は敵になるのは、当たり前だ。
でも、俺の場合は、殆どの人が間違いであると断言できるものを選んで、殆どの人が敵になる。という意味合いだ。若干方向性が違う。似て非なるものだ。

俺は俺を世界に通しちゃいけない。だから、誰かのクローンになるしか、自分を騙してじゃなきゃ生きれない。

正論は、恐らく「常識」だ。常識が分からない俺は、他人の言葉は全て常識なんだ。

俺はその常識に生きられないのかもしれない。だって分からないし、価値なんて理解できないから。

殆どの人から怒られた。嫌われた。避けられた。嗤われた。十分じゃないか。自分を全否定するには。

母親は自分を否定する一人。母親が絶対じゃない。


俺は言葉ができない。だから、此処で言うべきこと、とか、そんなもの分からない。いつも、どうしようもなく迷って、困って、相手が収まる形でしか収まらない。よく言ったもんだ、運命は、収まるべきところに収まる。悔しすぎる。


少しだけ分かってくれても、大部分は間違いならば、それは間違いだ。身体に少しだけ傷がついても、万全だと言うことの、反対の様だよ。


世界は待ってくれないし、味方になってくれない。それが、俺の人生です。


言えないんだよ。どうしても言葉ができない。なんて泣けばいいのか、そんな、言葉を知らない幼児の状態だ。

お礼日時:2014/01/05 13:31

#10です。

お礼ありがとうございます。補足も読みました。

#19で「終わりにしよう」と思ったのですが、あなたの「お礼」の言葉と、まだここの質問を締め切られていないので、私の返事を待たれているのかな?と勝手に解釈し、書いています。

かなり抽象的な言葉になってしまいますが、すみません。具体的な言葉が出てきません。

あなたに「私の真意がきちんと伝わるか」どうかはわかりませんが、書いています。
(あなたには「具体的な言葉」を求めながら、酷いですね。ごめんなさい)




あなたがこれまでの生き方で、「どれだけ周りに合わせようと努力したか」「どれだけ自分の気持ちを分かってもらおうとしたか」それに対して周囲があなたに対して「どんな酷い行為をしたか」は推測でしかありませんが、想像できると思います。

いや、そんな気がするだけかもしれません。実際に「体験する」と「想像する」では大きく違いますから。

ですので、あなたの「苦しさ」「つらさ」「絶望感」は、とても「一人では」はねのけられないぐらい大きなものなのでしょう。

それ故、あなた自身は「相手が傷つく」とは思わずに『毒を吐く』ことがあるのかもしれません。そして、時には「相手が傷つくとわかっていながら」『毒を吐く』ことも、あるでしょう。

それは、誰でもする「行為」ではあります。

現に、私自身が「知らずにあなたを傷つけた」のでしょう。私も知らずに「毒を吐いた」のです。

それでも「毒吐き」は、あなたの事情を分かる人ばかりだけの世界ならば、OKなのです。

私も、私の家族には「毒を吐いて」も許されます。多少の言い合いにはなりますが「2度と返事がない」にはなりません。

ただ、あなたは「あなたの事情を分かってくれる人たちだけの世界」で「ずっと居たい」のではないと思います。だからこそ、これだけ苦しんでいる。

あなたには「外の世界に出ていくだけの能力」があるのだから、あなたにとって当然と言えば当然なのでしょう。

もっとずるい人ならば、わざわざ「自分を傷つける社会」に出ていきません。



であれば、あなた自身が傷つかない為の「武器や防具」として、あなたが得意な「言葉」を利用していかがでしょうか?

「毒」になる言葉は、あなたが傷つかない安全な環境でだけ「吐き」、「武器」となる言葉は、精度を磨きあげては?

その研磨剤に「ソーシャルスキルトレーニング」がなれば、幸いです。



これが、今あなたの質問に対する、私の回答です。

それと、前回の回答で「同意できません」と言ったのは、裏も表もありません。

ですので、私は「怒って」もいません。

あなたの言葉の通りかもしれないし、違うかもしれない。ただ「納得しない」と言うだけです。

また、削除されてしまうかもしれませんが、私は必ず「あなたの返事」を読んでいます。

この回答への補足

 

補足日時:2014/01/06 11:25
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2014/01/04 19:52

No.20です。

ご返信ありがとうございます。

ご質問者は質問しつつも、自分と同じ考えの人を探してしまうから、相手の返答で疲れてしまったり、落ち込んでしまうんだと思います。

違う意見を聞きながら、納得できるところ、採用したいことを頭の中で再構成したり、遣り取り中で「これは違う」と思ったことは、それはそれで自らの課題として暖めていけば良いです。鬱になっていない人は、そんな風に、他人の意見は正解ではなくて「参考として受け取っている」んだと思いますよ。
でも、鬱になってしまっている人は、他人の意見がすべて正しく、自分がすべて間違っているように受け取ってしまいがちです。

メンタルの病気は、つまり自分のアイデンティティーが揺らいでしまう病です。自分らしさというものは、人が書いたものをそのまま読んでも、どこにも書いていないし、誰も他人のアイデンティティーの正解を書けないです。
ご質問者のアイデンティティーについて、正しく表現できるのは、ご質問者だけなんです。

同じアイデンティティーを持つ人を探しても、なかなか答えはみつかりません。意見を交わして共感したり、反感を持ったり、そこから自分のアイデンティティーを確認することは出来ても、同じアイデンティティーを持つ人を探すことが目的なら、質問は何百回、何千回と気が遠くなるほどし続けなければ、満足の行く解は見つからないでしょう。

気の遠くなるほど質問をし涙するぐらいなら、ご質問者のアイデンティティーを形作った身近な人たちと交流を持ったり、愛着のある場所に赴いたり、好きな作家さんの本を読んだり、音楽を聴いている方が、ずっと、アイデンティティーの回復が早いです。

ご質問のタイトルには、質問の仕方とあるけれど、結局それはコミュニケーションの取り方を訊いていることと変わりがないし、コミュニケーションを楽しめるまでになるには、アイデンティティーの回復が第一です。
気力がわいてきたら、自分の好きなことを楽しんでください。

特に思い浮かばないのなら、今は冬なので出掛けるところもあまりないですけれど、図書館をブラブラでも、カメラを片手に気に入った景色を撮るのでもなんでも…。
ともかく、一人っきりでいると鬱々とするので、適度に人がいて、でも深く関わらないですむ場所でのんびりしてみてください。

この回答への補足

そうなんです。弱さも今も受け止めて、前に進むんだって決めたのに、また俺はこんなことをしてしまった。

補足日時:2014/01/03 18:48
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この回答へのお礼

俺が正しいままで世界に認めさせないとアイデンティティーは回復しない。俺は被害者だ。

俺は普通だったはずだ。普通に生きてきて、それなのに理不尽に弾かれた。誰かが引っ張って助けるのは義務なんだよ。

正解をぶつけてきて俺は受け止めた。それでなんで俺が間違いなんだ。人生は人真似だ。俺は人に従順だった。それなのに結果がこれだ。おかしいじゃないか。

参考に受け取ってるの裏返しは話を聞いていないだ。奴らは結局自分勝手に生きていくんだ。俺はそんなことしたくない。俺は人の意見を受け止めて真剣に考える。だが此処に来る奴らは俺を否定する正解な意見ばかりだ。ふざけるな。

作家も音楽ももういい。俺は俺を進めたい。俺が俺で正解しなければ通らないんだよ。
アイデンティティーの回復は俺が万全に成功することだ。正解することだ。周囲は俺への間違いを認め、俺を先に進ませなければならない。


もうこの心しか今は思えない。昔、変わりたい、自分のせいだからって思ってたときは、他人事なんだ。

何故俺が変わらなくちゃいけない。俺は何もしていない。俺は悪くない。なのになんで。

お礼日時:2014/01/03 18:16

No.20です。

もう何も書かない方が良いのかと思ったけれど、再度です。

>また負けた。

みんな、自分の人生を生きているだけです。
勝負の相手はいつも自分だと私は思う。


>貴方のほうがよっぽど苦労して、ヒロイックに浸れるほどの存在じゃないか。

どこにでもいる人間だと思います。
私の人生を小説にしても、つまらないので売れるはずもなく、浸る要素もないです。
人に羨ましがられるほどのものは何も持っていないです。


>綺麗ですね貴方。

自分のことを綺麗だとは思わないけれど、真っ黒だとは思っていない。
真っ黒だと思ったら、きっと私は子供のことも全部捨てて死にます。
子供が生まれてからの方が辛いことが多かったけれど、それで、ポキッと折れて死んでしまうと、本当の真っ黒になって、何もかもを子供に背負わせてしまうことになるから、それができない。
綺麗とかそんなのじゃなくて、背負わせられない。それだけです。
本当の一人ぼっちだったら、迷わず死ねると思います。
本当はその方が楽なのかもしれない。でも、それを選ぶわけにはいかない。

自分のことを考えると、鬱々とどん底を味わって苦しんでいた時の方がよっぽど純粋だったと思います。今よりも、ずっと努力をしていた。
ここに何かを書くような時間も余裕もなく、いつも自分を責めていたし、のた打ち回って、今よりもずっと真面目で真剣だった。

でも、純粋でいよう綺麗な心でいたいと思うと、どんどん他人を羨んだり、母のことが憎くなってしまう。何でもかんでも母の所為にしたくなってしまう。
でも、私はどうしても母が嫌いになれない。
好きなのか嫌いなのか解らなくなって、悩んだけれど、悩むってことは結局は母のことを好きなんじゃないか?って思ったら、もう、恨むこと、苦しむことに疲れ果ててしまった。
母のために何かをしてあげたい、そういう気持ちは昔ほどにはない。
でも、心底憎むこともできない。好きというのとも本当は違うのかもしれない。

今だって、不意に嫌な記憶がよみがえると、母のことを素直に信じて唯々慕っていた幼児の頃みたいに思えたらどんなに楽だろうって、嫌な記憶を全部消し去ってしまえたら良いのに…と思うけれど、そんな風に都合よく記憶は消えてなくなってはくれない。

父とのやり取りから、人の言葉ばかりに気を取られるから心が見えなくなってしまっていた自分に気が付いて、そこから、父のこと、母のことを考え直そうって、そう思うようになったら、気持ちが楽になった。

だから、あれは綺麗になる方法でもなんでもなくて、自分が楽になる生き方を書いただけです。


>どうしたら、そんな綺麗事を考えられるのでしょう。

親になったからです。
綺麗事までに昇華しないと(昇華したと思い込まないと)、過去に押しつぶされて、あとは死ぬよりないから。

私の場合、自ら死ぬっていうことは、自分の苦しみをそのまま子供に押し付けることになってしまうんです。
だから、人から綺麗事と言われようが何でもいい。そうするよりないです。

この直後のご質問を読みました。
自分の意見を書くというのは生き恥をさらすことですね。
ご質問者の仰る通りです。綺麗事=気持ち悪いこと。

そこから思ったことを書きます。
心の綺麗な人は、不言実行の人。孤高を行く人。
心の綺麗な人は、悩みや目標を人には見せずに内に秘める人。
まるで修行です。綺麗でいることは立派だけれど修行みたいに辛いです…。
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この回答へのお礼

また他意はありません。思ったことを記述します。
貴方は悪くない。でも。


また負けた。どこまで俺を追い詰めるんだ貴方は。

俺が悪い。醜くい。貴方の在り方は万人が総合的に求めるものであると思います。

貴方は常識があるらしい。人らしい。みんな貴方の味方するだろう。

なぜ貴方は恵まれてるんだ。不幸も幸福も着飾れるほどの素質があって、俺よりも人じゃないか。

貴方は誰にも攻められないはずだ。攻められても、それは人の価値観の違いなはずだ。

俺はどうだ。八方から全て敵であるんだ。在り方そのものが間違ってる。

なぜ貴方が正解なんだ。俺がなんで間違いになってしまう。

じゃあ貴方のように生きれば正解であるけど、俺にはそれができない。貴方が間違ってると思うからだ。

またそれを此処で書けば、ここの運営から編集なりなんなりされて、解答をいじられるから言いたいことが話せない。

質問も答えも間違ってるんだと。空気を悪くするものは解除なんだと。現実も此処も同じだよ。

みんな生きている中でなんで俺は間違っている。
どこにでもいる人間がなぜ俺じゃない。

俺は普通だ。普通に生まれて、普通に生きてきた。

なんでなんだよ。

お礼日時:2014/01/03 15:03

No.14,16,18です。

ご返信ありがとうございます。

>病気を打ち明ければ、一転優しくなりました。その程度の親なんです。

でも、誤解は解けたんですね。
お母さんは怠けだと思い込んでいたけれど、本当はご質問者がとても悩んで困っていたことが理解できたということですよね。お母さんが、ご質問者に優しくなったのは、今までの自分を反省してのことではないでしょうか。きっとそうなんだと思いたいです。

鬱病だと打ち明けても、そんなものは怠け者の言い訳だ、要は精神力だ気の持ちようだの一点張りの人も世の中にはいるわけで、精神の入れ物は脳だと言いながら、脳科学にはとんと興味を示さない…。
だから、鬱病が脳の不具合だとは一切考えない。
心の入れ物は心臓だと考える人もいるけれど(この考え自体は否定しませんが)、ならば、「鬱病をただの怠け病だと切り捨てる人の心臓には毛が生えているんじゃないの?」と私は言いたいです。

でも、そんな人たちとは今のお母さんは違うと思います。
ご質問者に優しくできるのなら、お母さんは現実を受け入れたということです。現実を受け入れたのは、ご質問者のことを大切に思っているからでしょう。受け入れていなかったら、何もかも信じたくないと思っていたら、今も以前と同じように、ご質問者を叱り飛ばしていたと思いますよ。


>病人というカテゴリーに入らない私は塵同然と見ていたわけです。私は頑張ってたつもりでした。でも、あの人はそれを見てくれなかった。所詮結果論なんです。

親というのは子供には心身共に健康であって欲しいと望むあまり、高望みしてしまうものなんです。

私は十代の頃に2回大病をし、2回目は手術しました。
母は病弱だったので、病気のことで私を強く罵ることはあまりありませんでしたが、健康優良児で表彰されたことがあるほど病気と無縁だった父は、私が体調を崩したときは仮病を疑っていて、入院が決まったときは、そのことで医者から叱られたほどです。父は私が入院しなければならないほど重い病気だとは思っていなかったんですよね。40度近い高熱も、貧血も、全部精神性のものだと決めて掛かっていたんです。

実際には、肝臓や筋肉に炎症が起きていたから様々な症状が出ていたのですが、受験のプレッシャーで精神的に参って仮病を使っていると父は考えたのです。
「誰がこの大事な時期に好き好んで病気になるものか、本当に酷いことを言う人だ!」と当時は憤りを覚えたし悲しかったけれど、あれは今にして思えば、病気に罹ってほしくないあまりに、「おまえ、気力で何とか治せよ!」と父が強く願っていたが故の発言だったのだと思います。

医者から検査結果を聴き、入院しないと私が死ぬと説明を受けたときの父は、とてもシュンとしていました。それを見てしまったら、私は父のことを怒れなくなってしまいました。「父は私が病気じゃないと信じたかったんだな。だから、病気だという現実を突きつけられて、娘のことを信じてあげられなかった自分のことを今、悔いているんだ」と。

親は子供には病気になって欲しくないから、元気がないときは気合で治せというけれど、子供のことを心から心配していれば、本当に病気になってしまったときは優しくなるんです。
「解ってあげなくて、気づいてあげられなくて、ごめんね」という気持ちが自然とそうさせてしまうんです。

「すまんな…」の言葉はなかったけれど、父の悲しそうな顔を見てしまったから、いつも欠かさずお見舞いに来てくれたから、心が届いて私は父を許すことが出来たんです。

両親が不仲な家庭に育ったので、父にはたくさん泣かされたけれど、全然、空気が読めていない発言に泣かされたこともたくさんあったけれど、でも私は父が、どうしても嫌いになれないし、亡くなった今でも会いたいです。
亡くなって随分経つのに父がいない実家は、自分の家じゃないみたいで寂しいです。
どちらも大切な人だから、親を比べるのは よくないことですが、本当には空気が読めるのに暴言を吐いていた母よりも、空気が読めなくて人を怒らせていた父が私は好きなんです。

言葉が届かなくても心が届くことってあるでしょう。
父はそれが出来る人だったんです。
だから、ご質問者の心が届く人だって、きっと何処かにいると思います。
__________

>ADHDとLDを持つ子供。どうか、ずっとその子達の味方であってほしいです。

紛らわしい書き方をしてしまってすみません。
子供は二人いますけれど、ADHDとLDを持つ子供は下の子で同一人物なんです。上の子は、幼いころはADHDっぽいところやアスペルガーっぽいところが若干感じられましたが、診断されるほど顕著な特徴はないと思います。

発達障害のある子とない子の兄弟姉妹は、障害がない方が寂しい思いをすると言われていて、うちもそういう時期がありましたけれど、上の子は発達障害のことをかなり理解してくれていて、下の子のことをとても可愛がっていますし、自分が年上にも拘らず、下の子を頼りにしてしまうほど慕っています。
私たちが神経質な両親なので、上の子は下の子のおおらかさに安らぎを感じているみたいです。人によっては短所と受け取るところを長所に感じているので、仲良しでいられるんだと思います。

話は変わりますが、多分、私も下の子と同じADHDの不注意優勢型です(下の子はADHDの影響でLDの症状が出ているのだろうと主治医から言われています)。下の子は中1の頃までは多動が認められましたが、高校生になった今ではそちらは治まって、不注意の方が症状として残っています。

私と下の子、似たようなところが多々ありますので、自分自身の受診を考えたことがあり、下の子の主治医にもそれとなく相談したことがありますが、受診を勧められるわけでもなく…主治医から見て、私は指導するにも年齢的に遅すぎるということや、受診するほどでもないように見えるということなのかな?などと勝手に思っています。単に紹介できる成人の発達障害専門医がいないだけなのかもしれませんけれど。

それと、私は診断名が付いてしまうと、そのことにドップリと甘え切ってしまうと思うし、下の子のはやはり遺伝だったのか、私の所為だったのかとズッシリ十字架を背負った気分になってしまうと思うのです。
その辺の心情を下の子の主治医は気付いているので、軽く受け流しているのかなぁと。これは直接本人に訊いてみないと解りませんが、私が受診を気に掛けつつも心の奥底では診断を怖がっているのが伝わっているのかもしれないです。


>どうか、子どもたちが仕事に就けなくなって引きこもりになったとしても、味方であってほしいです。お願いします。

はい。家庭を持ってからの話ですが、私にも鬱病を疑うような辛い精神状態になって心も体も最悪だった時期がありました。それを乗り越えようと思ったのも、乗り越えられる切っ掛けを作ってくれたのも子供たちですから、絶対に味方でいます。
私は子供たちからたくさんの愛情をもらっているので、ちゃんと返して行きたいんです。でも、怠け者なので少しずつしか返せていません。だから、将来、認知症にならないように頭も体も鍛えなくてはなりません。


長々と自分語りばかりで、役に立つことが書けたのか解りませんが、それでも何か原動力になるようなことが書けていたら良いなと思っています。
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この回答へのお礼

今から言うことに他意はありません。

なんなんだろう、貴方の言葉を聞いて、私はとても惨めで弱い、恥ずかしい存在だって思えてしまいました。
また負けた。貴方のほうがよっぽど苦労して、ヒロイックに浸れるほどの存在じゃないか。
当てつけのように思えて、とても悔しい。
私は弱さを語れるほどでもない。なんで、次から次へと俺よりも健常者、病人、弱者、強者、そのどれもで俺よりも上の人が出てきて、俺を下に押しのけていくんだろう。

嫌になりました。精神的な部分でも居場所がない。


重ねていいますが、他意はありません。そう、思っただけです。貴方への悪口ではないです。

綺麗ですね貴方。勝てないです。どうしたら、そんな綺麗事を考えられるのでしょう。私の家庭は、今の私を作る原因の一つとなっているため、塵のようにしか思えない。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2014/01/03 10:16

#10です。

お礼ありがとうございます。

う~ん。なんだか、私は、とってもあなたを怒らせてしまいましたね。ごめんなさい。

言い訳になってしまいますが、書きます。

>>う~ん。ちょっと言葉遊び的になっていませんか?

これは、あなたが「言葉で遊んでいる」と言う意味で書いたのではありません。

本質である質問に対して、それに付随する思考をどんどん述べられるので「話が微妙にずれて行って、あなたの言いたいことの本質がわかりにくい」と言う意味だったのですが、誤解を招きましたね、ごめんなさい。

>悪意無いって貴方は分かってくれたじゃないですか。私も悪意はないって伝えました。ほら、ここでも意思が繋がってる。伝わるんですよ、私の言葉は。なんでここだけ貴方は解ってるんです? なぜそれ以外は、なんで分からないんです?

私に「あなたに悪意がない」と分かるのは、私が支援学校の教師で、日々、自閉症スペクトラムの生徒と接しているからだと思うのですが…

残念ながら、あなたの言葉だけではわかりません。本当に残念ですが。

>恐らく貴方の「好き」という言葉は「知的好奇心」という欲求だ。「愛」じゃない。

そうかもしれませんし、違うかもしれません。

それは、私が日々、接しているアスペルガー症候群の生徒が「判断を下して」くれるでしょう。

ネットでの「やりとりだけ」の人に言われても、同意はできません。

>疲れたよ。こう、一々訂正しなくてなならないなんて。

すみません。「物わかりの悪い」教師です。

>それを貴方達は「アスペルガー特有の症状~~~~」と言うんだろ?

いいえ。あなたの「真面目さ」の証明、あなたの「わかってもらいたい欲求の大きさ証明」だと思います。

>ふざけるな。分かってくれないのはお前たちじゃないか。

そうですね。あなたの気持ちとして「ふざけるな」と言いたくなるのは、わかります。




それにしても、どうしてなのでしょうね。

あなたが「冷静に説明しよう」とすると「どんどん抽象的で、あなたの真意がわからないものになっていく」のに、「感情をぶつけた言葉」や「短い文章」だと「具体的に伝わる」のは。

話し相手が「抽象的」と言うのは、そこらへんがキーポイントなのかもしれませんね。



また、最後に要らないことを書いてしまいました。もう、これで辞めます。ごめんなさい。

この回答への補足

 

補足日時:2014/01/03 00:04
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2014/01/02 23:57

No.14,16です。



No.16のご返信、読ませていただきました。お礼をありがとうございます。
勝手に投稿して、勝手に落ち込んで、勝手に愚痴を言って、本当に申し訳ないことをしたと思います。

「もしかして、怒らせてしまった?」と考え込んでしまったのは、いきなり人の文章に手を入れて書くのは、失礼なこと、余計なことかもしれないと、おそるおそる迷いながら書いていた私の心の弱さです。
そういう風に悩むなら、投稿しないのが一番なのですが、全部は伝わらなくとも、ほんの少しでも実りになるようなことが伝わると良いなと願望を持ってしまったからなんです。
希望は捨てたくなくて、もしかしたら、否定的な意味でお礼を書かれたのではないかもしれないし…と、願望を託しての再投稿がNo.16です。

ネットだと顔が見えないし、面識がなければ、どんな方なのかは想像するよりなく、本当には迷惑であったとしても、それを知るすべが文字しかないので、それだけを頼りに判断するネットでは、普段の会話よりも言葉に敏感になってしまいます。

人は言葉によって傷つくし、言葉によって悲しむし、言葉によって喜んだり、元気を出したり、勇気を持ったりしますよね。
だから、言葉って本当に難しいですね。

再投稿をしたところで、結局は文句であり抗議だし、ご質問者の傷口に塩を塗るような行為になってしまうかもしれず…。
でも、モヤモヤするのは嫌だなと、思い切って再投稿して良かったです。
こちらこそ、拙い回答に心のこもったお礼を頂けて、とても感謝しています。


>本当の友達とは、もっと、話ができるような人だと思っています。

もっと話ができるとは、心が通い合うという意味ですよね。
でも、心が通い合うようになるまでには、たくさんの言葉をやり取りする必要が出てくることってありますよね。

だから、スッと話が通じる人と出会ったときは、本当に嬉しい。
でも、苦労してやっと通じたときも、とても嬉しい。
気の利いた言葉を重ねられるよりも、無理に喜ばそう、慰めようとされるよりも、言葉が通じ合う瞬間は、とても嬉しいことですよね。


申し遅れましたが、私にはADHDとLDを持つ子供がいます。
うちの子は、小学生の頃は言い間違いが多く、要領よく話すのが不得手だったので、人に誤解されることが多かったです。本人は話してはくれないけれど、中学生の頃、いじめにあった時期があったので、やはり誤解されたことがあったんだと思います。
幸い、先生や友達に恵まれて力になっていただけたので、乗り越えることが出来ました。今は小学生の頃からの友人が身近にいるから良いけれど、今よりも社会人になってからの方が厳しいのだろうと思います…。

そんな風に、身内が悲しい思いを沢山して来たので、ご質問者の気持ちは想像出来ているつもりです。だから、傷つけてしまったのかなと思ったときは怖かったけれど、諦めないで再投稿して良かったと思います。

今回のは回答らしい回答ではなくて申し訳ないですけれど、お気持ちが聞けて良かったです。
本当にありがとうございました。
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この回答へのお礼

ADHDとLDを持つ子供。どうか、ずっとその子達の味方であってほしいです。

俺はもういない。俺のせいで、周囲が作った俺のせいで、居場所を全部壊してしまった。
家族だってそうです。母親は言いました。私が鬱等を隠して生活していれば、当然仕事は中々就けなかったものでして、ずっと引きこもりに近い生活を送っていたら、「ペット飼ってるようなもん」だとか、「何様だよお前は」みたいなこと言われました。

ですが病気を打ち明ければ、一転優しくなりました。その程度の親なんです。

病気であるなら、病人を労る。それだけなんです。病人というカテゴリーに入らない私は塵同然と見ていたわけです。私は頑張ってたつもりでした。でも、あの人はそれを見てくれなかった。所詮結果論なんです。

どうか、子どもたちが仕事に就けなくなって引きこもりになったとしても、味方であってほしいです。お願いします。

貴方の子供を気持ち悪いと、普通じゃないと、普通よりの意見で否定する存在は塵です。呪っても構わないと思います。

私に近しい存在、医者とか教員だとか、そんな存在でさえ、自らの傷でないものは理解できないこともあります。本当、良い友達と先生に巡りあったようで羨ましいです。

こちらも、誤解させてしまってすいませんでした。

 

お礼日時:2014/01/02 21:47

#10です。

お礼ありがとうございます。

#15のお礼中での文章で、あなたの「そうですね」の意味が分かりました。

やはり、私が受け取った通りの意味で書かれているのですよね。ただ、それを私が確信するには「#15のお礼の文章が必要」なのですよ。

それが「抽象的」ではなく「具体的な言葉」と言うことだと思います。

しかし、「努力するだけで認められるのは小学生、じゃあ私は小学生なみなんでしょう」となるのは、アスペルガー症候群の人だから「しょうがない」とは私は思いますが、あなたは充分に「言語能力を持っている」のですから、もう少し「論理的に」受け取るようにされてはいかがでしょう?

「努力するだけで認められるのは小学生」とは書きましたが「あなたが小学生なみ」とは書いていません。

私の文章を「意地悪く受け取る」のならば、そう取れるとは思いますが。

しいて言えば「あなたは小学生としての扱いを受けたいのですか?受けたくないでしょう?それならば、努力も大切ですが、努力だけで『認めて』と言うのはダメでしょう」と言うことでしょうか…

>頑張ってるのに、普通にはやっぱり届かない。
>とにかく何でも普通って結果に合わせろってことでしょう?

頑張って「普通」になる必要はないのでは?

あなたは、私が「普通になれ」と言っていると受け取っているようですが、それは違います。

私は「あなたが生活で困らないように、もう少し、自分の気持ちを『気持ちのまま言葉にする』のではなく、他の人にも伝わるような『具体的な言葉』に変えて、伝えてみてはどうか?」と提案しているだけです。

それと、アスペルガー症候群の人の特性である「ゼロか100」の考え方をやめてはどうかと…

その為には、具体的にどういう風に周囲の人に「あなたが見えているか」を知り、周囲の人に「本当のあなたを伝える技術として」ソーシャルスキルトレーニングをされてはいかがでしょうと言っています。

「普通になる」必要なんてありません。

あなたが「あなたのまま」で周囲に分かってもらう努力をしましょう。

ただし、闇雲に努力するのではなく、専門家の支援を受けて、あなたにとって楽な方法で。

>悔しいです。普通は障害者にとっては生きづらいですね。
>でも、貴方の言い方はやはりまだ普通からの一方的な目線だってことに傷つきました。普通ならできるはずなのになぁ?って感じです。悔しいです。

私の書き方がかなりきつい書き方になっているのは、確かです。ごめんなさい。

そして「普通」を求められるのは、誰だって辛いです。障がいを持っていればなおさら。

だから「普通」とはかなりはずれている私は「普通」であることは、あきらめています。

自分は「普通じゃない。でも自分は自分だ」と開き直っています。それでいいのではないでしょうか?

>結果を残してこそ評価されるのであれば、やはり世界は極論だらけの嫌な世界ですね。
>別に努力してる俺偉いねとか言いたいんじゃありません。
>別け隔てなく結果が全てだって言われるのは、普通から外れても普通という結果に近づく為に頑張ってる障害者達にはとてもキツイ言葉だと思いました。
>結果だけ見て、それだけで判断されるのって、私からしてみればそれは普通じゃない。不平等です。

う~ん。ちょっと言葉遊び的になっていませんか?

>>>具体的に言おうと頑張ってはいるので、理解が足りないって言いました。

この言葉に対して、「努力だけではダメでは?」と言ったのですよ。

あなたは「自分は努力しているから偉い」とは言っていませんね。でも「自分は努力しているのにわかってくれないのは、相手の能力が低いから、相手が悪いから理解できないんだ」と言っているようには読めます。

それに対して、私は「あなたが傲慢な人間だから『理解が足りない』といっているのではなく、あなたが素直すぎる気持で言っているのはわかる。だが、『理解が足りない』と言う「相手を非難する」言い方は、小さな子どもでない限り、許されはしない。『理解が足りない』と言ってしまうことで、社会で困るのはあなたではないか」と書いたつもりですが…

世の中が「すべて結果だけ」と言うのも、私の考えではありません。(あなたはそう受け取ったのでしょうが)

>凄い悲しい不幸が連続してあって、病んでしまった人間が、殺害を犯してしまったら、情状酌量の余地がないといってるようなものだと思いました。

情状酌量はあっても、無罪ではありませんよね。

どんなにひどい境遇の人でも「環境を理由に犯罪をしていい」とはなりません。

でなければ、私が支援学校で重度障がいの生徒に「社会で生きていく知恵」を学習させる意味がなくなってしまいます。

犯罪に関しては「悪いことは、誰がやっても悪い」でいいとは思いますよ。ただ、犯罪に対する刑罰に「情状酌量」は加えるべきだとは思います。

>相手のせいにする、って意味合いが私には、悪意あるもので言ったわけではありません。

「原因」を他者に求めるのは、「自分の頭の中」ではOKだと思いますが、「言葉に出した」時点で「悪意」を人は感じます。

>アスペルガーって、普通からしてみれば変人って、自分にも非がある覚悟の上で相談してるんです。

う~ん。「アスペルガー症候群」=「非がある」ではないと思いますが。

私は「アスペルガー症候群」の人って「好きです」よ。(ここのサイトでも好んで回答しています)

>一般社会にアスペルガーという言葉を盾にして横暴振るいたいわけじゃない。

「障がいを理由にしているではない」ならば、いいのですよ。

>>一般的な社会では「アスペルガー症候群だから」では「通用しない」のでは?

は、あなたの「生きにくさ」の一つである「具体的な言葉が少ない」「気持ちをそのまま言葉にしてしまう」は、「アスペルガー症候群だから」で、専門知識のある人には通用しますし、わかってももらえる。でも、一般的な社会では、あなたが「変わらない限り」あなたは「生きにくい」ままだろうということを、書きたかったのです。

言葉足らずでした。すみません。

>解決したいから悩んでるんです。

そうだと思うから、私を含め、みなさん回答しています。

>でも、そこを教えてくれということは不器用ながらになんとなく理解できたと思います。すいません。恐らく当たり散らすような解答で。

「なんとなく」でも理解してもらえたのは、よかったです。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

1か100かをしているのは世界の情勢も同じです。私もしているのかもしれませんが、何より世界がそう決めているのです。失敗を続ければ役立たず、成功するのが当たり前。失敗すれば怒鳴り散らして、成功すればそれでよしの一言のみ。私はこれからA型の職場にて働くのですが、社会復帰で障害枠に入れたとしても、それがまかり通っている世界に出れば、また私は負けてしまうのではないかと恐れています。なぜなのでしょう。人は病気の程度を目に見える形でしか憐憫を抱かず、私のように「軽度発達障害」の軽度の文字だけを注視して、怠惰の弱者であるというのは。反対も同じでした。病気で働くA型のところでは、とても通いやすい雰囲気と、人たちの気配りがありそうでした。ですが、それを普通の健常者の世界で行っているのであれば、ブラック企業なんてものが大量にのさばる現実なんて、もっと変えれるはずなのに。健常者の頭にはそんなものがないのでしょうか? だから病人達の扱いは、病人だから仕方ないが、しかし「甘ったれた生温い温情だ」という目線があると思うのです。

論理も倫理も、とにかく常識として必要とされるその能力が分かれば私はとっくの昔に普通に健常者に混じれたと思っております。過去の質問にも記述しましたが、彼女達に迷惑かけることなんてなかった。自分にもあんな不幸を呼び寄せることなんてしなかった。できないから悔しくて悩んでるんです。ここでもちゃんと場所を選んで等身大の自分で、とある質問以外は頑張って丁寧に説明したつもりでした。それでもまだ普通達には届かなかった。悔しいです。

論理とは言葉の意味を別の形でも捉えられるように、幾つも思考を展開し、真理を探れというものなのですね。ならば、なぜ私の言葉は論理ではないのですか? 貴方達も私の言葉を「抽象的に」と一言で突っぱねてるじゃないですか。何度も言うが、アスペルガー、メンタルヘルスの場所、そして貴方は教員だそうですね。じゃあ読み取ってくださいよ。私が通う先生もそうだ。なぜ読み取ってくれない。そこから読み取ることが仕事だというのに。手伝ってくれるんでしょう? 私だって悔しいですよ。頑張って説明したのに抽象的だ言葉遊びだなんだで分からないだなんて、俺は常識どころか、人の言葉まともに扱って話せないのかと涙します。遊んでなんてない。何なんだよ。悔しいよ。俺は普通じゃない。なぜそれを分かっていながら、俺に分からないように言葉を渡してきて、俺の言葉を分かってくれないんだって、辛いです。私からしてみれば、貴方達のほうがアスペルガーのようです。

悪意無いって貴方は分かってくれたじゃないですか。私も悪意はないって伝えました。ほら、ここでも意思が繋がってる。伝わるんですよ、私の言葉は。なんでここだけ貴方は解ってるんです? 

アスペルガー全員は悪人だって誰も言ってないです。私個人、そして私が持つアスペルガーは、からみ合って私を作っています。それが皆さんには厄介かもしれませんが、どうか手助けをくださいという意味です。って意味です。

恐らく貴方の「好き」という言葉は「知的好奇心」という欲求だ。「愛」じゃない。
貴方と私は其処だけ同じ臭いがする。私も愛を知らなかった。だから同じような人はなんとなくわかります。

お礼日時:2014/01/02 16:43

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