純文学と大衆文学の違いがわかりません。どんな違いがあるんでしょうか。

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A 回答 (3件)

 近代日本の「純文学」は、人間の自我をめぐって悩み苦しむあたらしい人間像を描いた文学、と端的に定義できるのではないかと思われます。

それに対して「大衆文学」とは、自我の問題や、人間がどう生きるべきかを主題にするよりも、まずエンターテイメントであることを追求した文学である、と定義できるのではないでしょうか。
 「純文学」も「大衆文学」も、それらをささえる「文壇」と「大学=アカデミズム」といった制度があってはじめて意味を持ち得る、といった側面があると思います。
 ご参考までに、日本近代文学における「純文学」と「大衆文学」の差異に関する文芸評論家の勝本清一郎(1899-1967)の発言を紹介しておきます。勝本は、「人生の問題について、〔夏目〕漱石の言葉で言えば、生きるか死ぬか、命のやりとりをする課題と取り組んで、全然新しいタイプの人間の生き方を示唆したり、時代の既成観念と戦って新しい美の発見を打ち出すなど、いずれにせよ独創的な道を切り開いているのが純文学です。その切り開いてるものは、前人未踏の境地にメスを入れた成果のわけだ。あとから見れば結局人間の世界にもとから存在したものに相違ないんだけれども、いままで誰もが取り出さなかったもの、美にせよ真理にせよ生活的事象にせよ誰の目にもつかなかったもの、世人の認識も感覚も感情もそこへいっていなかったものを取りだしてくるといったようなことをやってるわけです」と述べ、「それに対して大衆文学のほうは、家庭小説であろうと、探偵小説であろうと、いわゆる大衆文芸であろうと、とにかくなにか純文学の人が一ぺん歩いたあとの材料を再構成している事情がある。だから産業で言えば、第一次産業ではなくて、第二次産業です。〔中略〕江戸川乱歩の探偵小説が出てくるためには、どうしてもその前に谷崎潤一郎の「刺青」とか「お艶殺し」とか、もっと直接的には「柳湯の事件」とか「途上」とかいう作品の出現が社会的条件です。それらがなければああいうものは出てこないわけでしょう。乱歩の「D坂の殺人事件」だとか「心理試験」だとか「人間椅子」だとか、これらはあきらかに谷崎文学の初期の怪奇趣味やエロチシズム、ああいうものから来ているんだし〔後略〕」と言っています(柳田泉・勝本清一郎・猪野謙二編『座談会 明治文学史』、岩波書店、1961年6月、pp.479-480.)。
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こんにちは。



No1さんの言うとおり、大概は以前大衆文学だったものが純文学に移行するケースが多いような気がします。

一番有名どころでは(古典になるけれども)
『源氏物語』
貴族の子女を中心とした大衆文学ですよね?当時は。
学校では、難しい文体の作品を純文学の部類にしがちですよね。
堅苦しいイメージがついて、逆に読み難いったらないのですが。(因みに若い頃、小説を読みふけっていると男女ともに意外とモテますよ。)

今でも世間ですと、
 "大衆文学の『時代小説』読んでいます。"
で充分純文学読者の扱いをされますね。
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 文体の美しさ、表現の美しさといったことを重視する、いわゆる「芸術としての文学」のことを純文学といいます。


 対して「暇つぶし用の読み物として楽しい」もののことを大衆文学といいます。

 これら通常、相反するものとして語られることが多いですが、その境界線は必ずしもハッキリしているわけではありません。
 たとえば有名な「雪国」などは、どちらに分類すべきものなのか、いまいちはっきりしません。

 また、本来は大衆文学として書かれたものが、時代ごとの人々の考え方の変化によって純文学として扱われるようになったり、またはその逆のパターンがあったりします。
 夏目漱石の小説などは、教科書を見ていると「おいおい、『坊ちゃん』は純文ぢゃねぇよ」とツッコミれたくなるような扱われ方をしていることがあります。
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Q非純文学の定義

僕は最近小説を読むようになり純文学というものの存在を知りました。
辞書によれば「通俗文学・大衆文学と違って多く売れることを期待せず、純粋に芸術的な意図の下に作られている文芸作品」だそうです。

それはすごくすばらしい事だから純文学を読みたいと思ったのですが、何をもって多く売れることを期待しているかいなかを判断すればいいのか?という疑問がわきました。
その他にも純文学なのか非純文学なのかを判断するポイントがあれば教えてください。

Aベストアンサー

こんばんは。
読書好きの二十代後半の女性です。

「純文学」と「非純文学」の線引き、ですか。。。「多様な価値観」が叫ばれ「尊ばれるべき」とされる中で、語弊/誤解を恐れずにこれを語る事はなかなかに難しいな。。。と思えます。^^

ちょっと、ウィキペディアを覗いてみましたら、
「現代の主要な純文学作家としては、北杜夫、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、島田雅彦らの名前が挙げられる。」となっておりました。「純文学」で検索したら出て来ましたので、参考になさると良いかと思われます。

さて、
「何をもって多く売れることを期待しているかいなかを判断すればいいのか?」を「中心」に、「純文学か非純文学か?」について、がご質問ですね。。。。

「評価」「分類」と言うものは、「過去に対して」のもので、「作家の意図/主題」と言うものは「未来に対する」ものです。そして、私が考える「純文学か非純文学か?」の違いは、この「作家の意図/主題」の違い、です。

故灰谷健次郎さんの「少女の器」にこんな一節がありました。。。。
「それで、何? パパ」
「なんだったっけな」
「人に認められるのはうれしいことだけど、しかし・・・とパパはいったでしょ」
ああ、と男はいった。
「つくり手はね・・・」
「芸術家という意味?」
「自分で芸術家というのは面映いだろ」
「分かる」
と絣はいった。
「つくり手というものは作品の値打ちと世間の評価は本質的に関係ないと思っていないと堕落するってことをいいたかったんだよ」

「純文学作家」は、
*「作家の意図/主題」先行
*この「意図/主題」に「流行」「人気」は加味されず、
*作家自身の「思考」「本質」「衝動」によって「生成」される
*「商業面の成功」については「まあ、売れたらいいかな。。。」くらい

「非純文学作家」は、
*「意図/主題」に「流行」「人気」が多分に加味されて「選択」される。
*「商業面の成功」の目処が立っている。
*いわば「職業作家」という感じ。

いくつもお読みになって行くと、「重たい」と感じる作品に出会うと思います。私はそれこそが「純文学の必須項目」だと思えます。「重たさ」は「作家の人格の重たさ」だと思えるのです。「重たい人」って、昨今「人気が無い」ですよね。「彼女にこんな発言されたら重たくて嫌ですよね?」等と言うフレーズを良く聞きます。あまり「重たさ」って「好かれません」。

古くなりますが、夏目漱石の「我が輩は猫である」は「大衆小説」だと思われますが、「こころ」等はとてもそのような分類は出来ません。この「重さ」の違いが、「純文学と非純文学」の違い、と私は考えております。

これで回答になっていますでしょうか。。。

こんばんは。
読書好きの二十代後半の女性です。

「純文学」と「非純文学」の線引き、ですか。。。「多様な価値観」が叫ばれ「尊ばれるべき」とされる中で、語弊/誤解を恐れずにこれを語る事はなかなかに難しいな。。。と思えます。^^

ちょっと、ウィキペディアを覗いてみましたら、
「現代の主要な純文学作家としては、北杜夫、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、島田雅彦らの名前が挙げられる。」となっておりました。「純文学」で検索したら出て来ましたので、参考になさると良いかと思われます。

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Q純文学と大衆小説の違いについて教えてください! 純文学 →読者を意識せず、作者が、伝えたいことや思う

純文学と大衆小説の違いについて教えてください!
純文学
→読者を意識せず、作者が、伝えたいことや思うことを作者のセンスで書いたもの。
大衆小説
→読者を意識し、読者が読みやすく親しみやすいよう書かれたもの。

自分なりに説明してみるとこんな感じなんですけど、こういう認識でいいんでしょうか…。よくわからないのでお願いします。

Aベストアンサー

大衆小説は、おもに筋や展開の面白さで読ませるもので、読者は基本的に、主人公や周囲の人物に感情移入して、ハラハラドキドキできればそれでいい、というものです。

純文学は、ストーリーはそこまで重要ではなく、言葉や表現そのものの奇抜さや面白さを味わわせたり、普通なら思いもしないような感覚や感情を描いたりするものですね。

Q純文学・大衆文学

最近気になって仕方がないのですが、純文学と大衆文学の違いとは
何だと思われますか?

学術的な定義はよくわかりませんが、自分自身は

・純文学→人間や生き方を追求。人の内面世界を重視。固め暗め。
・大衆文学→ストーリー自体の面白さを追求。エンターテイメント性重視。軽め。

という風なイメージを持っています(個人的には大衆文学の方が好みです)。

でも、最近、「純文学はエンターテイメント性は低いのか?」「大衆文学
だって、人間を深く描いているものもあるじゃないか」、という疑問を
持つようになり、「純文学・大衆文学の違いってなんだろう」と思うように
なりました。特に、純文学って何?、と。

知人とそのことについて話したところ、「自分は純文学と言われる本は
嫌い」とのこと。理由は、「作者も登場人物も自分(の世界)に酔ってる
感じがする」「内面がドロドロ書いてあって、書いた本人はスッキリ、
読んでる方はどんより。わざわざ暗い気分になるために本を読みたくない」
からだそうです。これは、その場のノリで話した内容なので、極端な言い方
だとは思いますが、私自身が「読後感がスッキリ爽やかな明るい純文学」に
出会ったことが無かったので、少し納得したりも(笑)

線引きや言葉の定義について深く考えることもないかな、とも思うのですが、
何となく気になるので、純文学と大衆文学の違いやそれぞれの魅力について
皆さんの意見をお聞かせ願えればと思います。また、それぞれのお薦めの一冊、
というものがありましたら教えていただけると嬉しいです。範囲が広すぎる
とは思いますが、あえて!特に、明るい純文学を知りたいです。

内容の薄い質問の割に、うまくまとめられず長くなってしまい、失礼しました。
お時間のある方、よろしくお願いします。

最近気になって仕方がないのですが、純文学と大衆文学の違いとは
何だと思われますか?

学術的な定義はよくわかりませんが、自分自身は

・純文学→人間や生き方を追求。人の内面世界を重視。固め暗め。
・大衆文学→ストーリー自体の面白さを追求。エンターテイメント性重視。軽め。

という風なイメージを持っています(個人的には大衆文学の方が好みです)。

でも、最近、「純文学はエンターテイメント性は低いのか?」「大衆文学
だって、人間を深く描いているものもあるじゃないか」、という疑問...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。
お礼読ませていただきました。すぐに補足を書いたのですがgoo側に
削除されてしまったようで、kaigaisenさんの補足要求の再回答が
結果として遅れてしまい、失礼しました。

<<宮本輝について>>
純文学より大衆文学にカテゴライズされる作品がはるかに多いです。
ダ・ヴィンチ誌上インタビューで「希代のエンターテインメント小説作家」
というタイトルが振られるくらいです。
『道頓堀川』から読書を始められるのはお薦めしません。純文学→大衆文学への
変遷作なので、
(1)作品として洗練されていない(私個人は大変好きな話ですが)
(2)もし純文学と大衆文学の違いを理解されたいなら川三部作を初めから読むほうが
  よい(『泥の河』『蛍川』『道頓堀川』の順)
という要素があるからです。
kaigaisenさんが質問の「純文学・大衆文学」にこだわって理解を深められたいなら(2)の方法で作品を読むとよいかもしれません。
単に宮本作品を読んでみよう!と思われたのでしたら、『ここに地終わり海始まる』『錦繍』がよいかも。
また全集が出ていますので、それを順に読まれてもよいかもしれませんし、
映画化された作品が多々ありますので、それらをご覧になってもよいかもしれません。江角マキコ主演の『幻の光』、岸谷ゴロウ(漢字分かりません)出演の『わたしたちのすきだったこと』などあります。

<<漱石・鴎外について>>
鴎外は『舞姫』かな?
漱石はわたしも『こころ』がよいかと思います。

<<純文学の暗さについて>>
生と死はどうしてもエンターテインメントなしに語ると自然と暗くなりませんか?
だから意識して暗くかいてるわけじゃないと思います。
ただ海外の純文学は日本のものより明るいイメージを抱くことが。
芸術作品を作り上げる際に影響するだろう、国民性の違いでしょうか?

こんにちは。
お礼読ませていただきました。すぐに補足を書いたのですがgoo側に
削除されてしまったようで、kaigaisenさんの補足要求の再回答が
結果として遅れてしまい、失礼しました。

<<宮本輝について>>
純文学より大衆文学にカテゴライズされる作品がはるかに多いです。
ダ・ヴィンチ誌上インタビューで「希代のエンターテインメント小説作家」
というタイトルが振られるくらいです。
『道頓堀川』から読書を始められるのはお薦めしません。純文学→大衆文学への
変遷作なので、
(1)作品として洗...続きを読む

Q新人文学賞の傾向(純文学系)

新人文学賞に応募したいと考えています。
文學界新人賞、群像新人文学賞、新潮新人賞、すばる文学賞、文藝賞、のどれかに応募したいと思ってます。
過去の入選作などを読んだりしているのですが、傾向があるようなないような。
例えば、主人公の視点がひねくれている(笑)とか、性を主題にしているものが多いとか、今時の世間で流行っている気分が出ているとか、主人公の年齢層とか、受賞者の年齢層とか、結末がハッピーエンドかアンハッピーかとか、etc。
何か感じることがあったら教えて頂きたいのですが。
よろしくお願いします!

Aベストアンサー

純文学系のことはよくわからないので単なるイメージですが、カラーはやはりあると思いますよ。読者層が若いとか、保守的とか、とんがってるとか。

どの程度研究すべきかは何とも言えないでしょう。
付け焼き刃でも入賞することもあれば、研究し尽くしたって何ともならない場合だってあるでしょう。
結局は作品が全てということです。
ただ、新築の家にリフォームのセールスに行くような真似はしたくないですから、アバウトに流れを把握しておくくらいのことは必要でしょう。
それがどこまでプラスになるかはわかりませんが、少なくともマイナスではないはずです。

Q最近の小説は純文学よりえらいか

僕は純文学が好きで色々読んできました。先日友達と話していたら、「純文学は難解なだけで読むだけ無駄だと思うけどな。最近の小説の方が面白いし偉いと思うよ。」と言われ、ちょっとショックを受けました。どういう基準でえらいと言っているのか分かりませんが、純文学を読むのは無意味なことでしょうか??

Aベストアンサー

1冊の本との出会いが人生を変えることもあります。本を読むことは無意味ではありません。

ただ難解なだけの物が何百年、何千年と受け継がれるでしょうか。純文学を含めいわゆる芸術作品は「良いもの」だからこそこの世に存在しているのだと思います。

大衆小説や流行歌も無意味ではありませんし、世界中に味わい尽くせないほどの芸術があります。気にせずどんどんいろんな物に触れましょう。

参考URL:http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/kt-1000sp.htm

Q純文学の面白さがわかりません

純文学の面白さが理解できません、
「どこが面白いのですか?」などと野暮な事を聞くつもりはありません、
ただ、多くの人々に知られている
「夏目漱石」「川端康成」「芥川龍之介」etc...

そういった物を理解できないのはつまらないのです、
昔と今ではセンスが違うのかもしれませんが、
できることなら面白く読んでみたいものです。

同じような経験のある方、もしくはこういった文学作品を読みなれている方、アドバイスをいただけたら幸いです。

Aベストアンサー

No.1の方の『こころ』が高校生には分かるまい、というのは分かります。

映画なんかもそうでしょうけど、本も、
何年もしてから再度取り出して読んでみると、違う感想を持ったりするものです。
三島の『金閣寺』なんかも、読み返してないけれど、
たぶん今読んだら違うのかもなぁ。

でもあまり「純文学」と考えなくていいと思いますよ。
(私もさほど多く読んでいませんが。太宰は読んだが芥川は読んでないとか)
好みもありますし・・・・・・。
夏目漱石の『こころ』は良かったけど、『虞美人草』は分からん、とか

『こころ』は、大学生の青年が、たまたま夏休みの浜辺で知り合った
「なんかカッコイイ大人だな」と思った“先生”。
その先生の謎、みたいな感じで読んでみるとか。
実際、そういう話だと思うのですが(^^;
もちろん、時代背景まで読み込んで深く読む読み方もあるわけですが、
一般読者は評論家ではないですから。

太宰さんの『人間失格』なんかは、自分の中にも「わざと演じている」
ところが多少あると、アイタタタ、という感じかもしれません。
誰でも少しはあるのではないか。

純文学だろうがエンタテイメント小説だろうが、
「登場人物の誰かに感情移入できるかどうか」が鍵なんじゃないでしょうか。
それが主人公でなくてもいいので。
自分と重ね合わせてみる、自分の身近な環境や出来事を考えてみる。
それとか、「わっ、この人、この先どうなるんだろう」という視点で読んでみるとか、、、
教養的でなくて、普通の小説の読み方ですよね(^^;
大切なのは「共感」。

ドストエフスキーなんかは何冊か読みましたが、
基本的に、「人生における青年の悩みおよび色恋沙汰(美女あり)」って感じがします。
カーチャよりグルーシェニカのほうが私は気になるかな。
http://blog.livedoor.jp/benica/archives/24179011.html

No.1の方の『こころ』が高校生には分かるまい、というのは分かります。

映画なんかもそうでしょうけど、本も、
何年もしてから再度取り出して読んでみると、違う感想を持ったりするものです。
三島の『金閣寺』なんかも、読み返してないけれど、
たぶん今読んだら違うのかもなぁ。

でもあまり「純文学」と考えなくていいと思いますよ。
(私もさほど多く読んでいませんが。太宰は読んだが芥川は読んでないとか)
好みもありますし・・・・・・。
夏目漱石の『こころ』は良かったけど、『虞美人草』は...続きを読む

Q純文学の対義語は?

よく「この本は純文学だ」という表現がありますが、
その対義語はなにになるのでしょうか?大衆文学でしょうか?
芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学という概念抜きで気になっています。
教えてください。

Aベストアンサー

確かに難しい。
対義語は決められんでしょう

>芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学という概念抜きで…

感覚的には対義語は通俗小説と云う事になるのでしょう。
分かりやすいのは、週刊誌などで純粋(?)にSEXを主眼に置いた
ものでしょう。
アニメの本(例えばガンダム)なんかも純文学とは言えない。

対義語は色々あるのでしょうが、実際に読んだ本をこの意味で分けようとすると、
いざどの読物がどちらの範疇に入るのか
よく解りません。

藤沢周平とか、今、大ベストセラーの水滸伝は純文学なのですか?

純文学という規定自体が宙に浮いた、似非芸術家の自己満足だと思われてなりません。

音楽でも、絵画でも、芸術かそうでないかがあると感じます。
歴史が解決してきました。

100年後に分かるのかも。

独り言:テレビでは歌手を全て、アーティストなんて言っているアナウンサーがいますが、彼らは日本語を理解していません。

Q純文学のよさがよくわかりません。

純文学というものがあると思うのですが、例えば宮本輝氏の「蛍川」などを読みました。
途中いろいろあって、ラストの場面などは美しく有名だそうで、芥川賞受賞作品だそうですが、正直この作品がどういいのかよくわからないのです。特に良かったとは感じられません。
この作品はさほどの長編ではないとはいえ、純文学全般に言えますが、長々と活字を最後まで読んできて、読むだけの価値があった、感動したという作品はあまりないのですが。

純文学というは「次どうなるんだろう」という、「話のおもしろさ」というより、心情・情感や人生の真実が描写されているというところに価値があるということでしょか。読む人に感性がないとダメなのでしょうか。
純文学と大衆(エンターテイメント)小説の違いを知りたいです。
百田尚樹氏の小説などは、娯楽小説の部類なのでしょうか。

また、純文学というのは日本の文学作品に固有の言い方なのでしょうか。
トルストイや、ドストエフスキーなどの海外の世界文学では、あまりこうした言い方はなされていないように思えますが、「戦争と平和」や「罪と罰」なども純文学なのでしょうか。

それから、「文学」という言い方と、「小説」という言い方はどうは違うのか教えて頂きたいです。
前者のほうが、後者に比べると高尚というか、そういうことなのでしょうか。

純文学というものがあると思うのですが、例えば宮本輝氏の「蛍川」などを読みました。
途中いろいろあって、ラストの場面などは美しく有名だそうで、芥川賞受賞作品だそうですが、正直この作品がどういいのかよくわからないのです。特に良かったとは感じられません。
この作品はさほどの長編ではないとはいえ、純文学全般に言えますが、長々と活字を最後まで読んできて、読むだけの価値があった、感動したという作品はあまりないのですが。

純文学というは「次どうなるんだろう」という、「話のおもしろさ」とい...続きを読む

Aベストアンサー

お気持ちものすごくよく分かります。私も純文学は苦手でした。ただ、かといって娯楽小説も好きではありませんでした。

中学の頃から純文学を読んできました。最近の娯楽小説よりも、三島由紀夫や川端康成や漱石を読むべきだと思ってたからです。が、15年くらい幾ら読んでも純文学のよさが分からずに最近になって急に開眼しました。
私が初めて純文学の良さを知るきっかけになった作品は、宮本輝の「星々の悲しみ」です。派手な作品ではありませんがものすごく良いです。その後、宮本輝の川三部作を全部読みましたがどれも傑作だと思いました。しかし「星々の悲しみ」の前に読んでいたら、どのような感想になったかは分かりません。

多分、純文学は分からない、と思いながらも読み進めていればその様な作品に出会えるんじゃないかな、と思いますよ。貴方にとってそれがどんな作品かは分かりません。貴方が「星々の悲しみ」を読んで私のような感想を持つかも全く分かりません。(でもおススメです)

「純文学」と「エンタメ小説」の違いは、表現に重きを置くか、ストーリーに重きを置くかの違いだと思います。私も今でも定義はあやふやですが、たくさん読むを分かってくると思います。それが日本固有の言い回しかどうかは分かりませんが、考え方としては同じ分け方ができそうです。

「文学」はジャンルそのものを言い、「小説」はもっと具体的なものです。
「僕は日本文学が好きだ、とりわけ谷崎の『痴人の愛』という小説が好きだ」という言い方ができます。
「『痴人の愛』という文学が好きだ」という言い方にはなりません。

お気持ちものすごくよく分かります。私も純文学は苦手でした。ただ、かといって娯楽小説も好きではありませんでした。

中学の頃から純文学を読んできました。最近の娯楽小説よりも、三島由紀夫や川端康成や漱石を読むべきだと思ってたからです。が、15年くらい幾ら読んでも純文学のよさが分からずに最近になって急に開眼しました。
私が初めて純文学の良さを知るきっかけになった作品は、宮本輝の「星々の悲しみ」です。派手な作品ではありませんがものすごく良いです。その後、宮本輝の川三部作を全部読みまし...続きを読む

Q純文学とライトノベルについて。できれば業界の方、あるいは目指している方

純文学とライトノベルについて。できれば業界の方、あるいは目指している方のご回答だと助かります。

私は最近小説を書き始めたものです。
質問させていただく前提の話ですが、私がこなしてきた読書数はあまり多くありません。純文学では八日目の蝉、半落ち等ヒットしたものを数冊。ライトノベルでは文学少女シリーズなどを読んできました。

私は純文学を読んでいて、薄味すぎると感じることがあります。かといってライトノベルだと味が濃すぎてきついと感じることがあります。
具体的には嫌な点は……

純文学:
人物の性格・設定、物語の展開等すべてが現実的すぎる。よく言えば大人。悪く言えば固い。

ライトノベル:
人物の性格・設定は非現実的だが、行き過ぎていて実際にいたらウザいキャラが多い。
マンガ的なくさい台詞、ご都合主義、理由付けの不十分など、しらけてしまう要素が多い。
好きなのに気づかないとか、現実ではありえないですよね? そういうところがちょっとかゆいです。
逆にそういった部分が比較的薄いものは好感触。実際文学少女はそれでハマりました。

といった趣向を持っています。
文学少女は、ライトノベル的な設定(本が大好きで、本当にページをちぎって食べるなど)もいくつかありますが、本筋のストーリーは本格ミステリーで、純文学的です。
それらを改めて、ベースはそのままで純文学風にアレンジしたなら、「味の濃い純文学」になるのではないかと考えました。
それゆえに私は「ベースはライトノベルだが、キャラ設定や展開はとことん純文学風」にすることで、私の言葉で言う味の濃い純文学を目指しています。
しかし、それは商業的に有りなのでしょうか?
プロへの意識は「まあもし万が一才能があれば」程度で、本気で目指す気はありません。商業的になしなのであれば自己満足でやっていくつもりではあります。
その、私の言葉で言う味の濃い純文学について、業界事情に詳しい方、アドバイスいただけないでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。

純文学とライトノベルについて。できれば業界の方、あるいは目指している方のご回答だと助かります。

私は最近小説を書き始めたものです。
質問させていただく前提の話ですが、私がこなしてきた読書数はあまり多くありません。純文学では八日目の蝉、半落ち等ヒットしたものを数冊。ライトノベルでは文学少女シリーズなどを読んできました。

私は純文学を読んでいて、薄味すぎると感じることがあります。かといってライトノベルだと味が濃すぎてきついと感じることがあります。
具体的には嫌な点は……

純文学:
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 小説は叙述(書き方)と虚構(ストーリー・設定など)のバランスにより成り立っています。文学小説は叙述を重視し、娯楽小説は虚構を重視します。
 表面的な設定等にばかり目がいって、技巧的な面の分析が不足しているところからして、質問者さんはまだ文学を知らないように見えます。
 とりあえず、ゴーゴリ『鼻』、カフカ『変身』、レーモン・ルーセル『アフリカの印象』、ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』、大江健三郎『性的人間』、三島由紀夫『仮面の告白』、笙野頼子『二百回忌』、奥泉光『バナールな現象』などを読んで、まだ「人物の性格・設定、物語の展開等すべてが現実的すぎる」と言えるかどうかは聞いてみたいところです。

 それとは別として、質問者さんの言う「味の濃い純文学」というやつですが、それをやりたいなら、海外のSF小説やミステリー小説、冒険小説などとライトノベルを読み比べて検討すればいいかと思います。
 たぶん、質問者さんがライトノベルに感じている不満は、日本のドラマや映画に感じる不満と同じ性質のものだと思うのです。なんでもかんでも誇張しすぎという。アニメや漫画はデフォルメ表現と調和した表現媒体なので違和感がないのですが、実写になると途端に嘘くさくなります。
 アメリカやヨーロッパのファンタジックな作品は、設定そのものはぶっとんでいても、その中でリアリティが感じられるように演出されています。両者のいいところをいかにして折り合いを付けるかを研究されてはいかがかと。

 商業的にどうかは、理想通りに書けたら売れるに決まってます。それがどんなに難しいかは、書いてみればわかると思いますが。

 小説は叙述(書き方)と虚構(ストーリー・設定など)のバランスにより成り立っています。文学小説は叙述を重視し、娯楽小説は虚構を重視します。
 表面的な設定等にばかり目がいって、技巧的な面の分析が不足しているところからして、質問者さんはまだ文学を知らないように見えます。
 とりあえず、ゴーゴリ『鼻』、カフカ『変身』、レーモン・ルーセル『アフリカの印象』、ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』、大江健三郎『性的人間』、三島由紀夫『仮面の告白』、笙野頼子『二百回忌』、奥泉...続きを読む

Qラノベと純文学の扱いの差(一般文学作品)

学生の頃、友達が読書感想文の題材でライトノベルを使っていました。
作文は高評価だったのですが、ラノベが題材ということで先生に苦い顔をされたらしいです。
それを思い出して疑問に思ったのですが、読書感想文=純文学(一般文学作品)ってイメージが強いですよね。ラノベで書く子もいますがそれって少数だと思いますし。

この扱いの差って何だろう?と疑問に思いました。
ラノベと一般文学の違いを比べたら、表紙のイラスト(萌え絵かどうか)・文体・題材がファンタジーが多い等色々出てくると思います。
でも表紙がイラストに関して言えば「仏果を得ず」「夜は短し歩けよ乙女 」「十二国記」なんかもイラストですよね。でもこれらの作品はラノベじゃなくて一般文学作品に括られてます。表紙の「イラスト」が問題ではなく「萌え絵」(アニメや漫画をあまり見ない人が見てオタクぽいと感じる絵?)かどうかなのでしょうか。
最近だと桜庭一樹の作品がハードカバーになりましたが、文庫版にあった可愛いイラストはなくなっていましたし。

あとちょっと話がずれますが、乙一・桜庭一樹・小野不由美等もラノベを書いていましたが、最近では文学作家に分類されてる気がします。これは賞をとったから?

私の母はアニメや漫画は手塚治やジブリくらいしか詠まない人ですが、小説は沢山読んでいます。ですがラノベに関しては読みたいと思ってはいるけど手はでない、と言っています。
ラノベを読まない人はどうして読まないのでしょう?
読書感想文でラノベを題材にすると顔を顰める人は多いと思いますが、何故でしょう?
疑問符が多くてすみません。
うまい質問文が思いつかないのですが、ようは上記のような扱いの違いって何故なんだろう?ということです。

私はラノベも読みますし好きですが一般文学で育っているので、どうしても贔屓目で考えちゃいます。
なのでラノベ愛読家(そうでない人でも!)の皆さんの意見が聞きたいです。
よろしくお願い致します。
ちなみに「ラノベだって面白い作品あるよ!馬鹿にするな!」という回答ではなく、ラノベと文学の扱いの差(?)についてでお願いします。

学生の頃、友達が読書感想文の題材でライトノベルを使っていました。
作文は高評価だったのですが、ラノベが題材ということで先生に苦い顔をされたらしいです。
それを思い出して疑問に思ったのですが、読書感想文=純文学(一般文学作品)ってイメージが強いですよね。ラノベで書く子もいますがそれって少数だと思いますし。

この扱いの差って何だろう?と疑問に思いました。
ラノベと一般文学の違いを比べたら、表紙のイラスト(萌え絵かどうか)・文体・題材がファンタジーが多い等色々出てくると思いま...続きを読む

Aベストアンサー

この問題を論じるにあたって、必ず踏まえなければならないと思われる、古典的な文章があります。

横光利一「純粋小説論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2152_6546.html


ここで「通俗小説」とされているものと、現在のライトノベルは、時代の変遷による違いはあるにせよ、位置づけとしては似た物として考えて差し支えないと思います。

僕は、ライトノベルと呼ばれるものはほとんど読みません。
一番の理由は、「知的刺激」が僕にとってあまり感じられないということが挙げられます。
語彙、漢字の使い方、前提となる知識、そういうものが「薄い」のが現在のライトノベルの特色だと考えています。
酷いいい方をすれば、何も知らない無教養な人間にも理解可能な文章。
これは、一定水準以上の教養のある人間にとっては、つまらなくて当たり前です。

とはいえ、ストーリーがわかりやすく、読みやすいと言うのも、モノ書きの腕の見せ所ではあります。
しかし、例えばトルストイがアンナ=カレーニナで見せつける、あの圧倒的に精緻な人物表現力、洞察力を目の当たりにしてしまうと、いかにも「偽もの」「薄っぺらい」と感じないわけにはゆきません。

■ラノベと文学の扱いの差(?)について…

敢えて、強引に分類すれば

●読むために前提とされる教養の差
●人物・状況の描写の精緻さ、洞察の差

むしろ、伝統的に言われてきた「偶然性」と「感傷」という問題は、あまり重要ではないように思えます。
そして、横光氏もかって論じた通り、通俗性、わかり易さもない文学は、本当の意味で優れたものとは言えません。
この技術的な二律背反性を、その作家なりに以下に克服するか?そして、問題意識を文章に織り込むか?
この
●「志の有無」
こそが、本来の純文学とライトノベルを区別するポイントであると、僕は思いたいです。

この問題を論じるにあたって、必ず踏まえなければならないと思われる、古典的な文章があります。

横光利一「純粋小説論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2152_6546.html


ここで「通俗小説」とされているものと、現在のライトノベルは、時代の変遷による違いはあるにせよ、位置づけとしては似た物として考えて差し支えないと思います。

僕は、ライトノベルと呼ばれるものはほとんど読みません。
一番の理由は、「知的刺激」が僕にとってあまり感じられないということが挙げられます。
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