こんにちは! さっそく質問させてください!

太宰治「葉」の中の、ロシア人の女の子が売っている花は、何の花かご存知の方はいらっしゃいませんか?

太宰が好きだった花は桃だったと聞いていますが、文面から判断するに、ここでは違うかな……、と。

すごく気になっているんです。よろしくお願いします!

A 回答 (1件)

こんにちは。



文面から察するにですが、これは何々の花の種類・・・と言うのは断言は出来ないのではないでしょうか。

花屋から払下げられた屑花、と文面にも描かれていますので、多分に幾種類かの花を無作為に払下げられたに過ぎず、その花自体に太宰は、何らかの意味を持たせようとは思わなかったのではないかと推察します。

個人的には、踊り子が買ったのはアネモネ、紳士が買ったのは白桔梗のようなイメージを持っていますが・・・

私見ですが・・・ご参考になれば、幸いです。
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この回答へのお礼

お礼がおそくなってしまってすみませんでした&ご回答ありがとうございました!

当時の花の流通など、いろいろ調べてみたのですが、やはり限定はできませんでした。
残念。

お礼日時:2005/05/12 01:31

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Q【ヴィヨンの妻】を御覧になり、太宰治氏にも詳しい方に質問いたします。

太宰氏は闘病の末、愛人と入水自殺(心中)したと記憶しています。
映画で広末涼子さんが演じた役が、その女性なのでしょうか?
記憶していた女性のイメージと随分違っていたので、
疑問に思い質問を立てました。
私の記憶違いでしょうか?

御存知の方、御回答よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

ウィキぺディアによると、
太宰は2回心中未遂を起こして、3回目に完遂しているようです。
女給と心中した時は、女給だけ亡くなっていますね。
その他に何回か自殺未遂をしています。

映画は観ました。
広末が松と廊下ですれ違う時の、
あの微笑が印象的でした。

この映画は太宰の生涯を描くというよりは・・
映画公式HPイントロダクションによると、
太宰の数冊の小説をベースに、オリジナルストーリーと
なっています。
イメージが違うのも当然かも知れませんね。

Q太宰治の地主一代は太宰が何歳の時の習作ですか

太宰治の地主一代は
習作ですよね。太宰が何歳の時のですか、十代だと思いますが、さすがですね…宜しくお願いします。

Aベストアンサー

おはようございます^^3度目の投稿失礼致しますm(_"_)m

下記によれば…
「地主一代」初出連載は『座標』<1930(昭和5)年1月、3月、5月>で、
執筆開始も概ね昭和4(1929)年10・11月頃の様子ですから、執筆&発表ともに
満年齢でも既に20歳とは言えますが、20歳直前の19歳時点で発表された
「哀蚊」の「地主一代」への引用を含めると、19歳と言えるかもしれませんね^^

遙かにお詳しい izayoibara 様に試されているようにも思えますが…ボソッ(笑)
お陰様で改めて太宰治を振り返る機会が増えた今日この頃でございます^^

太宰治 略年譜
・明治42(1909)年6月19日/出生。
・昭和2(1927)年4月/官立弘前高等学校(現・弘前大学)文科甲類入学。
・昭和3(1928)年5月/同人雑誌『細胞文芸』創刊、
 辻島衆二の筆名で「無間奈落(未完)」や「彼等と其のいとしき母」等発表、
 9月、四号で廃刊、12月、新聞雑誌部参加、『交友会雑誌』に「此の夫婦」発表。
・昭和4(1929)年/「弘高新聞」や県内同人誌に評論や創作を発表。
 「弘高新聞第6号/5月」に筆名小菅銀吉で「哀蚊」発表、
 10・11月頃「地主一代」を執筆し始めたが、12月10日、第二学期末試験前夜、
 下宿先で多量のカルモチンを飲み昏睡状態に…11日午後意識を取り戻す。
・昭和5(1930)年/3月、弘前高等学校卒業。4月、東京帝国大学仏文科入学。
 青森の同人文芸総合雑誌『座標』に1月から「地主一代」を3回(1・3・5号)までと、
 7月から「学生群」を4回(7・8・9・11号)まで連載、
 長兄からの圧力で、何れも未完、筆名大藤熊太。

引用
「哀蚊」筆名小菅銀吉(初出『弘高新聞』第6号1929(昭和4)年5月13日)は、後に、
「地主一代」(初出『座標』創刊号1930(昭和5)年1月1日)と「葉」にも引用。

参考URL
太宰治と歩く現代の「津軽」の旅>太宰治文学・初期習作
18<21/52>
http://www.aptinet.jp/userfiles/file/pamphlet04.pdf
中央大学文学部文学科国文学専攻渡部芳紀研究室>太宰治資料館>評釈「葉」渡部芳紀
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/dazai/HA.HTML

おはようございます^^3度目の投稿失礼致しますm(_"_)m

下記によれば…
「地主一代」初出連載は『座標』<1930(昭和5)年1月、3月、5月>で、
執筆開始も概ね昭和4(1929)年10・11月頃の様子ですから、執筆&発表ともに
満年齢でも既に20歳とは言えますが、20歳直前の19歳時点で発表された
「哀蚊」の「地主一代」への引用を含めると、19歳と言えるかもしれませんね^^

遙かにお詳しい izayoibara 様に試されているようにも思えますが…ボソッ(笑)
お陰様で改めて太宰治を振り返る機会が増えた今日この頃でございます^^...続きを読む

Q太宰治のヴィヨンの妻について。

奥さんがお客に汚される下りがイマイチよく分かりません。
これは何を意味しているのでしょうか。

Aベストアンサー

全くの私見ですが、
夫の罪を償おうと、小料理屋で働き始めた妻は
予想外に、夜の客商売の楽しさを知るようになりますよね。
お店での人気も出て、家にはほとんど帰らない夫とも
そこでは会えるという好都合も、楽しみの一つになります。
生活にちょっとした生き甲斐も見い出して、なぜか浮き浮きと
幸福さえ感じるのです。
この、ヴィヨンの妻、つまり放蕩者の妻は、決して
単に無償の愛や耐え忍ぶ愛だけを夫に捧げているのではなく、
また、ダメな夫に面と向かって恨み辛みを言って非難するわけでもなく、
明るく、たくましく、みじめさを感じさせずに生きています。
若いお客にあっけなく"手に入れられ"ても、何事もなかったように
翌日からまた働きに出ます。
この、ある意味、したたかな面も持ち、後ろめたさを表さず
(本当は感じていたのかも知れませんが)(^^)
あっけらかんとした生き方が、ヴィヨンの妻の妻たるところで、
どう考えても身勝手な夫の行動にも、暗黙の許容で、静かに夫を愛している………
そんな妻のあり方を太宰は描きたかったのかなぁ、という気がしました。
現代でしたら、たまったもんじゃありませんね~。(^^)
最後、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいのよ」
のせりふは、妻が人生を達観(諦観かな)しているようで、
湿っぽく終わらすに、なぜかホッとさせられます。

参考までに書いてみました。

全くの私見ですが、
夫の罪を償おうと、小料理屋で働き始めた妻は
予想外に、夜の客商売の楽しさを知るようになりますよね。
お店での人気も出て、家にはほとんど帰らない夫とも
そこでは会えるという好都合も、楽しみの一つになります。
生活にちょっとした生き甲斐も見い出して、なぜか浮き浮きと
幸福さえ感じるのです。
この、ヴィヨンの妻、つまり放蕩者の妻は、決して
単に無償の愛や耐え忍ぶ愛だけを夫に捧げているのではなく、
また、ダメな夫に面と向かって恨み辛みを言って非難するわけでもな...続きを読む

Q桃花源の白文

桃花源の白文が乗っているサイト知っている方いませんか?前よんだんですけど忘れてしまって訳じゃなくて原文の方を見たいのでどなたか知っている方いればおねがいします。

Aベストアンサー

桃花源記ですか?
こちらではないでしょうか?

http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r34.htm

参考URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r34.htm

Q太宰治「ヴィヨンの妻」で大谷の内縁妻の感性について

終戦直後という時代背景が影響しているのでしょうか、
大谷の内縁の妻「私」に対して
投げやりな印象を受けました。
大谷や自分の息子を非常に熱愛しているようにも
思えませんし、座布団位、いくら貧乏でも穴があけば
繕うだろうに、穴のあいたまま、客に差し出す。
夫が女性と一緒であろうと気にならず、また、見知らぬ男を泊め、明け方には
簡単に身を任せるところなど、彼女には強い虚無感が
漂っているように思えました。
 そんな彼女の感性を考えると、作中の以下の文に矛盾感を感じてしまうのですが、
私の読みが根本から、間違っている為でしょうか。

「金も出来たし。」
 と客のひとりが、からかいますと、ご亭主はまじめに、
「いろも出来、借金も出来、」と呟き、それから、ふいと語調をかえて、「何に
しますか?よせ鍋でも作りましょうか?」
 と客にたずねます。私には、その時、或る事が一つ、わかりました。
やはりそうか、と自分でひとり首肯き、うわべは何気なく、お客にお銚子を
運びました。

ここの、「いろも出来、借金も出来」と言う亭主の言葉ですが、直ぐに、
「いろ」とは、亭主の妻が大谷と愛人関係であったと、分かりますか?
 
ということは、大谷の内縁の妻は実は非常に感性豊かであることになります。
でも、全体から漂ってくる内縁の妻には、それが感じられません。
 私の読み方の欠点をご指摘して戴ければ幸いです。

 

終戦直後という時代背景が影響しているのでしょうか、
大谷の内縁の妻「私」に対して
投げやりな印象を受けました。
大谷や自分の息子を非常に熱愛しているようにも
思えませんし、座布団位、いくら貧乏でも穴があけば
繕うだろうに、穴のあいたまま、客に差し出す。
夫が女性と一緒であろうと気にならず、また、見知らぬ男を泊め、明け方には
簡単に身を任せるところなど、彼女には強い虚無感が
漂っているように思えました。
 そんな彼女の感性を考えると、作中の以下の文に矛盾感を感じてしまうのですが、
私...続きを読む

Aベストアンサー

うーんと。文学の読み方は人それぞれだと思うんです。
正解があるのはテストの読解問題だけです。

私ならこう読みます。

妻は虚無的になっているというよりも、
まだ若い美空で夫の放蕩と貧困、病気の子を抱える生活に疲れ果てて
何も感じなくなってしまっているんじゃないかなと。
現代ならさしづめ、軽度の鬱状態と診断されて休養を勧められるでしょうが、
この時代この階級の女にそんな余裕はありません。

夫と違って庶民階級に生まれついた妻は表面を取り繕う必要もないので、
穴あき座布団を出すのにためらいはありませんし、
そこにはうわべばかり上品な夫への復讐の気持ちもあったのかもしれません。

題名の「ヴィヨン」がどんな人物だかご存知ですか?
ルイ7世の時代のパリで、放蕩と無頼で鳴らした詩人です。
泥棒の王様でした。

ある夜突然、夫が「泥棒」であることを知ってしまった妻は、
さらに夫が他人の妻をも盗む「泥棒」だったことも知ります。

なぜ気づいたかって、そこは、子までなした女の勘ですよw
っていうか、その前段にある、
どんな女も華族出を振り回す“夫”にイチコロだった、
という料理屋の亭主の述懐と重ね合わせれば気づきますよ、
料理屋のおかみさんも例外ではなかったと。

ここで、妻の視界がぱあっと開けます。
泥棒の王様の妻ならそれにふさわしい暮らしがあるのではないか、と。
盗みも密通も是とされる世界に住んでいることに妻は気づいたんです。
見回すと世間はそんな人ばかりです。

妻が覚醒したことでかえって夫婦が理解し合えるようになったのでした。
そんなお話だと思っています。

うーんと。文学の読み方は人それぞれだと思うんです。
正解があるのはテストの読解問題だけです。

私ならこう読みます。

妻は虚無的になっているというよりも、
まだ若い美空で夫の放蕩と貧困、病気の子を抱える生活に疲れ果てて
何も感じなくなってしまっているんじゃないかなと。
現代ならさしづめ、軽度の鬱状態と診断されて休養を勧められるでしょうが、
この時代この階級の女にそんな余裕はありません。

夫と違って庶民階級に生まれついた妻は表面を取り繕う必要もないので、
穴あき座布団を出すのにため...続きを読む

Q杜甫の詩で「船人~桃花」という作品は?

杜甫の詩で「船人~~桃花」という作品があるようなのですが、全文とその内容を知っている方がいましたら教えてください。

Aベストアンサー

秦州雑詩、二十首(秦州の雑詩、二十首)だと思います。「船人~~桃花」の部分はこの詩の13首になります。
ちょっと日本のサイトでは良いものが無かったので中国のサイトですが、全文が載っていますので読んでみてください。
あまり有用ではありませんが、翻訳サイトを使えば多少翻訳ができましたので試してみてください。

参考URL:http://www.ccview.net/htm/tang/shi/df094.htm

Q★★太宰治★★

太宰治についてレポートを書くのですが、テーマはなんでもいいとのことで、太宰治自信のことや、太宰治の小説について何をテーマにしようか考えています。何か考えやすくて、書きやすいテーマはないでしょうか?

Aベストアンサー

1.「太宰と西洋文学」
芥川をものすごく意識してた太宰は、芥川の趣味にも呼応しながら
聖書を題材にしたり(駆け込み訴え)ギリシア神話や、詩人の引用
チェーホフへのオマージュなどを
おこなっています。太宰治にとって西洋文学とはなんだったのか?
そんなことをいくつかの作品から調べられるのもおもしろいかもしれません。

2.「太宰と女性原理」
斜陽では世界はすべて女のためにあるのだという、女性原理が結末に
あらわれます。3人の女性と心中して、最後に奥さんだけが
残されたという皮肉も不思議な感じがします。
また彼は今でこそ普通ですが、当時お化粧をする男性でした。
もちろん倒錯ではなく、きれいでありたいと願ったためです。
男性の中の女性原理というのは、太宰治の作品の随所から
感じられるのではないでしょうか?

3.「太宰と民話、そして方言」
津軽弁にこだわった作家に寺山もいましたが、太宰は「雀こ」で
全編津軽弁の小説をかいています。また津軽というルポタージュには
豊富な方言が散逸します。また表現方法だけでなく、おおくの
民話や言い伝えにも関心をしめしました。お伽草子のパロディも
書いているくらいです。

思いつくまま書いてみました。なにかの参考になれば。

1.「太宰と西洋文学」
芥川をものすごく意識してた太宰は、芥川の趣味にも呼応しながら
聖書を題材にしたり(駆け込み訴え)ギリシア神話や、詩人の引用
チェーホフへのオマージュなどを
おこなっています。太宰治にとって西洋文学とはなんだったのか?
そんなことをいくつかの作品から調べられるのもおもしろいかもしれません。

2.「太宰と女性原理」
斜陽では世界はすべて女のためにあるのだという、女性原理が結末に
あらわれます。3人の女性と心中して、最後に奥さんだけが
残されたという皮肉も...続きを読む

Q「願はくは花の下にて春死なむ・・・」の「花」は何の花?

願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

という歌にとても心惹かれるものがあります。
たしか西行法師の作であったと記憶しております。

この歌に出てくる「花」とは何の花なのでしょうか?
今まで何となく桜だと思っていましたが、桜が日本人にとって最も代表的な花となったのは、もっと後の時代ではないでしょうか。西行法師の時代は「花」と言えば梅だったのではないかと思います。

そこで、月齢と旧暦の日付を調べてみたところ、今年は旧暦の2月の満月の日は新暦4月7日(旧暦2月17日、月齢15.36)でした。
となると、「花」はやはり桜なのでしょうか?

もう一つ、質問です。
「花は桜木、人は武士」という言葉が示すように、潔く散る桜を人の死と結びつける思想は、江戸時代の出てきたものと思っていました。しかし、この歌の「花」が桜であるとすれば、西行法師の時代に、すでに、桜を人の死と結びつける思想の源流があったと考えてよいでしょうか?

Aベストアンサー

まず、古文で「花」と出てきたら、奈良時代の一時期を除いて、桜のことと考えてよいと思います。

万葉集でいう「はな」が何を指しているかは、詠まれた数の多さから梅である説、あるいは、当時はまだ貴族社会の一部にしかひろまっていなかったため、桜であるという説など諸説あります。

奈良時代に中国から梅が入ってきた梅は、当時の貴族文化の中では主流になったのですが、外来文化の象徴でもあった梅に対し、古来から生活とともにあり、また民間信仰の対象でもあった桜は、平安時代が進むに連れて、ふたたび主流になっていったようです。
そうして947年には宮中の庭の正面に植えられていた「右近の橘左近の梅」の梅が桜に植え替えられたことなどにもあきらかなように、平安後期以降は、花といえば桜をさすようになります。

ご質問の西行の歌は、1190年のものですから、時期的にも桜であることに間違いはありません。

桜は古来から日本の民間信仰と深く結びついていました。
古事記や日本書紀にも登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、この神は春の女神で豊穣をもたらすとされたのですが、桜の木はこの神の依り代とされました。

桜の開花に農作業が始まる時期を知り、その年の開花に作柄を占った。
こうして桜は農作業と深く結びつきつつ、信仰の対象でもあったのです。
桜の大木の下は一種の聖域となり、豊穣を祈るためのさまざまな儀礼や宴が、年中行事となっていき、今日に至るまで続いています。

一方で、桜に対する見方も時代によって少しずつ変わります。
平安末期には無常観とも結びついていき、さらに時代が下れば、能や歌舞伎での異世界や狂気にも通じていく。
質問者さんが上げられている、仮名手本忠臣蔵の詞は確かに江戸時代のものですが、桜はそれよりはるかに古来から、人々の生活に結びついており、それゆえに、さまざまに解釈されてきた歴史があります。

ここらへんの見方の推移は『ねじ曲げられた桜 ― 美意識と軍国主義 ―』(大貫美恵子 岩波書店)に詳しいので、もし興味がおありでしたら、ご一読ください。

ただ、西行のこの歌は、やはり西行個人の信仰と無関係にとらえることはできないでしょう。

>その如月の望月のころ

とは、釈尊が涅槃に入った(亡くなられた)とされる二月十五日のことです。

「これは死に臨んでの作ではない。死を目前にして西行がこう歌ったのではない。…しかしおそらく六十歳代の半ばごろ、死もいつかはやって来る、もうそれほど遠くはないかもしれぬと思うにいたった老西行が、おのれの死をこういう言葉で表現し、こういう情景の中に見つめ、希求していたことは間違いなく読みとりうるのである」(『西行』高橋英夫 岩波新書)

この本は、西行の生涯だけでなく、さまざまな西行伝説や、西行と芭蕉の関わりなどにもふれられていて、大変おもしろかったです。

以上、なんらかの参考になれば幸いです。

まず、古文で「花」と出てきたら、奈良時代の一時期を除いて、桜のことと考えてよいと思います。

万葉集でいう「はな」が何を指しているかは、詠まれた数の多さから梅である説、あるいは、当時はまだ貴族社会の一部にしかひろまっていなかったため、桜であるという説など諸説あります。

奈良時代に中国から梅が入ってきた梅は、当時の貴族文化の中では主流になったのですが、外来文化の象徴でもあった梅に対し、古来から生活とともにあり、また民間信仰の対象でもあった桜は、平安時代が進むに連れて、ふた...続きを読む

Q【太宰治】斜陽が太宰治の分身なら太宰治は麻薬をやっていたということになりますが実際にやっていたという

【太宰治】斜陽が太宰治の分身なら太宰治は麻薬をやっていたということになりますが実際にやっていたという記録は残っているのでしょうか。

Aベストアンサー

太宰治は重度のパビナール(麻薬鎮痛剤)中毒で、精神病院に入院歴があり、その経験から人間失格を書いています。

Q三島由紀夫と太宰治

作家を研究するとしたら、三島由紀夫と太宰治ではどちらが調べやすく、また楽しいでしょうか。
他におすすめの作家がいたら教えてください。

Aベストアンサー

どちらも自殺した作家ですね。
自分について深く考察する作家がお好きですか?
近年、太宰の人気が高いですが太宰は分かりやすいと思います。
(テーマを決めやすい、という意味です)
対して三島は川端康成がノーベル文学賞を取ったときに「本当は君が取るべきだった」と言われた作家です。なかなか一筋縄ではいきません。
時代の寵児でしたから、婦人向けの恋愛小説から戯曲まで作品数だけでも膨大です。
時間に余裕があるなら三島、ないなら太宰をされたら如何でしょう。
どちらも面白い作家です。
お勧めの作家は、この2人が好きならば、という勝手な思いこみで、アメリカの作家ですがJ・D・サリンジャーはいかがでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC
村上春樹が精力的に新訳をおこなっていますが、訳者でかなり印象が変わる作家ですので、もし読まれたことがないなら最初は他の訳者をお薦めします。


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