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 太宰治の『帰去来』について調べているのですが、あまりにも参考文献が少なく困っています。
 私が疑問に思っていることのどれかに、回答を頂けたら幸いです。

1. 『帰去来』は発表当時どのような評価をされていたのか?

2.なぜ『帰去来』の同時代批評は残されていないのか?

3. 太宰治はなぜ、恩人の中畑さんと北さんに感謝の意を込めこの作品を書いたのか?

4. 中畑さんの予備兵とはどのようなものか?
  また一個小隊とはどれぐらいの規模の隊だったのか?

5. 題『帰去来』の意味とは?

 その他『帰去来』について何か情報があれば、どのようなものでも構いませんので、教えていただきたいと思います。アバウトな質問で申し訳ありませんが、宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

こんばんは



「人の世話にばかりなって来ました………」の書き出しとその後の本文から分かるように、この作品には、太宰が恩人と感じている人達のことを、感謝の念を込めて書いていこう、とする意図が見えますよね。その中で、とりあえず、ややこしい関係の無い人、単純で明白な関係の人達から書いていこうとしている、太宰の、実在の人物に対する気遣いも感じ取れます。
この作品や「故郷」は、太宰が反逆し、脱出して来たふるさと津軽や金木町の生家に対して、懐かしい郷愁を感じ、母や家族に対して、すまない、許しを乞いたい、という、太宰にしてはちょっとセンチメンタルな、弱々しい側面がかいま見えるのではないかな、と思います。
本来なら、とても生家になど顔向けできないはずの醜態を東京でさらしている太宰が、北さんに任せて故郷に帰る(帰去来)姿は、やはり、ちょっと辛く哀れでもあり悲しくもありますね。
でも、最後、「………私ひとりは、相も変わらず、のほほん顔。」
で終わっているところなどは、生来のお坊ちゃま気質が抜けてないようでもありますが……… (^^)
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こんばんは。

5について、ご質問の答えになるかどうかわかりませんが、
『帰去来』は陶淵明という漢詩人の『帰去来辞』という作品名から取ったのでしょう。「帰りなんいざ(さあ帰ろう)」などと訳されます。こせついた役人生活などスッパリやめて田園の田舎暮らしに帰ろう、という心を歌ったものです。なかなか昔から愛された漢詩です。都会からやましさを抱えて、でも懐かしい故郷に帰る気持ちを題に込めたのでしょう。
4の予備兵は、本職の軍人ではないが戦力として動かす用意のできる兵士(民間から徴兵した)じゃないですか(自信ありませんが)。
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