
これを実際に抱えている方にお聞きしたいです。
実際どのような差別や迫害を受けたことがあるのでしょうか?
言える範囲で構いません。
それに対して世の中がどうなったら、どうしてくれたら良いと思うかもお願いします。
注意点としてご自分の気持ちが「不快」を感じたからという範囲の内容はご遠慮ください。
具体的にどのようなことがあったかという方向でお願いいたします。
ご意見を聞くにあたって自分の考え方の方向を参考までに述べておきます。
これに関してそういう方々が存在することは全く抵抗はないですし、なんら政治的、宗教的、倫理的、道徳的にどうこうして欲しいということはありません。
ただ自分に対して同性が性的志向を向けてくることについては強く反発すると思います。
自分に同性から性的志向を受ける以外は迫害はもちろん嫌がらせも差別もしたことはありません。
大概の人は私と同じようにしていると思います。
なにか世論の口車に乗せられて問題を大きくしていないか、そういう風に思うことがあります。
昨日記事に出ていた最高裁の判決は明日どこぞのおっさんがヅラを被ってスカートを履いていけば、女子トイレだろうが女湯だろうがとりあえずは大騒ぎされずに一回くらいは経験出来てしまいそうな内容でした。一年もその姿を見せ続ければ以降は恐らくフリーパスです。
それは違うと思ったのですが、そういう可能性もある状態になることが望みなのでしょうか?
No.7
- 回答日時:
#6です。
お礼ありがとうございます。>ちょっと見ているところが違うんですよね。
個人の感想は、一致しなくても当然ですね。
>「必要がない」と言うことは私の周辺や様々な媒体、そういう方達の話を聞いて、自然に考え至った結果のことなのです。
そういう考え方もできると思います。私の周りでも「必要が無い」という意見は多数あります。ただ、同様に裁判結果などからLGBTの権利平等が必要だ、という意見も当然にあります。
私はどちらの意見も「あり」だと思っているので、いままでも客観的に説明してきたつもりです。
>あなたの周囲に「オカマは購入できません」というお店や「どっちつかずの方は入場できません」「ノン気だけ募集!」などという張り紙ありますか?
ありませんが、裁判では「同性婚を認めないのは違法」だし「女性の性自認者が女性トイレを使わせないのは使用者権限として逸脱している」となっています。
>オカマ狩り・オナベ虐めはありますか?ないでしょ?
あるといえばあります。知っている人は知っているし、知らない人は知らないです。
>法の適用順位について一家言あることは分かりましたが、私も法律を齧っておりますので承知しています。
でもそこが「視点の狂い」だと言っているのです。
そうでしょうか?
一般的に、物事は「法律」で判断されます。個人の意見の違いは多々ありますので、どちらの意見が「社会的に正しいか?」は法律が決めます。
世の中には「何が何でも法律を守れ」という人がたくさんいるのに、こういう問題になると「世間は要求していない」とする人がたくさんいます。
今回の事例はその典型的な事例だと、私は思っているので「条約=法律に則っているのだから当然だ」と説明しているわけです。
「視点の狂い」ではなく「世相という自分勝手な判断基準」でしかない、と私は考えます。
>そんな段階で扱う必要が無いのになぜそんなに大騒ぎするのか
何度も書きますが、階級平等・人種平等・男女平等が一応達成された、しかしどれも道半ばだからこそ、政策的にさらに一歩進めたLGBTQの権利平等を進める、という政策判断です。
大騒ぎしているのは、反対派・賛成派いずれも市井の人たちであって、法案自体は何年も前から用意してきたものです。少なくとも2年前には超党派で法案合意ができていたし、法案取りまとめは2016年から始まっています。
ですから「この段階で扱うのか?」と言われても、すでに前段階は何年も前からあったわけで「法案が具体的に可決するかどうかの段階になって、公が知ったから大騒ぎになっている」というのが真相です。
>法整備ではなく道徳教育、保健教育の問題だと言っています。
「教育」が学校教育のことを示しているなら、これにも法整備が必要です。
>混乱を望んでいる勢力本人、および扇動された者のデモを「マイノリティの声」だと本気で思っているのでしょうか?
さあ、それは分かりません。ただしその話でいえばSDGsだって、捕鯨だって、男女平等だって同様の問題を抱えています。
この問題だけ取り立てて「マイノリティかどうか?」を重視する理由はないのです。
>当人が大きな問題ではないと思っていることを周囲が大きくしていることに。
パックンが面白いことを言っていたので、ご覧ください。
https://www.youtube.com/shorts/RgGLfwqR5_0
私は最初から「自由で平等な個人」の社会になるために、世界基準で《平等》になる政策を政府が推進しているのだ、と説明しています。
貴方がどう言おうと、当事者で反対または批判的な人が居ようと《それによって《自由と平等を勝ち取れる人》がいるなら、より平等になる、といえるはずです。
少なくとも私たちは、そういう啓蒙主義的価値観の中で「自由な個人」として利益を享受しているわけで「不自由だ」と思う人がいるなら、政策的に解放していくのは当然の流れだと私は考えます。
(このLGBT法案が良い法案なのかよくない法案なのかは別の話です)
だから「当人が大きな問題だと思っていない」かどうかは分かりません。大きな問題だと思っている人が一人でもいるなら、制限を付ける必要性はない、でしょう。
結局、質問者様が言いたいのは「女を守れ」という事なんだと思います。
必要ない、という人が言いたいのは殆ど「LGBTの権利を保障した結果、女の権利が守られなくなる」という論調です。
だから、質問者様は「独自と世界を平衡させていくのが当然の在り方」というわけでしょう。
でも、その事例として信長と秀吉を出すなら、男女平等である必要自体がないでしょう。別に古来の日本の男女分業のままで、女性は専業主婦でよかったし、そのほうが「保護」されていたはずです。
でも、女性達自身が「守られる必要はない。私たちは男と同等の自由な個人なんだ」と主張して男女雇用機会均等法などの女性解放の流れを作ったわけです。
ならば女性達は「他者の解放に尽力すべき」だと私は考えます。
質問者様の言う「2000年間うまくやってきたことをB規約を拒否することで守っている日本のやり方は正しい」という内容は基本的には賛成します。でもそれならハッキリ言って「男女は別。女は家で専業主婦」でいいはずです。
そこは質問者様は意見がちがうのでしょうか?
もし、男女平等は必要だけどLGBTの平等は必要ないという認識なら
「日本は古来のやり方を否定して、女性を男性と平等にしたのだから、LGBTの平等を拒否するのは矛盾」
だとしか言いようがないです。
ありがとうございます。
例えば法律の話。
条約は国内法に対して優位だということは皆知っていることなのですが、LGBT法案とは無関係です。
ご存知の通り人権規約を批准している国家のどこにLGBT法案などという策謀の賜物のような命名をされた法案がありますか。
条約が優先でそこで「男女平等謳ってる」のだから国内法を変えるとか、解釈が気に入らない古い法規は廃棄新立法しろなどと言っている国はどこにもないじゃないですか。
そもそも見ているところの違いとは法律や条約のことではないということです。
回答者さんの言う「世界」がどこもやっていないことに実行力は疑われるけれども手を付けたのですよ?
やるべきではないことだということです。だから他は手を出さない。
教育の問題だと言えばそれも法整備だと。
道徳の時間を消したのは質問者さんたちのような方達だったと記憶していますが?お忘れですか?
そういう言い方をするのであれば「現行の法に従え」でフェミもポリもジェンダーも終了ですが?全ての議論は「変えたいなら立法府へ」で済む話です。
「男女平等」は成し得ないと最初から言ってますが?
言葉を正確に解釈すれば男と女の生涯を全て同じ扱いにすることは弊害があってよろしくないと。性差に合わせた公平が必要だと言ってるじゃないですか。
自由と平等は他人の自由と平等を削って獲得するのものという解釈でよろしいでしょうか。であるならばごく少数のために多くの人が僅かづつでも自由や権利を奪われたくないと思うことも当然許されなければいけません。
両者共理に適っているとしたら多数派が常に勝利になってしまいますが?
そして大きな誤解をされているのが日本では女性が虐げられてきたという安易な見解です。
天照大神は女神ですよ。
日本の女性は科学や真実に基づかない扱いを実際受けましたし、世間に表出することを阻まれた時代も経験しています。しかし、世界の言う「女性を蔑ろ」にした歴史などありません。むしろ「世界」に比べて非常に大切にされています。
現実は政治家が少なかろうが会社役員が少なかろうが女性の幸福度は世界一らしいですから。
門戸が平等に開かれた現代から未来にかけてもそうは政治家も役員もそうは増えませんよ。
LGBT問題は困っている人がいないのに多数を押し退けて強引に現行法に入ってこようとしていることが問題なのです。
No.6
- 回答日時:
#5です。
お礼ありがとうございます。>「日本では実際に困っている人がいないのでLGBTQの問題に法律レベルで手を付ける必要が無い」ということをなぜ意図的に無視しているのかということです。
「必要が無い」という意見もあるし「必要だ」という意見もありますよね。じっさいLGBT団体はデモもしているし、裁判も起こしているし、地裁レベルでは「同性婚を認めないのは違憲」という判決もでているからです。
そして、その背景には各種の差別撤廃条約があり、政府はそれに則って《LGBTQなどのすべての個人の平等を実現できる社会政策》を実行しているわけです。
これは温暖化やSDGsだって「必要・必要ない」という意見があるのに、政府は京都議定書などで国際公約しているから政策を進めているし、共同親権なんかも「要らない・要る」という議論があるのに、ハーグ条約に批准したから法制化を進めているわけで「意図的に無視している」のではなく「政府としてはやらなければならない課題として位置づけられているからやっている」わけです。
>「周囲の人の認知・理解に不足がある」ことが問題のほぼ全てでしょ?
日本では特に問題の根が浅いことは言いました。
いいえ、関係ないです。特にLGBTの人権問題でいえば、そもそも男女平等自体が「周囲の人(男性)への認知・理解に不足があった」のに、雇用機会均等法などを作りましたので、全く同じ、逆に政府の側からいえば「法制化することで、むしろ認知・理解が進む」と思っているわけです。
>なのに立法府で殊更に大騒ぎする目的はなんでしょうかね。
条約によって、国際的な約束になっているからです。
ただし「LGBT法が必要」という意味ではありません。他の先進国に同様の法律がない、というのはその通りだからです。
しかし他の先進国は同性婚を認め、組織内で性自認が異なる人たちを排除してはいけない、という法整備はすでに済んでいます。これは性別だけでなく人種差別などと同じ位置づけで法整備してきたからです。
日本は人種問題もほぼないので、LGBTなどジェンダーの平等だけ法整備するから、世界的にみて特異な法ができることになるのです。
>正義と自分を結びつけ、政府の立ち遅れを指摘しその無能ぶりを糾弾し、女性の歴史に関連付けて次はジェンダー。「平等」に文句言う奴は絶対悪。
やり易いんですよね。政争の具として血眼になって担ぐわけです。
まあ、やりやすいでしょうね。特にフェミニズムとしてはやりやすかったでしょう。でも実はLGBTは《フェミニストにとってはやりにくい》法案なんです。
なぜなら「公平」の問題で「《誰かの判断》で女性だけゲタを履かせることができなくなる」からです。
この点について、LGBT法案が進めば進むほど、左翼は矛盾を抱えることになっていきます。
>世界とはなんの世界のことを言っているのでしょうか?シリアや北朝鮮、中国ロシア、サウジだってみな世界です。あなたの言う世界が盲従すべき正しい世界なのですか?
私が説明してきた「世界」とは、条約の事です。その条約が西欧基準なのは間違いないし、私がそれに賛成しているわけではありません。
しかし、条約に批准した以上、国内法を整備するのは「国際的な義務」ですから、日本政府が市井の声を無視して(るように質問者様が感じるとして)も法整備は進むわけです。
>あなた方にとっては物足りないのかもしれませんが、現在の地球上では人権を保障しているのは国家の力です。
その通りです。だからこそ国家=政府が条約に基づいて法整備をしようとしているわけです。
それがイヤなら自民党政権を倒して、参政党に政権を取らせればいいわけです。
で、参政党は「国際法が何と言おうと、日本古来のやり方で行く」といえば、条約破棄になっていくでしょう。
その先の問題点は色々とあるでしょうが、それは主権者たる国民が享受すべき内容です。
ありがとうございます。
ちょっと見ているところが違うんですよね。
「必要がない」と言うことは私の周辺や様々な媒体、そういう方達の話を聞いて、自然に考え至った結果のことなのです。
あなたの周囲に「オカマは購入できません」というお店や「どっちつかずの方は入場できません」「ノン気だけ募集!」などという張り紙ありますか?
オカマ狩り・オナベ虐めはありますか?ないでしょ?
法の適用順位について一家言あることは分かりましたが、私も法律を齧っておりますので承知しています。
でもそこが「視点の狂い」だと言っているのです。
そんな段階で扱う必要が無いのになぜそんなに大騒ぎするのか。
と、ずっと申し上げております。
ノン気の人が突然その人の志向を知ったらびっくりしたり、狼狽することがあるということでしょ?日本のLGBTQの問題って。
その後の友人知人の目線や態度の変化がしんどいと。
既に人権規約を批准している以上多くの人の立場を変えてまでねじ込む問題ではないということを理解していただきたい。
法整備ではなく道徳教育、保健教育の問題だと言っています。
「こいつは参ったなぁ」「えっそうだったの」と思うことはいいですかね?
「うわっ寄って来て欲しくないなぁ」「う~んちょっと勘弁」は?
「見るのも嫌だ」は?
一般人なら思想の自由、認識不足ですか?
発言する人が気に入らない筋の人なら社会的抹殺ですか?これは単なる個人の感想なんですがね。それを封殺してしまうのがLGBTQ問題の提起に含まれている目的の一つなんですか?
「実際デモをしている」人に日本のどの法律があなた方の生活を障害しているか聞いてみてください。一切答えは返って来ないはずです。
他の人と違う法律なんて無いのですから。
混乱を望んでいる勢力本人、および扇動された者のデモを「マイノリティの声」だと本気で思っているのでしょうか?
問題をすり替える気が無いのでしたら気付くはずです。
当人が大きな問題ではないと思っていることを周囲が大きくしていることに。
2000年間うまくやってきたことをB規約を拒否することで守っている日本のやり方は正しいです。思想、宗教は信長、秀吉の時代から押し付けと拒否の繰り返しが「世界」と「日本」の関係です。失敗した例は言わずともご承知でしょう。
独自と世界を平衡させていくのが当然の在り方です。
No.5
- 回答日時:
>・日本が国際人権規約を批准していることで「世界基準」は十分です。
B規約の未批准は日本独自の伝統、文化、人生観、死生観、法の運用の問題が摺り合わさるわけもないからです。
それ以上に世界基準に合わせなくていけない理由は?
条約比人した国は「国内法を条約に合せる」義務があるからです。
だから各国政府は可能な限り合わせる努力をしています。
もちろん「時期尚早だから、まだできない」というものもありますが、たとえば男女平等の男女雇用均等法は1985年施行で、これは1981年発効の女性差別撤廃条約に国内法を合わせたものです。
LGBT問題を政府が推進するのは、左翼的環境整備という問題はあるとしても、条約批准している以上当然の流れです。
それがイヤなら、自民党政権を別の保守勢力に変えるしかないです。
>・LGBTに特化した法案を持つG7の国はどこでしょうか?日本だけです。
ここは世界から突出してしまっていますがいいのですか?
これには表裏の側面があります。
表=世界基準
日本には「性別での平等を担保する法律がない(女子の平等を担保する法律しかない)」ので、ジェンダー全体の平等を担保する法律を作る必要がある。これは世界基準としては当然といえます。
裏=国内事情
でも実は左翼(フェミニズム)的には「女性の優位性を失う法律は作りたくない」
保守も「男女以外の曖昧な性別を認めると同性婚など家族破壊になるから作りたくない」
のです。なので本来は「ジェンダーはグラデーションであって、男~女の間のすべてのジェンダーを含む平等法が必要」なのですが、左翼(フェミニズム)は「男の権利なんて今更認めるな!」と主張し、保守は「男&女の性差を認めたくない」ので、政府としてはLGBTという具体的なターゲットがあり、主張もされている、しかも司法が「同性婚を認めないのは違法」と言い出しているので、LGBTに特化した法律で突破したい、としているのです。
個人的な考えを言わせてもらえば、今回のLGBT法は最悪で、左翼的にも保守的にもデメリットしかない、です。
>「人」としては「平等」ですが男女なら「公平」なのです。ここのあたりを恣意的に有耶無耶にしているのはある種の主義を持っている人に典型のもの言いです。12歳の兄と9歳の妹、その下の5歳の次男に6つの饅頭を3個2個1個と分けることがそんなに不満なのでしょうか?
質問者様は「平等」と「公平」の違いを把握しきれていません。
まず、ちょっとひねりがある「平等と公平の違いの図」を提示します。
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn: …
このような図はよく見かけますが、この図では、スロープ付きの台で車いすの人も「公平に観戦できる」ことが見て取れます。
で「平等・公平」の違いは「誰が箱やスロープ付きの台を用意するのか?」です。
平等とは「機会の平等」のことを言います。だから#4でも「自由で平等な権利をもった個人の生きづらさは個人の選択」だと書きました。
つまり、自分で自由に選択した結果「自分の背では見えない席しか取れなかった」のは平等なのです。
しかし公平は
・あなたはまだ子供で背が小さいから、かさ上げしてあげる
・あなたは車いすだからスロープを用意してあげる
・あなたは大人で背が高いから、箱ナシでいいよね
と《誰かが》判断し、箱やスロープを用意するわけです。
ということは「あなたは大人なので、子供並みの背丈だけど箱は渡せない」という判断だってあり得ます。
このような「誰かの判断」が伴うものは、機会の平等にはなりえません。
なので、質問者様のいう「ここのあたりを恣意的に有耶無耶にしている」のは、むしろ「平等・公平」の違いをきちんと理解していない側なのです。
平等は公平とは全く違います。社会に公平性が必要か?という点でいえば、必要ですが、それは「判断する誰かの恣意的な認識が入る」ということなのです。そしてその「誰かの判断」によっては、平等性が失われます。
たとえば、以前在った「医学部受験で男子を優先的に合格さえること」がそれです。
これは「平等」という点からいえば「男女関係なく、合格点の高い人物から合格させる」のが当然ですが、その結果「女性の医師ばかりが増え、緊急対応ができなく恐れがある」とされたのです。
つまり合格させる人たちは「すべての日本国民が、緊急医療を公平に受けられるようにしたい」と思っていて、体力のある男子を優先的に合格させようと「判断」した、ということです。
これって「日本国民の医療」からみれば公平ですが、しかし受験する女性達から見れば不平等極まりないわけです。
(医療現場における男子の必要性はここに説明されています
https://president.jp/articles/-/25621?page=1)
なので、平等と公平を有耶無耶にしないでください。両者は全く別物であり、平等の議論は「恣意的な判断を極力排除して、機会を平等にすること」なのです。
>・大多数の「生きづらさ」とはノン気の「生きづらさ」のことです。
一般人の不平は不平としか聞かれないのにマイノリティの不平は権利。
機会の平等が成立しているなら「生きづらさ」は個人の選択の結果でしかありません。
その部分を間違えてはいけないです。
>黒赤黄白男女これらは「人」として括ることで「平等」なのです。
その通りです。だから「男女」に性別による違いとか、性差とかは関係ないです。
もちろんそのうえで「女性は出産するから」とか「女性は性被害に遭いやすいから」と保護することは社会の公平性の問題です。
しかし、公平という点なら「女は子供を産み、外に性被害に遭いやすいのだから、家から出るな」と《誰かが判断》して、男女の平等を制限することも可能になります。
同様に「アジア人はバカで体力がないから、有能な白人が指導してやる必要がある(または、正しい宗教であるキリスト教を指導してやる必要がある)」という《白人の判断》も正しく、(白人から見て)公平である、という論理も成り立ってしまいます。
だから「平等」を考えるときに「公平の概念」を入れてはいけないのです。それは「誰かが恣意的に操作することが可能になる」からです。
>・LGBTQの問題ってマジョリティの居場所を削る行為ばかりだと思うんですね。
公平性でみればそうなります。なぜならLGBTの場所を作るために、マジョリティの居場所を制限してもいいと《誰かが判断》できるからです。
しかし、平等の場合は全く違います。単に「他と同じ条件」にするだけだからです。
トイレの問題もよく見てみれば「他と同じ条件にしてくれ」というだけの話で「他と同じ条件にしました」という判決でしかありません。
新宿のトイレも「みんな同じ条件」にしただけでこれは「平等」な方式、それをみて「女性が襲われやすい!」と騒ぐのは「公平性」の問題です。
なので、私ではなくむしろ社会的議論のほうが「平等と公平を有耶無耶にして議論している」のです。
>それをまるで人権無法地帯のように他宗教、他倫理観を持ち出して口角泡を飛ばして問題化している連中の眼の色をごらんなさい。「狂気」という言葉がぴったりですから。
それはあなたの感想でしかありません。もちろんそう思うのは自由ですが、上記に書いたように「日本は差別撤廃条約に批准しているので、国内法を整備する必要がある」し、政府はその方針に沿ってLGBT法を整備しようとしたのです。
問題点がある、のは当然で、しかも左翼も右翼も「不満」というのが今回のLGBT法案の最大の問題ではあります。
ありがとうございます。
う~んなんと言っていいやら。
強い言い方になっちゃうかもしれないけど・・・
「日本では実際に困っている人がいないのでLGBTQの問題に法律レベルで手を付ける必要が無い」
ということをなぜ意図的に無視しているのかということです。
「周囲の人の認知・理解に不足がある」ことが問題のほぼ全てでしょ?
日本では特に問題の根が浅いことは言いました。
つまりはそういう人達に対する振る舞いについても理解して受け入れやすい状態なのはわかっているはずです。
なのに立法府で殊更に大騒ぎする目的はなんでしょうかね。
キーワードに「人権」「平等」「日本の立ち遅れ」「女性蔑視」触れてはいけない、禁忌のようなものが多いのもある種の人達が好む条件です。
使い方は「人権を守ること、全てを平等に扱うことは絶対的な正義でしょ?」です。
経緯や対象に関係なく自分達が正しい立場からものを言っているように見せることが容易です。
重ねて言いますが法律の問題じゃないのです。
人間が人間にどう対応するのかという教育の問題です。
正義と自分を結びつけ、政府の立ち遅れを指摘しその無能ぶりを糾弾し、女性の歴史に関連付けて次はジェンダー。「平等」に文句言う奴は絶対悪。
やり易いんですよね。政争の具として血眼になって担ぐわけです。
もともと日本にはいらない課題なのに。
女性トイレに体の大きなどっちつかずの感じの人がいて、それを「こわっ」と思うことは差別、犯罪です。
というマジョリテ弾圧なわけです。非常にヒダリ的。
女性は実際に権利が制限されていた歴史がありました。
次はジェンダーと言いますけど、なにか不当に持っていなかった権利や条件があったわけではないですよね。
マジョリティを押し退けて上積みとしてなにかを得ようとさせているわけです。本人たちは差し置かれて。妙な勢力が。
踊らされていることに気付くべきだと思うのです。
当事者たちの大半は「分かってくれりゃそれでいい」ということを。
世界とはなんの世界のことを言っているのでしょうか?シリアや北朝鮮、中国ロシア、サウジだってみな世界です。あなたの言う世界が盲従すべき正しい世界なのですか?
あなた方にとっては物足りないのかもしれませんが、現在の地球上では人権を保障しているのは国家の力です。
人類の博愛ではないのです。
No.4
- 回答日時:
#2です。
お礼ありがとうございます。お礼を読んでわかったのは「質問者様は日本の社会しか見ていない」という点です。
LGBTに限らず「平等」に関わる基準はすべて日本が批准している国際条約の基準で進められています。なので「日本人として、日本の歴史や価値基準」で見ると《変だ、おかしい》と思うかもしれませんが、それこそがご質問の根本にある疑問に対する答えなのです。
つまり「LGBTQなどの平等を政府や司法が進めようとするのは、その基準が世界基準=欧米基準にあるから」です。
以下、いくつか個別に回答します。
>「少数」と言う理由で意見を貴重・重要・正解・保護対象だとする風潮が生まれているからLGBTQの「生きづらい」は拾われています。そして従来の習慣やルールは破壊されていっています。
はい、世界基準に合わせるなら、従来の《日本》の慣習やルールは破壊されます。しかしそれは日本だけでなく、たとえばサウジアラビアは2017年に女性に運転免許を解放しました。これも「サウジの(イスラム的)習慣やルールを破壊」する行為ですが、一般的な日本人は「女性に運転免許が無かったなんて信じられない」と評するわけです。
これは日本人のほとんどが、知らないうちに「世界標準=欧米基準」の人権意識を受け入れているからです。
>一方で大多数の「生きづらい」は黙認されたまま。
だからこそLGBTQのような少数者の人権を平等にすべきだ、というのが世界標準の考え方で、LGBTQの後は障害者とか児童などの生きずらい人たちの解放に向かうでしょう。
ただし、この点で誤解していただきたくないのは「生きづらい」というのは「制度的な制限があるため」という理由が必要で、政府や司法が改善するのはこのような問題だけです。
権利が平等であり、個人としての選択権が法的に保証されている個人の「生きづらさ」は個人の選択の問題でしかありません。そこを間違えると「単なる甘え」になってしまいます。
>男女は「平等」にはなりえません。女と男は別の性質を持つ生き物ですから「平等」に扱おうとするとどこかに弊害が生じます。「公平」に扱うべきものを同じに扱おうとさせる意図はなんだと思いますか?
この点も《実に日本的》です。世界基準=欧米基準では「階級・人種・性別はすべて平等になる」という前提だからです。
そもそも「男女が平等になりえない」なら《なぜ階級は平等になりえるのか?人種は平等になりえるのか?》という問題が出てきます。
たとえばオランダ女性は平均170cm程度の身長がありますが、インドネシア男性の平均身長は158cmしかありません。
つまり「オランダ女性のほうがインドネシア男性よりも体力的に恵まれている(優れている、という言い方をする人もいる)」わけで、人種の平等と男女の平等のどちらも成り立たないはずです。
しかし、それだと「(身長だけが劣っている要素ではないですが)劣っている人種に同じ権利を与える必要はない」という論理になりえます。実際これが植民地支配に使われてきた論理であって、それを廃止したからこそ「階級・人種」の平等が可能になり、そのままそれが「男女」に援用され、さらにLGBTQにも適用される、というのが今の段階なのです。
したがって、世界基準では「男女は平等になれる」し「人種だって別の性質を持っているのだから、それらの違いはすべて個人の資質の幅でしかない」というのが「平等の基準」なのです。日本人はこの部分について非常に無知です。
>会社の役員、政治家の数について騒ぎ立てるのはなぜでしょうか?
これについては「権利と義務」という世界基準の考え方があるからです。
そもそも奴隷制度を含む階級差も男女の権利差もすべて「自由で権利を主張できる個人は義務を追う」という世界基準の考え方からのものなのです。
これはたとえばウクライナ戦争を見てもらえばわかります。ウクライナ人はロシアが攻めてくるまで、ウクライナ国内で、自由に財産権や契約権などの主張してきましたが、ロシアに領土を奪われると自分達の権利を主張する社会を失うことになってしまうという事態に直面したわけです。
だから、男性が「自分達の権利を守るために自分達の国や社会を守る」行動を行っています。もちろん政府が出国禁止にして徴兵したわけですが、それは「自分達の権利社会のための義務を果たす必要がある」というのが世界基準の考え方だからです。
なので、実は参政権などの諸権利と徴兵義務はそもそも一体で、現代のように戦争がなくなっても「社会を維持するための義務」は政治家や企業幹部の仕事として残っていて、だから世界基準では「社会的権利を平等に得た人々は、社会的義務を果たそうとするはず」であり「社会的義務が果たせない=特定の属性が政治家や企業幹部になれない」のは《社会に不平等があって、特定の属性の人々が差別されているからだ》という解釈になるのです。
だから日本のように女性政治家や企業幹部が少ない国は「女性達が社会的義務を果たそうとするのを妨げるような差別的な社会制度が残っている」と解釈されるのです。
だから日本はジェンダー平等指数が低いわけです。
(もちろん、ほとんどの日本人は男女に法的権利差があるなんて思っていません)
>一般の女性が女性トイレに入ってくる男性にどういう思いをするかについて配慮することすら「悪」だと言われるような風潮はどこで醸成されているのでしょう。
上記で説明したように「自由に選択できる権利をもつ者は、社会において、他者が同様に自由に選択できる権利を維持できるように努力する義務がある」からです。
またそもそもLGBTの性自認を踏まえれば「男性」ではありません。この点は質問者様に無意識のバイアスがあることを自覚していただきたいです。
LGBTの性自認は今のところ「男女」のように固定化され法的に認めらているとはいえません。それは同性婚が法的に認められていない、ということもあるし「自己の性自認にしたがってトイレを使いたい」と望むことも同じです。
なので、自由な権利を保持している女性達はLGBTなどの人たちの諸権利が平等になるように「ちょっとだけ我慢して譲る」必要があるのです。これが世界標準の「平等」の考えかたです。
>どちらにも当てはまらないという「少数」のために多くの人に制限が掛けられるのは当たり前だという風潮はどこから来るのでしょうか?
平均身長が170cmのオランダ女性と身長158センチのインドネシア男性は「同じ人類」なのでしょうか?ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が違う人種だったように「違う亜種だ」としてもよさそうです。
他にも「白い肌で金髪ストレートな白人」と「黒い肌でアフロな黒人」は同じ人種でいいのでしょうか?
アメリカではアジア人は全体の3%しかおらず、一重で黒髪ストレートで丸い顔をしていて明らかに平均IQが白人や黒人よりも高いですが、この少数者を同じ権利としていいのでしょうか?
もちろん世界基準では「すべて同じ人間として、同等の権利を与え、誰でも自由で平等な個人である」ということになるわけです。
ならば性自認が「男女の枠に入らない」人を除外する理由はどこにあるのか?「ないよね」というのが差別撤廃条約の考え方なのです。
>左翼的環境整備の一環なのではないかと思っています。
はい、左翼的環境整備の一環かといえば、そもそも啓蒙主義的人権平等が左翼的です。それは啓蒙主義がフランス革命の原動力であり、フランス革命によって「左翼=人権平等派」が生まれたからです。
しかしほとんどの日本人も先ほどのアラブの免許の話のように、すでに「男女や人種の平等は当たり前」と考えるようになっています。これはすでに日本人が左翼的な思想に相当なレベルで染まっているからです。
そしてその結果、日本も戦後になって各種の差別撤廃条約に批准し、啓蒙主義的平等の政策を何十年も推進してきたわけです。
だから「LGBTの平等は行き過ぎだ」という言い方はできません。もしそれをいうなら「男女平等の政策は行き過ぎだ」と反対もできたはずだし「アメリカの公民権は行き過ぎだ」とも批判できたはずだからです。
しかし日本人は「自分達が社会や世界の中で平等になるほうが有利である」として世界基準の「平等」をずっと受け入れてきたし、日本古来の習慣やルールを変え続けてきたのです。
だから政府は今までと同じように、戦後に批准した各種の世界標準の条約やルールに従って「全ての属性の人々の平等」のための政策をおしすすめているだけで、今のフェーズがLGBTQの順番なだけです。
それなのに「LGBTQの件は行き過ぎだ」というのはわがままな主張にすぎず、そのような主張は確かに保守的で「左翼的環境整備」だというのは理解できますが、しかし《自分達が平等になるのには文句を言わないのに、他の者まで平等になるのは行き過ぎだ》というのは通用しない、のです。
再度ありがとうございます。
・日本が国際人権規約を批准していることで「世界基準」は十分です。
B規約の未批准は日本独自の伝統、文化、人生観、死生観、法の運用の問題が摺り合わさるわけもないからです。
それ以上に世界基準に合わせなくていけない理由は?
「ガラパゴス化」を揶揄の意味で使うかたですか?日本の色は全て排除しろと?私は「独自路線」「個性」と言う意味で捉ます。
情報をシャットアウトして暗黙裡に開発を進めているわけではないですよね。外殻(ハード)を共通仕様に合わせているのですから内部は違っていてもいいじゃないですか。世界を均一にすべきだと?
・LGBTに特化した法案を持つG7の国はどこでしょうか?日本だけです。
ここは世界から突出してしまっていますがいいのですか?
・大多数の「生きづらさ」とはノン気の「生きづらさ」のことです。
一般人の不平は不平としか聞かれないのにマイノリティの不平は権利。
・男性と女性は違う性質を持っています。
「人」としては「平等」ですが男女なら「公平」なのです。ここのあたりを恣意的に有耶無耶にしているのはある種の主義を持っている人に典型のもの言いです。12歳の兄と9歳の妹、その下の5歳の次男に6つの饅頭を3個2個1個と分けることがそんなに不満なのでしょうか?
・身長の話は詭弁そのものです。
意味のない指標で論点をずらすことをしているだけです。
黒赤黄白男女これらは「人」として括ることで「平等」なのです。
No.3
- 回答日時:
質問者さんが言う実害という面で言うと差別や迫害はありません
というのもカミングアウトをしていませんし
世の中に対しては性別や性的指向に無関心になってほしいと考えます。
性別で区別して発言をしない、異性愛者が普通だと決めつけないということをみんなが当たり前にするだけで自分は救われます。
ご自身が興味のない人に恋愛感情を向けられて気持ち悪く思うのは当然だと思います。
ですが、自身が関係のないことならスルーで良いのではないでしょうか。
質問者さんは迫害、差別をしたことがないとおっしゃりますが、【気持ちが「不快」を感じたからという範囲の内容はご遠慮ください。】この一文でも自分は正直差別されたと感じてしまいます。不快に感じただけなら我慢しろということでしょうか。
質問者さんも【同性から性的志向を受ける】ことに「不快」を感じているのではないですか?矛盾していると思います。
話がそれましたが、LGBTQの問題が大きく取り上げられるのは良いことだと思います。
声を上げなければ認知されず男は男らしさを、女は女らしさを、そして正しい恋愛のあり方を世間一般の当然の価値観として押しつけられることでしょう。
質問者さんの差別意識が薄いのもLGBTQが存在することが世に広まって理解が深まってきたからだと思いますよ。声を上げることは無駄では無いということです。
とはいえ体の性別が違うトイレや温泉に入るのに自分は反対です。
ただ、温泉はともかくトイレは日常的に利用しなくてはならず、自認の性では無いトイレに入るのは苦痛というのも分かります。
男女別のトイレに加え、多目的トイレなどの男女共用トイレが増えれば良いのではと思います。
また、裁判を例に挙げていますが、今回訴えた方はもともと女性として会社に勤めており離れた女子トイレの使用も会社から許可されていました。そういった経緯があるので、女湯に身体男性が入るのにフリーパスというのは話が飛躍しているのでは
回答ありがとうございます。
>不快に感じただけなら我慢しろということでしょうか
違います。
自分の気持ちだけで感じた不快は相手側にも同じように言い分として存在するからです。
こういう感情が湧くという話は参考になりはしますけれども、相手にも感情が湧き出る権利は厳然として存在しますから、ここではメインの話にしない方がよいという意味です。
>差別されたと感じてしまいます
マイノリティ側から表現する場合、マジョリティ側の異なる意見、言動、立場にはほぼ全て「差別」という言葉が使われます。
多数に立ち向かううえでは分からなくもないことなのですが、私は「差別」は「謂れや根拠の無いマイナスを伴う区別」のことだと思っているので思うことだけで差別だとするのはやり過ぎです。
同性から向けられる性志向を私が不快だと思うことは差別ではありませんし、権利でもあるわけです。
ところが世の中はそうとはなっていません。
表現には問題があったかもしれませんが荒井秘書官の発言を「差別」だと叫んだ連中と世間は荒井氏の「思想の自由」を封殺したことだと理解できますか?
>男は男らしさを、女は女らしさを、そして正しい恋愛のあり方を世間一般の当然の価値観として押しつけられる
多くの人がこの状態なのです。これをいけないことだと叫ぶのはなぜ?
こういったマジョリティの価値観を「いらないもの」「悪習」「画一的」とやることは血眼なのに、マジョリティの立場は「理解するべきもの」と全力で推し通そうとするのを不自然に思うのはおかしなことですか?
付け足せばいいんです「でも好きな方を選ぶことだって出来るんだよ」って。
違うものなのに、適性があるのに全てを均質にしようとするのは悪手も悪手、最悪の社会形成です。
違うところがあれば存在を認め、干渉を最小に抑え、摩擦があるなら譲り合えばいいだけのこと。
この見解はどう思われるか分かりませんけど、日本は宗教的な縛りが緩いので実はこの問題には世界有数の寛容さがあった国なはずです。
私もそういう人の存在自体なんら不快な思いは幼いころからありません。
ですので今の世の中の動きが腑に落ちないのです。
「マイノリティには理解される権利が有り、マジョリティには理解する義務がある」という風潮は大きな摩擦となって表出すると思います。
No.2
- 回答日時:
LGBTQの当事者ではありませんが、この問題をずっと追っかけている者なので、ちょっと回答というか解説させていただきます。
>なにか世論の口車に乗せられて問題を大きくしていないか、そういう風に思うことがあります。
ご質問の元にある認識がここにあるのだと思いますが、LGBTQの人たちは、そういう意味では《大きく差別されていることもないし、厳しい迫害を受けて居るとは言えない》です。でも「生きづらい」と思っている人たちはたくさんいて、この「生きづらい」と思うというのが法制度を含めた社会の流れになっているのです。
では、なぜ《LGBTQなどの人たちの生きづらさを社会が真剣に対処する必要があるのか?》といえば「自由で平等な個人」をより広く確立するため、です。
歴史的な流れでいえば「自由で平等な個人」は、階級解放・奴隷解放(人種平等)・女性解放という形で進んできました。
どれも「平等」と平等になることで制限がなくなり「自由」を獲得した、という流れになるわけです。
いちばん最近、平等になったのは女性で、それを女性解放とよぶわけです。
そしていまだに男女平等は道半ばだとされていて、女性達は「生きづらい、差別されている」と主張しています。
出は本当に、女性解放前の女性達は「生きつらい」状態だったのでしょうか?たしかに権利制限という点で、西洋での女性は財産権・契約権・相続権が制限されていて「生きやすい」とは言えなかったかもしれませんが、しかし男性のように労働の義務を負っていなかったし、徴兵の義務も負っていませんでした。
なので本来の「自由ではない、平等ではない」というのは《他の自由な個人が持っている権利が同等にあるかどうか》なのです。
なので、今の時代、階級による権利差は無くなりましたし、奴隷というか人種による権利差もなくなりましたし、性別による権利差もなくなりつつ、あります。
でも「性別による権利差は無くなりつつある」とはいえ、まだ十分に《権利差は無い》とはいえない、というのがフェミニズムの主張するところであるわけで、その視点からみればLGBTQという「男女に分類できない、男女の間にある性自認」は「確実な権利の差がある」といえるわけです。
ではどのような「権利の差」があるかというと「男でも女でもないので、社会に認知されていない」という点です。たとえば戸籍や住民表には「男・女」しか登録できません。
これは「奴隷としか登録できなかった奴隷制時代」とか「人種を登録することで差別を受ける社会」などと同様に《本人が望む社会的位置づけを得られない》という差別になるのです。
他にも「同性が好きなので、結婚したい」と思っても、日本の婚姻法では同性婚は(いまのところ)認められません。これも「自由で平等な個人」の選択肢が用意されていないと、普通の男女(シスジェンダー)と《権利差がある》ということになるわけです。
今回の裁判は「性自認が女性なので、男子トイレを使うことに苦痛を感じる人が、女性トイレを使うことに制限を受けるのは妥当かどうか?」というもので、最高裁は《少なくとも職場のようなクローズドな環境で、LGBTQに配慮しないのは違法》という判決をだしたわけです。
これは女性の社会進出の初期に女性達が「仕事をしているフロアには男子トイレしかない、女子更衣室もない、別の階までわざわざトイレに行き、トイレで着替えるのは苦痛だ」と訴えて、女性トイレや女子更衣室が当たり前になっていた男女平等と何も違いがないのです。
男女平等はある程度達成されたので、今「男女という性のどちらにも当てはまらない人たちの、生きづらさを解消しよう」という流れになっているだけで、十数年前はその対象が「女性」でその前は「奴隷」でさらに前は「平民」だっただけなのです。
回答ありがとうございます。
日本人に今の世の中「生きやすいですか?」と聞いて「いやぁ快適です」と答える人はほぼ皆無だと思います。LGBTQ・ノン気両方共にです。
「少数」と言う理由で意見を貴重・重要・正解・保護対象だとする風潮が生まれているからLGBTQの「生きづらい」は拾われています。そして従来の習慣やルールは破壊されていっています。
一方で大多数の「生きづらい」は黙認されたまま。
男女は「平等」にはなりえません。女と男は別の性質を持つ生き物ですから「平等」に扱おうとするとどこかに弊害が生じます。「公平」に扱うべきものを同じに扱おうとさせる意図はなんだと思いますか?言葉の綾ではないのです。
門についてはおっしゃる通り近現代に男女に公平に開かれましたが、会社の役員、政治家の数について騒ぎ立てるのはなぜでしょうか?
求められる優秀な人材なら女が全てでも男が全てでも構わないはずなのに優秀なものを切り捨ててまで男女同数に拘るのはなぜ?
自認は他人には分からないということは理解できないのはなぜ?
マイノリティ本人が言うことは信じなければいけないという風潮はなぜ?
男でも女でもないはLGBT法案の言うところの「性的志向」でどんな志向を持っているのか見当もつかないと言ってはダメなのでしょうか?そこに疑問や不快を示すとリンチに合うのはなぜですか?
男性トイレを使うことに抵抗のあるということは分かるにしても、一般の女性が女性トイレに入ってくる男性にどういう思いをするかについて配慮することすら「悪」だと言われるような風潮はどこで醸成されているのでしょう。
見た目がそうなのだから男性は男性、女性は女性のトイレを少しだけ我慢して使用すれば済むだけの話を裁判にすること自体誰の差し金なのでしょうか。
どちらにも当てはまらないという「少数」のために多くの人に制限が掛けられるのは当たり前だという風潮はどこから来るのでしょうか?本人たちが迫害を受けているわけではないのですよね?
「平民」「奴隷」「女性」は決して少数ではないのにそれを引き合いにLGBTQ問題の在り方が語られるのはなぜでしょうか?
実害が無いところに詭弁や錯誤や曲解で意図的に作り出されるこういう流れは「国民の低位平均化」つまりは左翼的環境整備の一環なのではないかと思っています。
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・LGBTQの問題ってマジョリティの居場所を削る行為ばかりだと思うんですね。
他に場所があるのにわざと削る。これは本当にいやらしいやり口。
同性婚なんかその典型。パートナーシップという形で婚姻と同等の法を立てればいいのに、わざわざ婚姻法を枉げろと言う。
そもそも言葉的にも婚姻は「男女」ですることであるのを忘れているのは嘆かわしい限りです。
LGBTQ問題は日本においては当事者達が公に出来なくて苦しいということが問題の大半です。
言うと馬鹿にされる、白い目で見られるからですよね。
それを分からせるには学校などできちんと人間の性的志向や性自認を教えて、そういう人が存在することを認知させるようにすればいいじゃないですか。
そうすれば今の幼い子若い子達は普通に受け入れ、接すると思いますけどね。
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西洋の宗教は根を張らず、性に対しては奔放、男も女も大事な労働力だという認識が日本胃はあったからです。
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この問題はやはり「不要」とは言わないまでも「不急」の状態ですね。
啓蒙は必要だと思います。ノン気だけでは気付けないから。
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今の政権はなにに怯えてこのようなことを優先したのか。
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