幼稚園時代「何組」でしたか?

情けと覚悟を持て
命を奪うときも相手を見据えろ

侍の教えだそうですがこの情けというのは何故持つ必要があるのですか?
私にはよく分からないのですが、人の命を奪うときに情けが必要なのは何故でしょうか?
情けがあるなら殺さなくてもいいのではと感じますが恐らくそういうことではないのでしょう。
この質問を観覧したあなたはどう思いますか?
正確な答えでなくても構いません。
こういう理由でこうしているんじゃないかなというのを教えていただけたら十分です。

私は当時の美学なのではと、考えておりますが、もしそうなら何故美学を人殺しにおいて持つ必要があったのかは不明です。

侍というのは何を考えてどんな気持ちだったのかが興味深いですね

A 回答 (2件)

こう言う言葉があります



“戦場で一番怖いのは少年兵
人を愛して 子供も授かっていて 子供を育てた経験のある大人の兵士には
「血の通った人間としての最後の情け」
があるけれども 少年兵にはそれがないからだ“

実際に 中国の文化大革命で先頭に立った紅衛兵たちは
日本の感覚で言うと いじめが悪い事だと考えない小学校中学校程度の年齢の子供達でした

ここいらが見えてきて
「肌の感覚」で理解できるようになれば
自ずとご質問の言葉の意味を実感できます

別の言葉も紹介しておきます

“酷い事には 必ず酷い事のお返しが待っている
人間長く生きていると そこいらが見えてくるようになる
だから 年寄りは物事をなるべく穏便に済ませようとする“


こう言う故事もあります

川中島で武田信玄と上杉謙信は何度も対峙しましたが
ある時 武田軍は 最前線に 
明らかに子供の兵士と そのおじいちゃん世代の兵士を並べて
後ろに主力部隊を置く布陣を採用しました
この武田軍の布陣を見た上杉謙信は
「引け!! 前に出るな!!」
と言って 退散しました

後日 上杉家の家老が なぜ退いたのかについて聞いたところ
上杉謙信は以下のように答えました

“最前線の少年兵にとって 一緒にいるのは 自分のおしめを変えてくれたであろう
大好きなおじいちゃん達で 後ろにいるのはお父さん達
おじいちゃん達お父さん達を守るために 命を最初から捨てて立ち向かってくる
おじいちゃん兵士にとっては 一緒にいるのは 目に入れても痛くない子供達
子供達を守るために これも最初から命を捨てて立ち向かってくる
後詰の精鋭部隊は 自分の親であり子供達を殺した上杉軍を相手に
「親の仇 子供の仇」と言う気持ちで立ち向かってくる
そんなのと合戦になったら たとえ勝っても 自軍は致命的な損害が出る“

「血の通った人間の心」
の問題です
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この回答へのお礼

優しさを持っていないと殺すことに覚悟がなくなり、軈て殺される立場になったとき、死を受け入れることが出来ない。

そういうことでしょうか?
人の命を奪うことは重いこと、だから誰かに殺される時、それだけのことをしてきたから私も償おうという気持ちになる
その時には情けを持って殺してほしい。
だから自分も情けを持って殺す。

そういう流れなのでしょうか

お礼日時:2020/08/12 22:27

そうですねえ


あくまで想像ですが

命のやり取り

例えば
憎くもない相手を大儀で殺さなくてはならないとする

自分が負けなかったとする

相手をなるべく苦しまずにあの世に送ってやる
としたら

一気にトドメを刺す

それが情け
じゃないかな
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この回答へのお礼

楽に殺してあげようというのが情けですね
しかし殺すというのはそもそも良いとはされていないはずです
情けとは優しさですよね
殺すと優しさ、矛盾しているように感じます
情けがあるなら殺さず握手すればいいはずなのに殺すというのは殺す必要があるからだと思いますが、殺す必要があるなら優しさを持つ必要もないと思います

お礼日時:2020/08/12 22:24

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