最速怪談選手権

外見より中身なんて言葉がありますが
外見が良い人は周りから良い扱いをされているから性格が良い傾向にあります。ニュースで逮捕されている人は外見が悪い人ばかりなうえ、外見悪い人は周りから悪い扱いをされているので性格が悪い傾向にあります。
なので外見で相手を選ぶのは問題ないですし、外見悪い人は選ばれないのは仕方ないことだと思いますが、なぜ外見より中身なんて言葉があるのですか?

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A 回答 (10件)

自分の経験(または体験)と比較して「間違ってないか?」と思うことは多いですよ。

しかし年を取ってくると「ある事」に気が付きます。

「それを発言した人は何歳なんだ?」

以下は長いので興味があればお読みください。

外見が良い人は(勿体ないので)中身も磨こうとするようです。そういうモチベが働くみたいです。逆に外見によって相手にされない人は「外見を磨くことを諦め」「不当に扱われた恨みが消えず中身も磨かない」と言うのはありそうでしょう。

また「外見が良く見える人は外見が良く見えるように努力をしている」可能性も高いです。そういう努力(ちょっとした工夫で変わる事を知り、勿体ないから外見を良く見せよう)を惜しまない訳ですから「性質として中身も良かった」という事になりますよね。

結果として「元の性質として中身も良かった人」が結果として外見も良く見えている可能性が高いです。

ただし、

「外見に対して行った努力が対人関係で役に立つわけ
 ではない。対人関係には別のスキルが必要であり、
 そちらを磨かないと外見の良さを活かせない」

でしょう。

つまり対人スキルが低すぎますと、仲良くなった後に喧嘩別れをする事になります。幸せを感じた後に不幸を感じる成り行きとなる。こういう経緯のほうがキツイと思いせんか?。がっかり度が高すぎますよね。失った時間と労力は取り戻せません。

「中身が悪すぎて詰んでいる人が外見を磨いて知り合
 いを増やしても意味が無い。そんな姿を見て切ない
 と思った人が忠告をした人のかもしれない」

という事で万人に当てはまるという物ではないと思います。好感度をあげても「誰とも長くお付き合いをする気が無い」と言う人は中身を磨く必要が無いのです。

逆に好感度を上げた目的が「素敵な人と長くお付き合いをしたい」のであるのならば「中身が悪すぎて直ぐに別れ話になる性質」はヤバいでしょう。傷つくために努力しているようなものです。

「好きな人と喧嘩別れし傷つくために外見を磨いてい
 るマシンみたいなものだ。可哀そうな人」

結果として外見と中身双方磨かないと「後でワンワンなく」事になるという話です。どちらか一方しかやりたくないというケチな事を言わないのが良いですよね。

「面倒なのでどっちもやりません」

と言う人には「外見より中身だ」と言っても無駄でしょうし。

福沢諭吉の学問ノススメでは「外見も磨きなさい」と忠告しているそうです。つまり学問によって自分を磨くだけでは駄目だと主張しています。中身のある人は(ちゃんと)「両方大事」と言っているわけです。

さて・・・

「誰かがこんな変なことを言ったように思える」

みたいな疑問を持ったら「その気持ちを大事に」しましょう。

しかし(言っていること可笑しくないか?と)「不特定多数の人や世間を責める」のではなく「自分が過去に接した大人の(若かりし頃の)未熟さ」を責めるべきです。

「世間を責めたら子供の心のまま。自分の同世代が嘘を
 子供に教えている姿をイメージしよう。子供にはバレ
 ないと思っているわけだ。なんて卑怯な若者だ。と思
 うのだ。そして俺の上の世代にそういう卑怯な若者が
 居ても不思議じゃないと捉えなおす」

いつの間にか自分のほうが(それを教えてくれた当時の大人の年齢より)年上になっているかもしれないでしょ。自分より年下の人が「分ったような事を言って更に年下の子供が感銘を受けている滑稽なシーン」を想像したら納得できませんかね?

先生たちだって人間ですよ。例えばこんな話があったかもしれないです。

「彼氏がいるのに浮気が辞めれません。だけど仕事では
 教師をしています。子供たちは好きです。こんな自分
 を知られたくないです。一応、子供の頃に聞いた大人
 が言った話を適当にアレンジして子供に話しています。
 でも本当の意味が分かっているかどうかは自信がない
 です。もっと大人になってから理解しようと思ってい
 ます」

「子供達迷惑じゃないかな?」

「・・・時々年上の同僚に説教されます」

「それで大丈夫なの?」

「若いから仕方ないとか言って許してくれてます。」

「君何歳?」

「○○歳です」

「ああそうなの? 俺の若い時を思い出すと、割とマシ
 なほうかも。俺なんか自分の自由を訴えて子供たちに
 も間違ったこと教えてたな」

「え? それまずくないですか?」

「・・・若かりし頃の過ちだよ」

という話はありそうじゃないですか?

SNSに出てくる会話を聞いて大人っぽいと感じますか? その人達何歳でしょうか? その人達が子供に接して何かうんちくを垂れていたと思いましょう。本当に分かって話しているわけが無いでしょう。その実力のまま子供たちに接しているのです。ヤバいですよ。

「でも。俺の印象では深い話を聞いたような感じがする」

「実は結構適当で信じたらヤバい話も混ざってたんだよ」

「まじですか?」

「うん。俺の同世代でも非常に不味いと思える人たちが
 いた。この人たちが親になって毒親をやってるらしい」

「まじですか?」

「うん。ある本ですっぱ抜かれてたよ」

深い話を聞いたと思って感心したのは「当時の自分の脳が幼かった」からです。今検証したら「何言ってるか分からない」と思えて当然です。大人になって「可笑しくないか?」と思うのは自然なんです。

「一定の年齢になったら自分の発想のすべては間違って
 いるとしないといけない。そうしないと自分より年下
 だった昔の大人が適当に言った話を一生信じて生きる
 事になり、子供っぽい大人のまま生涯を終えることに
 なるからだ」

なので子供がどうしてヤバいかと言うと「大人の識別ができない」からです。お父さんのお父さんも大人。お父さんが言った事とお父さんのお父さんが言った事のどちらが正しいのか? 子供は好きな人の話を信じるんです。大人は大人同士でランクがある事を知っており、ランクの高い人の話を信じようとします。そのため大人に相手にされない大人が「子供に持論を展開する」事が良くあります。あまりにもひどいと毒親となるわけです。

これは私が少年時代に父とした会話。

「ズルい役人や政治家ばかりいて税金の無駄遣いばか
 りしてる。真面目な人間が馬鹿を見る」

「うんと。でも父さん稼ぎなくて税金納めてないけど」

「ぐぬぬ」

何十年も昔の話です。当時の私は、父の話を可笑しいと思う程度には大人でした。しかしもっと小さいころに聞いていたら信じたかもしれません。

「そういう刷り込みを沢山受けて間違った自分が社会で
 苦戦してはいないかな?」

こういう笑い話が昔からあります。何時の時代もこういう大人がいるという事。警戒が必要でしょう? ある程度大人になったら「自分が正しい事を言っている」と思わないことです。前提となる正義感がむちゃくちゃかもしれません。

「これ?どこで聞いたんだろう?」「これを発言した人は何歳だったんだろう?」「これを教えてくれた人は人間社会のランクではどのあたりにいた人だろう?」と考え直して一呼吸置くべきです。

私の父は残念な感じでした。

そして、

「当時の親や周囲の大人達は好きだが、言っていること
 は適当すぎるし無責任だと今は思う。つまり大人とし
 て間違っている人に育てられた自分には全くいいとこ
 ろもないし、本気を出せば道理に反する」

と割り切るのが良いと思います。

セックスの事ばかり考えて自分の成長を保留している大人がどれだけいるか想像がつくでしょう? これって大昔からそうなんですよ。仕方ないです。そういう人達が「子供は大事」と言って育てているんだと思いましょ。

「セックスはしたいですけど幼児教育とか勉強するのは
 だるいです。子供を愛しているとネットで喚き散らし
 てごまかせないでしょうか。皆そうしてるし。特に自
 分ひどくないですよね?」

「まあ・・・どうだろうねえ」

出産を迎える女性に幼児教育の大事さ話しました。すると「こんなに苦しい思いをしている自分の気持ちが分かってもらえていない」と暴れだしたことがあります。

「親の愛を訴える文学は正しいと思うが、免罪符にして
 楽しようとしている親もいる。手間や苦しさについて
 は耐えるが『勉強だけはしたくない』と強情を張る親
 が多い。そういう親が子供に勉強をしなさいと言うわ
 けだから子供が親を恨んでも仕方ないだろう」

世の中が正しく機能するほうが奇跡なんですよ。

「父さん。もしかして僕を育てたときは子供が欲しかっ
 たというよりセックスを抑えきれなかっただけ?」

「ちゃんと大人になろうとしたさ」

「ごまかさないで。僕が幼い頃に接していた父さんの人
 物像を知りたいんだよ」

「おまえ・・・もう子供じゃないんだから。自分を振り
 返って答えを出しなさい。父さんはお前の前で自分を
 立派に見せる程度で限界だった。中身なんてついてく
 るわけがないだろ。俺は若造だったんだから。今は成
 長したと思うぞ」

「どんだけ間違って僕に教えたのさ」

「おまえ・・・もう子供じゃないんだから。今の自分を
 振り返ってわかるだろ。お前が自分に満足できていな
 いのは父さんが適当を教えたからだよ。俺の親父が知
 ったら説教食らうようなことも沢山あるだろう。まあ
 父さんが気づいたのはお前が手遅れになってからだが。
 その時は思ったよ。人間は外見より中身だと。お前の
 母さんは外見で俺を選んでくれたけどね」

こういうのは仕方ないでしょ?

以上、ご参考になれば。
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デヴィ夫人が典型的な例だと思います。

私はデヴィ夫人好きですけど、好き嫌いが分かれるキャラではあるでしょう。
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中身が普通なら外見が勝つに決まってます化け物みたいな性格した人なんかそんないないしブスの戯言ですよ。

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高校生くらいだと、あなたのような考え方になるよね


社会経験がないから

実際は、顔が良くてもとんでもないバカとか極悪人なんていくらでもいます
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『外見』『中身』と書きますと、言葉が


キツイですけれど、

外見≒目鼻立ち
中身≒身だしなみ

と考えましたら、身だしなみ(性格が
にじみ出ますものです)を重視します
のもご理解頂けますかと思います。
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「ひがみ」です(^^)


これしかありません!

自分が認められないのを、外見のせいにする人のひがみです(笑)
ひがむ人って、外見以上に中身も悪い人が多いです。

外見と中身は比例するのです!
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外見は45〜58くらいでok


中身は魅力的に魅せる一番重要な要素だと思います
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外見の悪い人の僻みですよ。


外見も悪いより良いに越したことはありません。
それが真実です。
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外見が良く中身が悪い人で痛い思いをした人がいるのではないかと思います。

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全てのことを自分の努力次第で何とかできるという建前がないと持って生まれた素質が低い人が救われないし、そのように信じていた方が人は幸せになるからです。

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