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最近気付いたのですが、旧来の山陽線は広島あたりでは何故かなり山奥を走っているのでしょうか?かなり、曲がりくねってトンネルも多い

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A 回答 (5件)

第一の理由は現在のルートが一番建設しやすかったからです。


明治初期の建設ですから長いトンネルや橋梁を極力避けたルートを選ぶしか無かったのです。
海岸線に沿えば平坦のようですが現地は山が海岸線まで迫っているので建設は困難、昭和に入ってから建設された呉線も急勾配、急カーブがあります。

第二の理由は国防上の理由から艦砲射撃を受けやすい海岸線を避けるためです。
山陽線だと須磨付近、宮島付近、柳井付近の他に選択できるルートが無い所以外海岸線から離れたところを通っています。
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山奥の田舎に線路を引こうとしたからです。


住む場所が少なく山しか開いていなかった
トンネルは高くつくから川沿いに走らせるのが一番安くつくから
曲がりくねるんです。
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こんばんは。



【回答】
▪昔はトンネル掘削技術が低く、人力で掘削していました。従って長いトンネルを掘ることができなかったので、山間地では曲線で山を躱すような線形しか取れなかった。
▪昔は蒸気機関車でしたので、長いトンネルだと窒息事故のリスクがあって、長いトンネル自体を必要としていなかった。短いトンネルを複数掘るような線形でした。
▪蒸気機関車ですから、今の電気機関車と比べて非力で扱いが難しく、勾配を抑えつつ山に向かう線形となってしまいます。その為、カーブが多くなり、バイパス線として呉線や岩徳線を建設していった。

こういう事情です。
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敷設する当時は蒸気機関車が主力の時代だったので、騒音のみならず、煙突からの煙で洗濯物を汚すなど、苦情が多かったので、街中や人の多い地域を通すのが難しかったのです。

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最短ルートで通したためです。

(当時基準で短いらしい)
セノハチと呼ばれる難所は今でも残っており、
貨物では補機連結、旅客で空転立ち往生もたまに起きます

セノハチ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E9%87% …
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