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ふと、せがわまさきという漫画家の「なりゆき聖母」という短編漫画を思い出しての疑問です。
漫画のあらすじは(記憶に頼っていて不確かな部分がありますけど)、
1.江戸時代?隠れキリシタンの家族が役人の弾圧を逃れるために船出をしたものの難破して、幼い少年が生き残って海辺に漂着する。
2.以前、その少年に危ういところを救われたことがある小さなカラス天狗が、少年を見つけてかくまって傷の手当をしてやる。
3.カラス天狗は少年を介護していて少年の持ち物のマリア様の絵(もしくはマリア像)から、これが少年が崇拝する南蛮の神様の姿だと知る。
4.カラス天狗は生死をさまよう少年を励ますために、アバズレっぽいキツネの姉御に頼み込んでマリア様に化けてもらう。
5.最初はしぶしぶ頼みを引き受けた女狐も、自分が化けた聖母マリアをみて少年が喜ぶ表情にまんざらでもない様子。

ざっと、こんな感じの話でした。
私のような無宗教の者から見た場合、この話はカラス天狗と狐の可愛い人助けの話です。
ただ、クリスチャンの方から見た場合はどうでしょう?

けち臭いカラス天狗がクリスチャンをだまそうと画策したり、
酒飲みの不良キツネがマリア様に化けるのって、、
正しい?、やむを得ない状況?、絶対に駄目?

また、偽りのマリアを本物だと信じて拝んだこの少年の行為は、
正しい?、やむを得ない状況?、絶対に誤り?

「次の物語の状況で、偽りのマリア様を拝んだ」の質問画像

A 回答 (1件)

あまり、教訓じみたことを評論するべきでもないと思いますが。


①「以前、その少年に危ういところを救われたことがある小さなカラス天狗が、少年を見つけてかくまって傷の手当をしてやる。」
これは、因果応報とか、情けは他人のため不成とか、損して得取れ、などと共通の訓示を秘めていると思います。
「クリスチャンをだまそうと画策」という雰囲気は、ご説明のストーリーでは、なさそうですが、原作にはあったのでしょうか。
②「アバズレっぽいキツネの姉御に頼み込んでマリア様に化けてもらう。最初はしぶしぶ頼みを引き受けた女狐もまんざらでもない」
親切なキツネより、アバズレっぽいキツネの姉御の方が、後の展開に読者の期待感が大きくなるかな。まんざらでもない、最初はいやでもやってみると面白いことはよくあります。食わず嫌いとか。
不良キツネがマリア様に化けるのが正しいかどうか?不良キツネですから、悪いことやって当然。悪意があったかどうかわかりませんが、あってもかまわない。物語としては悪者がいないとつまらない。
③「偽りのマリアを本物だと信じて拝んだこの少年の行為は、正しい?」偶像崇拝の問題ですが、善悪は別として、あまねく偶像崇拝は行われています。そこに神がいるかどうかは関係ありません。
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