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シューマンのピアノ協奏曲の様式について、
確かな知識を持っている方、教えて下さい。
ショパンのピアノ協奏曲と、どう違うんでしょうか

A 回答 (2件)

ずいぶん前のご質問だったようですが、締め切られていないようなので、まだ見て頂けるでしょうか?



ショパンのピアノ協奏曲1,2番は、一応はソナタ形式に従ってはいるものの、モティーフに有機的な関連性がなく、いろいろな部分に、様々な旋律や一回だけのモティーフがたくさん出てきます。

例えば、ショパンのピアノ協奏曲2番ヘ短調の第1楽章では、オーケストラのTutti-1の部分では、Th.1の後に、Th.1の後奏(ファーラーソシラーソ)が続きます。

通常なら次のピアノソロ、いわゆるSolo-1の部分はオーケストラのtuttiの部分と同じ旋律を反復するのですが、ショパンの場合、Solo-1でTh.1が出たあとに、ピアノソロにしか出てこない固有の付加主題(ドードーミーソーファーファーだったかな?)が出てきて、ピアノを目立たたせています。

ピアノ固有のソロ主題が現れるよいうことです。

また、至る所の推移部に、ピアノでパッセージ的な16分音符の部分、すっごく技巧的で引きにくい所、がいっぱいでてきます。
これはショパンのピアノ協奏曲にしかない特徴で、ショパンはソロの部分でオーケストラを控えめにして、ピアノをあえて技巧的にして聞かせています。ピアニストを目立たせたいという、イタリア式のコンチェルトの作り方になっています。

これに対して、シューマンはドイツで生まれ、ベートーヴェンの伝統を感じながらドイツ的なピアノ協奏曲を書いています。
シューマンの協奏曲では主題のモティーフの有機的関連を意識して作られていて、展開部も、ショパンのように突然、関係のないモティーフやパッセージが出てくることなく、今まで提示部で使用してきたモティーフをもとに主題労作をおこない、伝統にそった展開部の作り方をしています。

なぜショパンのピアノ協奏曲はこうしたドイツのモティーフの有機的関連という伝統を意識せずに、あのような自由なピアノ協奏曲を書いたのかというと、ショパンはポーランドに生まれた作曲家であり、教育も遅れていたし、とりわけ、師であるエルスネルがショパンに「形式の型にとらわれず自由に音楽を書きなさい。それがあなたの個性になるでしょう」というようなこと教え込み、ショパンはそれに従ったからだと考えられます。

ショパンはピアノ協奏曲を2曲書いた後、ウィーンに行き、そしてワルシャワ蜂起が起きたため、ウィーンにも居にくくなり、パリへ行きます。

そしてそこで初めて、シューマンやリストの音楽、そしてそれとともにドイツ音楽の伝統の強さと、今の自分の生きている時代のロマン派の運動を知ったわけです。いわゆる、ポーランドという田舎町から、ようやく先進国に出て、最新の音楽に触れあうことができたのです。

そして今までのショパンの音楽スタイルは一気に変わりました。しかも、それまでのショパンの個性をいかしつつうまいぐあいに、ドイツの伝統と自分の個性を結び併せていきました。

その最終点が、ロンド形式と変奏曲形式を融合させた新たな単一のソナタ形式、いわゆる、バラード4番です。

スケルツォ1,2,3,4,番もソナタ形式なのですよ。
バラードの1,2,3,4番もみんな。でも、なかなか音楽を聴くだけではそういう風には聞こえませんよね。

ショパンの話だかりになってしまって申し訳ありませんが、ショパンのソナタ形式を中心に研究していて、ようやくピアノソナタ1番が終わり、2つの協奏曲までの分析研究が終わったの身のものなので、わたしなりに、ご質問にお答え致しました。
わたしは今、修論でショパンのソナタ形式について学んでいてこれから研究していくので、また、なにかご質問等があったら、わたしがもうちょっと勉強して詳しくなったころ、また、ご質問下さい。そうすればもっと細かく説明できるかもしれません(^-^)

英語やドイツ語は読めるでしょうか?
もし読むことができるなら、シューマンやショパンに関するヨーロッパの文献、伝記ではなく、分析研究のものを読むと、この時代のことが分かってくると思います。
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質問の意味がよくわかりません。


いきなりピアノによる序奏があるとかいうことなのでしょうか?
第2楽章でロマン派以降の作曲家がよく用いる前の楽章の旋律をもう一度回想するとかという作風とかでしょうか?
ショパンのピアノ協奏曲を比較の対象にする根拠は?
また、ショパンは2曲書いていますが、どちらと比較するのでしょうか?
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