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イスラム教徒のアラブ人はパレスチナに移住してきたユダヤ人を敵視してますが自分達イスラム教徒のアラブ人も大勢で非イスラム圏に移住し現地で自分達の価値観を押し付けてるのでイスラエルのこと言えないですよね?

A 回答 (4件)

>イスラム教徒のアラブ人はパレスチナに移住してきたユダヤ人を敵視してますが



そう、これパレスチナ人を含めたアラブ人の自意識が過剰なためです。
あの土地は、直近は「旧国際連盟イギリス委任統治領パレスチナ」で、その前は「オスマン帝国」です。パレスチナ人は、そこに住んでいただけ。

「旧国際連盟イギリス委任統治領パレスチナ」に住んでいたパレスチナ人、「旧国際連盟イギリス委任統治領パレスチナ」移住してきたユダヤ人という図式で、あえて言うなら、良くも悪くもイギリスの土地。

移住してきたユダヤ人がパレスチナ人を追い出したということはない。金銭で土地を取り引きしただけ。

その後、イギリスがパレスチナ分割を提案した。イスラエルは建国したけど、パレスチナは建国しなかった。というか分割の事前交渉をパレスチナ(とアラブ)はボイコット。国連決議を経て分割。

パレスチナとアラブはイスラエルの生存権を認めずに、戦争をしかけた。簡単に言えばユダヤ人皆殺しを実行しようとした。パレスチナ人を皆殺しにしなかったイスラエルは、まだ理性がある。でも、継続的にテロを仕掛けてくるようだと、追い出しにかかるだろうし、壁だって作る。

ということで、少なくともパレスチナ人は自分たちの価値観をずっと押し付けている。しかもテロという手段を使って。

虐げられているという点で同情を誘うのだけど、イスラエルを殲滅するつもりならもっと真剣にやればいいし、それで負けるなら比例原則で自分たちも殲滅される覚悟を負わないといけない。だらしない癖にありもしない権利を暴力で主張するし、より寛大なイスラエルにどこまで甘える積りなんだろうかと思う。

それでも、パレスチナが騙る、事実と歴史を無視したファンタジーを信じてしまう人は多いね。ここの回答者にも沢山いる。
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いやいや、それは問題の理解が間違ってるというか、問題のすり替えです。



パレスチナという土地に住んで暮らす人たちがイスラエルのユダヤ人を敵視しているのは、それまでそこに住んで暮らしていたパレスチナ人を追い出して、その土地を奪い、そこに住みだしたからです。

土地を奪って住みだしたユダヤ人はアラブの世界ではないロシアやヨーロッパなどから来た人たちです。

だから、同じ中東のアラブ地域に暮らす同じアラブ系民族の人たちは、パレスチナ人の見方なんです。

彼らがユダヤ人に対して持っているのは『敵視』ではなく、土地泥棒をして当たり前の顔をしている人々に対する『当然の怒り』なのです。

それとアラブ系・イスラム系の人がほかの国に暮らすときに起きる問題は全く無関係です。

世界のことを『ちゃんと』勉強しないとダメですよ。
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>非イスラム圏に移住し現地で自分達の価値観を押し付けてるのでイスラエルのこと言えないですよね?



押し付けてくるのであれば、それを許容するかどうかは、その非イスラム圏の国の専決事項です。

例えば殺人を犯し、「異教徒の殺害なので、ムスリムは裁判上優遇されなければならない」とか「コーランを侮辱したので、この殺人事件は減刑されなければならない」的な主張は聞く必要はありません。
ハラールフードの会社を興したいというなら、食品衛生法に従う範囲であれば認められるでしょう。
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アラブ人もヘブライ人(ユダヤ人)も、紀元前2000年以前は遊牧民として共存していたのです。



紀元前2000年頃、アブラハム(ユダヤ人)が、「カナンの地を与える」という神のお告げを聞いて、カナンの地(エルサレム)に定住したのです。

紀元前1300年頃、モーセ(両親ユダヤ人奴隷)誕生。
当時エジプトが強大で、エルサレムから多数の奴隷を連れてきた。

成長して、「エジプトにいるユダヤ人を救え」という神のお告げを聞き、エジプトのユダヤ人をまとめて、エジプト脱出。
有名な「海が割れる場面」が出てきます。

その後、モーセはシナイ山の山頂で、神より、ユダヤ教の基本となる十の戒律を授かります。これが「十戒」。

神は「ヘブライ人が律法を守るのなら、ヘブライ人にパレスチナを与え、様々な恵みを施す」と告げた。
これが、「神との契約」。

ユダヤ人は、神のお告げと称して、勝手に「パレスチナはユダヤのもの、ユダヤは出て行け」としているのです。

アラブ系パレスチナ人からすれば、元々その場所に住んでいたわけですから、「バカなこと言うな」です。

これが、根本的な対立の原因で、対立は延々と続いているのです。

最悪なのは、イギリスの三枚舌外交です。

1417年。第1次大戦中。当時パレスチナはオスマン帝国の領土。
イギリスはオスマン帝国と戦争中。

バルフォア宣言:
イギリスは、戦費調達のためにユダヤに「お金を出してくれれば、パレスチナにユダヤ人居住区を作る」と約束。

フセイン・ホフマン協定:
オスマン帝国内のアラブ人に「反乱を起こしてくれたらアラブ人の国を建国する」と約束。

サイクス・ピコ協定
フランスとロシアに「この戦争に勝ったら、オスマン帝国を山分けしよう」と約束。

戦争はイギリスが勝利したが、約束はすべて反故。
ユダヤとアラブの対立は激化。
イギリスは対応を国連に委ねて逃亡。

ここで、国連は土地の分割を提案。
ところが、とんでもない分割案。
  アラブ系:47%
  ユダヤ系:53%

ユダヤは「安住の地が得られる」と分割案受け入れ。
アラブは「なぜ50%ではないのか」と反発。

1947年、国連は「パレスチナ分割決議」を採択。
1948年5月14日:イスラエル建国宣言

この裏には、経済に影響力が強いユダヤを無視できないアメリカが、国連に圧力をかけて、イスラエル優遇の不平等な内容とした。

1948年5月15日:イスラエル建国宣言翌日
レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプト(アラブ連盟5カ国)はイスラエルに宣戦布告。
第1次中東戦争勃発。

イスラエル勝利:アラブの土地を奪う。
        パレスチナは「ガザ地区、ヨルダン川西側地区」だけに。

1956年、第2次中東戦争
1967年、第3次中東戦争
1973年、第4次中東戦争

すべてイスラエルの勝利。
バルフォア宣言通り、パレスチナをすべてユダヤのものとする。

国連:占領は国際法上認められない。
   「ガザ地区、ヨルダン川西側地区」から撤退せよ、と通告。
イスラエル:拒否

1993年、オスロ合意(ノルウエー仲介)「共存が良いのでは」
イスラエルは「ガザ地区、ヨルダン川西側地区」から撤退。
パレスチナ暫定自治、5年間を認める。
パレスチナは住む場所を奪われたまま。

元々、アラブとユダヤが共存していたのに、ユダヤ教によってパレスチナはユダヤのものとなってしまった。
イギリスの三枚外交で、それが固定化され、ユダヤに牛耳られたアメリカの圧力によって、不平等な分割が成立してしまった。

なぜ、不平等のママにしておくのか。

これが最大の問題点でしょう。
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