今、急に北原白秋の詩が読みたくなっちゃいました~!
無料で北原白秋の詩が載ってるサイトを
どなたか知ってたら教えてほしいですぅm(_ _)m

それか、北原白秋の詩って
何だか不思議な感じのが多いと思うんだけどぉ
その謎について書かれてあるようなサイトでもイイので
知ってたら教えてくださ~い!
よろしくお願いしますぅm(_ _)m

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A 回答 (2件)

もちろん一部ですが、こちらなどで紹介されています。


http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/akiko/tokyo.htm

他には、下記でも紹介されています。

「北原白秋」「詩」「紹介」で、たくさんでてきますから、
あとはご自分で探してみてください。

参考URL:http://plaza25.mbn.or.jp/~R2FISH/newR/ssi/kitaha …
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この回答へのお礼

idaten1024さん、どうもありがとうございますぅ~!

自分でも質問する前に検索してみたんだけどぉ
「北原白秋」「詩」で!ホントたくさんヒットして
1つ1つ見ていくのがイヤになっちゃったんで
安易にここで質問しちゃいましたぁ~(^^ゞ
(面倒くさがりですみませんですぅ・・・)

おかげで、まとめて読めて助かりましたぁ~m(_ _)m
ホントにありがとうございましたぁ~!

お礼日時:2001/08/14 11:17

青空文庫にあるかなと思いましたが、あったのは「北原白秋訳『まざあ・ぐうす』」でした。

参考までに。

参考URL:http://www.aozora.gr.jp/
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この回答へのお礼

pfmさん、どうもありがとうございますぅ~!

紹介してくれた「青空文庫」
存在を知らなかったんで、これから何かと重宝しそうですぅ~(^_^)v
ホントにどうもありがとうございましたぁ~!
「まざあ・ぐうす」もちょうど読みたいと思ってたんで助かりますぅ~m(_ _)m

お礼日時:2001/08/14 11:20

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Q北原白秋の童謡あめふりについて

北原白秋の童謡に「あめふり」という懐かしい童謡があります。
その歌詞の中で「じゃのめでおむかいうれしいな」という個所があります。
普通「おむかい」より「おむかえ」だと思うのですが、「い」になった理由を教えてください。
もともとは「オムカヱ」とカタカナで表記されていたようですが、「ヱ」はひらがなに直すと「い」になるのでしょうか。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1925年の発表時は「ジャノメ デ オムカヒ ウレシイナ」であり、それから四半世紀経った1958年の小学校教科書版では「じゃのめ で おむかえ うれしいな」に変ったものです。

「御迎」は「オムカヘ」「オムカエ」それに「オムカヒ」と訓じられますが、「オモカヱ」というワ行活用は考えられません。

その元となる「迎フ」という動詞について見直してみます。
1.ムカヘ…待ち受ける、招く
自動詞「迎フ」ハ行下二段の連用形「ムカヘ」が名詞形となる。
2.ムカエ…迎えに出る、立ち向かう
室町期より、他動詞「迎フ/邀フ」として、ヤ行下二段での連用形「ムカエ」の名詞形。
3.ムカヒ…向き合う、出向く
自動詞「向カフ/対フ」ハ行四段の連用形「ムカヒ」の名詞形。
4.ムカハル…向き合う、対応する
自動詞「向カハル/迎ハル」ラ行四段の連用形「ムカハリ」の名詞形。

このように、もともと「迎え受ける・招く」自動詞「ムカへ」から、「出迎え」他動詞「ムカエ」が付け加わった形だが、これは狭い意味で見ればお母さん側に適用される動詞であり、学校まで迎えに来てもらった子供側の視線から歌われている今回のケースの場合には、
「対応してもらう・迎わってもらう」意味での、「対フ+迎フ」の両方のニュアンスでの自動詞としてイメージすると「ムカヒ」に来て貰ったからウレシイナとなるとも考えらえます。

したがって、一部でまことしやかに説明される小田原地方の方言でも、単純な「迎フ」と「向フ」の混同でもなく、迎えに出る方と迎えに来て貰う方との自他動詞の区別意識が忍んでいるように思われます。
ですから、多くの辞書にある「「ムカヒ」は「ムカヘ」の変化」が無難に思われます。
むしろ、江戸期には「ムカヒ」の用法が勝っていたケースもあるのかも知れません。
「オムカイブネ(お迎い船) 天神祭船渡御に神輿を迎える各氏子町中の船で、お迎い人形を飾って…」(「大阪ことば事典」講談社学術文庫)
「むかえざけ(ムカへ…)訛って「むかいざけ(ムカヒ…)ということが多い」(「江戸語の辞典」講談社学術文庫)

第二期国定国語読本の出された明治43年(1910年)以降は完全に歴史的仮名遣いに統一されたと見られていますが、それより15年遅れのこの作品の発表時期でも、当時の日常会話レベルでは未だ用語の混在やブレがあったればこそ、どこからも苦情が寄せられるということではなかったのでしょう。

もちろん、現代でも「御迎」には(1)おむかい(オムカヒ)と(2)おむかえ(オムカヘ)の両項が立てられていますから(小学館「国語大辞典」)、「変化」もしくは「訛」ではあっても、古い言い回しや単なる方言ではなく、今も一般語として通用する範疇ではあるといえるでしょう。

1925年の発表時は「ジャノメ デ オムカヒ ウレシイナ」であり、それから四半世紀経った1958年の小学校教科書版では「じゃのめ で おむかえ うれしいな」に変ったものです。

「御迎」は「オムカヘ」「オムカエ」それに「オムカヒ」と訓じられますが、「オモカヱ」というワ行活用は考えられません。

その元となる「迎フ」という動詞について見直してみます。
1.ムカヘ…待ち受ける、招く
自動詞「迎フ」ハ行下二段の連用形「ムカヘ」が名詞形となる。
2.ムカエ…迎えに出る、立ち向かう
室町期より、他動...続きを読む

Q北原白秋の短歌「寂しさに海~」の解釈教えてください

北原白秋の雲母集に収められている

「寂しさに 海を覗けば あはれあはれ 章魚逃げてゆく 真昼の光」

という短歌の解釈や訳を教えてください。


表現技法や区切れも教えていただけると有難いです

Aベストアンサー

この歌集は大正2年、九州から上京していた父母弟妹や結婚した俊子との、一家を挙げて転居した三浦三崎にて物されたものです。
この歌は、「雲母集(きららしゅう)」中の「山海経(せんがいきょう)」の項の「海底(うなぞこ)」の二首の一つで、そこには「庭前小景」とも付されています。
そしてこの「庭前小景」という小題はまた、「寂しき日」四首と「海峡の夕焼」四首にも付けられ通底しているものです。

九州からの家族の中での、また多々あって結ばれた俊子との間での、それぞれとの同居の中に団欒あり、また個々の思惑とすれ違いありの明と暗が同居の日々であったのでしょう。輝かしい夏の三浦三崎の海辺と、暗溟を湛えた海底とのコントラストの鬩(せめ)ぎ合いでもあったと。

 海にゆかばこの寂しさも忘られむ海にゆかめとうちいでて来ぬ

この時期に著わされた詩歌集「真珠抄」に「海底」という題に次の短詩があります。

 おそらくは花ならむ海の底の海松(みる)の小枝に輝く球あり輝く球あり

そして不思議の海や山に棲まう怪しの生き物たちの集大成である「山海経」の小題には、色々な生きものたちと己自身の中の屈折した心理たちとの対照が、天から指す光線と海底の蠢きの不思議と怪しのコントラストが、「あはれあはれ」と感じられ又観しられるのでしょう。

「真昼の光」については「真珠抄」での「永日礼賛」の次の端書きに明らかでしょう。

 日の光十方にあまねく、身をかくすよすがもなし。真実にただひとり人間ものもあらざれば感極まりて乃ち涙をぞ流しける。

 人間なれば堪えがたし真実一人は堪えがたし

真昼の光が差し込めばこそ、そこで奪われた影も、そしてそこで生れた影もまた我が心模様の艶やかさであり、まさに「日が照りとほり影の親しさ」であるものでしょう。

 海底の海鼠のそばに海膽(ひとで)居り日が照りとほり影の親しさ

この歌集は大正2年、九州から上京していた父母弟妹や結婚した俊子との、一家を挙げて転居した三浦三崎にて物されたものです。
この歌は、「雲母集(きららしゅう)」中の「山海経(せんがいきょう)」の項の「海底(うなぞこ)」の二首の一つで、そこには「庭前小景」とも付されています。
そしてこの「庭前小景」という小題はまた、「寂しき日」四首と「海峡の夕焼」四首にも付けられ通底しているものです。

九州からの家族の中での、また多々あって結ばれた俊子との間での、それぞれとの同居の中に団欒あり、ま...続きを読む

Q北原白秋の詩が読めるサイトありませんか~?

今、急に北原白秋の詩が読みたくなっちゃいました~!
無料で北原白秋の詩が載ってるサイトを
どなたか知ってたら教えてほしいですぅm(_ _)m

それか、北原白秋の詩って
何だか不思議な感じのが多いと思うんだけどぉ
その謎について書かれてあるようなサイトでもイイので
知ってたら教えてくださ~い!
よろしくお願いしますぅm(_ _)m

Aベストアンサー

もちろん一部ですが、こちらなどで紹介されています。
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/akiko/tokyo.htm

他には、下記でも紹介されています。

「北原白秋」「詩」「紹介」で、たくさんでてきますから、
あとはご自分で探してみてください。

参考URL:http://plaza25.mbn.or.jp/~R2FISH/newR/ssi/kitahara/kitahara01.html

Q天声人語に載っていた詩

天声人語(朝日新聞)に載っていた詩の作者、タイトル、内容を知りたいです。
載った時期が今年の8月頃だったかと思います。
詩の内容が
「戦場にあったされこうべ、このされこうべを最愛しいと思った人もいたろうに」みたいな内容でした。

ご存知の方、教えてください。もう一度、その詩に触れたいのです。
ここのカテゴリで良いか迷ったのですが、よろしいでしょうか?

Aベストアンサー

茨木のり子さんの「木の実」という詩の一節です。
「もし それが わたしだったら」『24の反戦詩集』自由国民社刊

下記のサイトの3つ目に紹介があります。
http://www.tomo-net.or.jp/oyc/ehon/ehon_1.html

おっしゃる一節は第3節にあります。
『生前
この頭を
かけがえなく いとおしいものとして
掻き抱いた女が きっと居たに違いない』

参考URL:http://www.tomo-net.or.jp/oyc/ehon/ehon_1.html

Q俳人としての北原白秋について

北原白秋は童謡や詩人として有名な印象があるのですが
俳人としてのなにかの話をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
以前、「俳人としては優れなかった」というような文章を読んだことがあるのですが…

Aベストアンサー

 
以下は記憶で記すことです(インターネットのページで調べるのなら、「北原白秋 俳句」とでも入れて、以下の Google で検索すれば、色々出てくるでしょうし、そこに記されていることを繰り返しても仕方ないことだとも思います)。

白秋は「邪宗門」で詩人として鮮やかな作風でデビューし、次々に詩集を出して、新しい境地を開き、大詩人になったとも言えます。ただ、白秋の詩人としての名声が高すぎて、彼が色々な文芸活動を行っていたことは、あまり印象にないようです。

童謡の歌詞を書いたのはよく知られていますが、彼は「マザーグース」も日本語に訳しています。無論、彼一流の詩になっています。

白秋は、「邪宗門」で、隠れキリシタンなどを題材に取り上げたぐらいで、かなり国際意識があり、日本の文芸の行く末のようなことをまじめに考えていました。

俳句を作りはじめたのは、確か名声が確立した後で、詩を書くよりも、晩年は俳句の創作にいそしみました。弟子か友人が、すでに名声を得ている先生が、あまり認められることもない俳句の創作に没頭するのは、惜しいのではないか、というようなことを述べたとき、白秋は、「自分が頑張らなければ、誰が頑張るのか」というようなことを返答したそうです。

「俳句第二芸術論」と時代が重なっていたのかどうか、いまよく分かりませんが、白秋は日本の伝統文芸の一つとして俳句を高く評価していて、これを再興隆せねば、廃ってしまうという危機感を持っていたようです。

白秋は高名な詩人であり、その彼が、義務感のように創作を続けたのですから、俳人としての評価、その作品の評価は、どうであったかという疑問があります。別の仕事で名声を持ちながら、同時に俳人としても高名な人もいますから(折口信夫がそうです)、白秋の俳句は、やはり、俳人としての才能に彼があまり恵まれていなかったのだとも考えられます。

>Google
>http://www.google.com/
 

参考URL:http://www.google.com/

 
以下は記憶で記すことです(インターネットのページで調べるのなら、「北原白秋 俳句」とでも入れて、以下の Google で検索すれば、色々出てくるでしょうし、そこに記されていることを繰り返しても仕方ないことだとも思います)。

白秋は「邪宗門」で詩人として鮮やかな作風でデビューし、次々に詩集を出して、新しい境地を開き、大詩人になったとも言えます。ただ、白秋の詩人としての名声が高すぎて、彼が色々な文芸活動を行っていたことは、あまり印象にないようです。

童謡の歌詞を書いたのはよく...続きを読む

Q教書に載っていた短歌、俳句もしくは詩に関して

中学か高校か思い出せないのですが、国語(or現国)の教科書に載っていた短歌、俳句もしくは詩を探しています。内容は「幼い我が子に先立たれたものの、その地域には親より先に逝くこどもは親不孝だからという理由で父親が葬儀に参加できないしきたりがあり、こどもの葬儀のあいだ、家に残された父親」を詠んだ歌だったと記憶しています。(かなりあいまいですが、こどものくつした?のようなアイテムも出てきたような気がします)
タイトルも断片的な文章も覚えておらず、いろいろな語句で検索をかけてみましたが、探すことができませんでした。
もしお分かりになる方がいらっしゃいましたら、作品名もしくは作家名を教えていただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

室生犀星の詩で、「靴下」だと思います。

http://www.pekerin.com/poet/today/02/231/237.html

参考URL:http://www.pekerin.com/poet/today/02/231/237.html

Q初恋 北原白秋

「初恋」   北原白秋
薄らあかりにあかあかと
踊るその子はただひとり。
薄らあかりに涙して
消ゆるその子もただひとり。
薄らあかりに、おもいでに、
踊るそのひと、そのひとり。

ここで質問なんですけど、北原白秋はこの「初恋」の詩で何を読者に言いたいのですか?

Aベストアンサー

明治時代の初恋とは好きな人を遠くから眺めるだけ。
彼女の着ているもの、その立ち居振る舞い、顔の表情から、彼女の境遇を想像し、涙を見れば哀れな過去や今の自由を縛られた境遇を思い、ため息をつき、ただ見ているだけ。でも彼女の姿は彼の脳裏に深く焼きつき初恋として生涯忘れることがない。薄明かりで時に涙を浮かべて踊っている娘は田舎から売られてきて水商売をさせられている娘でしょう。

同じ『初恋』でも島崎藤村の詩はもう少し踏み込んでいます。彼女と結ばれなかったがリンゴ畑で逢瀬を重ねた淡い初恋を歌っています。比較してみては如何ですか。

Q北原白秋の短歌の訳について

【北原白秋】

茶の煙 かすかなれかし 幽かなる

け古なれども 目にしみるもの



上記の訳を 教えていただけないでしょうか?
よろしく お願い致します。

Aベストアンサー

 まず、北原白秋は昭和17年(1942年)没ですから引用しても著作権問題はクリアですよね。

 歌集『雀の卵』に「茶の煙」と題された4首があります。

>   茶の煙

> 茶の聖(ひじり)千の利休にあらねども煙のごとく消(け)なむとぞ思ふ
> 茶の煙幽(かす)かなれども現身(うつしみ)の朝餐(あさげ)の料(しろ)に立てし茶の煙
> 茶の煙消(け)なば消(け)ぬべししまらくをたぎる湯玉の澄みて冴〔さ〕えたる
> 茶の煙幽かなれかし幽かなる煙なれども目に染(し)みるもの

 ということで、最初は木から摘んだ茶の葉を炒(い)る〔あぶってこがす、油を使わずに炒(いた)める感じ〕時の煙かなと思っていたのですが、どうやら朝ご飯に飲むお茶を沸かすときの薪(たきぎ)の煙のようですね。

 以下、上の4首の、私の自己流解釈。

 私は茶の聖人の千利休(のような覚悟のできた人間)ではないけれども(俗世に執着など持たず、いさぎよくあっさりと)茶を湧かすときの煙のように消えようと思う。

 茶を沸かす時の煙(そのもの)は、かすかではあるが、間違いなく存在する肉体を持つ私の朝食に飲むためのものとして立てた(確かな存在としての)茶を沸かす煙である。

 茶の煙が消えるのならば消えてしまえばいい、しばらくの間、沸騰した湯(からでる泡?)は澄んで、澄み切っている(そういうお湯を沸かした煙だから、消えていったとしても存在した価値はあったのだ)。

 茶の煙はかすかであってほしい。かすかな煙ではあるけれども目に染みるもの(であるから)。(すばらしい煙だといっても、けむたいものはけむたい。)

 「幽かなれかし」は「かすかである」という意味の形容動詞の命令形に、強調の意味を持つ終助詞の「かし」が着いたもの。直訳すると「かすかであれ」と命令する感じ。

 そうそう、御質問の方では「け古なれども」になってますが、私の見た本では「煙なれども」になっています。「け古」だとすれば、「け」は「けだるい」などというときの「け」のように「なんとなく」という意味の接頭語で、「なんとなく古めかしい趣(おもむき)はあるけれども」ということでしょうか。

 まず、北原白秋は昭和17年(1942年)没ですから引用しても著作権問題はクリアですよね。

 歌集『雀の卵』に「茶の煙」と題された4首があります。

>   茶の煙

> 茶の聖(ひじり)千の利休にあらねども煙のごとく消(け)なむとぞ思ふ
> 茶の煙幽(かす)かなれども現身(うつしみ)の朝餐(あさげ)の料(しろ)に立てし茶の煙
> 茶の煙消(け)なば消(け)ぬべししまらくをたぎる湯玉の澄みて冴〔さ〕えたる
> 茶の煙幽かなれかし幽かなる煙なれども目に染(し)みるもの

 というこ...続きを読む

Q北原白秋の月の光に出てくる白楊とはどんな意味があるのですか?なぜはくようとよまないのですか?

北原白秋の月の光に出てくる白楊とはどんな意味があるのですか?なぜはくようとよまないのですか?

Aベストアンサー

『邪宗門』の『月の出』でしょう。

「白楊」は中国名で、「ポピュラ」と読ませるのは当て字です。
ほかの読み方に当てて振り仮名を振ってある例もあります。

ポプラというのはヤナギ科の樹木で、
ポプラ属の樹木の名前はかなりわかりにくいです。

日本に自生するポプラ属の樹木には、
ヤマナラシ(別名・ハコヤナギ)、ドロノキ、
チョウセンヤマナラシなどがあります。
外来種を「ポプラ」と呼びますが、
日本種の名称を使ったセイヨウハコヤナギ、
イタリアヤマナラシなどの別名もあります。
そのため、「白楊」と書いてこれらのすべての読み方に当てます。

ハクヨウ ハコヤナギ ポプラ ヤナギ ドロ ヤマナラシ他の読み方
https://furigana.info/w/%E7%99%BD%E6%A5%8A

「楊」のつくりの部分「昜」は、
太陽が昇ることを表した象形文字が起源で、
「楊」は「枝が上へ伸びていく樹木」を意味します。
「白楊」という漢字は、上で見たようにいろいろな読み方に当てますが、
本来は日本語でいう「ギンドロ」という種類のポプラ属の樹木を指します。
「白」の字がついているのは、
この「ギンドロ」の葉の裏に白毛が生えていて白っぽく見えるからです。
そのため、別名を「ウラジロハコヤナギ(裏白箱柳)」ともいいます。
ホワイトポプラとも呼ばれます。

ギンドロ
http://www.weblio.jp/content/Populus+alba

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9c/Populus_alba_leaf.jpg

「黒楊」という中国名もあり、これはヨーロッパクロポプラを指します。

日本では、このような種類の違いをあまり意識せずに「白楊」の字を使ったので、
読み方もバラバラです。

北原白秋の『邪宗門』では、「はくよう」と読ませる例が一番多く、
「やまならし」と読ませている例もあります。

『下枝のゆらぎ』の例
日はさしぬ、白楊(はくよう)の梢に赤く

『冷めがたの印象』の例
絶えず眩く白楊(やまならし)、遂に疲れて

白秋が、これらの樹木の種類の違いを意識して
読み方を変えていたかどうかはわかりませんが、
『月の出』の詩の場合は、月の光との連想で、
葉裏が白いポプラの意味で特にそう読ませた可能性はあります。

『邪宗門』の『月の出』でしょう。

「白楊」は中国名で、「ポピュラ」と読ませるのは当て字です。
ほかの読み方に当てて振り仮名を振ってある例もあります。

ポプラというのはヤナギ科の樹木で、
ポプラ属の樹木の名前はかなりわかりにくいです。

日本に自生するポプラ属の樹木には、
ヤマナラシ(別名・ハコヤナギ)、ドロノキ、
チョウセンヤマナラシなどがあります。
外来種を「ポプラ」と呼びますが、
日本種の名称を使ったセイヨウハコヤナギ、
イタリアヤマナラシなどの別名もあります。
そのため、「白...続きを読む

Q北原白秋の短歌の訳について

北原白秋の短歌の訳について

時計の針IとIとに来るときするどく君をおもひつめにき 

上記の訳についてを教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします

Aベストアンサー

時計の長針と短針が1時5分過ぎにぴったり重なるとき、私(長身)とあなた(短針)がこのようにぴったりと一緒になれたらどんなにいいだろうかと強く思いました。

()内は補足です。


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