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夏目漱石の『行人』の始まりで“自分”が遠縁の岡田の住まいに行って、二回の部屋の床の間の掛け軸を見たときの場面を以下に抜き写してみます。
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 自分は岡田に連れられて二階へ上がって見た。当人が自慢するほどあって眺望はかなり好かったが、縁側のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床の間に懸けてある軸物も反っくり返っていた。
 「なに日が射すためじゃない。年が年中懸け通しだから、糊の具合でああなるんです」と岡田は真面目に弁解した。
 「なるほど梅に鶯だ」と自分もいいたくなった。彼は所帯を持つときの用意に、この幅を自分の父から貰って、大得意で自分の室へ持って来て見せたのである。その時自分は「岡田君この呉春は偽物だよ。それだからあの親父が君にくれたんだ」といって調戯半分岡田を怒らした事を覚えていた。
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質問です。
なぜ「なるほど梅に鶯だ」といいたくなったのですか?
梅に鶯、とはよく云いますがこの「なるほど」という言葉に、なにか“曰く”というものが含まれているように思ったのです。

よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

多分回答No2さんの言うような意味合いだと思います。



>と自分もいいたくなった

軽い嫌味が思い浮かんだけど、
以前もいたずら半分で嫌味を言って怒らせたな。と思い出し、
言わないでおいたという感じだと思います。
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お膳立てが揃っていて


お前らしいということなんでしょう
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梅に鶯だ、多分書いた作者も見た人も勘違いですかね。



梅に緑色した小鳥だったから、鶯と思ってしまう勘違い。

鶯は雀よりホッソリした体型で茶褐色。

良く書かれている、緑色した小鳥は目白です。
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場所にお似合いの掛け軸だったのでしょう。


縁側のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床の間に懸けてある軸物も反っくり返っていた。年から年中かけっぱなしにしている掛け軸は
呉春の贋作さえ見分けのつかない岡田さんにはふさわしいと思った気がします
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「なるほど梅に鶯だ」という言葉は、梅の花が咲いている枝にウグイスが止まっている光景が非常に絵になることから生まれました。

 梅の薄紅色とウグイスの緑色が互いを際立たせていて、美しい絵として印象的です。

この表現は「2つのものが調和している」とか、「仲がよくとてもお似合いだ」とか、「切っても切り離せないもの」といった意味で使われます。 現代では夫婦やカップルなどに対して「あの2人は梅に鶯だね」というように表現されることが多いです。

もともとは、ウグイスが梅の花の蜜を吸いにやってきて鳴くと考えられていたことから、この言葉が生まれたとされています。 この美しい光景が、人々に調和や美しさを連想させ、言葉の意味が広がったのでしょう。
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