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佐倉市の順天堂に、江戸時代全国からオランダの学問を学びたい人が集まった理由わかる人教えてください!!

A 回答 (3件)

初代佐藤泰然は、長崎遊学の後、江戸で「和田塾」を開設し、医学とオランダ語を教えていたそうです。

No,2さんの書いた通り、蛮社の獄で窮地に陥る前に、佐倉藩の渡辺弥一兵衛に誘われ佐倉へ移ったと言われます。佐倉藩は老中を出す名門親藩でしたが、蛮社の獄反対勢力となり、これを逃れた学生を受け入れ、保護したため現在の順天堂の基礎となりました。現在でも残る記念館は、城下町の外れにあり、当時を忍ばせます。

因みに現在の順天堂大学の基礎を作ったのは、二代目佐藤尚中で、和田塾時代の門人であり、泰然の養子でもあります。彼は松本良順の勧めで長崎に遊学し、ポンぺについて医学を学びます。維新後初代大学東校(後の東大医学部)の責任者となります。そしてこれを退任後、順天堂医院を開業して後の大学の基としました。
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ドラマや漫画の仁-jen-のモデルになったところみたいですね。



参勤交代の関係上、学問を志す人たちのほとんどが、江戸を留学先に選んでます。
江戸のほうでは、蛮社の獄で、蘭学への弾圧がありました。
結果、江戸で学ぶはずだった人たちが、弾圧回避のため佐倉に移動したとか。
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幕末、一気に外国について学ぶ必要が出て、少しでもオランダの知識がある人、ひどいケースでは、オランダ語の書物を持ってるだけで門人が集まりました。


その町にではなく、オランダ語の先生がいたためでしょう。
多いのは、長崎、次に適塾のあった大阪と、西の方が多いですよ。
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