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僕はカルマを信じています。
カルマとは、「過去での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる」という因果応報の法則です。

僕は嫌な奴で、悪い行為もたくさんしました。きっとそのカルマが貯まっています。いずれそれが自分に帰ってくると考えると怖いです。良い行為をしてそれを薄めようとしていますが、帳消しにできるところまで行けるか不安です。

いずれ悪いカルマが返ってくるとして、どのような心構えを持てばいいですか?
まな板の鯉として諦めの心を持ち、すべて受け入れるべきですか?
それともむしろ楽しむべき?

A 回答 (5件)

その状態は既にカルマを受けている状態で


過去の罪悪感を考え反省している状態ですね・・・。

解消には
善行を繰り返せば良い訳ですが
この「善行」が何かかが解りません
そこで一つの目安として
その相手の人の心を「正しい方向」に変えた時の事だと
解釈すれば良いと思います。

そこでこの「正しい方向」とは何かですが
正しいとは「神」の方向に近づく事を言い
心の波動が上がる事を言います。

他人にこう言う事をしている時が
人生の徳を積んでいる時だと解釈しましょう
この徳は積めば積むほど貴方の霊格は上がります
霊格が上がるとその後の人生にも影響して
大きな問題や困難がなくなります。

なぜなくなるかと言うのは
貴方の指導霊が高級な霊に入れ替わって行くからです。

体たらくな生き方をしていると
霊格の低い指導霊に変わって行きます。
高級な霊ほど能力も高く危機からの回避能力も高いですよ
人間は誰でもこの指導霊達と一緒に生活していると理解すれば良いです。

ボランティアをすれば徳が上がるとかはよく言われますが
これはまさにこう言う事が起こっている現場で
人を助ける → 相手に感謝と言う概念が出て来る → 言葉に「感謝!」が出て来る
この人に感謝すると言う行為が
心が「正しい方向」に動いたと言う事です。

ですからこれはボランティアに限らず何でも良いですね
普段の生活の中で人の為に出来る事を探し
同時に人に感謝するようにすれば
自然に徳は積めるようになっていますよ!


ボランティアの尾畠さんの言葉です
「人の嫌がる事はしない」
「自分がされて嫌な事はしない」
「自分がされたらうれしいことを人にしてあげる」
「他人の誹謗中傷、悪口は言わない。」
「そういう人とは無理に関わらない、群れない。」

とても大切な事だと思います!
https://president.jp/articles/-/27394
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過去に悪いカルマを積んでも


必ずしもその酬いが未来に来るとは
限りません、ただ来世では必ず来ますので
今から善行を積むことでしょう
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あなたは自分の行いを恥じたり、もう同じ過ちは努力をすることでしないように変えようと思っていますか?まず詫びる気持ちが心になくただ漠然と人に何かやってしまった、動植物や公のものへ被害を与えたと捉えているのであればまずあの過去の行いは恥じるべきだったと心の中で認めるところからスタートなのでそこをクリアできているなら誰かが困っている時に手を差し伸べるなど善行を積むのは意味があることと思います。


あなたはカルマを信じているといいますがまだ自分に返ってきていないと思っているのか運が悪くなってきているとは書かれていなかったのでいつかしっぺ返しがくると感じておられますね。
あなたはいいことをしても無駄だとおもっていないので回答をするのですが変わって下さい。いいことをするようにするだけで好転させていきたいと思うのではなくそんなことは不可能だと自分の中でどこか殻を破れていない点をかえてください。
それは気持ちよく相手に接するために自然に笑うことを増やすことかもしれませんし、家族や身近な人へ接する時に敬いや礼儀を大事にすることなのかもしれません。
神様はあなたを憎くていじめたいのではなくいろいろな穢れをその人が苦しむことで薄めていくのです。薄め続けるためにここでもう何も不幸は起きない!という期限は設けてもらえないかもしれません。それでもあなたが殻をやぶってせめて自分の手の届く距離の相手には感謝や喜びをもって接しようと日々つとめていけばたとえ不運が起きてもあなたを支える存在は絶対あらわれます。
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やったことの責任取っているだから仕方ないですね


どんな形に変形して現れるか楽しんでください
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日本語で言うところの「業」ですね。



業には善業と悪業があり、おっしゃるとおり、それはいわば貯金や借金のようなものであり、いつか自分に返ってくると思うべきです。

そして、過去の悪業を消すためによい行いをしようとする考え自体が非常に尊いことですし、それは消せるかどうかという以上に尊いことです。

また、悪業の報いを受けるにしても、報いである以上、報いを受けることで悪業が消えていくとも言えるわけで、それは結果的にあなたが望んでいることと同じなのではないでしょうか。

よって、いまの時点ですでに尊いし、仮に悪業の報いがあるとしてもそれは善業を積むことと同じだと考えて、素直に受け入れていくのがいいのではないでしょうか。
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