【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。

その時の回答をそのまま引用します


<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s

マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから 
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>

わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネットでは、主にわたし同様、心の病を持った人のブログを読む。それ以外は専ら海外のアート・サイトを渉猟するだけで、WEBニュースもまとめサイトも覗くことはありません。ですから、最近の言葉はほとんど知りません。
「マウンティング」という言葉も初めて知りました。

以下リンクの記事より

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。そのため、自分よりも格下の人間をつくりだすことで、集団内での序列を少しでも高めて、上位にいるという安心感を得ようとします。」

わたしはブログを通して、自分同様に自己肯定感の極めて低い人たちを知っています。
けれども、わたしの知っている「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。

「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • >「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
    この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?

    インターネット上で記事を発信する場合。根拠の妥当性などは二次的なもので、とにかく「これこれはこうなんだ」と断定することを求められるのでしょうか?
    基本的にわたしの「反知性」には、この「断定性」への抵抗感があります。
    「マウンティングとは、ひょっとしたら、自分に自信の持てない人が、自分より「下位」の人間をでっちあげることで、自己の存在の希薄さ脆弱さを補填しようとする代償行為であるのかもしれない」
    わたしならこう書くでしょう。

    本来知性や洞察力というものは、それが蓄積されればされるほど、自己の価値観を、世界を、事物を、対象を「相対化」して見てしまうという副作用を持つものだと思うのです。

    「確たるものは何もない。」それが知の到達点ではないでしょうか?

      補足日時:2019/01/18 03:19

A 回答 (13件中11~13件)

最近の言葉はほとんど知りません。


「マウンティング」という言葉も初めて知りました。
 ↑
マウンティングという言葉は昔から
ありました。
こう言ってはなんですが、ワタシは小学生時代に
知っていました。
学校で習いませんでしたか?



「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり
「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。
ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。
 ↑
自信のある無しには、段階、程度があるのでは
ないですか。
中途半端に自信が無い人がマウンティングをやる、
ということだと思います。
全く自信が無い人は、ただただ、嘆くだけ。
大いに自信がある人は、マウンティングなどする
必要を感じない。



「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、
自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?
 ↑
自己顕示欲がある野心家、というのはその通りかも
しれませんが、自信の有無はどうでしょう。



「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?
 ↑
科学的に調査したわけでは無いでしょう。
中途半端に自信があるひとが、そういう行動を
とるのを見聞しただけだと思います。




本来知性や洞察力というものは、それが蓄積されればされるほど、
自己の価値観を、世界を、事物を、対象を「相対化」
して見てしまうという副作用を持つものだと思うのです。
  ↑
それはありますね。



「確たるものは何もない。」それが知の到達点ではないでしょうか?
  ↑
到達点なのですから。

確たるものは何も無い、を越えて確たるものを
得るのが到達点だと思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。

>こう言ってはなんですが、ワタシは小学生時代に知っていました。
学校で習いませんでしたか?

あ、ちょうどその日は風邪で休んでいました。

>大いに自信がある人は、マウンティングなどする必要を感じない。

人によっては大風呂敷、大ぼら吹きなども愛されることもありますけどね。
ただ、それはあくまで、から元気だからこそ愛されるのであって、世間的な成功者はやはり謙虚である「べき」
とはいいませんが、その方が見栄えがいいですね。

>確たるものは何も無い、を越えて確たるものを
得るのが到達点だと思います。

その到達し得たと思う地点でさえ、また大いなる風によって次のページが開かれる。

わたしは人間にとって、世界も人間も、生命も、宇宙も、永遠の謎であっていいと思います。
ラッキョウたまねぎ派です(笑)

ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2019/01/19 01:51

「確たるものは何もない。

それが知の到達点」
その通りと思います!

で、えっと「マウンティング」についてですが…

私見なのですが
マウンティング、というか、自慢をする人、いますよね
でも自慢ばっかりの人って
大したことない人が多くないですか?

本当にすごい人は自慢しない

自信家と言えば自信家なのかもしれないですね
ただ、ほんとに実力があるかないかって言ったら…

カラ元気ならぬカラ自信
という感じはします

質問者さまのおっしゃる
「自信のない人たち」というのは
たぶん、本当に自信のない人たち
でも側から見たら、そうでもなかったりする

例えばなんですけど…
たいして美人でもないのに、なぜか自信がある人っています
そういう人は、他に美人がいても褒めないし、美人たちの悪口もいいます
この記事で書かれているのは
このタイプなのでは?と思うのです
こういう人を、自信家って言うんですよね
でも実際はたいして美人じゃないから
その自信というのは
危ういものなんじゃないか?
危ういから、自信をかためようと
自慢したり他を貶したりする

そういうことを言いたい記事なんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

こんばんは。

>マウンティング、というか、自慢をする人、いますよね
でも自慢ばっかりの人って大したことない人が多くないですか?

仮に実力を持った人であっても、それを誇ったり、自慢したり、まして自分より下(ー単に会社での仕事であるとか、運動であるとか、会話力であるとか、部分的な能力に過ぎませんが、それを以て、全人格に拡大してしまう)という存在を作り上げることで、却って、自分を貶めている、安っぽくしていると思います。

わたしのように本当に無力・無能であっても、またうつ病などで、自分は無価値で無能であると思い込んでいる人であっても、そういう「自信のない人」の中にいるとホッとするんです。
これはわたし個人の目指す価値観であり美意識ですが、「低くあれ、小さくあれ、弱くあれ」
またそういう人達の中に、人間の本来の気高さのようなものを感じるんです。

下がいるから上である・・・それは結局相対的な価値でしかありませんよね。
下を作るということは、同時に常に上に怯えていることになります。

そういうのって却って疲れませんかね。
上でもなく下でもなく、わたしは絶対的にわたしでしかない。そこに優劣はないとはおもえないのでしょうか。

ご意見をありがとうございました。

お礼日時:2019/01/19 01:39

>この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?



さあ、判りません
マウンティングを理解していないですから

だいたい猿のマウンティングは強いオスが弱いオスを従属させる為の行為ですから、根本から間違っていますし (^_^;
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この回答へのお礼

こんばんは。

>だいたい猿のマウンティングは強いオスが弱いオスを従属させる為の行為ですから、根本から間違っていますし (^_^;

そうですか。
わたしも初めて知った言葉ですので、その本来の意味までは知りませんでした。

よく調べもせずに書いてしまい、申し訳ありあませんでした。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/01/19 01:20

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