人気マンガがだれでも無料♪電子コミック読み放題!!

 日本語を勉強中の中国人です。小説より、詩と散文のほうが好きです。最近、島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を読んでおります。詩と散文の違いを知りたいのですが、どなたか教えていただけないでしょうか。

 また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

詩と散文の違いについてよく引きあいに出されるのがポール・ヴァレリーの喩え「舞踏と歩行」だと思います。


舞踏は何か目的があって舞踏するのではなく、舞踏することそれ自体が目的です(詩)
一方、歩行はある目的のために、それへ向かって進んでゆくことであって、歩行自体が目的ではない(散文)
とするものですが、ヴァレリー自身が詩から一切の夾雑物(説明にしかなっていない語句など)を取り除こうとした純粋詩の提唱者、サンボリスト(象徴主義者)でしたから、自分の理想を言っているに過ぎないともいえそうです。

詩にも小説にも造詣が深かった文芸評論家の篠田一士が下記のような喩えをしていて、個人的には一番すっきりします。
氏によると、詩も小説も地上から出発して天空へ駆け昇って行く。
そして小説が、それがたとえ奇想を凝らした大長編ロマンであろうとも、やがていつかは地上へ還ってこなければならないものであるとするなら、それにひきかえ、詩は雲を貫き気層を抜けて蒼穹のかなたへ飛び去っていってしまうものである、というものです。

芭蕉も「ゆきゆきてかへらぬこころ」と言いました。この言葉には多面的な意味がこめられていることを承知の上で、いまこの文脈に沿った理解で言えば、一度発砲されたポエジーの弾道は「ゆきゆきて」もとの場所には還ってこない。詩とはそうあるものだということになるかと思います。

 ※

ところで、ご質問文中、『小説より、詩と散文のほうが』というくだりがよく分りません。
きっと、エッセイとか随筆、紀行文が念頭にあって、『散文』とは、そういうことを指していらっしゃるのでしょう。小説も散文のひとつではないでしょうか。定型とか韻律というものを持たない(配慮しない、あるいはそれから免れた)文全般が散文です。

韻文は散文に対する概念で、ふつう韻律のあるものを言います。
「韻律」というと、同一もしくは類似の音声の響きあいである「韻」(代表例が頭韻とか脚韻と呼ばれる押韻)ばかりが強調される傾向にありますが、「律」すなわちリズム、律動感のほうがより本質的な問題です。

それぞれの国語の特質の違いによって「韻律」はさまざまです。中国の旧詩である絶句や律詩、ヨーロッパのソネットやバラッドを代表とする定型詩を思い浮かべれば、そのあたりの事情は察せられるのではないでしょうか。
イギリス、フランス、ドイツなど、それぞれにソネットの規則の違いが見られます。これはそれぞれの言語の特質の違いを表わしています。

日本の詩の場合は、音韻が単調という日本語の性格のため、韻律ではなく「音数律」でゆきますので、多くは、二音・三音のまとまりである五音・七音の音数を基調として律をつくりました。

厳密に言うと、詩と韻文とは必ずしも一致しません。英雄譚である叙事詩(イリアスやオデュセイなど)や運命劇である劇詩(ファウストなど)も韻文で書かれました。しかし現代ではおおむね叙情詩(lyric リリック)のみを指して「詩」と言い、ほぼ「詩」イコール「韻文」という扱いです。

日本では江戸時代までは「詩」と言えば「漢詩」のことでしたが、
それとは別に伝統的な定型詩である短歌や俳句、
明治時代以降、ヨーロッパ詩の決定的な影響のもとに試みはじめられた新体詩(それはやがて近代詩、現代詩となって進化してきたもの)
これらすべてをひっくるめて「詩歌(しいか)」と言っていて、これはなかなか美しい名称と思います。

詩は広義には、少なくとも現代の日本ではこの「詩歌」のことを指しますが、狭義には、新体詩及び近・現代詩のことを言います。

現代の詩は、行(ぎょう)分けをしない「散文詩」というものが典型的であるように、また在来の「行分け詩」にしても、従来の「韻律」という概念から遠ざかる一方であるように見えます。つまり、散文との区分けがますますつかなくなっています。

「口語の時代はさむい」と言ったのは1970年代半ばの荒川洋治でした(詩集『水駅』)。
以来、寒さは募るばかり。
思想はすべて相対化され、均一な情報化の現代社会にあって言葉は屹立性を奪われ、詩は垂直の力を喪いました。
朽ちた柱廊が横倒しになるように瓦解し風化し、広告文(いわゆるコピー)との区別ももはやつかなくなっています。中島みゆき や さだまさし の歌詞の方が、一般にはよほど身近で説得力を持っています。最初に記した詩と散文の違いなど、今やいかばかりの有効性があるかおぼつきません。

以上です。参考にしていただければと思いました。なお、
ご質問文は完璧です。文章として、よけいなものはいっさい省かれ、簡潔で美しい日本語による散文と私は思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

 いつもお世話になっております。お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。「舞踏」と「歩行」の喩えは面白いです。初めて知りました。

>きっと、エッセイとか随筆、紀行文が念頭にあって、『散文』とは、そういうことを指していらっしゃるのでしょう。小説も散文のひとつではないでしょうか。

 おっしゃるとおりです。散文でエッセイとか随筆、紀行文などのようなことを指したかったのです。詳しいことはよくわかりませんが、高校で文学作品のジャンルを勉強するとき、たしか詩歌、散文、小説、戯曲の四つだと教わりました。文学作品のジャンルは中国語で言うと、「文学体裁」と言います。また、散文の一番大きな特徴は「形散神不散」(形はばらばらだが、主旨ははっきりしている)です。詩と哲学との調和の産物のような気がします。

 今回のご回答文の日本語は私にとって非常に難しい日本語となっていますが、大変参考になりました。私は中島みゆきとさだまさしの歌詞は両方好きです。前者は奥深いであり、後者は美しいです。いろいろ紹介してくださり有り難うございました。 

お礼日時:2008/06/11 00:18

 かつて回答したものを挙げます。

こういうことでよろしければ。

 質問文に問題はありませんが、より自然な日本語文にするなら、「詩と散文の違いを知りたいのですが……」の前に「ところで」などの接続詞を入れると良いですね。中国語ではあまり登場しないので難しいかもしれませんが、慣れですね。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3985213.html
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。参考URLは拝読しました。大変参考になりました。質問文の添削にも感謝いたします。接続詞は確かに難しいです。ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/04 13:05

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q詩と散文などの違い

高校生の頃から、詩、俳句、短歌などを作って、同人誌のまねごとをして遊びましたが、よく考えてみると、それらについて正式な教育は受けたことがありません。最近考えるのは、詩って何だろうと言うことです。俳句などと違って字数の制限はありませんし、長いものになると40ページを越えるものもあると聞きます。散文などと詩では、何が違うのでしょう。詳しい方にお答えいただければ嬉しいのですが。

Aベストアンサー

 言葉の元来の意味で言えば、韻文とは「定型詩」のことであり、散文とは『定型詩以外」です。日本の伝統的な韻文は、(広義の)「和歌」(「今様歌」「連歌」なども含む)「俳句」「川柳」「都々逸」などであり、これは音数や使える語などに規定がありました。特に和歌は、音数以外にも、漢語を使ってはだめだとか「馬」は俗語だから「駒」を使えとか、非常に細かい制約の中での創作だったのです。
 明治になって西洋流の詩が輸入されたわけですが、欧米でいうpoetryとはまさに韻文で、一行の音数やら頭韻・中韻・脚韻やらの規則が厳然としたものでした。40ページを超えるような詩ですら、ひたすら音数と韻を守って書かれているわけです。こんなのは日本語ではことばの仕組みとして無理でしたので、せめて音数を一定にするといったくらいの制約の中で書けばよかろうという感じで新しい「定型詩」が生まれました。もちろん、定義からして「和歌」「俳句」なども「定型詩」の一種です。なお大正から昭和にかけて、日本語でも厳密に脚韻を踏んだ定型詩を作る運動として「マチネ・ポエティック」という運動があったそうですが、成功はしませんでした。話が飛びますが、現代のラップ音楽の歌詞は、あれは音数に制約があってかつ韻を踏んでますから立派な定型詩というべきですね。マチネ・ポエティックの失敗は、20世紀末になって達成されたとも言えるわけです。
 話を戻して「自由詩」は、一行の音数にも、韻にも何らの制約をなくしたものです。これは伝統的な「韻文」の定義を根底から覆すものですから、形式的には「散文」に属すると言うべきものです。実際に「自由詩」のことを「散文詩」と言うこともあります。形式的には小説やエッセイなど他の文体と区別することは不可能ですので、ある文芸を見て「自由詩」と判断するか「小説」と判断するかは見る者の主観でしか決められません。何を以て詩情とするか何てのは、決めようがないことです。
 なお論文や説明文などを散文ということはないようです。
 まとめますと次のようなところです。

韻文(定型詩)  和歌
         俳句
         川柳
         都々逸など
         狭義の定型詩  文語定型詩、ラップ音楽など
境界上      自由詩(散文詩)
散文       小説・エッセイ・紀行文など

 言葉の元来の意味で言えば、韻文とは「定型詩」のことであり、散文とは『定型詩以外」です。日本の伝統的な韻文は、(広義の)「和歌」(「今様歌」「連歌」なども含む)「俳句」「川柳」「都々逸」などであり、これは音数や使える語などに規定がありました。特に和歌は、音数以外にも、漢語を使ってはだめだとか「馬」は俗語だから「駒」を使えとか、非常に細かい制約の中での創作だったのです。
 明治になって西洋流の詩が輸入されたわけですが、欧米でいうpoetryとはまさに韻文で、一行の音数やら頭韻・中...続きを読む

Q散文詩と小説の違いについて

私は今、中学生なのですが、国語で授業で詩について勉強しています。
そこで、疑問を持ったのですが、外国人の作った詩はリフレインが続いていたりしてとっても長いですよね。詩と小説の境目はどこにあるのでしょうか。もしかして、外国では散文詩と小説の区別がなかったりするんですか?

特に、音楽で出てきたヴォルフガング・ゲーテのドイツ歌曲=リート「魔王」なんかになると、どこか詩なんだと叫びたくなってしまいます。ちゃんとストーリーがあるし、叙情詩ではなく叙事詩といったような趣きがあるのですが……「古池や」とか「雨にも負けず」が詩だというのが普通だった私にとって、理解しがたい点です。

Aベストアンサー

中学生さんが、学校の国語の授業だけでは理解できないのも当然でしょう。
たぶん、ですが、指導要領にそこまで教えるように書いてないんですね。
で、「短い行を幾つも並べたのが詩だ」なんて誤解が生ずるのです。
長くなりますが、覚悟はいいですか?(笑)

詩は韻文で、小説は散文ですね。
では、韻文と散文の違いって何でしょう?
小生も義務教育の頃、「自由詩」「散文詩」ってのが出てきて、何だか分からなくなった覚えがあります。
韻文とは、韻律を具えた文のこと。散文は、韻律を具えていない(のではなく、韻律を気にせずに作った)文のこと。

では、韻律とは何であるか。
ヨーロッパの詩(古代ギリシアを除きます)、中国の詩(これは全時代に共通)において、韻律とは押韻のことです。
押韻というのは、詩の一行一行の出だしかお終いの発音をそろえること。
小生の師匠は、「語呂合わせですから」って身も蓋もないことを仰有ってましたが。
例えば、例に挙げておられる「魔王」。日本語の訳詞を見てたんでは、それこそ散文との区別が付かないですね。
原文の冒頭はこんなです:
Wer reitet so spat(aの上に¨がつきます)durch Nacht und Wind?
Es ist der Vater mit seinem Kind;
Er hat den Knaben wohl in dem Arm,
Er fasst ihn sicher, er halt(aの上に¨がつきます)ihn warm.
各行のお終いを見て下さい。ドイツ語が分かんなくても、同じ綴りが繰り返されてるのは分かりますね? 一行目は「ヴィント」(風)、二行目は「キント」(こども)。ヴィントとキントとで、押韻(語呂合わせ)。三行目と四行目も、「アルム」(腕)と「ヴァルム」(温かく)とで、語呂合わせ。
こんなふうに、語呂合わせを繰り返してどこまでも行くのです。押韻をしている限り、どんなに長くても「詩」です。
押韻のやり方には、幾つか種類があります。「魔王」は一行目と二行目、ですが、ベートーヴェンの「交響曲第九番」の歌詞は、一行目と三行目、二行目と四行目、という具合に押韻してます。3の倍数の行だけ押韻する例もあったはずです。

アクセントの規則というのもあります。アクセントには、言語によって「高低」「長短」「強弱」などの種類がありますが、例えば母音の「長」「短」を、ある規則に従って並べなければならないのです。古代ギリシアの詩、すなわちホメロスの「イーリアス」「オデュッセイアー」などは、押韻はしていませんが、アクセントの並べ方が規則的なので、韻文、つまり「詩」に分類されるのです。岩波文庫で何冊にもなるほど長いですが、長くたって「詩」です。ちなみに、(日本語訳だけ見てるとそういう誤解があって当然ですが)、「長いから叙事詩」というわけではありません。叙事詩は長くなりがちですが、叙情詩だって長くなっていけない訳ではありません。

日本では、アクセントはまず気にする人はいませんね。百人一首を読むときに、係り結びや縁語・枕詞については注意するでしょうが、「アクセントに注意して読みなさい」なんて聞いたことないですよね。日本語ってアクセントには鈍感な言語で、昔のテレビアニメのロボットや特撮の宇宙人は(ああっ、トシがバれる!)、みんなアクセントの高低のない、真っ平らな日本語をしゃべっていました。日本語って、それでも分かっちゃう言語なんですよね。例えば現代中国語では、真っ平らに(高低をつけずに)しゃべったんでは意味不明になります。だから「アクセントの規則」なんてこだわりがあっても、誰にも分かってもらえない。わかってもらえないんじゃこだわっても仕方ないですね。
押韻の方はどうでしょう。語呂合わせですから、誰でも簡単にできちゃいますね。オヤジギャグって言ってバカにされるくらいで。で、誰でもできることを文学者がしたって誰も褒めませんよね。日本では、谷川俊太郎さんと井上陽水さんとが、押韻に挑戦して成功した例外的な人です。

近代になって、既存のことをやっていたんではつまらない、って考える人が現れて(何の分野でもそうですが)、韻文で小説を書いたり、散文で詩を書いたりし始めました。例えばプーシュキンの「イェヴゲニイ・オネーギン」は韻文で書かれています。そこで「韻文小説」と言われますが、「物語詩」って書いてある本もある。「詩」の定義からすると「イェヴゲニイ・オネーギン」は「詩」なんですが・・・。この辺は作者のネーミング(カテゴリー分類)に従うしかないんでしょうね。

日本の「詩」には韻律らしい韻律はありませんから、小生は「日本には詩はない。日本語は詩には向かない」って立場です(ああっ、国文の人から雨霰の非難が・・・)。平安朝の人々もそう思ってたみたいで、古文で「詩」と言えば漢詩のことに決まっていました。和歌はその通り「歌」。
明治になってpoemが入ってきたときに、これを「詩」と訳した。この「詩」が漢詩だけを指すのなら、大して問題はなかったのです(どっちも韻律を具えているから)。問題は、「詩」に和歌や俳句を含めてしまったこと。当時の文学者たちのヨーロッパへの対抗心のなせるわざだと思いますが、お陰で今の中学生が悩まなきゃならない。現代日本文学における「詩」の定義、分かり易いものがあれば小生もうかがいたいです。

長々と失礼しました。読むだけでも辛かったでしょう。文意が伝われば幸いです。

中学生さんが、学校の国語の授業だけでは理解できないのも当然でしょう。
たぶん、ですが、指導要領にそこまで教えるように書いてないんですね。
で、「短い行を幾つも並べたのが詩だ」なんて誤解が生ずるのです。
長くなりますが、覚悟はいいですか?(笑)

詩は韻文で、小説は散文ですね。
では、韻文と散文の違いって何でしょう?
小生も義務教育の頃、「自由詩」「散文詩」ってのが出てきて、何だか分からなくなった覚えがあります。
韻文とは、韻律を具えた文のこと。散文は、韻律を具えていない(...続きを読む


人気Q&Aランキング