出産前後の痔にはご注意!

「火垂るの墓」で、節子がドロップではなくおはじきを口に入れているシーンがあったかと思いますが、
そのときに兄が、それはおはじきだ、という内容のことを言ったと思います。
そのセリフ、正しくは何だったか、わかる人はいませんか?

A 回答 (3件)

清太:節子遅うなってごめん。

今白いお粥さん炊いたるさかいな。
節子:上行った、下行った。あっ止まった。
清太:うまいこと卵もかしわも買えたんやで。節子、何舐めとるんや。これおはじきやろ。ドロップちゃうやんか。(清太が口からおはじきを取ってやる)今日は兄ちゃんええもん持ってきたんや。節子の大好きなもんやで
節子:兄ちゃんどうぞ・・・
清太:なんや節子
節子:ご飯やん。おからも炊たんもあげましょうねどうぞお上がり、食べへんの
清太:節子、ほら西瓜や、すごいやろ、盗んだんちゃうで。ほら西瓜や。
(清が西瓜を割って、節子の口に入れてやる)
節子:おいしい・・・
清太:待っててや、すぐ卵入りのお粥さん作ったるさかい。西瓜ここへ置いとくさかいな
節子:おおきに・・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
こんな長くやりとりを書いてくださるなんて、本当に感謝です。

お礼日時:2005/03/28 10:43

記憶のみ…で



確か空のはずのドロップの缶をふったらカラカラと音がして、確かめてみるとおはじきが入っていた。
それでおはじきをなめてるのに気づいた時のセリフは
「節子、なに舐めてるんや?」

おはじきを取り出した時のセリフは
「これ、おはじきやんか!ドロップちゃうで?!」
だったと思います。
ちょっと語尾がややこしい;

哀しいやり取りですよね…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/28 10:46

お兄ちゃん(清太)「うまいこと卵もかしわも買えたんやで。

節子、何舐めとるんや。これおはじきやろ。ドロップちゃうやんか。今日は兄ちゃんええもん持ってきたんや。節子の大好きなもんやで」
です。
悲しすぎです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
火垂るの墓はほんとうに悲しすぎですよね。

お礼日時:2005/03/28 10:45

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Q「火垂るの墓」 ・・・おばさんのした行為??

「火垂るの墓」をドラマで観てから非常に悩み続けています。

おばさんが途中から、清太君と節子ちゃんにだけ食事の量を減らしたのですが、これは仕方のない行為なのでしょうか?
いかに戦争中といえども可愛そうでしかたありません。

私だったら自分の子供の手前もあるし、同じ食卓では平等の食事を取らせると思います。
ただし、どうしても我が子を助けたいというのであれば、後でこっそりと「清太君と節子ちゃんには内緒だからね」と言って別の食事を与えるかもしれませんが…
ただこれも私の想像にすぎません。

皆さんはどう思いましたか?

Aベストアンサー

他の質問に回答したのと一部同じ内容で恐縮ですが。。。

まずhdko7080さんがそう感じたのはドラマの演出に問題があるからだと思います。

この物語を清太の視点を通して見ると、戦争=大人に属するもの、おばさん=大人に属するもの、ということで、大人の論理に非合理に徹底的に打ち負かされてしまったことを妹の死が象徴している、というのがアニメ版の演出かと思います。なので妹の死はまだ児童である清太の視点ではどうしても理解できない矛盾に満ち溢れており、その矛盾を無理やり受け入れざるを得ない状況に追い込まれている清太の気持ちを通して、視聴者がストーリーに共感するという構造になっているべきものと思います。つまり大人の論理で捉えるのではなく、子供の論理で捉えてこその物語のはずです。ちょうどマッチ売りの少女と同じですね。

なのに、TVドラマの方は妹の死のあとで、おばさんが「戦争とはこういうもの」と自分を正当化し、そこに視聴者の共感を得るように演出してしまっています。おばさんの論理は大人の論理であって、子供の論理からするとあまりにも理不尽(理解できないもの)です。まず清太や節子は親戚であるおばさん(大人)を信じていたはずなのに裏切られてしまい清太は理解に苦しんだはずです。また戦争自体が母親や父親を奪い、これまた理解できるようなものではありませんし、その戦争があっけなく終わってしまうのも理解に苦しむでしょう。そして節子の死です。それをドラマの最後で「そういうものだ」と正当化してしまうのです。しかも視聴者に比較的良い印象を与えてしまう松島奈々子をキャスティングしたことで、大人の論理の正当化をより印象づけてしまっています。

ドラマ版の方の主張が子供の論理より大人の論理を優先させているような印象を与え、大人=強者、子供=弱者という構図で考えると、映画版(アニメ版)に比べて相当低俗なものになり下がってしまっていると言わざるを得ません。例えばマッチ売りの少女にも叔母がいたとして、マッチ売りの少女が死んだ後、その叔母が「あの娘は弱いから死んだのよ、だからあなた達は強くなりなさい。」、「あの娘は死んだけど、ママはこの時代あなた達が生きていてくれることが望みなの。あなたたちのためにがんばるわ。」なんてセリフをくっつけて、物語として何の意味があるのか?

では、現代でもおばさんの論理に共感できるかと言えば、現代の社会で育ち教育を受けた私には全く共感できません。当時のおばさんが受けた教育と現代の私達が受けている教育は全く異なります。おばさんの論理は当時のおばさんだけが正当化できうる論理であって、現代の人がおばさんと同じ思考をしてしまったら、それはTVドラマのトリックだと思います。なので、あのおばさんの論理を現代人に共感させようとするドラマの演出がよくないと考えています。個人的には、この物語のテーマは“子供の世界から見た大人への痛烈な批判”なのだろうと考えており、物語の背景に戦争があるものの、戦争があろうがなかろうが過去、現在、未来に関わらず普遍的なテーマゆえに現代の私達が共感できるのだろうと考えています。ですからアニメ版のように子供の視点で当時の社会や大人の矛盾を現代に置き換えて共感させるように演出するのが正解だったと思います。実際にTVドラマ版を視聴していて、節子の死までは涙にむせいでいましたが、その後のおばさんのセリフでしらけちゃいました。

以上が私のこの物語の見解です。そういう観点からすると、現代人であるhdko7080さんの悩みはごく自然だと思いますよ。hdko7080さんであれば、おばさんよりもっと良い選択肢を持っているでしょうし、もっと工夫して対処できるはずです。そしてきっと清太や節子は生きているはずです(当然じゃないですか)。ですからおばさんをご自身にそのまま当てはめて悩まずに、おばさんのバックグラウンド(当時、どういう育ち方をしたのか、どういう教育を受けたのか)を想像して、おばさんと自分で何(社会、信仰、モラル、教育、政治等)が違うのかを調べたりご自分の意見として考えてみるのがよろしいのではないでしょうか。それと物語的には、おばさんは大人の象徴だと思うので、やはり子供の清太の観点で現代を考えてみるというのがよいと思います。

他の質問に回答したのと一部同じ内容で恐縮ですが。。。

まずhdko7080さんがそう感じたのはドラマの演出に問題があるからだと思います。

この物語を清太の視点を通して見ると、戦争=大人に属するもの、おばさん=大人に属するもの、ということで、大人の論理に非合理に徹底的に打ち負かされてしまったことを妹の死が象徴している、というのがアニメ版の演出かと思います。なので妹の死はまだ児童である清太の視点ではどうしても理解できない矛盾に満ち溢れており、その矛盾を無理やり受け入れざるを得ない...続きを読む


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