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 先の「新撰組!」では勘定方として隊を支えてきた河合が悲しくも切腹する羽目になってしまいました。で,あのドラマを観ていて疑問に思ったのですが,なぜ前回巻物を弁償する羽目になった原田左之助に対して行なったように給金の前貸しということを武田観柳斎に対してしなかったのでしょうか?

 あの左之助への前貸しも土方には秘密で行なわれていた…ということも考えにくいのですよ。なぜなら,左之助に50両前貸ししたのは1865年9月。あのとき「1ヶ月に5両ずつ返してもらう」といっていましたが,河合切腹の時期は1866年2月で,この間半年ほど。この間に左之助が「毎月5両」のペースを守って返していたとすると隊費に返しているのは5×6=30両。つまり,あの時点でもまだ20両左之助に貸していることになり,もしこの左之助への前貸しを秘密にしているとなるとあの土方の調査で生じる誤差は50(観柳斎にこっそり貸した金)+20(左之助にこっそり貸した金)=70両になるはずです。しかし,実際は50両しか誤差が生じていないってことは考えられるのは,

・左之助が完済した。
・左之助への貸しは記録してある。

のいずれかですが,前者はあの金にルーズそうな左之助,考えにくい(そもそも30両すら返したかどうか怪しい?)。となると考えられるのは後者。ってことは観柳斎に対しても給金前貸しの形にして記録をとっておけば,あの悲劇は避けられたのでは…と思ってしまうのですが,いかがでしょうか?

A 回答 (3件)

#1さんと同じような推測ですが。


左之助さんの場合は、土方の目の前で「俺が弁償する」って公言してましたよね。で、寺の宝物であり、新選組としても弁償しないといけない、という雰囲気でした。
つまり、左之助さんの場合は、表向きは私的借金ですが、その実、公的出費に近く、給金前貸しも(土方は)黙認していたはず。さらに、借金申込時には側にいた永倉が保証人になる的な発言をしていたと思うし。

一方、観柳斎の方は明らかに私的目的であったし、1人だったので、河合さんとしても同様の扱いはできなかったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 なるほど。今回の悲劇の一因は観柳斎の味方が隊内では近藤と河合しかおらず,その近藤がいなかったことという声もあるようですが,観柳斎の唯一にして最大の理解者とも言うべき近藤がいれば公的出費の形をとれたのかも知れませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/02 21:16

武田観柳斎はこのあと粛正されるのではなかったでしょうか。


もともと思想の違う面があり、土方は武田を追い払うために、何かのきっかけを待っていたのではないかと思います。

あの日の終わりのほうで、土方が武田をにらみつけて、
「仲間に罪を着せてそしらぬ顔をしているやつをオレは絶対許さんぞ。」
とはっきり言っていましたね。
給金の前借りだけでは、法度違反になりませんので、もう一つ何か決定的な理由が欲しく、今回はわざと泳がしたのでしょう。
次回以降がたのしみです。
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この回答へのお礼

 史実どおり観柳斎が居場所をなくして粛清されるようにする,そのきっかけを作る,という狙いはあったでしょうね,三谷さん的には。どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/10/02 21:17

左之助さんの借金が「寺の宝物を壊した」ということだったので記載があったのでは・・。


また借りる時何人もの人がいたので隠しようが無かったし・・。

と、推測です。
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この回答へのお礼

 no.3の方へのお礼とかぶりますが,近藤局長がいれば「隊のために本を買う,そのために」という形がとれたのかもしれませんね。どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/10/02 21:18

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