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なんですか?

そもそも、人の感情を、それは愛だとか恋だとか執着だとか、言葉で簡単に表せるものなのですかね。

A 回答 (3件)

すごく大事な質問だと思います。



回答から先にすると、表せないんですけど、表さないと思考したり、伝達したりできないから、無理やり型にはめて表すんですね。

つまり、例えば私の妻に対する感情と、妻の私に対する感情は「全然別物」のはずなんですけど、それを正確に語る術を誰も持たないから、「愛」という単純化した言葉で表すわけです。ですから、当然私の妻に対する感情は、理想的な「愛」ではないし、妻の私に対する感情も、理想的な「愛」ではありません。でも、結局何十年も友好的な関係が続くのであれば、結果「愛」として機能した、と言っても、まあ誰も文句は言わないでしょう。その程度のものだと思います。

物事を単純化して、言葉にはめて、それを使って思考する、というのは、人間が古来から、とんでもなく複雑で、何もかもが絡み合っていて分け難いこの世界を理解するために使ってきたテクニックで、まあ人間の叡智の核みたいなものです。だから、科学者が実験系を立てるときは、基本的に単純化した系(つまり、見たい物事以外の余計なものができるだけ入らないような系)を立てます。例えば温度は一定、無風、あるいは空気抵抗は考えない、転がる玉は一切引っ掛かりのない完全な球と考える、などですね。

でも、そこに落とし穴があって、「複雑な世界を単純化して考えることができる」のは叡智であっても、「本当は複雑な世界を、事実単純だと思ってしまう」のは愚か者です。付き合っている、互い恋しているからといって、自分の「恋」と相手の「恋」が同じものだと勘違いしてしまう、とか。


最後に「恋と執着」ですが、これも明確に分けられるようなものではなくて、例えばですね、執着ゼロの恋、というのを想定してみると、「相手がいなくなってもそれはそれで全然構わない恋」ということですよね。それはまあ、多くの人が「恋」と呼ぶには冷めすぎていると感じるんじゃないかと思います。なので、恋は少なくとも、いくらかの執着を含むはずです。

なので、「恋と執着の違い」という場合、考えるべきは「執着であり、かつ恋でない場合」や「執着が強すぎて恋として機能しなくなる場合」とはどういうものか、ですね。そう考えると、割と輪郭が見えてくるんじゃないでしょうか。
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恋は愛情に近いけど、執着は独占欲に近いです。

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恋と言うのは相手が喜んだり、相手を支えたり、助けたりする様な事で



執着は相手が嫌がり苦しむ依存や束縛、疑念を押し付ける物なので正反対の物かと。
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