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永訣の朝という詩で
あめじゅや とてちて けんじゃ
というのが4回出てくるのですが、それを2回ずつに分けるというのですが、どこで分ければいんでしょうか。
またそこで分けた理由も教えてください

A 回答 (4件)

No.2&3 です。

まだ解決しないのかな。

「4回出てくる」のを「2回ずつに分ける」というのだから、答は
「前の2回と後ろの2回に分ける」
以外にないでしょう。

そこで分ける理由?
最初の2連は「外のみぞれの降る情景」なのに対して、第3連(2回目の「あめゆじゅ」の後)以降は賢治の行動や気持ちが歌われているでしょう? 明らかに詩のトーンが変わっていますよね。
これが「正解」なのかどうかは知りません。私がこの詩を読んでそう感じたのです。なので、私にとっての「分け目」はそこだと確信しています。

そんなのを、テストにして「正解」「不正解」と評価する方がどうかしていますよね。

質問者さんは、詩が好きですか? 詞に曲を付けた歌が好きですか?
こんな詩は好きですか?

SEKAI NO OWARI「RPG」
https://www.uta-net.com/song/145480/

SEKAI NO OWARI「花鳥風月」
https://www.uta-net.com/song/117562/

読む人ごとに、そこから感じるもの、想像する光景は違うのでしょうね。
それを「2つに分けろ」とか「その理由は?」とかズカズカと土足で踏み荒らして、みんな「正解」のように感じろというのかな?

質問者さんには、ぜひ「自由なイマジネーション」で詩を味わってもらいたいと思います。
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No.2 です。

ちょっと補足。

宮沢賢治は一生を岩手県に過ごした詩人です。(とはいっても37歳で亡くなっていますから短い一生ですが)
郷土岩手を理想郷「イーハトーブ」と呼んで愛しました。

なので、詩自体は標準語ですが、妹の言葉は「東北弁」(方言)で書かれています。
東北の方言は、口をあまり開けずに濁ったあいまいな発音をすることが多いです。「ズーズー弁」などといわれます。
「き」「ぎ」はあいまいに「ち」「ズィ」と発音されることが多いので、
 あめゆき(雨雪)→あめゆぎ→あめゆじゅ
 とって来て→とてちて
 ~してくれないか→~してけねや→~してけんじゃ
と変化します。

東北弁が想像できないと、こういう「微妙な臨場感」が理解できないかもしれませんね。
賢治は、妹をありのままに、最後に話したことをそのままに、記憶の中にとどめたのでしょうね。
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学校で「詩を味わう」ことを教えるのに、そんなことをやってるんだ。


「詩」なんて、作者と読者との間に「心の共鳴」が起きない限り、ただの言葉の羅列にすぎない。
ますは、その詩に共鳴すること、作者・詩人と同じ精神状態になることは大事だと思う。
それは、こんな「形式的な問題」を解かせることでは到底達成できない。

人を水飲み場に連れていくことはできるが、水を飲むかどうかは本人しだい。のどが渇いていなければ水は飲まないよね。

かわいいけなげな妹が、目の前で死にそうになっている。心は張り裂けそうなのに、何もしてやることができない。少しでも何かしてやりたい。そして妹に頼まれた冷たい「雪」(あめゆじゅ=雨雪、みぞれ)を外に取りに行く・・・。
そんな気持ちに寄り添えるかどうかがポイントでしょう。
その繊細な気持ちに寄り添えて、賢治の精神状態に共感して詩の中に入り込めれば、答は自然に見えてくると思います。
共感できないのなら・・・あきらめるしかないでしょう。「正解」なんて存在しません。人それぞれ気持ちや思いが違うのですから。

学校では「ここではこう感じなさい、こういう思いになりなさい」「このように読み取りなさい」と強制しているのかな。「全員が同じ気持ちにならないといけない、同じことを感じないといけない」と教え込もうとしているのかな? あり得ないと思う。
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二回に分けるという意味が不明ですね



誰が分けろと言ったのですか?

分ける必要もありません

とし子の「あめじゅや とてちて けんじゃ」という言葉が
賢治の耳にうつくしい言葉に聞こえ
まるでお経のように
耳に残ったのでしょう

時々歌で
同じ言葉が何度も途中で
コーラスとして入ることがありますよね

あれと同じで
自分の作る心象風景の言葉に
コーラスのように
妹の言葉が聞こえてきたのでしょう
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