電子書籍の厳選無料作品が豊富!

日本のシンドラーとして英雄視される杉原千畝(すぎはら・ちうね)が、二次大戦後に外務省を退職して日本の商社に入社し、外国駐在員として10年ほどの間、モスクワ(旧ソ連)で勤務したということですが、その商社の名称をご存じの方、教えてください。

質問者からの補足コメント

A 回答 (3件)

No.1です。

 千畝の戦後から亡くなるまでの足跡を詳しく述べると以下の通りです。

1945
昭和20.8 ブカレスト郊外のソ連収容所に連行さる。
5・7ドイツ降伏。
7・26米・英・ソがポツダム宣言。
8・15日本敗戦、第二次世界大戦終結。

1946
昭和21.11 シベリア鉄道で帰国の途。

1947
昭和22.4 藤沢市鵠沼に居住。
6・13外務省を退官。(株)世界平和建設団事務局に就職。

1950
昭和25.6 東京PX日本総支配人

1951
昭和26.5 米国貿易商会ポンビ銀座の支配人

1952
昭和27.10 三輝貿易株式会社取締役に就任

1954
昭和29.4 ニコライ学院教授

1956
昭和31.4 科学技術庁に勤務(4年間)

1957
昭和32.4 NHK国際局勤務(2年間)

1960
昭和35
川上貿易株式会社モスクワ事務所長

1964
昭和39
株式会社蝶理勤務

1965
昭和40
国際交易株式会社モスクワ支店代表

1968
昭和43.6 カウナスの元ユダヤ人難民ニシュリ氏と東京のイスラエル大使館で28年振りに再会。

1969
昭和44.9 イスラエル政府の宗教大臣より勲章を受ける。

1975
昭和50
国際交易株式会社を退社。モスクワより帰国

1985
昭和60
1・18イスラエル政府より「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受賞。
11・エルサレムの丘で記念植樹祭と顕彰碑の除幕式。

1986
昭和61
7・31鎌倉市にて永眠。(享年86歳)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2019/10/10 09:34
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうござました

お礼日時:2019/10/10 09:22

質問者さんが添付しているWikiに記載されている通り、1960年(昭和35年)に川上貿易のモスクワ駐在員、1969年(昭和44年)からは蝶理で勤務しています。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうござました

お礼日時:2019/10/10 09:22

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!