アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんにちは。

子どもに何か話すと、「なんでー?」「どうしてー?」と返されることありますが、
あ、そうか。こんな事言っても解らないか。。と思い、言い方を簡単にしたり、
説明すると思います。

子どももだんだん、小学生も高学年に近づいてくると、「なんでー?」「どうしてー?」と返す子も少なくなりますが、相変わらず多い子がいます。

なんで、この子だけ多いんだろうとモヤモヤしてきましたが、
理解力・想像力が無いというより、

1.何でもとりあえず聞き返してる。(コミュニケーションをとりたい。)
2.急な声掛けに聞くまでの準備が整わない。(要するに「もう一回言って!」に近い)

ような気がしてきました。
2は、そもそも声掛けは急に話しかけるものではありますが、話す時に、同じキーワード(例えば、必ずその子の名前)を言ってから話すなどすれば理解しやすいでしょうか?

それとも、何か別の理由なのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

No.7,9,10です。

ご返信ありがとうございます。
No.7の回答が分りにくかったということなので補足します。
更に分りにくくなったら…すみません、そのときはご容赦願います。


【私見1】<人の感情や物事を正確に把握したい・曖昧さや不確実さを嫌う>

・話題を振られたときに、どこにポイントを置けば良いのか咄嗟に判断できない。
 (話題のテーマが理解できない
  =話し手が何に注目して欲しがっているのか解らない・意を汲むことが苦手

・相手がどんな返事を期待して話題を振っているのか解らない。
 
 →自分がどう受け答えしたら良いのか解らないので、
  判断材料を具体的に引き出そうと考え、相手に質問を繰り返してしまう。

 →相手が求めていることが充分に理解できるまで
  質問を繰り返すよりないと感じている。

 →会話する以上は引っ掛かりなく、全て理解したいと考えてしまう性分。
  話者と同じ感覚を共有したいと思ってしまうので、事細かく質問してしまう。

~『間違うことを恥と感じているので、質問の意図をハッキリさせてから返答しようと質問攻めしてしまう』ということが考えられます。~

他に、次のようなケースもあります。
個人的には、ご質問の女の子はAに近いタイプではないかと推測しています。
Bは頑固とか我儘と言われてしまう人に多いです。

A『人は人、自分は自分という感覚(自我)がまだ未発達』なので、質問を繰り返せば自分を納得させられるだけの解を相手が持っていると考えている。

B『見解の不一致が苦痛』なので、相手が自分に合わせてくれることを無意識に望んでいる。(形式上は質問であっても、実は相手の考えを訂正させたい、修正させたいと考えている。)

**

【私見2】<『会話=質問』・『感想=質問』という
         独特なコミュニケーションスタイルを持っている>

人が話をするときは、必ずしも意見を求めているとは限りません。
また、同意して欲しいから話をしている訳ではないということも、ざらにあります。
ただの「ぼやき」だったり、「感想」だったりと「他愛のない独り言」を言っているときもあります。

相談者さんが会話の例に出している「今日は晴れてよかったね」などは「挨拶の感覚」で使う人もいます。
「おはよう」には「おはよう」の感覚で、「みんな元気?」のように、ちょっとした会話の切っ掛け作りとして活用する人は多いでしょう。

話者の方は言い終えたとき、周囲の人に向かって「ぜひ、教えてくれ! 正解を出してくれ!」などとは思っていません。でも、自分が話者の近くにいるだけで、話者の一言一句が全て質問だと真面目に(もしくは深刻に)受け取ってしまう人もいます。例え、それがこちらの独り言(つぶやき)であっても。
そういうタイプを例にしたのが、この【私見2】です。

こういう人は真面目なタイプなので、自分が話し掛けられていると思ったら返事をしなければならないと考えます。そして会話中に「ね」とか「か」を付けられると、強調や感嘆の意味とは受け取らず、ほとんど全部を質問として受け取ります。イントネーションの違いから判断することが不得手なのです。

例えば子どもが居間で「このレポートは、こんなもんで良いか!」と伸びをしながら、仕上げを終えたとします。もちろん独り言(自分に対する言い聞かせ)だし、子どもは「まあ、ここまで頑張ったんだし、まずまずの出来だ!」と納得しているのです。

でも、【私見2】のタイプの人は自分が近くにいたこと、相手が「か」で言い終えたこと(=疑問形という刷り込みが頭の中に出来上がってしまっている)に反応して、「これは自分に対する質問なんだ」と真面目に受け取ります。

忙しければ「そんなこと、俺に分るわけないだろう! 自分で判断しろ!!」と怒り、気持ちに余裕があれば「どれ? 見せて」と返事をする、そういうタイプです。
他に集中していたり、聞こえていなければ何も言わないのですが、同じフロアにいれば、相手が背を向けていても自分が話し掛けられた、質問されたと受け取って「今の自分が考え得る精一杯の返事をしなければならない」と考えてしまう真面目な人なのです。

言葉を心の中にしまわないで「まあ、ここまで頑張ったんだし、まずまずの出来だ」まで言い切ってしまわないと、【私見2】のタイプの人には発言者の真意は伝わらず、面倒なことになってしまうことがあるのです。
_______________

幸い、ご質問の女の子は怒り出したりしないようですが、「なんでー?」が多いのは、「相手の会話をなんでもかんでも質問と受け取ってしまうからかもしれない」と思ったのは、私が【私見2】のタイプと日頃接して来たからです。

一緒にいるときは、こちらが語尾に来る言葉に気を付けて話さないと、なんでもかんでも疑問形に受け取られてしまうのです。イントネーションで判断するということはしてもらえないので、先の回答でも書きましたが「か・しょう・ね・ねえ・よ・よね・の」などを語尾に持ってこようものなら、思いもよらない方向に話が展開して、面倒なことになることがしばしばあります。

本人も「疑問形に聞こえる言い方はしないで欲しい。言い切る形で話して欲しい」と言います。「話をしている側にその気はなくとも、語尾が疑問形と同じ形になっていれば、自分は質問されたと思ってしまうし、答えなければいけないんだとストレスを感じる」ということなのです。


女の子は会話をしているときは【私見2】のタイプのように、なんでもかんでも質問のように聞こえているのかもしれないです。傍から見れば「なんでー?」ばかり繰り返す女の子の方が質問ばかりしているように見えるけれど、女の子にしてみれば、皆が自分に向かって質問ばかりしているように感じているのかもしれません。だとすると、「なんでー?=質問されても分からない」という意思表示と考えられます。それは、女の子からしてみれば「疑問の余地もないほど明快に、整理した上で話して欲しい」ということです。

質問されたと受け取った側も、分らないときは「分らない」、知らないときは「知らない」、違うと思うときは「違うと思う」と返事をするか、一理あると思うときは「そうかもしれないね」、今一つ疑問が残ることには「それはどうかと思う」と返事をすれば良いのですが、女の子には、そういう選択肢はインプットされていないように思えます。女の子は真面目な子だから、疑問にがっぷり向き合ってしまって、他の返しが思い浮かばないということも考えられます。

一時保留するということができなくて、何か引っ掛かりがあると、それが解けないことには先に行けないという性分があって、質問を繰り返してしまう、そういったことも考えられます。


何れにしろ、「なんでー?」で返すのが楽なのでしょう。
それは「相手の話を聞いたという意思表示」でもあるし、「なんでー?」を繰り返せば、チャート式みたいに相手がどんどん答えを導き出してくれて、その先にはゴールがある訳ですから。
…すると「丸投げ」ということも考えらます。
「私じゃなく、あなたが考えてよ。あなたが答えを導き出してよ」と。

『人に聞くということと自分で考えるということが同義になってしまっている』のなら、返答らしい返答はせずに『質問ばかり繰り返す』というのはあると思います。
『自分から意見を言う楽しさ』を知ったなら、『質問ばかり』というのはないと思います。女の子は自信が足りなくて、『自分から意見を言う楽しさ』を知らないだけなのかもしれないです。
___________

強制じゃありませんが、学童保育の話でしょうか?
もしそうなら、テーマを決めて作文を書いてみんなの前で発表するということをしたり、学級会のようにディスカッションをすると、その子も『自分から意見を言う楽しさ』を経験できるのではないでしょうか。

発達障害については学校の担任でもない限り、仰る通り、なかなか家庭に直接働き掛けることは出来ないと思います。それに、微妙な子の場合は小学生の間は診断が難しいと言います。中学生になってから落ち着いて来る子も多いと言いますので。

「なんでー?」というにのは、相手の反応を見てから行動するという発想があるように思えるので、その女の子には「ここは、自分から意見を言っても良い場なんだ」と思える雰囲気づくりと言葉掛けをして行くと、もっと自発的な言葉が引き出せそうに思えます。掲示物を作ったり貼ったり、プリントを作成したり配ったりなど、お手伝いをしてもらうのも良いかなと。
調理実習が出来るなら、それも楽しそうで良いかなと…。

作業する以上は「なんでー?」だけじゃ会話できないし、自分から意見を言う場面がどうしたって出て来ますので。
自覚を促すことが出来れば、会話に変化をもたらすことができるのでは?と思います。


No.9の補足の件ですが、興味深い視点でお話を聞かせていただき返信したい気持ちがあるのですが、上手く言葉に出来ず…。

>(でも、幼い頃に母と別れた子は、質問しても何も帰らない。何も見つからない。
そう思ってるのか、自分から発することをしないように感じたこともあります。)

これに関しては、そのまま「喪失感」ということなのだろうと思います。
お母さんから肯定されている女の子の方が、落ち着いて上手に話をする子が多いように思います。

>じゃあ、子どものそれは、何が反転して表れだろう?

「(本当の)私を見て!」じゃないでしょうか。
でも「なんでー?」ばかりだと、それが難しいし、片思いみたいなもんですよね…。

この回答への補足

ありがとうございます。
返事が遅くなりすみません。
視野が広がった気がします。
そして、子どもを見つめる事の面白さをあらためて感じます。

こんなに良い文章を書いていただいて本当に嬉しいです。
今後、またその子を見る機会が楽しみです。

補足日時:2014/10/24 19:00
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この回答へのお礼

みなさまありがとうございました。
良いご意見ばかりいただいて。。

こういう質問は、質問者責めの流れになることも多いですが、
一緒に考えていただけたような感触があり、、
こういう流れになるカテゴリーであるといいなあと思います。

また機会がありましたら、よろしくおねがいします。

お礼日時:2014/10/24 19:02

~こちらはNo.9の続きです~



化学や物理のような「なんでー?どうしてー?」は噛み砕いて教えてあげたり、一緒に実験したり、調べ方を教えてあげるので充分でしょう。

しかし、人間自身に対する「なんでー?どうしてー?」は、『他の答えや他の反応が知りたいばかりに言っている』ということもあるのでしょう。
サンプル集めと言ってしまうと無味乾燥になってしまいますが、『いろんなバリエーションが知りたくて、つい言ってしまう子もいる』のではないかと。

もちろん、『一見、質問しているようでありながら、自分のことを知って欲しくて言う子もいる』と思います。ご質問の1のケースなどが該当すると思います。
深い意味はなくて、単純に家族の口真似や影響ということもあるかもしれないですが…。


私は幼い頃は「なんで? どうして?」が多い子だと母親から言われましたが、これに関しては母親からの影響も多少はあったとは思います。
母親からは「なんでおまえは、どうしておまえは」という問い方をよくされたので。
母からの「なんで」は大抵はお説教の導入部で、質問だと真に受けて答えようものなら、「言い訳しないで私の言うとおりにしなさい!」で締めくくられるのが落ちでした。「(最初からお母さんの中に答えがあるの)だったら、聞かないでよ!」って感じでした。

子供の頃の私の「なんで? どうして?」は人ではなく、“自然科学的なことに向けられていたので答えを教えてもらうのが楽しかった” けれど、「なんで、どうして」が “自分に向けられるのは嫌” でしたね。一生懸命、真面目に答えても「違う」と言われてしまうことが多かったからです。
「自分のことを聞かれたから真剣に答えたのに “違う” と言われたらどうしたら良いんだろう?」と。
そんな風に子どもの頃は、自分い向けられた「なんで? どうして?」が質問ではなく『詰問や同意の強要』だとは気が付けずに、落胆したり、肩透かしを食ったようになってしまうことがよくありました。

今だから分ることですが、母親からは「なんでおまえは、どうしておまえは」ではなくて、「私はこうしたら良いと思うけれど、お前はどういう風にしたら良いと思う?」という言葉掛けをしてもらえたら、こちらもすんなり母の考えを受け入れることができたんじゃないかと思います。
______________

大変前置きが長くなってしまいましたが、質問者さんが一番お聞きになりたかったのは背景よりも実践的なことだと思います。
今回のも実体験と絡んでいるので、初回のときのものと内容が多少被っていますが、

>話す時に、同じキーワード(例えば、必ずその子の名前)を言ってから話すなどすれば理解しやすいでしょうか?

それにプラスして、「○○ちゃんは××をどう思う?」と必ず言葉を添えるようにすると良いと思います。質問者さんから意見を言うときには「私はこう思うけれど、○○ちゃんの意見も聞かせて欲しいな」と。折角、会話する機会が持てたのに「なんでー?」「どうしてー?」ばかりで話が終わってしまうのではもったいないですし、そうすれば、その子も落ち着いて自分のことを話をしてくれるのではないかなと。

「なんでー?」「どうしてー?」ばかり返って来るのは、その女の子には、切り返し方のバリエーションがまだ少ないだけなのかもしれないです。家族の口調が「なんでおまえは、どうしておまえは」と詰問調だと、子どもの話し方にも影響が出て、「なんでー?」「どうしてー?」が増えることはあると思います。

その子の場合は他にも会話の方法があることを知り、そうした方が楽しいという経験を積むということが不足しているだけなのかもしれないです。相談者さんの方で言葉掛けを工夫して、その子も本当に楽しいという実感が持てれば、その子が自分から方法を真似て取り入れるのではないかと。それで、会話が弾むようになれば、コミュニケーションの取り方のバリエーションも自然と増えて行くと思います。

「○○ちゃんは××をどう思う?」と実際に言葉掛けをしても、きょとんとしていたり、つまらなそうにしていたら、他人との会話の繋げ方が分らないのでしょうね。
返事はするのだから、緊張が強いのとも違うように思えますし…。
そうなると、真似ることや応用が不得手なのか、とても慎重な子で変化が苦手な子なのかなぁと思います。

その子が真似ることや応用が出来ないから、未だに「なんでー?」「どうしてー?」をやってしまっているのだとしたら、先の回答者さんが仰っていたように、スクールカウンセラーのような専門家に相談することを考えた方が良いのかもしれません。
保護者に対して働き掛けた方が良いのか、そこまで介入しないで今できることだけをした方が良いのか、そして、それはどういうことなのか、その辺りのことも相談に乗って頂けると思います。

既に良回答が幾つもございますので再度投稿するのはどうかと躊躇しましたが、補足的に捉えていただければと思います。数あるケースの事例の中の一つとして役立てていただければ幸いです。

 それでは長々と失礼いたしました。

この回答への補足

ありがとうございます。
自分では思いつかないお話しが大変参考になりました。

私の立場上、出来る範囲は限られています。
そして、悩みではありますが、分析できない新しいキャラが面白く興味の対象になります。

補足日時:2014/10/21 18:28
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何度もすみません、No.7です。



その子その子で様々なケースがあるので「これだ!」ということは出来ませんし、後押しでもないのですが、私が長らく疑問に思っていて、でも人に聞いても仕方ないことと感じていた疑問が解けたと思えたので、書き込ませてください。

こちらの回答者さんのご意見の『納得できないと何度でも “なんで?” を繰り返す』ケースは確かにありますね。 なるほど! 目から鱗です。
パズルのピースが繋がったようにスッキリしました。

自分に同意して欲しいから何度でも「なんで? どうして?」と言ったり、逆に相手の考えが受け入れられないから「なんで? どうして?」という子もいますね。
見落としていたけれど記憶を遡れば確かに、あれはそういうことだったんだと思います。
_______

一つ目は小学校の低学年の頃の話なので、ご質問のケースの参考になるかどうかわかりませんが…。

私が小学校のとき、クラス替えで初めて同じクラスになった子の中に、くせ毛の女の子がいました。以前、見掛けた外国の小さな女の子たちの髪は軽いウェーブだったけれど、その子のは、もっとくるくるとしていて、それが毛先まで続いていたのです。
同じ日本人なのに、外国の映画や童話に出てくる女の子みたいに見事な巻き髪をした、その女の子がとても不思議で、たちまち頭の中は疑問で一杯に。

でも、初見でいきなり本人に聞くのは失礼に思えたので、帰宅後、母に
「クラスにね、まるで朝顔のつるかバネみたいに髪がくるくるっとした女の子がいるの。どうして、髪がくるくるしているんだろう? あんな髪をした子、初めて見た」
と聞くと、
「ああ、その子の髪は生まれつきなんでしょう。そういうのをくせ毛と言うのよ。日本人はくせ毛の人は少ないけれど、生まれたときから髪がくるくるしている子もいるのよ」と。

「ああ、そういえば、あの女の子は、みんなに髪のことを聞かれて “生まれたときからこうなんだ” って言ってたっけ。そっか、日本人でも髪がくるくるして生まれてくる子もいるんだ」と私は納得しました。
生まれつきのことを “なんで?” と聞かれたって、本人の所為じゃないし他に説明のしようもないことだと思ったので、私はそれで満足できたのです。

けれども、翌日も、そのまた翌日も、ずっとその子はクラスの女の子たちの質問攻めに遭っていました。
「本人が生まれつきって言っているのに、何でみんな、あんなに何度も同じことを聞くんだろう? 生まれつきは自分で望んでそうなるのでもないし、自分で変えられるわけでもないのに。何度聞いたって答えは同じなのに。変なの!」と私は思っていました。

私は、女の子がみんなにしている説明と母の説明が一致していたのと、その子の髪がいつ見ても同じで不自然に思えなかったから、「生まれつき」で納得できたけれど、クラスの女の子たちが思うことは別にあったのかなと、回答者さんの『納得できないと何度でも “なんで?” を繰り返す』のケースを拝見して納得できました。

“なんで?” には、
『自分にないもの、経験のないことに対する “純粋な疑問としてのなんで?” 』
『いや、そんなわけないだろう、それだけじゃないはずだと “疑惑から生まれるなんで?” 』
と両方ありますね。

その当時はパーマを当てる子供はいなかったし、今みたいにナチュラルな巻き髪に出来る技術がなかった(昔のパーマはバリバリかボリュームあり過ぎだった)から、私はその女の子の言葉に納得できたし疑ったりしなかったけれど、何度も同じ質問をしていた子は「生まれつき」というのが信じられなくて、「実は、パーマをあてている」という返事を期待していたのかもしれないです。
パーマじゃなくても「毎朝、髪をセットしている」とか、何か秘密があると思っていたのなら、何度も同じ質問をするということはあるでしょうね。

私の場合は「母がその子と同じことを言ったから納得できた」というのは大きいです。もし母が「生まれつきじゃなくてパーマじゃないの? それかセットでもしているんじゃない? そんなにくるくるした髪の子は日本人にはそうそういないよ」と返したなら、その子の言葉を信じずに「そうか、あれはパーマなのか。それにしても随分上手なパーマ屋さんもいるものだ」と思ってしまったかもしれません。

ずっと私は「みんな理解力がないんだ」ぐらいにしか思っていませんでしたが、もしも質問攻めしていた女の子たちのお母さんが「生まれつきじゃなくてパーマじゃないの?」と返事していたのなら、その子が嘘を吐いていると考えた子たちもいたのではなかろうかと。…一番信頼している人の言葉を子供は信じますので。
それとは別に、そこまで意地悪な気持ちはなくて、ただ純粋に「自分もくるくるした髪になりたくて、どうしたら同じような髪になれるのか知りたい」と“何度も質問攻めにしていた子”もいたんだろうなぁとも思いました。
質問攻めには、ときには『対象に対する嫉妬や憧れ』が引き金になっているケースもあるのではないかと。

~こちらは別件です。
上記のことは交流を重ねる(相手をよく知る)ことで、時間が解決してくれることだと思います。けれども『一番信頼している人の言葉を子供は信じる』の延長上で思ったことですが、『両親の価値観が真っ向から対立』していたり、死別や離婚で『養育者が途中で変わった』ら、子どもの思考は混乱して『なんで? どうして?』だらけになってしまうと思います。そういうケースだと根深いものがあるので、単なる疑問とは片づけられず、どこまで付き合うのかは素人には判断が難しいと思います。~
______

二つ目は、当時小学校高学年だった女の子のケースです。

子どもが塾通いしていた頃の話ですが、私は車の免許を持っていないので、迎えに行くときはバスで通っていたのですが、バスの時間はなかなかタイミングの良い時間がありません。仕方ないので早めに迎えに行っていました。
塾の周りには時間を潰すのに適当な店もないので、私のようにバスで来ているお母さんたちはロッカー室で待機することが認められていました。
でも、冬季はロッカー室は冷えますし床も固いので居心地が悪いのです。
そんな事情もあって、教室が混んでいないときは、保護者も教室の空席を利用して待っていても良いことになっていました。

けれど…!!
教室で待機していると、そのことをいつも聞いて来る小学校高学年の女の子がいました。
「なんで、ここに座ってるの~??」と。
それで、私は毎回、上に書いたようなことを説明するのですが、顔を合せば必ず同じ質問…。他にもう一つ同じ質問がセットであったのですが…ここでは伏せます。
ともかく、毎度毎度同じことを聞かれるので、もううんざり。

よくみると、その子は同じ年頃の子にはほとんど話し掛けず、お母さんたちと話すのが好きみたいで、しょっちゅうちょっかいを掛けていました。
でも、どのお母さんも軽く受け流す感じで、あまり会話はしません。

「そうか、私が懇切丁寧に答えるから何度も聞いて来るんだな。別に答えを知りたいわけじゃないんだ…」ということには早くから気が付いたのですが、それにしても同じことを聞いても同じ答えしか返ってこないのに、それを飽きずに繰り返すその子のことが不可解で。

もしかしたら、その子は「不便なら、免許を取れば良いじゃない」とか、「課題が途中でも、バスの時間に合わせて子どもと一緒に帰れば良いじゃない」と思っていたので、私が教室で子どもが課題を終えるのを待つのが不思議だったのかもしれません。
「教室で待ってても退屈だから、他にもっと良い方法を考えれば?」と。
そこまで具体的に考えてはいなかったかもしれないけれど、大抵のお母さんたちは自家用車で迎えに来ますから、時間効率の悪い方法を取っている私が理解できなかったのかもしれないです。
おそらく、『事情は人それぞれ』という感覚が、その子にはいまいち分らなかったし、受け入れられずにいたのではないかなぁと。

何度も塾に子供を迎えに行くと、他の生徒さんのお母さんが迎えに来る場面に遭遇するのですが、私は、その子のお父さんにもお母さんにも一度も会ったことがありませんでした。私が行く時間帯だと、その子はよく席を離れてブラブラと余所のお母さんに話し掛けていて、課題はとっくに終わっているようでしたので、その子の場合、家庭の事情で塾が託児所みたいな場になっていたんだろうと思います。

ご質問のケースの女の子と重ねてはいけないのかもしれませんが、その子の場合「なんでー?どうしてー?」は『退屈しのぎ』だったように思います。
寂しかったんでしょうね。
『なんで、みんな同じじゃないの?』という気持ちもあったのかもしれないです。

 ~大変申し訳ございませんが、文字数制限内に収まらなかったので続きは後で投稿させていただきます。

この回答への補足

ありがとうございます。

ちょっと、思いついたんですが、、
質問攻め。それは、溜めていたものを爆発(開放)している?

普段、疑問を抑えている、もしくは、疑問を感じさせないように周囲がしている(良くも悪くも)場合、
聞いてくれる(もしくは聞いてくれそうな)人に会ったら、つい堰き止められてたものが、一気に放出。(それが「何で?」)

飲み会でも、良いお歳で長くパートナーがいない女性は、男性を質問攻めにするシーンありますね。(笑)
それが止まらなくて、相手の男性が引いてるのも気づきながらも、止められなくて、、
質問攻めにして場を潰してしまう。

じゃあ、子どものそれは、何が反転して表れだろう?

(でも、幼い頃に母と別れた子は、質問しても何も帰らない。何も見つからない。
そう思ってるのか、自分から発することをしないように感じたこともあります。)

せめて、何を欲してるのか予想でもできればと思います。

補足日時:2014/10/20 19:55
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理由が知りたいのではなく、自分の意見と違うことが納得できない場合があります。

その場合は何十回でも「なんで?」と繰り返します。言葉通りの質問なのかどうか見抜かなくてはなりません。

この回答への補足

ありがとうございます。

ですので、自分で予想するのは限界もあり、このようにヒントを得るべく質問させてもらってます。

補足日時:2014/10/20 19:37
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まだ回答が2件しかないときに回答を書き始めたのですが、用事で中断している間に沢山投稿があったのですね…。

他の方の回答はまだ拝見していませんので、もしかしたら内容が被っているところがあるかもしれません。申し訳ございませんが、このまま投稿させていただきます。
_________

会話のキャッチボールが成立しているように思えないということですか?
ここに書かれていることだけで決め付けはできませんので、参考意見になりますが、No.1さんへの補足に書かれているその子の普段の様子は、自閉症スペクトラム(アスペルガーや高機能自閉症)やADHDの子どもに似ているように思えます。
大人もそうですが、子どもならそういった傾向が全くない子の方が少ないので、専門書を読めば参考になることが沢山見つかると思います。
…しかし、それもあくまでも参考であって、一人一人の個性や背景は違いますので、当人と長く付き合わないと理由は解りませんよね。
ですから以下に書くことも参考として受け取って下さい。


>例えば、外で特別な内容の事をする時に、「今日は晴れてよかったね。」と言うと、
他の子は、「良かった!」「うん。でもちょっと暑い。」等と返す歳なのに、
「なんでー?」と返すような感じです。

質問者さんに対しては「どうして、そんなことを聞くの? 晴れていると、どんな風に良いことがあるの?」と、単純に『質問の意図を聞いている』んだと思います。
もしも、その場で返答した他の子たちにも、その子が「なんでー?」と問い返したのだとしたら、これも単純に『感想の意図を聞いている』ように思えました。

>それとも、何か別の理由なのでしょうか?
質問者さんが挙げた理由以外に思いつくものを2点書き出しました。


【私見1】<人の感情や物事を正確に把握したい・曖昧さや不確実さを嫌う>
直ぐ上で書いた考察を踏まえて思ったことですが、
“その子は自分一人の想像や憶測では満足できなくて、『人の感情や物事を正確に把握したいという気持ちが人一倍強い』ということが考えられます。
想像や憶測は自分一人の思い込みで間違っていることがあるし、話をする以上は内容をすべて理解できていないと、スッキリできない子である”と。


【私見2】<『会話=質問』・『感想=質問』という
         独特なコミュニケーションスタイルを持っている>
こちらは感想を述べているだけなのに『自分が質問されていると受け取る人』もいます。その子はもしかしたら、そういうタイプなのかもしれません。
質問者さんは感想を言ったのだから、感想には感想を返せば良いと考えるのが一般的ですが、その子は自分が質問をされたと受け取り「えっ? 何が良いの???」と混乱して、「なんでー(そんなこと聞くの)?」と返事をしたということが考えられます。

具体的に書き文字で表現しますと、

他の子には
『今日は晴れて「よかったね!・よかったね♪・よかったね☆」』
のように「ね」が「感動詞」として弾んだ調子で聞こえていたのが、

その子だけには
『今日は晴れてよかった「ねえ?」』
のように「疑問形」として聞こえていたのではないかということです。


「ね」の意味が取りづらく勘違いしてしまう子もいますので、質問者さんがその子がいる場でみんなに話しかけるときは「ね」はなるべく使わずに、
『今日は晴れて気持ちが良い~! みんなは今日のお天気どう思う?』と「具体的に言い切る形」で話し掛けると「なんでー?」の返しは減ると思います。

そういう子には、疑問に一つ一つ丁寧に答えて行くのも対処法ですが、逆にこちらから、そんな風に質問を返してみるのも手だと思います。
_____________

こちらは【私見2】の補足になります。
この【私見2】のタイプの人が身近にいます。
それは主人なのですが、私の周囲には他に似たタイプの人がいなかったので、一緒に暮らしていて面食らう場面が多々あります…。
私が「ああ、そういうことかぁ!」とニュースを見ていて感想をもらそうものなら、夫からは「そんなこと俺に分るわけないでしょう!!(怒)」という反応がよく返って来ます。

こちらは『尻上がりのイントネーションで話していない=疑問形のつもりは全くない』のにも関わらず、夫は自分が一番近くにいたという理由で「私から質問された」と受け取ってしまうのです。私は『テレビ画面から視線を移さず感想をもらしている』のであって、『主人の顔を見ながら話していたのではない』のにも関わらず…。

子どもたちも、実家の家族も友人も、私がテレビやドラマの感想を言っても質問とは受け取らないのに、主人だけは質問と受け取って「俺に分るわけないだろう!!(=何で俺が知ってると思うんだよ!)」と怒り出します。
主人は身近な人が感想や意見を言うと、何故だか自分に対する質問と受け取ってしまうのです。しかし、遠慮があるような間柄だとそういうことはなく(実際、交際中はそういうことはなかったので)、他人相手だと情況を判断しながら応答しているのですが、家の中でまで状況を読むという面倒なことはしたくないのだろうと私は推測しています。

「イントネーションの使い分けで感情表現して、相手もそれを理解するという、それが当たり前になっていた」私には、主人の反応が以前は理解できませんでしたが、世の中には星の数ほども人がいるのだから『表情が読めない人がいるように、視線やイントネーションによる感情表現が分らない(もしくは、かなり集中しないと読み取れない)人もいる』のだと今は解釈しています。
つまりは『詠嘆や感嘆が疑問形に聞こえてしまうということ』なのだと。
そういう人が相手のときは、「か・しょう・ね・ねえ・よ・よね・の」などを語尾につけて話さないようにするのも手です。そうしないと疑問形と勘違いされてしまうので、話がややこしくなります。(余談ですが、夫のような人には文章でコミュニケーションを取った方が誤解なく伝わるのだろうなと思います。文章なら疑問符や感嘆符が付けられますので違いは明快なので。)

とはいえ、口調というのはアイデンティティーと結びついてしまっているので、咄嗟に直すのは難しいし、感想をもらす度に一々クレームを付けられるのも疲れるので、「ああ、これ唯の感想だから気にしないで!」とすぐさま付け加えるか、「最初から感想は延べないようにする」などでやり過ごしています。
どちらにしろ疲れますが、一々ケチを付けられるよりはマシなので。


私事を挟んだので横道にそれましたが、世の中には『会話=質問』と受け取ったり、『感想=質問』と受け取る人もいるということを知っておくと「なんでー?」をたくさん返されても、『向こうはそういう性分なんだから仕方ないんだな』と受け取ることができると思います。
何度も返されると疲れますが、こちらの口調がアイデンティティーと結びついてしまっているように、「なんでー?」と言ってしまう側も、それがアイデンティティーの一部になってしまっているのでしょう。

【私見2】の後半に具体的な対処法を書きましたが、試してみてください。
次にうっかり「今日は晴れてよかったね」と「ね」で終わる言い方をしてしまっても、すかさず「ああ、これ私の感想。晴れて嬉しい。みんなは?」と言えば、その子も「なんでー」とは言わないと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。
ご回答を今後も参考にさせていただきます。
(せっかくの貴重なご意見を、恥ずかしながら今全て理解できてない気がしますので。)

始めに挙げていただいた可能性(※ここでは以下「発達障害」とまとめて表記します。)は、
私のように学校教員ではない者は、観察する時間も限られており、、
まさか、親に「お宅のお子さん発達障害?」やその子を知ってる人に「あの子もしかして」と情報を得ようとするのは、事実上不可能です。

そして、自分で「あぁやっぱりそうなんだ。」と確信する時には、かなりの時間が経過してるでしょう。

他に、なんだか変な子だけど、それは成長過程のほんの一時期で、数年後に久しぶりに会ったら、
ずいぶん、立派になってる例もあります。

観察期間も十分に無く、専門性も突き詰められない立場では、やれることは限界があります。
限られた時間内に出来る事は、誤解の範囲を最小限に留めることなのかもしれません。

でも、これは、私の悩みではなく、過去になかった新キャラは興味深い対象でもあります。

補足日時:2014/10/20 19:35
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支援学校教員です。



何かの先生でしょうか?

あなたが教育者で、理由が1か2だと思われるのならば、

>そもそも声掛けは急に話しかけるものではありますが、話す時に、同じキーワード(例えば、必ずその子の名前)を言ってから話すなどすれば理解しやすいでしょうか?

を試されてはいかがでしょうか?

広汎性発達障がいの子など「全体での口頭指示を、理解しにくい」ことがあります。

まず、注目させ、特に「その子の名前」を呼び、具体的なキーワードを明示する。

例えば「ハイ、注目~ いい、今から話すね。○○くん、聞いてね~ 今日は××について…」など「××」と書かれたカードを見せるでしょうか。

それでも「質問を繰り返す」などならば、違う理由なのかもしれません。スクールカウンセラーにご相談ください。

ご参考までに。

この回答への補足

ありがとうございます。

週5日ほどは会えませんが、試してみたいと思います。
あと、家族とのやりとりもあまり見ることができないので、謎が深まります。
当然、指示を受け、即行動するようなスポーツは習っていないようです。

ふわっとした家庭なんでしょうか。(ふわっとしていられる。)

補足日時:2014/10/19 17:38
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>「今日は晴れてよかったね。

」と言うと、
>「なんでー?」

なんで晴れるとうれしいの? と聞き返してるんじゃないですか。

その子は雨の方が好きなのかもしれないし、暑いのが嫌なのかもしれない。
また、別にお天気なんかどーでもいいと思ってるかもしれない。(雨降ったら傘させばいいだけ)
そこへステレオタイプに 「晴れてうれしいね」 と言う大人が現れたら、なんでーと返す気持ちはわかるような気がします。
だからその子が求めてるのは、なぜ晴れるとうれしいのか (なぜ雨だといけないのか) の論理的説明だと思われます。
雨だとびしょぬれになっちゃうでしょ、傘をさしても手がふさがるから不便でしょ、というところまで言いきってやって初めて、そういう子は 「なるほどわかった」 と納得するように思います。

あるいは、それでもまだ 「なんでー」 と聞いてきたら、なぜびしょぬれになると困るのか、べつに放っときゃ乾くのだからいいではないか、と思っている可能性が高いので、なぜ雨に濡れると困るのか、の論理的説明を返してやる呼吸になります。
少なくとも、その子が求めてるコミュニケーションはそれでしょう。めんどくさい話ですが、未来のエジソンやピカソに化ける気もちょっとしますね。
こういう子はアスペがかってることが多いので、ひとりでぼーっとしてる時間が多いのはわかる気がします。

この回答への補足

やっぱり例を作ると、そこが論点になっちゃうんですよね。
出さなきゃよかった。

アスペで片付けるのは、簡単ですが、もっと探りたいですね。

ありがとうござます。

補足日時:2014/10/19 17:29
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会話は言葉情報を逐語的に理解するのではなく、不足する言葉や背景情報などを瞬時に Image することで成り立つ Communication 手段です。



文章では何度も読み返す (反芻する) ことによって前後の脈絡から Image を膨らませて理解度を高めることができますが、会話は Real Time で充分な Image を得られないことには成り立ちません。


ちょっと変な例になりますが「英語で聞いている」と言うようなものでしょうか。

中学・高校・大学と 10 年、週 5 時間弱の年 200 日で約 10 年と換算すると 1 万時間以上も英語に接している筈の大の大人でも「辞書を引き引き文章を解読するのであればなんとかなるけれど、会話は殆ど無理!」というのは「聴く耳、話す口」の技術が Master されていない、言い換えれば「情報伝達に必要な Image を Real Time で構築できない」というものでしかありません。

情報伝達に必要な Image を Real Time で構築できるようになっていれば Vocabulary が極端に少ない若年の子供でも英語圏の子供と Communication を図れます。

私が米国に居た頃、従兄弟の子供達の中で最も早く米国環境に溶け込んだのは小学 3 年生のチビ助だったのですが「Ice Cream を買ってやろう!」と屋台の Ice Cream 屋さんに並んだ時、Ice Cream 屋さんの叔父さんが「チビ助!どれが欲しいんだ?」と笑顔で訊ねた際に、私が補助してやるまでもなく「うーんっと! これっ!」と欲しいものを指差しました。

彼に英語など解る筈もないのですが、限られた情報から必要な Image (理解) を Real Time で構築し、正しく対応したというわけです。


日本語ならば瞬時に補足情報を構築 (Image) できるのに英語となると身構えてしまったり萎縮してしまう……もっと言えば「思考停止状態」になる……大人でもよく見られる Pattern ですよね。

これは「英語力がない」のではなく、その状況に対する恐怖心が「思考停止状態」を誘導してしまうものです。

普段は問題なく会話を弾ませることができるし、説明も詳しくできたとしても、叱られている時は「何故、そんなことをしたんだ? どういうつもりなんだ!何を考えてるんだ! 何とか言えっ!」などと畳みかけられても「思考停止状態」に陥ってしまう者にとって「叱り付けられる Image がある人」に対しての対応は苦手でしょうね(^_^;)。

恐怖心までは行かなくても「躊躇心」みたいなものを誘導されられる人は、会社の上司、苦手な知人……等々……大人の世界でも対応力が急激に減衰してしまう相手が少なからず居る筈です。


そうした恐怖心や躊躇心とはちょっと違うものの「思考停止或いは急激な減衰を誘発させられる相手なのだけれど、怖い人ではないので即時に応対することに躊躇心は起きない。でも会話の間 (ま) を開けるわけには行かないと思う。」相手に対して、子供は躊躇なく「何でーっ?」の言葉がオウム返しに出てしまうものでしょうね。

軽度の対人恐怖症を考慮すべきほどのものではないと思いますが、成長して対応力という知識を身に付ける際に相手の心象を害さない別の対応法で間 (ま) を持たせる技術を身に付けさせる必要はあるでしょうね。

私は困り果てた時の顔……俯き加減で眉毛を八の字にしたような絵で描かれるような状況の顔……が「照れ笑い」の顔に見えてしまう欠点があり、気分を害して怒っている人を「えっ? とか、笑い事じゃねぇだろっ!」とキレさせることから怒っている人を相手にする際には肝に銘じているのですが、突然「何を怒っているのか理解できない」状況で怒鳴り付けらた際には誤解を解くまでの間にキレさせてしまうことがよくあります。……大人になっても突然の事への対応技術はなかなか習得できないものですね(^_^;)。

「何でーっ?」のような応答をする感覚が相手にどんな心象を与えるのかを想像できない子供は「相手をムカッとさせる」対応はどんな危険な状況を招いてしまうものか計り知れませんので、誰に対しても温和で平静な状況を維持できる性格を形成できるように環境を配慮してあげることは必要でしょう。

何度でも説明してあげたくなるような愛らしさを感じさせる対応ならば問題ないでしょうが、「コイツ生意気! もはやシバキ倒すしかないっ!」みたいに受け取られれば危険ですので……。

この回答への補足

ありがとうございます。
特定の子への対応の迷っても、なかなかその子の親や同じようにその子を知ってる人に、
あの子って、、と情報交換する場面はなかなか無いものです。

違い世界に生きているかのような感覚になることはありますね。
通じると思う話をしても、眉をハの字にして「この人は何を言ってるんだ??????」みたいな顔をされることもあります。

その子の場合、女の子ですが、友だちは、噛み合わない時は、それ以上理解し合うまで求めず、途中で諦めてるように見えます。
(諦めてると言うか、引く頃合いを知ってるかのよう。)
それも優しいんだか、ドライなんだか。
合わせる方法を探す方が、無駄なんでしょうかね。

最近は、どうやら他の大人も?と思っているようで、自分だけじゃないんだと解りました。

補足日時:2014/10/19 17:27
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補足について。


なるほどね。その子は、オープンクエスチョンに対応しない性質なのかな。
その子にとって、あなたは言葉足らずなんですよ。「今日は晴れて良かったね」には、あなたは晴れの外出が好きだとか、晴れの日の外出は面倒が無くて良いとか、晴れているのを何故良しとするのか、理由がありますよね。その理由を聞きたいのです。そんな好奇心の在り方が、その子の在り方なんです。そんな好奇心や疑問があるから、感じる事や考える事が沢山あってぼーっとしたり、忘れものも多くなる。疲れも人一倍なんです。面倒くさいし、一見とろいようですが、こんな子供は、疑問のパーツが揃った時に、画期的な答えを見つけて周囲を驚かせたりもします。
やっぱり、気長に付き合うしかないですけどね。

この回答への補足

すみません。
例を挙げると、余計違う想像されてしまう場合があるので、
なるべく例を出さないようにしてきます。
このようなやりとりはありませんし、私以外の者に対してもなので。

補足日時:2014/10/19 12:21
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あくまで一般論として、たくさん観察していると。


理系に進む子は、大人にっても「なんでー?」「どうしてー?」を持ち続けますね。
早い段階で、周囲の親や大人が「あやふやな答え」や「適当な答え」で、それを言わないようにしてしまうと、疑問すら感じなくなってしまう。不思議なことや分からないことを無視してしまう人間に育ててしまう。
 とことん、分かるように説明し、分からないときは調べる方法やどうすればよいかを共に考える姿勢を周囲の大人が持つこと。そして、そのいくつかでも納得できる楽しみを知れば、きっと科学の道に進める。
 私は、それを徹底的にしてもらえました。
 学校で習ったことの中で、日々の生活の中で生じた疑問は、母親が徹底して補助してくれました。色々な小動物も植物も育てられましたし、図書館で納得するまで調べたり、実験や観察することを・・・。

この回答への補足

ありがとうございます。
化けますかね。つかめない子は興味湧きます。

補足日時:2014/10/19 12:23
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