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雅子様信者が、雅子様の高祖父は、鎌倉の鶴岡八幡宮の宮司というのは本当ですか!

A 回答 (2件)

母方の家系をたどって判明した最も古い先祖は、高祖父に当たる佐賀藩士・江頭嘉蔵。

「手明鑓(てあきやり)」と呼ばれる身分だったと考えられ、明治維新後は旧制佐賀中学校(現・佐賀西高校)で校務員として働いた。

 その次男で、雅子さまの曽祖父、江頭安太郎海軍中将は、旧制佐賀中学校を経て、海軍兵学校を首席で卒業。遠洋航海から帰国後、明治天皇の前で講演しており、これが皇室と江頭一族との初めての接点だった。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2022/06/27 04:22

そう言えば、脱線ついでですから、もう一つ、佐賀藩独自の藩士の身分について触れておきましょうか。

“手明鑓”という身分で、“てあかりやり”と読みます。正式な侍である平侍の下、先ほどの徒士よりも一つ上の身分で、財政難から50石未満の侍の知行を取りあげ、一律15石の切米を支給したものなので、佐賀藩にはいっぱいいました。これはもともと戦時には槍一本、具足一領で軍役を担うということで平時は無役なはずでしたが、当然、江戸時代に戦なんてありません。なので、やはり技能職から事務職に切り替える必要があり、結局、バリバリ役人をやらされるようになっています。たとえば有田関連では、皿山代官所には役人が20数人ほどいましたが、正式な侍格なのは代官くらいで、主力のほとんどはこの手明鑓で、番所担当あたりが足軽だった。
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