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寺尾聰さんの「ルビーの指環」の全盛期(ヒットしてた時代)って、世間はどんな感じにヒットしてたのか、どんな風なブームが起きてたのか、すごさを教えてください!


ちなみに1998年(平成10年)生まれです。

A 回答 (5件)

こんにちは!



そうですね…、この曲がヒットしたのは1981年で、わりとロングヒットしてたので、寺尾聡が歌謡番組に出ずっぱりだったと記憶してます。当時は歌謡番組も多くあったので、若年層から高齢者まで楽しめました。

しかも、当時はYMOが全盛期にあり、その周辺のテクノポップ系のバンドも出てきて、面白い雰囲気でした。ファッション系やスタイリストがグループを作ってデビューしたり、何でもあり的なムードが醸成されバブルに突入していく助走的な高揚感に充ちていた時代です!


https://www.youtube.com/watch?v=Gi5un_z6A9M
https://www.youtube.com/watch?v=oAIww8ZnkmQ

動画は、YMO、プラスティックス、ヒカシューですが、下2組のバンドは、今ならデビューできないでしょうね⁉(^_^;)

活気があって、面白い時代でした。(^o^)丿
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時はまだ「ドーナツ盤」の時代です。


音楽を持ち歩くのはまだカセットテープの「ウォークマン」でした。
歌謡曲にも元気があった時代です。
アイドルも今のようなマーケティング重視の無個性「集団アイドル」ではなく、みんな個性的でした(苦笑)。

当時TVの「ベストテン」にはトップ10に寺尾聰さんの「ルビーの指環」「シャドーシティ」「出航SASURAI」3曲!入ってました。
それだけでも凄いのですが「ルビー・・」は12週連続一位(だったかな)。みんな地味な曲なのに、アレンジがカッコよかったのか、まさにブームでした。
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当時、本当に売れたヒット曲って、今と全然違って、子供からお年寄りまでなじみがありました。

好みはともかく、多くの人が知っていたし、サビくらいは口ずさめた。
乃木坂の曲はどんなに売れても乃木坂ファンしか知らないし、アニソンがどんなに売れる時代でもアニメオタクしか知らないし、ヒゲダンは子供しか知らないし、演歌はお年寄りしか知らない。そういうのとは全然違っていた。

「ルビーの指輪」は間違いなく大人ターゲットの曲でしたが、それでも知らない子供はいなかったです。当時の売れ過ぎた曲って大抵そうです。
「ルビーの指輪」ヒットによる社会的影響といったことはそう無かったと思いますが、「たくさんある大ヒット曲」の1つだったと思います。そのくらい大衆の注目を得る曲って毎年何曲もありましたので。

当時のファミリー共通の関心対象と言えばテレビで、音楽番組も人気ジャンルの1つで今よりずっと多く放送されていました。ファミリー向け音楽番組と言えば今残るのは紅白のみですが、その存在感も今よりずっと大きかった。
そういう時代。
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石原プロモーションの力では?



そんなに熱狂的なファンも居なかった

むしろ 他の歌手の方が よくテレビに出てた
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少し離れたところに理想と対象を置いて、そうする全体の雰囲気を気取ってみせる風潮がありましたね。


失敗しても、寂しいは寂しいのだけれども、心までは潰されない程度に抑えられた計画が、事前に調整され暗になされていた事の多かった時代。
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