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古い映画や4コマ漫画に時々出てくるのですが、昔の会社に 「給仕」 と言われる子供がいます。  多分、昭和30年代頃まではいたのではないでしょうか。

大体、詰襟の学生服のような服装をして、年齢は見たところ小学生高学年から中学生くらいでしょうか。  周りの大人よりウンと背が低いです。  ほとんど皆、腰のベルトから汗拭き用 (?) の手拭いをぶら下げています。 

仕事は、事務所に勤務する人たちの下働きが多いようです。

大きなヤカンを持って、お茶の給仕 (そのため、この名称で表現されているようです) をしたり、社員の指示で書類を別の部署に届けたり ・・・

時代から考えて日本では既に義務教育化されていたと思うのですが、もしこの給仕さんたちが子供だとすれば、学校はどうしていたのでしょうか?  貧しさのために学校へ通えなかった人たちとは違うように感じています。

もしかすると昼間は会社に勤務して、夕方から夜間学校に通っていたとも考えたのですが、そもそも、そんな子供向けの夜間学校が当時は無かったように思います。

小説などに登場するたびに謎に感じる、この人たちについてお教え下さい。

A 回答 (2件)

昭和30年頃、というのがちょっと微妙ですけど・・・。



昭和22年に教育基本法が、日本国憲法に則って義務教育を9年(6・3)と定めるまで、義務教育は6年間(尋常小学校または国民学校)でした。

で、昭和20年前後に小学校を卒業した人の中には、戦後の混乱の中で主に生活困窮が原因で昼間働かなくてはならない人や家事手伝い(農作業や弟、妹の子守りなど)を余儀なくされた人たちがたくさんいました。そういう人たちは中学へ行きたくてもいけないわけですね。
体格的には栄養状態が悪い時ですから、今よりかなり小さくやせていたはずです。

その人たちのために現存する中学校に付設したものが中学校夜間学級で、それが一般的に夜間中学と呼ばれるものです。

ですから昭和30年ぐらいまではそういう人たちの中で、昼間は給仕、夜は夜間中学、という人がいたのではないでしょうか?

ちなみに夜間中学は今でもありますけど、通っている人たちの事情は昔とはだいぶ違っているようです。
山田洋次監督の映画「学校」というのがそれですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 今と違って、中学校に行きたくても行けない時代だったんでしょうね。 多分、小学校卒業後に企業に 「給仕」 として採用された人たちだったかもしれませんね。 理解できたような気がします。

お礼日時:2004/09/14 13:10

池波正太郎さんが株屋さんに勤めはじめたときがそのような状況だったのかなあと思います。


たしか、小学校しかいってなかったんじゃあなかったかと思うのですが。

なので、学校へはいかず、働き始めていた人たちなのだと思います。
家が貧しかったので、あるいは親は働いていても兄弟が多くてお金がたくさんかかったので、とか理由は様々だと思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 なるほど、小学校だけが義務だった時代かもしれませんね。

お礼日時:2004/09/14 13:07

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