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競馬に詳しい方々に質問です。

先日、アニメ「ウマ娘」を見まして。
特にメジロマックイーンとの対決を見てライスシャワーの大ファンになりました。
私の中で一番好きなレースになりました。

史実では、メジロマックイーンに勝つために想像を絶する調教をしたそうなのですが、対決した実際の天皇賞春の映像を見てみたところ、見事に勝利しましたが、「鬼を宿した」気迫っていうのがいまいち伝わらなかったというか、他の競走馬とそんなに変わらなかったような気がしました。
競馬を知らないのと、二十数年前の映像だからっていうのもあるかもしれませんが。

長くなりました。
その「想像を絶する過酷な調教」って、後にも先にもライスシャワーだけだったのでしょうか?
他の競走馬にも施されましたか?

だからこそ、2012年のJRAのCMに使われたっていうのもあるかもしれませんが。

A 回答 (2件)

想像を絶する、というようなものは、多分、後付けだと思います。



ライスシャワーは、(現行年齢で)2歳の8月にデビューをし、その時の体重が446キロ。その後も、440キロ~450キロくらいの体重で走りながら、少しずつ出世し、3歳秋には三冠馬を目指していたミホノブルボンを破ってG1ホースにまで上り詰めました。
そして、4歳になり、天皇賞の前哨戦である日経賞を快勝。そして、天皇賞に出走しました。

で、この時の体重が430キロというものでした。
前哨戦の日経賞と比べてマイナス12キロ。2戦前の目黒記念から比べるとマイナス18キロで、これは、ライスシャワーがデビューして以降の最低体重になります。

競走馬の2歳~3歳というのは、人間でいえば中学生~高校生くらい時期に当たり、まだまだ成長期。2歳時と3歳時で体重が増加しているのは普通ですし、3歳春と3歳秋で体重が増加するのも珍しくありません。
そんな中で、2歳時を含めて最低体重で出てきた。そして、その後、スランプに陥ってしまった、ということで限界まで鍛え上げた、という印象になっているのだと思います。

で、調教に関しては、ライスシャワーやミホノブルボンらの時代から30年が経過し、常識そのものが全く変わっています。
ライスシャワーらが現役だった1990年代初頭というのは、調教施設というのは、美浦、栗東のトレーニングセンターくらいしかなく、東西のトレセンから出る「放牧」は、即ち休息でした。しかし、現在は東西のトレセン以外にも民間のトレーニング施設が多くでき、日常のトレーニングは民間トレセンで行い、レース直前に東西のトレセンへ戻って最終調整をする、というのが普通になっています。

また、調教というのは、コースを走るものが主流で、坂路コースを普通は1本から2本を走るのにが普通だったのに、ミホノブルボンは3本やった、ということで「ハードトレーニング」と言われました。
しかし、現在はコースを走らせるよりも、長時間歩く、ということをして基礎体力を鍛え、その上で1本か2本、コースで本気で走らせる、というような形になっています。
どちらがハードなのか……

勿論、春の大一番にむけてライスシャワーが厳しい調教をされていたことは間違いないでしょう。
ただ、調教技術などは日進月歩で進んでいますし、「ハード」の定義なども変わっているので、それを言うのは難しいでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/01/30 18:28

ミホノブルボンのスパルタ・坂路調教もかなりすごいものだったと。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2022/08/17 23:03

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