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島崎藤村「初恋」について

各連の場面の説明として、以下は深読みしすぎですか?



林檎畠で女性に出会い、花のあるきれいな女性だと感じる。

彼女は優しくきれいな手で林檎をわたしてくれる。林檎の赤色は、彼女の赤くなった頬になぞらえて表現される。そして、これが恋の始まりだと察する。

私が憂鬱でため息が出るようなとき、彼女は憐れみ、楽しい気持ちにさせてくれる。

恋愛相手はもともと決まったものとされているが、そんなのは誰が始めたのか。問えば問うほど彼女が恋しくなる。



このように考えたのは、結婚相手などが決められていた時代で、素直な感情で恋愛をできないことに抵抗を感じているということが感じられたからです。

これは場面の説明として深読みしすぎですか?これは詩全体を通して伝えたいことだから別の説明になりますか?それとも他の考えをお持ちですか?

個人的な意見でも、何でも構いませんので多くのご回答をお願いします。

A 回答 (4件)

初恋



>このように考えたのは、結婚相手などが決められていた時代で、素直な感情で恋愛をできないことに抵抗を感じているということが感じられたからです。

林檎畑の樹の下に自然にできた細道が、過去の時代の因習のよるものだという解釈は少し深読みではありませんか。


『参考』
http://4seasons-poetry.com/archives/1042707923.h …
作者と作品について

作者
島崎 藤村(しまざき とうそん)
1872年(明治5年2月17日)~1943年(昭和18年)
岐阜県生まれ

作品
「初恋」は、詩集『若菜集』に収められています。
国語の教科書などでも、おなじみの詩ですね。

ところで、久々に読み返したのですが、初恋というにはあまりにも色っぽい詩です。

1連目の「まだあげ初めし前髪の」は、「日本髪を結い始めたばかりの前髪」という意味。
当時の少女は、12~3歳くらいで、髪を結う習慣がありました。
少女が髪をあげたばかりだと、少年が知っているということは、二人は林檎畑で出会ったのではなく、元々幼なじみだったのでしょうか。

3連目の「わがこゝろなきためいきの/その髪の毛にかゝるとき」という句は、「僕が思いがけずこぼした溜息が/君の髪の毛にかかるとき」というような意味なのですが、溜息が髪にかかるなんて、かなりの至近距離です。

そして、4連目の「林檎畑の樹の下に/おのづからなる細道は」は、林檎畑で出会いを重ねるために通ったところに、自然とできた細い道のこと。
「誰が踏みそめしかたみぞと/問ひたまふこそこひしけれ」は、「あれは誰が踏みしめてできた道なのでしょうと/君が問いかけるのが恋しくてならない」という意味ですが、こんな風に問いかける少女に、あどけなさというよりも、男心をくするぐような色香を感じます。

「初恋」は、さまざまな解釈や訳し方ができる詩だと思います。
詩集『若菜集』は、当時の若者に熱狂的に受け入れられたそうですが、その一因として、このように自由な恋愛を歌っているということもあるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
一般的にはやはり細道は2人が通った道と捉えられるのですね。いろいろな解釈ができるということで参考にしてみます!

お礼日時:2019/01/28 22:22

彼女は優しくきれいな手で林檎をわたしてくれる。


 ↑
女性の白く優しい手は、魅惑的ですからね。



林檎の赤色は、彼女の赤くなった頬になぞらえて表現される。
そして、これが恋の始まりだと察する。
  ↑
色ではなく、リンゴの甘酸っぱい味を表現したのでは
ないでしょうか。



私が憂鬱でため息が出るようなとき、彼女は憐れみ、
楽しい気持ちにさせてくれる。
 ↑
違います。
彼女を目にするだけで癒やされるのです。



恋愛相手はもともと決まったものとされているが、
そんなのは誰が始めたのか。問えば問うほど彼女が恋しくなる。
このように考えたのは、結婚相手などが決められていた時代で、
素直な感情で恋愛をできないことに抵抗を感じているということが感じられたからです。
  ↑
現代のように好きだ、と簡単に告発できる
時代とは違ったでしょう。
想い焦がれても、口に出来ない。
その方が感覚を鋭敏にし、新鮮に保てるのでは
ないですか。



これは場面の説明として深読みしすぎですか?これは詩全体を通して
伝えたいことだから別の説明になりますか?
それとも他の考えをお持ちですか?
  ↑
時代に対する抵抗、というのは深読みしすぎだと
思います。
グッと心にとどめることにより、感情が発酵、醸成
されるんだと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。純粋な恋愛感情の描写であるということですね。

お礼日時:2019/01/29 16:11

>社会の授業などでは明治期になっても身分の差により結婚相手が制限される家がほとんどだと教えられていたので、



昔の人も今の人と同じように人生を楽しみ恋愛で胸を熱くしていたのですよ。決して今の人だけが特別な存在ではありませんよ。江戸時代後期に日本に来たイギリス人が、江戸の一般庶民たちが歌や三味線や都々逸などの習い事や盆栽や俳句や和歌の趣味を持っていたことに驚いていたそうです。その人の言うには、

「イギリスでそのような趣味を持っている者は、貴族や地主などに限られている。ロンドンの一般庶民の楽しみは唯一セックスだけだと言うのに、この国の連中な何なんだ」

そんな国民が江戸までの日本人なのです。そして、明治になっても、大正になっても、昭和になっても。

社会科の先生も教書を書いている先生も、日本民俗学の巨人たちが血の涙を流し、石に齧り付きなたら掘り起こしてきた庶民の生活の実態に関する文献を読んだことがないのでしょうね。

教育関係の指導者と言われている人たちがどれだけあてにならないかの好例は、国際社会の一員になるために、高校で世界史を必須にして、日本史を選択にしたことがあることからもわかります。外国生活を少しでも経験すれば、彼らが日本のこと、日本の歴史を知りたがっていることが直ぐにわかります。そんな相手に、私は世界史は知っているが日本史は習っていないのでよく知らないなんて言ったら、確実に失望されてしまいます。別にあんたに世界史を聞く必要はない、日本のことを説明してくれって、みんな聞いてきますから。

世界史が必要なのは、一生世界に出ない人たちのなのです。そうしないと、彼らは世界のことを全く知らないで一生を終わってしまうからです。その反対に、国際人として活躍する人の必須科目が日本史です。その人たちにとっては、世界史は出先でその国の人から教われるので、別に世界史を特別に勉強する必要がないのです。

こんな当たり前なこともわからないで、世界史を必須にして日本史を選択にするような連中が、日本の教育界のいわゆる指導者たちのようです。教科書に書いてあることは参考止まりにして、その後ご自分で調べてみることをお勧めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。たしかに、教科書と違う新事実や裏の事実はよく聞きます。何でも実際みて教科書を作ったわけではないので、いろいろな説を調べてみます。ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/29 16:09

>恋愛相手はもともと決まったものとされているが、そんなのは誰が始めたのか



>このように考えたのは、結婚相手などが決められていた時代で、素直な感情で恋愛をできないことに抵抗を感じているということが感じられたからです。

島崎藤村の『初恋』には「結婚相手などが決められていた」を匂わせる部分が何処にもありません。実際の昔の農村の結婚事情や恋愛事情を知らずに、ご自分で「昔はそうだったんだろう」と勝手に決めつけて解釈しているように思えます。

『定本 柳田國男集 第15巻』の「婚姻の話」に詳細されていますが、多くの農村では、若者組(若連中)と娘組(娘連中)と呼ばれる組織がありました。一定の歳になるとその組織に入り、定期的に男女別々に泊まり込みの共同生活を送ったそうです。そこで、成人するための様々な教育がなされていたとのことです。男女とも、そのための小屋を持ち、年配夫婦の住み込みの管理人がいる場合もあった。その共同生活で村の祭りや風習についての伝承や、共同作業中でのおしゃべりを通じて男女とも性教育もなされていたそうです。また、若者組と娘組が時々共同ピクニックを催して、後の伴侶を探し出す役割もしていた。また、上記小屋の年配夫婦の管理人や若者組の先輩などを通じて、恋人同士になった二人の親に婚姻許可をもらう手助けもしていたそうです。

ですから、昔の日本の大多数を占める農民の恋愛は、多分質問者さんが思い込んでいるより遥かに自然で大らかに、さらに合理的に伴侶探しをしていたようです。

日本民俗学の鉄則で面白いのは、「庶民の生活について書き残されたものをそのまま鵜呑みにしない」です。庶民の生活様式とは大分違う上流階級やお侍さんなどの出来事は頻繁に書き残されていたでしょう。しかし、ほとんどの場合、庶民の間で当たり前なことは殊更書物に書き残さない。さらに、文字を自在に書けるのはその村のものではなく、行きずりの教養ある旅人などであり、書き残す内容も、その村でも珍しい出来事が起こったことなどを面白がって書き残した場合が多い。従って、書き残されていることは逆にその村でも奇異なことなので、それで普段の村人の生活様式を再構築する役には立たない可能性が大きいからです。

しかし、当たり前なことは何も書き残さないので、時代と共に色々な生活様式が忘れられてしまう。そこで、日本民俗学では、書き残されているものは参考程度にしているようです。それよりも京言葉の地方への伝播に伴った方言の変遷、村々に残された伝承、年中行事の中に無意識に残されている風習、農家や職人の道具の変遷や家具の変遷、村の住居の全体像や街並み等々、あらゆるものを駆使して、昔の庶民の生活様式を探り出して来ています。

日本人はどこから来てどこに行くのか、色々目から鱗のことが書いてありますから、機会があったら上記の「婚姻の話」をお読みになってください。村々では本来村内同士の若者と娘の間での結婚が常識だった。そんな常識の中で、別々な村に住む裕福な家同士が結婚してしまうと、それぞれの村の若者や娘たちが面白くない。そこで、他の村から花嫁衣装で馬に乗って嫁入りするとき、その村の娘たちが花嫁めがけて泥などをぶつけた。そんなことが起こった教訓から、次の機会の嫁入りの時には、その嫁の友達の娘さんたちが数人やはり嫁入り衣装を着て数頭の馬に乗って本物のお嫁さんを守った、なんて話も載っています。さらに、親兄弟の反対を押し切っての結婚に、恋人同士承知の上で略奪婚をする手配を若者組が手伝うなど、面白い話がいっぱい出ています。

では、「恋い初めし はじめなり」のお遊びを。

まず掻き初めし 赤恥の
林檎のごとく 見えしとき
前にさしたる扇子にて 
顔を隠すと 思いけり

あかぎれに凍む 手をのべて
林檎の頬を さすりては 
薄くれないの 顔いろに
詩を恋い初めし はじめなり
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この回答へのお礼

参考文献のご紹介ありがとうございます。社会の授業などでは明治期になっても身分の差により結婚相手が制限される家がほとんどだと教えられていたので、意外でした。ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/28 22:27

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