なぜ「時間」の反対の概念が「空間」なのでしょうか。哲学を知らない私にも分かるような説明は可能でしょうか。

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A 回答 (3件)

 


  これは色々に考えることができる問題です。「空間」と「時間」が反対概念あるいは反対語であるというのは、少し置いておいて、空間や時間を哲学では、どう考えていたのか、省みることが意味あるでしょう。
 
  有名なアウグスティーヌスの言葉に、「私は、時間とは何かを問われない時には、時間とは何かを知っている。しかし、時間とは何かと問われれば、私は知らない」というのがあります。時間は誰にとっても自明なものとしてあるが、理性的に省察しようとすると、実体・本質は何かと、哲学的に問うと分からなくなるということです。
 
  もう少しおおざっぱに言いますと、空間とは、「ひろがり」で、そこに様々な事物(レース)が配置されて関連を持って現れている場であると言えます。では、時間とは何かと云うと、事物や事物の相互関係が「変化する」という現象的事実から、「変化」の背景にある原因として「時間の経過・時間の流れ」というものが考えられたのです。時間を歴史と言い換えれば、歴史のできごとは、社会のそれも、個人のそれも、時間という場のなかで、展開しているということになります。
 
  英語の space のことを、時に「宇宙」とか「宇宙空間」と訳します。これは元の space がそういう意味を持つからですが、「空間」というのは、「世界(コスモス・ムンドゥス)」のことだとも言えます。世界のなかで、時の流れにおいて、歴史が生成され展開して行く。さっき上で、時間が歴史の場だとも言いましたが、実は、世界=空間という場(トポス)あるいは舞台において、できごと・歴史というものが展開され、この歴史の過程にあって、空間・世界の「どこ」とは違う、「いつ」があるのであり、「どこ」と「いつ」と「何」によって、この存在の宇宙とその歴史は構成されていると言えます。「何」というのが、存在物であるなら、存在物は、人間も含め、「空間」という場と、「時間」という場のなかに存在して生きているということになります。
 
  こうして、人間も含め、事物・存在者は、ひろがりの場としての「空間」と、変化の場としての「時間」のなかに存在し生きているとなるので、「空間」と「時間」が反対語というか、対概念になっているのです。
 
  また、中世西欧の存在論では、存在物は、神から「存在(エッセ)」というものを与えられて、初めて、現実の存在(現実存在=エクシステンティア)になると考えました。神からのエッセの付与は、瞬間瞬間にあり、この不断のエッセの分与が、存在物を存在たらしめていて、神のエッセの分与のあいだには、「時間のない」永遠があるともされます。また、神のエッセの分与がなくなる時、存在物は、「無」となります。不断のエッセの分与が「時間」を構成するのです。そして、存在物は、神の創造した世界=空間に存在を続けるのです。ここからも、存在物の場としての世界=「空間」と、不断のエッセの分与において成立する「変化する存在の現実存在」=「時間」のなかの存在者としての事物・人間という考えが出てきます。
 
  また、インドの思想では、「空間」は事物がそこにある場であるのですが、事物は、空間のなかで、変化することなく存在するのではなく、「刹那」という時間の最小単位において、刹那から刹那へ、存在と消滅を繰り返し、この繰り返しのなかで、事物の「変化」があると考えられました。つまり、ここでも、変化の場として「時間」が考えられている訳で、時間と空間が、このようにして対立実体・概念となるというか、「この世」をあらしめている二つの基本の「場・背景」ということになります。(仏教の時間論も、インドのこの考えを共にしています。というか、仏教思想が、「刹那」などの考えを展開させたとも言えます)。
 
--------------------------
 
  現代の物理学では、特殊相対性理論では、時間と空間は、別個のものではなく、「時空(Time-Space)」という統一体の二つの側面だとされます。ローレンツ変換では、時間の次元成分と空間の次元成分が、入り交じります。相対性理論では、時間が延びるとか、空間が縮むというのは、時空としての現象だとされます。
 
  しかし、時間と空間は同じものかというと、相対性理論でもこれは別個のもので、物理学の次元計量では、空間の次元を普通の「実数」としますと、時間の次元は、「虚数」となります。三つの次元は、相互に回転可能であり、それぞれの次元は、実数ですが、時間もまた三つの空間次元と共に、相互に回転可能であっても、時間は、量としては、空間の距離に対し、「距離の虚数」が「時間の単位」となるので、「時空」を構成するのは、三つの同じ性質の空間次元と、もう一つの虚数次元の「時間」であるとなり、実数量の反対が虚数量とすれば、「空間」と「時間」は、反対関係にあるとも言えるでしょう(計量次元の異なる補完次元だとも言うべきかも知れませんが)。こうして、現代の物理学でも、空間と時間は、或る意味の反対場・反対概念となります。

  なお、これは、「空間」と「時間」を反対概念として把握する考え方のありようで、時間や空間については、もっと色々な把握・考え方があります。
  
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この回答へのお礼

必死で考えましたが、まだ咀嚼し切れません。プリントアウトして、壁に貼って考えます。貴重な「時間」ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 09:16

私も哲学をよく知らないのですが,それなりのイメージで「時間」の反対の概念が「空間」であることをなんとなく納得しています.



たとえば「父」の反対は何かと聞かれたら私は「母」と答えます.
おそらく大多数の人も同じように答えることと思います.
対をなす概念とは,必ずある共通点でくくられながらもその中にあってある観点では対極を成す2つの関係だということを考えてみます.するとこの場合「父」も「母」も「親」であるという共通点を持っており,「性」という観点でみたときには「男性」と「女性」という相対するものにそれぞれ属することから「反対である」ととらえられるのです.

「時間」も「空間」も,いま認識している私たちの世界が成り立つために必要な物理的現象だと思います.その意味でこれらは共通しています.そしてこの2つと並列を成すような現象なり概念は多くの人にとっては無いはずです.つまりこの2つを対極としてとらえても差し支えないということです.
こんな風な考え方で,私は「時間」の反対が「空間」だということをそれなりに納得しています.

あとひとつ思いついたのが,地層の例です.
「縦」の反対が「横」であることに疑いを持たない人には,わかってもらえると思います.地層の「横」の広がりはその層が堆積した当時の空間的連続性を反映しており,また「縦」の重なりは時間的連続性に支配されています.このことを考えると,何となく納得してしまいそうになりませんか?
(ちょっと強引な説明かも・・・f(^_^))
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この回答へのお礼

おお、これなら分かる!!!とくに地層の話は、私にもわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/07 09:18

哲学を理解できない私が考えるに、「時間」は4次元、「空間」は3次元であらわせるからではないでしょうか。

「空間」が移動することによって「時間」が成り立っているのではないでしょうか。「空間」が「時間」を伴わずに移動ができれば、いわゆるSF小説にもでてくる「ワープ」の理論なのでしょう。
つまり、「空間」が止まっているときは「時間」はないに等しく、「空間」が移動しているときは「時間」が存在している、と私は考えます。・・・難しい!
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私は専門家ではないので、多分に憶測がまざりますが以下のように思います。

・英語のoldには確かに、「年とった」という意味があります。しかし、「古い」という意味もあります。
また、oldという形容詞を使う表現(old people)は失礼な表現だと、どこかで読んだ記憶があります。
youngの対義語としてのoldの地位は、さほど確固としたものではありません。

・「年をとった」というのは「とる」という動詞を使っていますし、「老いた」は「老いる」という動詞を使っています。
これらは、単純に「年齢が大きい」と言っているのではなくて、過去に「年齢が小さかった」ものが、変化してその結果として、「年齢が大きい」という状態になっていることを意味します。年をとっている状態を単純に「~~い」と述べては、年を取った過程(経験とか)を無視しているような気がします。
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年をとっている人は普通目上ですから、評価の対象にするのは失礼な場合が多いです。
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ということは、このような(目上の人の性質を述べる)形容詞はあまり発達しないだろうと思います。
逆に、「年を取る」という表現は、動作を述べる形をとっていて、人を評価するような機能はあまり大きくありません。

(あとは専門家の方にご回答いただくことにしましょう。)

私は専門家ではないので、多分に憶測がまざりますが以下のように思います。

・英語のoldには確かに、「年とった」という意味があります。しかし、「古い」という意味もあります。
また、oldという形容詞を使う表現(old people)は失礼な表現だと、どこかで読んだ記憶があります。
youngの対義語としてのoldの地位は、さほど確固としたものではありません。

・「年をとった」というのは「とる」という動詞を使っていますし、「老いた」は「老いる」という動詞を使っています。
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