ハマっている「お菓子」を教えて!

今、「時間の本質」というタイトルの質問が出てますが、それを見てふと思いました。

人間には五感+第六感というのがありますが時間という感覚は、このどれにも当てはまらないように思うのです。

五感というのは、身体的感覚と云えそうですが、時間って身体的感覚なのでしょうか?
そう思ったら、空間という感覚もあるし。
なにやら訳がわからなくなってきました。

これについての答えって、あるのでしょうか。

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A 回答 (9件)

今、暇なので、少しチャチを入れさせていただきます、



一般相対性理論によって、位置座標は「縦・横・高さ」に「時間」を加えて示される「四次元空間である」と、アインシュタインは解いています。
「観念」ではなく、物理現象です。
「五感」とか「第六感」とかは関係ありませんし、コウモリと人間によって「時間が変わる」事はありません。

なお、話はこれとは離れますが、空間は4次元でなく、量子力学の世界では「弦理論では9次元空間」「超弦理論では11次元空間」であるとされています。

>感じ方は違っても時間そのものは“共通”なんですよね?
時間は、「相対的」なものです。
「地上に置いた原子時計と、飛行機に載せて戻ってきた原子時計では、
飛行機に乗せていた原子時計の方が時間の進みが遅い」という実験データーが有ります。
貴方が地上にいるとき、富士山の山頂は時間が遅れて進みます。
地球は自転しているので、富士山の山頂の方が早く移動しているためです。
この時間の相対性は、GPSでのカーナビの精度にも大きく影響を与えますので、
GPS衛星で一般相対性理論に基づいて時間補正がされています。

理論的に物質が高速を超えて移動する事は不可能ですが、もし宇宙船が高速で移動していると仮定した時、外から見ている人から観測した時に、高速で移動している宇宙船の内部は「時間が止まっている」ように見えます。
宇宙船の中に居る人にとっては、時間は停止することなく普通に流れています。
しかしこのため、宇宙船に乗った人が例えば1日移動して地球に帰還した時、
戻ってきた地球は数万年の時間が経過しています。
これを「浦島効果」と読んでいます。
映画の「インターステラー」ではこの理論に忠実に従って、ストーリー構成がされています。ご覧あれ。

時間は、観測者によって相対的に伸び縮みするものです。

>時間の感じ方
はい。退屈な時は時間が進むのは遅く感じますし、恋人と会話しているときはあっという間に時が経ってしまいます。
これは「認知」によるものであって、時間そのものが伸び縮みしている訳ではありません。

>時間の矢
時間は「現在」から「未来」に対して流れており、「過去」に後戻りが出来ません。
実は、数学的(数式)では「過去」に戻る事は可能なのです。
このため「時間の矢」については様々な意見(理論)が論議されていますが、今の科学では「時間の矢」を実証する事は出来ていません。
最も支持されている理論は「エントロピー増大の法則」によるものだとされています。

この点が「時間とは何か」が解明されていない、最大のポイントです。
このため、時間を説明するには「科学」だけではなく、「哲学的な要素」も多分に含まれている所以です。

まぁ、こんな話が素人にも分かり易くYouTubeで投稿されているのですから、動画を見れば楽しく勉強できますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
YouTubeも参考にします。

“次元”の事は全く想像できません。
時間については、単なる想像の域を出ませんが、次のように思いました。

頂いた回答では、観測によって時間の相対性が現われる(この表現が適当かどうか?)とのことですが、それはあくまでも物理的現象であって、時間はそれには関わってはいないのでは、との思いが消せません。

時間を計るといっても、それは“物質現象”であって時間そのものを測ってるわけではないんですよね?

ただ、頂いた回答にあるような時間の理論が、四次元の現世界の物理現象を“利用”するのに役立っているとは思いますが。

お礼日時:2024/10/18 21:44

例えば同じ地理的環境であっても、コウモリと人間では感覚器官が異なるので各々にその地理的環境の受容の仕方は異なりますが、時間については人間が心の中につくった概念であって身体的感覚ではないと思います。



身体的感覚には、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という古来から「五感」と総称される感覚以外にも、現在では痛覚、温度覚、圧覚、平衡感覚、内臓感覚など20種類ほどの感覚があるとされています。

このうち、「時間」という概念は、上記感覚の変化の過程ではないかと思います。
「空間」については例えば人間でいえば視覚、聴覚、平衡感覚、温度覚で受容された情報を元に脳内で形作られるイメージになり、コウモリになれば主に聴覚情報を元に脳内で作られるイメージであって、各々にその形作られるイメージは違うものになっているだろうと思います。

一方で、人間には知覚されず他の生き物では知覚されるような感覚があるとすれば、それは人間には分かりようがないのではと思います。

あくまで個人的な感想です。
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この回答へのお礼

取り上げられた痛覚・温度覚・圧覚・内臓感覚は、触覚から分科させたもの、との解釈をしてみましたが?
そして、この類いで見た場合は平衡感覚も触覚の範疇に入るのだろうか、との疑問が残りました。

また、コウモリが聴覚情報で“空間”を捕らえているとするならば、人間は視覚で空間を捉えている、と見て良いのでしょうか。

お礼日時:2024/10/18 19:58

No.2です。



> 時間は“観念”なのでしょうか。
現存する物理現象、と言う事です。
その感じ方(進み方)が、人によって違うだけです。
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この回答へのお礼

感じ方は違っても時間そのものは“共通”なんですよね?

お礼日時:2024/10/18 19:36

面倒臭い。


私は貴方の家庭教師では無いので、
自分で勉強してください。
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この回答へのお礼

承知。

お礼日時:2024/10/18 19:34

時間の感じ方は感覚でなく認知に属する問題だと思われる。



もし世の中の現象全てが可逆現象なら、時間の感じ方は全く違うものになるだろう。
コップを割っても元に戻せるし友達と喧嘩してもなかったことにできるし若返るも思いのまま。

しかし世の中は不可逆現象に満ちている。
時間の矢が操作できないのはそのためである。

現在の科学で分かっているのはここまでである。

ついでだが、時間は空間と密接に結びついている。
時空という。
つまりこの世は(ct,x,y,z)の4つの数字で表される四次元時空である。
この中で速度ゼロすなわちx軸、y軸、z軸方向に動かない物質は速度cでct軸方向に移動している。
物質が速度を持つと物質のベクトルはct軸を離れ、ct軸上には物質の速度のct成分のみが投影される。
これが「静止している観測者から見て、速度を持つ物質の時間は遅く進む」理由である。
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この回答へのお礼

“速度”はまさに時空間に置ける“現象”ですね。

速度ってのは、時間が“伸び縮み”するのではなくて、物理的長さの“長短”なんですよね?

お礼日時:2024/10/18 19:33

これでも観て


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この回答へのお礼

できれば、あなたの言葉で答えを知りたい。

お礼日時:2024/10/18 19:07

第六感・・・ひらめき、だと思います。


私は、これについて「神の知恵の伝授」と考えています。

と言うのが、追い詰められた時には、本来、答えは無いはずです。
でも、そこに生まれてくる「知恵」、これは{神の声を聞いている}と解釈しています。
つまり、窮地に立たされた時に、神は助けてくれるが、直接声を耳にすることは出来ない、なので「ひらめき」という伝達手段を使っている・・と。

中々のロマンチストでしょ。(笑)
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この回答へのお礼

時間=観念、という捉え方はどうですか。

お礼日時:2024/10/18 18:46

> 今、「時間の本質」というタイトルの質問が出てますが、


どこにですか?

> 人間には五感+第六感というのが…、時間という感覚は、
全く関係がありません。

> 時間って身体的感覚なのでしょうか?
全然違います。

> そう思ったら、空間という感覚もあるし。
時間的空間と言うならば、それは認識できない時間のことなので、
自覚さえないはずです。

> これについての答えって、あるのでしょうか。
無関係事項の間には関連性が無いので、
そこに生じる疑問に、答えはありません。
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この回答へのお礼

時間は“観念”なのでしょうか。

※ ちなみに哲学カテに出ています。

お礼日時:2024/10/18 18:44

そもそも「時間」=感覚ではない、「時間」というものが、人間の五感+第六感のうちのどれかに当てはまる、当てはまらないということではないのではないかと思います。


が、時間は色んな捉え方ができて、仰る通り身体的感覚として体感できる時間もあると思います。

人間の感覚と時間を結びつけるとするならば、例えば、
・スズメの鳴き声が聞こえてきたので朝だと認識する、聴覚による時間の捉え方
・街灯がついたので、夜だと認識する、視覚による時間の捉え方
などなど

身体的感覚として時間は含まれないが、時間は身体的感覚として捉えることができる。
時間と身体的感覚の関係性はこのように語られ得るのではないかと思います。
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この回答へのお礼

質問を投稿して直(じき)に、そうだ観念っていう言葉があったっけ、と。

頂いた回答はまさに“観念”と云えるように思いました。

時間は見えませんが、空間は見えると解釈してよいのならば、空間は視覚で感覚すると云えますね。

時間は純粋に“観念”なのでしょうか。

お礼日時:2024/10/18 18:40

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