dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「与える愛」ってどんな愛ですか?
恋愛での具体例を教えてください
なんで愛情から来る暴力(殴る等)も”愛情表現”にならず”暴力”になってしまうんですか?(愛情からくる暴力とは好きな人が痛がってると萌えるってことです)

A 回答 (9件)

「愛」の定義自体は簡単です。


「利己的に利他行為を行えること」です。

前提として、人間は一切合切、利己的な行為しかしません。
自分が嬉しいことか、自分の苦痛がより少ない(よりマシ)と判断した行為しかしないんですね。

ただし、「他人が喜ぶこと自体を自分も喜ぶ」という形で、利他行為をすることはあります。
これが「愛」です。

その喜びが、自分自身の直接的な喜びよりも大きくなると、一見無償の愛に見えるものが発生します。例えば、1個しかないお菓子を、自分が食べるか子供に食べさせるか、などですね。
あれ、別に親は無償の愛をもって子供に譲るんじゃなくて、単に

自分がお菓子を食べる喜び > お菓子を食べる子供を見る喜び

なだけです。

なので「与える愛」というのは二重形容で、基本的に「愛」は与えるものです。暴力や、相手が望まないセックスなどは、基本的に

自分の喜び > 他人の喜び

ですよね。だから、そんなもん愛じゃない、とバッサリ切り捨てていいと思います。



さて、もう一つ視点を変えてみると、

「愛」と「愛情」という言葉が、全然意味が違うのに混在しているからややこしい、という点があります。

「愛情」って、感情なんです。感情は、他人が裁けないし評価できないものです。
本人が腹が立ったと言うならそうなんでしょうし、愛情を持っているというならそうなんでしょう。
なので、書かれているように

>愛情から来る暴力

これはあり得ます。一方で、「愛」って、動詞形にすると「愛する」になりますよね。「〇〇を愛する」というように。これ、他動詞なんです。つまり、他者に働きかける動きなんですね。だから、成否があります。それこそ他動詞の「殴る」に当たり外れがあるのと同じです。

つまり、「あなたが〇〇に愛情を持っていること」は、あなたがそう主張すれば誰にも否定できない、「あなたの内部の問題」です。逆に言えば、個人の問題に過ぎなくて、他人から見れば「どうでもいいこと」ですね。

一方、「あなたが〇〇を愛しているか」については、他者への働きかけなので、客観的評価が可能です。他人が、「あなたは〇〇を愛していないよね」と評価できるんですね(その評価の正当不当はありますが)。


だから、例えば殴りながら「自分はお前に愛しているんだ」と言った場合、他者から見た評価としては、「自分が〇〇に愛情を持っていること」は「どうでもいいこと」だし、「自分が〇〇を愛していること」については「失敗している」と判断することになるわけです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なんとなくよく分かりました。
ありがとうございます。
”(愛ではなく)愛情の気持ちから殴ってしまった”という行為によって、相手が「なんか変な愛し方だけど自分は可愛がられてるな」と(愛ではなく)愛情を感じる可能性は人によってはあると思いますか?

お礼日時:2023/02/19 09:21

愛情からくる暴力があるとするなら


ただ「痛がっている姿を見たいから」ではなく、「暴力を振るって欲しいと相手が心から望んでいるから、相手を喜ばせるために」するというのが、与える愛だと思います。

性行為だと「自分の性欲を満たすため」だけではなくて「相手を気持ち良くさせたい」という気持ち
    • good
    • 0

コメントありがとうございます。



はい、可能性としてはあります。でも、それは「偶然」です。

愛情は他人には「どうでもいいこと」だと書きました。これは、他人には感情は見えないからです。私たちは他人の感情を知っているような気になっていますが、実際は全て「行為や言葉から推測しているだけ」です。感情そのものは一切見えないので、他人にとっては無価値です。価値があるのは行為だけです。

例えば、コンビニの可愛い女性店員さんが少し愛想良くしてくれただけで「俺に気がある」と勘違いする男、いるでしょう?
これ、行為からの推測が感情を全く言い当てていない例です。

この例で、男の側が感じる「女性店員の好意」が女性店員本人の男性への気持ちと無関係なように、「殴られて感じる愛情」も、「殴る本人が持つ愛情」と無関係です。

もっと言えば、殴られて愛情を感じる場合というのは、殴られた側が「殴った側に愛情があると信じたい」場合であって、殴った側が本当に愛情を持っているかどうかは「どうでもいいこと」です。そんな例は簡単に想定できるでしょう?
例えば、雷羽さんのことが大好きな人がいるとします。その人を雷羽さんが監禁して暴力を振るい続けたとしたら、そしてそこから逃れる術がないとしたら、その人にとって最も都合の良い解釈のひとつは「雷羽さんは自分を愛していて、それゆえに暴力を振るうんだ」になると思います。
そこに、本当に雷羽さんがその人に愛情を持っているかどうかは関係ありません。
コンビニ店員勘違い男と同様、「その解釈が自分にとって都合が良いかどうか」だけです。
    • good
    • 0

暴力はただの暴力にしかならない。


そこに愛は存在しない。
人が痛がってるのを見て喜んでる人間は病気。
それを受け入れてるのであれば、受け入れてる側も病気。

相手を喜ばせたくて、相手の喜んでる顔が見たくて、行動するのが与える愛。決して、痛みや傷は負わない愛情表現。
    • good
    • 1

No.5です。

すみません、途中の記述が逆でしたね。。。。

【誤】
自分がお菓子を食べる喜び > お菓子を食べる子供を見る喜び

【正】
お菓子を食べる子供を見る喜び > 自分がお菓子を食べる喜び
    • good
    • 0

>>恋愛での具体例を教えてください



たぶん「恋愛」のレベルだと「与える愛」というよりも「奪う愛」のほうが強すぎるので、具体例ってのは、あまり無いように思います。
    • good
    • 0

愛情から湧いて来る暴力などありませんわ。


貴男が言ってるのは加虐嗜好と言う異常性愛、
単なる変態行為ですわ。
けど、LGBT問題に熱心な立憲民主党だけは
何故か支持してますわ。
あそこはホモとレズ、SとMにも自由と人権、
表現の自由と変態性愛行為の正当性を求めて
おりますわ。
ホントですわ!!
    • good
    • 0

好きと愛は違います。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

貴方なら愛してる相手には何してあげて、好きな相手になら何してあげますか?

お礼日時:2023/02/19 06:17

他人を不幸にする事は愛ではないです。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

なんでですか?逆に言うと好きでもない人は殴りたくならないのに?

お礼日時:2023/02/19 06:11

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!