[PR]ネットとスマホ OCNでまとめておトク!

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。
 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 これは霙じゃなく雪ですよね。松の枝に霙はたまりませんから。
 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。
 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑
 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?
 それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。
 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?
 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。
5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか?
 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」


 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。

5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。


~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstrea …

この回答への補足

ありがとうございます。
論文、たいへん参考になりました。
やはり同じことを疑問におもっているのです。

あめゆじゅはあめゆきのことかもしれませんね。
大辞林にありました。
あめ-ゆき [2] 【雨雪】(東北・北陸・四国・九州で)みぞれ。あまゆき。

あまゆきがどういうものかしりませんが、シャーベット状の雪ならぴったりなのですが。

>「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。

作者は、こういう技法を意識して作っているのでしょうか。
二つの思い出の欠けた陶椀、二つの濡れてあぶない御影石、雨と雪の二相を持ちすぐに消える運命のあめゆき。
それとも偶然のなせるわざなのか。

作者はあめゆきを頼まれて、夢中で台所に行ったところ、偶然欠けた思い出の陶椀が目に入り、それを自分のぶんも含めて二つ持っていったと解釈しました。二人はいつも一緒だったから、そうしたのでしょう。
それが「まがったてっぽうだま」という表現になったのだと思います。

補足日時:2012/10/04 23:48
    • good
    • 5

>あまゆきがどういうものかしりませんが、シャーベット状の雪ならぴったりなのですが。



「あめゆじゅ」は、霙(みぞれ)の方言であるに「あめゆき」が更に訛った言葉です。
この霙は単に雨と雪の混じったものではなく、水分が多いため雪が綿のように大きく育ったためにフウワリと落ちてくる、それなのに触れたらすぐ溶けて水になるようなものなのです。
ですから、「雨」冠に「英(はな)」で、まるで花弁(なはびら)のように飛び交う雪水の漢字になっています。
つまり、すぐに融け流れ出すものなので、温かみのある手などで持ってくることはできません。ですから茶碗で受けたとしても、持ち帰ったらそれは水なのです。
結局、妹トシは兄賢治に末期の水を願ったことを暗示しているのです。

「あめゆき 霙。みぞれ。青森県上北郡・岩手県九戸郡・愛媛県伯方島。
 あまゆき 霙。みぞれ。秋田・岩手・島根・大分市」(東條操編「全国方言辞典」東京堂)

「とてちて」は「取って来て」です。
「けんじゃ」は「賢治ゃ」であり、賢治兄さんとの呼び掛けです。

「雨雪の花弁(末期の水)を取って(結局は汲んで)来て賢治ゃ(賢治さん)」
それを受けて賢治は、ですからそのための「茶碗」を遣うのです。
    • good
    • 10

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q永訣の朝の訳

宮沢賢治の永訣の朝について質問させてください。

その一文に、「あめじゆとてちてけんじや」というものがあったと思います。
※記憶があいまいなので、多少違うかもしれません。

当時、高校で習った時、先生が意訳を「雨露を取ってきてください」だと言っていました。
しかし、それは「あめじゆとてちて」までではないですか?
最後の「けんじや」とは、作者の賢治に対する呼びかけで、僕なりの解釈では、「雨露を取ってきてください、賢治さん」みたいな意味になると思うのです。

この場合、「けんじや」とは、どういう意味になるのか、教えてください。

Aベストアンサー

http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-686.html

で紹介されている、山本太郎氏の「賢治兄さん」説は、私も、とても魅力のある説だと思います。

 「あめゆきを取ってきて、賢治兄さん」と、名前で呼びかけられることは、「永訣の朝」と同じ時に作られた「松の針」という詩に、

   ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
   ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
   わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
   泣いてわたくしにさう言つてくれ

と書いた賢治にとって、どうしても妹のために、何をおいても、他ならぬ自分がせねばならないことになるからです。
 「あめゆきを取ってきてください」と一般的な言い方で頼まれるより、どんなにか痛切な響きをもつはずです。

〈参考〉
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html
http://blog.hix05.com/blog/2010/02/post-1304.html



 しかし、他の方の回答にもあったように、(残念ながら)「けんじゃ」は岩手県花巻地方で一般的に使われる言い方のようです。


「あめゆじゅとてちてけんじゃ」って、言葉として今でも通用しますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108166145


という質問に対する「ベストアンサー」をご覧になってみてください。


 私はネットでこの回答を見ただけで、きちんと裏付けになるような調査をしたわけではありませんが、

> 花巻出身の人(50代:かなりなまってます)に聞いたら
> 「花巻弁だども、いまどぎ、そんなこどばは、ずさまどが、ばさますか、つかわねでば」

と、知り合いの方の発言を引用するベストアンサーの回答は、信頼してよいだろうと判断しています。

http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-686.html

で紹介されている、山本太郎氏の「賢治兄さん」説は、私も、とても魅力のある説だと思います。

 「あめゆきを取ってきて、賢治兄さん」と、名前で呼びかけられることは、「永訣の朝」と同じ時に作られた「松の針」という詩に、

   ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
   ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
   わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
   泣いてわたくしにさう言つてくれ

と書いた賢治にとって、どうしても...続きを読む

Q詩:永訣の朝で・・・

こんばんわ 先日の国語の授業で永訣の朝をやったんですが少し読み取れない部分が2点ほどあったんです。
1つ目は 「びちょびちょふってくる」を「みぞれはびちょびちょ沈んでくる」という表現に変えた理由
2つ目は 「おまへとみんなと」と最後から3行目に書かれているんですが、「おまへ」は「とし子」をさしているとして、「みんな」とは誰を指しているんでしょうか?
お分かりになる方 気軽に教えてください。回答よろしくお願いします。
                 

Aベストアンサー

> 1つ目は 「びちょびちょふってくる」を「みぞれはびちょびちょ沈んでくる」という表現に変えた理由

6行目では
みぞれはびちよびちよふつてくる
と言っていますね。目線は水平か上にありますが
"わたし"が実際、外に出てみると
みぞれが足元で沈むように降っていて
今度は目線は下になっています。
おそらくそこには、"わたし"の悲しみの深さや、
若くして逝ってしまう運命となった妹への無念の気持ちが、「沈んでくる」という表現になって
投影されているのではないでしょうか。

> 2つ目は 「おまへとみんなと」と最後から3行目に書かれているんですが、「おまへ」は「とし子」をさしているとして、「みんな」とは誰を指しているんでしょうか?

(生まれ変わったら、今度は自分のことで苦しまないように生まれてくる)と言っていますよね?
兄も妹も深い信仰心を持っていたと思われますので、
これは、生まれ変わったら、自分ではなく人のために身を呈したい、と思っていることの
表れだと思います。
取ってきたみぞれが、天上のアイスクリームのようになって、
妹だけではなく、他の、同じような状況で天上の人となったみんなにも
聖い潤いをもたらすごちそうになって、
苦しまず安らかに永眠して欲しい、と思ったのではないでしょうか。


全くの私見ですが、気軽に書いてみました。

> 1つ目は 「びちょびちょふってくる」を「みぞれはびちょびちょ沈んでくる」という表現に変えた理由

6行目では
みぞれはびちよびちよふつてくる
と言っていますね。目線は水平か上にありますが
"わたし"が実際、外に出てみると
みぞれが足元で沈むように降っていて
今度は目線は下になっています。
おそらくそこには、"わたし"の悲しみの深さや、
若くして逝ってしまう運命となった妹への無念の気持ちが、「沈んでくる」という表現になって
投影されているのではないでしょうか。

> 2つ目は 「お...続きを読む

Q宮沢賢治の「永訣の朝」について大至急お願いします!!

妹トシの死の直前の詩なのですが結局言いたい事がよく解りません(T_T)
口語訳とか、意味とか知ってる事があったら何でもいいので是非教えて下さい!!

Aベストアンサー

URLに口語訳が載ってます。

リンクしてもいいのかなー(^^;と思いましたが
宮澤賢治は既に著作権が切れてるようなので(死後50年経ったってことですね)
あっちこっちで利用されています。多分、大丈夫・・・。

もう少し補足すれば、宮澤賢治とこの妹は宗教感を同じくして
大変心の通じ合った兄弟だったようです。
一緒に載っている「松の針」「無声慟哭」もその妹の死に関しての詩のようです。
読んでみてください。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/walnut-home/page242.htm

Qたらしめるの意味を教えて下さい!

国語の教科書で見たんですけど、「たらしめる」ってどういう意味ですか?教えて下さい。

Aベストアンサー

「たる」(たり)+「しめる」で「たらしめる」です。

「~たる」は、「~である」の意味。
「~しめる」は、「~させる」の意味。

つまり、
「たる」+「しめる」で
「そのようなこと(存在)にさせる」という意味になります。

たとえば、

「わが社を世界のトップたらしめる。」
 =(わが社を世界のトップ企業にする)

というような使い方があります。

Q『ホンモノのおカネの作り方』

「ホンモノのおカネの作り方 岩井克人」についての質問なのですが、
第1段落の『どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい』とありますが、なぜ
『これ以上詮索してもしようが』ないのでしょうか?

Aベストアンサー

 こんにちは。岩井克人さんの「ホンモノのオカネの作り方」は『ヴェニスの商人の資本論』という本に収められた一節です。
 その冒頭(これから話すテーマ)に続く文で「どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい」と綴られているのは、なぜニセガネ(似せ「ガネ」)が作られねばならなかったのかとの「ニセガネ」なるものの「性質と意味」をこれから検証してみますよ、との問い掛けを行った上で、後に続く第二段落でその根拠を辿っています。
 そして第三段落で「ホンモノのおカネに似せるものではなく、ホンモノのおカネに変わってしまうこと―それがホンモノのおカネを作る極意なのである」との結論を導き出すことになっています。
 問題にある「これ以上」の「これ」は「モノとしてのおカネを作るための方法について」を受けるものではなく、「似せカネが示す意味」のことであって、それに関してこれからお話ししますよとの意味で使われている指示代名詞です。
 国語の試験でこの文章が出されたならば、「内容の是非について貴方はどう考えますか」との趣旨ではなく、この文とその前後にある文および文章の関係を説明して下さいとの意味ですから、そこは切り離して考えてみてください。
 この小文が本全体の中で示している内容は「なぜニセガネを作る必要があるのかとの形而上学的な(哲学的な)問い掛けか経済活動の中で示されるホンモノのおカネの作り方(おカネが持つ意味やそれによって示される実質的なメリットやデメリットなどの問題)」について冷静に考えねばならないとの視点の提示につながっていくこととなります。

 こんにちは。岩井克人さんの「ホンモノのオカネの作り方」は『ヴェニスの商人の資本論』という本に収められた一節です。
 その冒頭(これから話すテーマ)に続く文で「どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい」と綴られているのは、なぜニセガネ(似せ「ガネ」)が作られねばならなかったのかとの「ニセガネ」なるものの「性質と意味」をこれから検証してみますよ、との問い掛けを行った上で、後に続く第二段落でその根拠を辿っています。
 そして第三段落で「ホンモ...続きを読む

Q感想を聞かせてください。

詩人の宮沢賢治さんの歌集「春と修羅」の一編の中で「永訣の朝」を読んだことがある方は感想を聞かせてください。
できれば解説もお願いします。

Aベストアンサー

もしかして宿題か、なんらかの研究課題なのかな。
であれば、ご自分の感想を添えると
違った印象の質問になるでしょう。

(ここだとパクリ易いということもあるでしょうが)
<永訣の朝>の解釈を知りたいのであれば図書館で
関連資料を探すといいでしょう。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q進研模試の過去問を手に入れたいのですが・・・。

単刀直入ですが,進研模試の対策をするために,進研模試の過去問を手に入れたいのですが,学校や塾の先生に頼む他に何か入手する方法はないのでしょうか? 勉強がしっかり出来ているかどうかの確認をするためには進研模試を解くのが,レベル的にも難しすぎず簡単すぎず,良いと言われたので,何回分かの進研模試を解いてみたいと思い,このような質問をするに至ったのです。ご回答,よろしくお願いします。

Aベストアンサー

模試の対策をする必要はありません。
普段の勉強の成果を確認するための物ですから。
対策の結果、実力以上の点が出てしまえば、かえって実力が見えなくなります。

適切なレベルの物で勉強したい、というのは伝わります。
しかし模試は模試。
最適な教材になるとは思えませんし、なるようなら進研がとっくに発売していますし、進研ゼミなどとっくにやめているでしょう。

書店に行っても教材が多すぎると言いますが、自分の学力が把握できればおそらくそれでかなり絞れるはずです。
それも判らなければ、基礎的な薄い物をやってみて、その感触で量るのが良いでしょう。
また、色々な教材を良く眺めてみるいうのも良い勉強です。
根性決めて書店に「通って」ください。
進研の模試もそうですが、教材には相性やレベルがあります。
進研の問題は確かに基礎的な良問であるような気はしますが、だからと言って、あなたがそれで勉強できるかどうかは判りません。
もっと基礎が抜けているのかも知れないし、そんな問題では簡単すぎるのかも知れません。
それはどの教材であってもそうです。

基礎ができていないのなら基礎、入試標準レベルのところでつっかえているのならそれ、と今自分が何をすべきか、で決めて、それをさっさと終えてください。
最後までそれだけでやり通そうとするから基礎から応用まで、なんて事を言うんです。
そもそも化物に至っては、教科書をきちんと読んでいるのか。理解できるよう読んでいるのか。なんて事が第一です。
その上で参考書、です。
物理は、一読しただけではさっぱり判らなくて当然です。
何度も教科書や参考書を読み、基礎問題を解き、解らなくなってまた教科書参考書に戻る、の繰り返しです。しつこくしつこく。
天才を除けば根負けするかどうかの科目だと思っています。

単語帳は相性次第です。
前書きからしっかり立ち読みし、相性が良さそうな物を選んでください。
当面センターレベルで良いので、さっさと終わらせることです。
現代文は、出口、田村、板野、河合の入試現代文へのアクセス、辺りを。これも前書きからしっかり読んで、やり方を把握したり指示に従ったりしましょう。
古典は知りません。
理系なら、二次私大でで国語を使うのかどうかでどこまでやるかが変わると思います。
あなたなら、伊藤さんの「ビジュアル英文解釈」ができると思います。
最初は易しいですが、最後までやり通したり、その後の「英文解釈教室」まで行けば大した物だと思います。

模試の対策をする必要はありません。
普段の勉強の成果を確認するための物ですから。
対策の結果、実力以上の点が出てしまえば、かえって実力が見えなくなります。

適切なレベルの物で勉強したい、というのは伝わります。
しかし模試は模試。
最適な教材になるとは思えませんし、なるようなら進研がとっくに発売していますし、進研ゼミなどとっくにやめているでしょう。

書店に行っても教材が多すぎると言いますが、自分の学力が把握できればおそらくそれでかなり絞れるはずです。
それも判らなければ...続きを読む

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。

Q永訣の朝 をつくった日はいつ?

新潮社の文庫「宮沢賢治詩集」の目次には、「永訣の朝 1922・2・27」と記されていますが、妹のとしさんが亡くなったのは、1922・11・27とすると、亡くなる前になってしまう。「永訣の朝」が作られたのは、いつでしょう?「 春と修羅」の出版は、1924・4・20のようですが。

Aベストアンサー

現品は未確認ですが、1991/08/01発刊の新潮文庫「新編 宮沢賢治詩集」の目次では、
「永訣の朝 ((一九二二、一一、二七))」となっています。
http://www.shinchosha.co.jp/book/109207/

また、実際に関根書店版「春と修羅」(大正13年4月20日発行)の中では「無聲慟哭」5編の内「永訣の朝」を含む3編は縦書きの漢数字で(一九二二、一一、二十七)となっています。この一一月が、うっかり二月に見えたのかも知れません。ちなみに「風林」は一九二二、六、 三)となっており、これは明らかに(一九二三、六、 三)の誤植です。

ともあれ「永訣の朝 」が1922年11月27日付けであることはどちらにおいても整合しています。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング