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質問です。

日本の競馬って、ギャンブルの中でも認知度がとても高くて、しかもギャンブルなんだけど、家族連れやカップルの人達も楽しめるという、ある意味の国民的コンテンツになりましたよね。

どういう経緯で日本の競馬がここまでの地位を確立できたのでしょうか?

家族連れや子供たちからの親しみやすさが生まれたのは「ウマ娘」で説明できますけど、強い軍馬を育てるために始まった小さな競馬がその後ギネスを記録するほどのコンテンツへと成長できたのはどういった理由があったからなのかなあって疑問に思いました。

A 回答 (3件)

中央競馬だけかもね。


土日祝に営業して家族連れを呼び込んだのかな。

地方競馬はね。競輪、ボートと変わらないよね。
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現在のような若者やカップルにも人気の大人のスポーツとして認識され始めたのは、武豊がデビューした1987年だと思います。



それ以前は昭和の名馬(シンザン、ハイセイコー、トウショウボーイ等)に度々人気馬が出ましたが、騎手自体が若者から脚光を浴びることなどほぼ皆無でした。
170㎝と長身でルックスの良い武はあっと言う間にアイドル的なトップジョッキーになります。しかも人気だけなく、デビュー年から新人最多勝を更新(69勝)して、実力もしっかり兼ね備えていたため、若者だけでなく年配者からも絶大な信頼を得るようになりました。

そして、同年「日本中央競馬会」はそれまでの略称・NCK[Nippon Chuo Keibakai]を英語表記のJRA[Japan Racing Association]に改称し、新たにロゴマークもデザイナーの栄久庵憲司氏(キッコーマンの醤油差しで有名)に依頼して、下記のように誰が見ても分かりやすく親しみやすいシンプルなデザインにしました。
競馬場に設置された大型ディスプレイが「ターフビジョン」に決まったのもこの年です。それ以降、競馬場や場外馬券場もスタイリッシュに改装されていきます。
また、89年にはマスコットキャラクターであるターフィーをサンリオと共に共同制作し、登場させました。
そうしたイメージ戦略が功を奏し、それまでの競馬の暗くて悪そうなイメージが払しょくされ、瞬く間に世間に良質な認知度が高まっていったと思います。

さらに同時期よりJRAのキャッチコピー「人と馬の300年ロマン」で英国発祥で貴族が楽しむ競馬を大人の賭け事・血統スポーツとして大々的に広めていきました。
翌88年には俳優の小林薫を起用したCMを製作、90年には柳葉敏郎と賀来千香子の人気俳優でさらに高まり、高倉健や木村拓哉、松嶋菜々子などがCMに起用されるようになりました。

また、競走馬にも88年にオグリキャップ、タマモクロス、イナリワンなどの人気馬が続々と優勝し、その後もメジロマックイーン、トウカイテイオー、ナリタブライアン、キングカメハメハと来て、2004年に一大人気馬・ディープインパクトの登場となっていきます。

2005年からはそれまで20歳以上の社会人しか馬券が買えませんでしたが、20歳以上であれば学生・生徒でも買えるように法律が改正され、さらに裾野が広がっていった訳です。
「競馬の国民的認知度」の回答画像2
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競馬場のクリーンなイメージ、それを作る地道な努力ですね

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

簡潔な答えですね。

お礼日時:2023/04/03 22:47

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