時空。
好きな言葉です。
ちょっと前は「愛」なんて、いいなと思っていましたが、今は「時空」
アムロナミエも、時空を超えてぇ~~なんてかっこよく歌ってますし。ちなみに曲のタイトルは「ドクター」。(よろしく)
その時空に関係する疑問です。
宇宙が存在するということは、時と共に、ということだと思います。時の経過で存在を現象させる、と。
その宇宙の中で、物体は‘移動’あるいは‘変化’します。
ここは‘移動’で、考えてみることにします。
物体が空間を移動する現象には、時間と距離が伴います。
ちょっと難しい問題なので、距離は脇へ置いといて、時間のみ取り上げて考えます。
宇宙の中での移動という現象に付きまとう時間は、比較するもの(静止しているものとか)をよりどころにして、速度というものを割り出しました。
そのことと、存在する(時の流れに依存して)という時間?との関係はどうなっているのでしょうか。
あまり適当ではないかと思う例えですが、動く電車(存在する宇宙)の中で動く物体、を想像してみてください。
また、比較するものがあるから速度というものも考えられますが、宇宙が存在するための‘時の流れ’には比較するものがないので、速度は計れないのではないか。
こうした疑問について、教えを請いたいと思います。あるいは感想でも。
よろしくお願いいたします。
No.24ベストアンサー
- 回答日時:
超、難しい?話が展開されてますね。
質問者さんの場合は、頭で理論的に理解するだけでなく、「イメージ」して総合的、総体的に 実感、認識しようとしているので、知識や理論で分離、分解して理解している人に比べて、大変だと思います。
悲愴感や焦燥感を伴うようでしたら、一旦忘れる(執着を解く)ほうが良いでしょう。知識欲も、金銭欲、物質欲も、それに囚われたら良くないですよね。
豊かに、強く、有意義に生きるための智恵が、知識欲に変わってしまったら、何のための学問、知識かわからなくなります。
>時空って何、それ
日常生活の中で、これは時間である とか、これは空間であるなどと実感はありませんが、概念としては知っています。(多分)
もし、元々は分離していないものを、時間と空間として分離したが故に、時空というひとつにした表現に歓びを感じるなら、それは素直な感受性によるものかもしれません。それを、分割し、細分化して考えるから疲れるのではないでしょうか。もちろん、そうしなければ「理解」は出来ないかもしれませんが。しかし、そうすると、認識が出来なくなるかもしれません。
ところで、空間というものが、縦横高さの三次元であるとするなら、時間というものはどのように説明、表現できるのでしょうか...
この回答への補足
とりあえず、興味を持ってしまったので。
最後の二行についてです。
空間に時間を加えた四次元という言葉を直ぐに思い出しますが。
私の説明では、「時の流れ、存在の継続、存在し続けるという現象そのもの」という表現になってしまいます。
「時間」のない「存在という現象」はありえない。
我々のこの宇宙空間では、
一次元は存在ではない。
二次元は、三次元がもぐりこめない。
三次元は、三次元は・・時間が、・・欲しい。
「私」が存在し続けている、と意識することで時間は感じられる。
とも、“説明、表現”してみました。
存在そのものが当たり前すぎて、「時の流れ、永続性」を普段、実感したりしませんが。
No.38
- 回答日時:
NO・35です。
今日締め切るということなので、ちょっと言い忘れたことを。
前回単純な静的時空を書きましたが、そういった絵画的な空間はやはりヴァーチャルなものの幼児的極限だろうと思います。
世界が常に動いている以上、もう少しなんとかしなければだめですよね。
時間が空間と一緒にある、というよりも時間のはじまりによって空間が開いたというイメージが今のビッグバン構想なのでしょう。膨張しているにせよ、収縮しているにせよ、そこでは常に動きがあり、振動が継続して起こっているということです。ひとつのビッグバン系はひとつの時間系を持ち、別の時間系と時間(空間も)を共有することはない、と考えればすっきりと単純化できます。
そこまで行かなくても、ひとつの時間系でも、ある特異点から発生した立体空間である以上、ゆがみは避けられず、そこここに単なるガウス的座標では測れない複雑な濃淡が発生していることは想像に難くないわけです。そういったある意味ロバチェフスキー的ワイヤーハーネス空間における尺度単位のゆがみを、単純な3次元目盛りに時間的尺度を追加して解決することは可能だろうと思うのです。
いずれにせよひとつの時空系で、ゆがみはあっても時間と空間は共有できるのではないか。
単純な頭でそういった単純化で時空を考える私です。
この天上的な学術的高等形而上討論の場ではひとり鬼っ子の私ですが、かつかつひとつの案件に数えていただき光栄です。
失礼致しました。
どこかのお礼欄にも述べたかと思いますが、
限界があるとしてしまうと、ではその先は?と考えてしまいます。
また、始まりがる、終わりがある、とするとそれではその前は、その後は?と考えて、きりがありません。
ですから、限界というものは無い、始まりも終わりも無い、と思うようにしています。
そのほうが自然なように思うのです。想像しにくいですが。
例えて言えば、球面体の表面のようなものを想像して、イメージ作りをしています。
ありがとうございました。
―――――――――――――――――――
このお礼欄をお借りします。
当初の疑問は、一日が二十四時間という『時間』と、宇宙が存在し続けているという時の流れとの関係でした。
今思えばどうということも無い単純なことだったのですが。
この時の流れを一日を二十四時間というメモリを刻むことで時間の尺度としていたのですね。
ただ、いまでも疑問に思うのは、この流れの中で科学者は物の変化、現象を研究しているわけですから、時間の流れの中での作業であるということ考慮しているのかというものです。
考慮されているからこそ、時空間のゆがみ現象なる物を捉えているのだと、意見されてしまうような気もいたしますが。
皆様の誠意ある回答、ほんとにありがたく思いました。おかげさまで益々興味が湧いてきました。さらに勉強していきたいと思います。
ありがとうございました。
―――――――――――――――――――
久々に空を見上げてしまいました。 青い空。 白い雲。 広いなあ。
でも、こうして感じる空の広さなんて、今回皆様が語ってくれた宇宙の広さから見れば、空に浮かぶアドバルーンについた針の穴くらいの大きさでしかないのかもしれません。
その小さな点の中の小さな地球上で、皆様の頭脳に蓄積された知識が教えてくれる世界は、皆様の頭脳そのものの素晴らしさです。
この世界こそ、時空を越えた広さを持っているのではないでしょうか。
時空といえば、、、そうそう、owlsjpさん。
一方的ですが、約束です。
来て下さい。アムロと一緒に。
私の時空間へ。
時空かぁ。
「時空を超えてぇ~♪」 いいなぁ。
アムロナミエ。
新曲「ドクター」
よろしく。
No.37
- 回答日時:
#34です。
>物理的な時間と感覚上の時間とを、混同して考えているように思います。
ここは哲学欄であることをお忘れなく。我々は「時間」という言葉で、いろいろなことを意味しております。物理学一つをとっても、可逆な運動系で認識される周期運動によって認識される幾何的な「時間」と、非平衡熱力学系で、エントロピーの生成を伴う現象についての不可逆的な「変化」に伴う記述的な「時間」は、その意味は異なっております。この宇宙は、確かに惑星の運動や原子分子の振動に直接かかわった、所謂ポアンカレーの意味での可積分系における運動の不変量(エネルギー保存等)に付随した「時間」もありますが、宇宙の進化や生物の進化、それに歴史に付随したエントロピー生成に絡んだ、非可積分系に特徴的な、動的な概念としての「時間」も現実にあるのです。また、時間が観測量であるならば、どうして量子力学には、時間に対応する演算子が存在しないのか。勿論数学的には、時間と正準共役なエネルギーの値に下限が存在するとことが理由になっていることは既に判っておりますが、何故時間とは物理量としてそのように特異なのか。物理学でもこのように多義的な意味を持つ「時間」という言葉で何を表しているのか、そしてこの特異性は何を意味するのか、あたかももう既に判っているかの如く論じるのは、物理学に興味を持っている者の慎むべき態度だと思います。
>また、「不定時法」に就いては、科学的というより、体験学的といってみたいです。
哲学者のカントによって、自然科学は全て「体験学」であることが明らかになったことは、質問者さんもご存知だと思います。カントにより、我々が「真偽」を判断する場合に、その真偽には2種類あることが判りましたね。その一つは「分析的真偽」と呼ばれ、観測や体験に因らず、ただ言葉とその定義の整合性を論じるだけで、その真偽が判断できる類いの物で、数学の真偽の判断がその具体的な例です。例えば、「AならばBである」が真ならば、「BでなければAでない」も真である、等の真偽の判断がその例です
もう一つの真偽は、「総合的真偽」と呼ばれ、実験や観測をして体験しなければ、どんなに言葉の定義の整合性を論じても、その真偽が判断できないような類いの真偽です。例えば、「この石を手から離せば下に落ちる」と言うことの真偽は、そこで提示されている言葉をどのように分析してもその真偽は判断できません。事実、人工衛星の中では下に落ちませんね。物理学を含めたあらゆる自然科学は、この総合的真を探ろうとする学問です。ですから、あらゆる自然科学は、体験に基づいた学問であり、従って、貴方の言う「体験学」なのです。物理学は数学を言語として強力に使っておりますので、物理学を語る場合、数学で言う真偽と物理学で言う真偽のこの違いを意識的に把握して置かないと、支離滅裂になってしまいます。
初心者が勉強をする場合始めのうちは教わったことを疑るよりも、まずその言質を受け入れることに努力しなくてはなりません。言わば「習うより慣れろ」です。しかし、もし学問に興味があるのなら、あるレベルに達した段階で、果たして自分はそのことを本当に判っているのか、皆が当然としていることは本当に正しいのか、特に、最も基本とされている前提は本当に正しいのか、と疑ってみる態度は、最低限必要な態度です。
例えば、質問者さんは地球は自転し太陽の周りを公転していると言うことを本当に心底から判っているのでしょうか。それとも、そういう様に教わって来たから、そう思っているだけなのでしょうか。ここは哲学欄ですから、そんな問題一つをとっても、ご自分でその意味を問うべきです。私は飛行機から海を眺めてみて、何となくは端の方が丸く下がっているように感じたことがあるので、もしかしたら地球が本当に丸いのかも知れないと実感したことがあります。また、飛行機で地球を一周したことがあり、確かに同じ所に戻って来たので、もし飛行機の操縦士が私の眠っている間に引き換えしたことを黙っているのではない限り、地球は丸いのかなと思いました。
しかし、毎日太陽を見ても、私にはどう見ても太陽が地球の周りを回っているようにしか見えず、今まで、一度も地球が回っているのだという感覚を持ったことがありません。どんな教科書を読んでも、また宇宙から撮ったとされるどんな写真を見せられても、本当にそうかどうかを私は自分自身で試してはいないのです。
ただし、私は物理学の研究を長年して来たおかげで、もし本気で地球が公転しているかどうかを体得したいなら、どうすれ良いかを知っております。それは、かつてケプラーがしたように、先人達とケプラー自身が集めた膨大な観測データを、いろいろな仮説を立てて、私自身で検証すれば良いのです。そうすれば、私の心のなかに、地球は公転していると言うことに対する断固たる確信が持てるようになるはずです。ただし、私はその分析を自分自身では、したことがないので、地球の公転に対して、それが心から正しいという断固たる確信を持てないで居るのです。でも、皆がそう言っているし、皆の言う他の傍証も地球の公転を支持しているようにも見えるので、誰かから聞かれれば、勿論地球は公転していると答えることにして居ります。さもないと気違い扱いされてしまうことは目に見えているからです。
しかし、ケプラーのように確信を持って公転を支持出来るためには、膨大な時間と努力が必要です。それだけの時間を掛けて、もし地球は公転していないという結論が出るかも知れないと言う可能性があるなら、私は全人生を賭けて、そのことを示すことに努力すると思います。しかし、私の直感では、それだけの努力をしても、結局ケプラーが正しかったと言う結論きり出ないような気がしているのです。ですから、本当は判らないながらも、ケプラーの言うことが正しいのだろうと思っているのです。人生は限られておりますので、私は皆が一先ず認めているいろいろな主張の中でも、私から見てケプラーの主張よりももっと疑わしいと思えることに自分の研究の時間と努力を割いております。
物理学でも、エントロピーに絡んだ「時間」に関する理解のレベルはまだまだ未熟ですので、そちらの方のがケプラーの問題よりも遥かに遣りがいがありますよ。
私の周りにいる科学者達は、皆私のように疑り深い連中ばかりだというのが、私の経験でした。ご参考までに。
tyototuさんの学問に対する姿勢を理解するには、何度もいただいた回答を見て、また専門用語なども理解しなければと思っています。
私の表現には、曖昧さがいつもあり、それは物事を確実に見ていないのが原因ですが、表現自体に難しいものもあり、苦労しています。
さらに勉強していきたいと思います。
ありがとうございました。
No.36
- 回答日時:
対称性と保存について、分かりやすい説明を思いつきました。
(ただし、比喩として適切かどうかは不明です)破れたゴム風船に絵を描いて、円形の枠にはめ込んだものを想像してください。
平らな所に押し当てても、絵は変形しません。
平らなところであれば、どのように動かしても(対称性が保たれているので)、絵は変化しません(保存する)。
大きな丸いボールに押し当てたとき、絵は変形しますが、大きな丸いボールの上で、同じように押し当てるかぎり、どのように動かしても(対称性が保たれているので)、(変形したまま)絵は変化しません(保存する)。
絵が変化していく(保存しない)なら、平らなところから丸いボールの表面やでこぼこした所に移動したということになります。(対称性が破れている)
時間並進対称性とエネルギー保存則も、同様に考えることができます。
時間の流れ方が均質な所での移動では、エネルギー保存則が成り立つでしょうが、エネルギー保存則が破れていたなら、時間の流れ方が均質ではない所(対称性が破れている所)を移動しているということになります。
比喩との間に大きなギャップがありそうですので、そのまま信じるととんでもない間違いにはまり込む危険性があるかもしれませんので、気をつけてください。
No.35
- 回答日時:
No.1のお礼欄に追加されていたのを見落としていました。
。。締め切られる前に。。。
>>>
対称性、について分かりやすく説明していただけないでしょうか。
辞書を引いてもよくわからなかったのです。
保存、についても。
ぜひ、お願いいたします。
<<<
対称性については、近年ノーベル物理学賞を取得された小林・益川理論とも密接に関連しており、様々な本が出版されているようですので、読みやすいものを探されるのがよろしいかと存じます。
。。。webでは
対称性の破れ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%A7%B0% …
CP対称性の破れ
http://ja.wikipedia.org/wiki/CP%E5%AF%BE%E7%A7%B …
などの記述からリンクがあります。
これらの文中に「保存」という言葉がでてきますが、この「対称性(の破れ)」と「保存」とに、まさにネーターの定理が深く関わっています。
このあたりの探り方(?)としては
1.保存されるべきものが保存されていない
2.対称性がどこかで破れているのでは?(←ネーターの定理)
3.破れているところと、その程度を調べ、新たな理論を組み、未発見の量子・素粒子・構造などを見つけていく。
と、なっているようです。
No.34
- 回答日時:
面白そうだなーと思って、単なる印象論を。
「時空」という言葉で、私は立体的な宇宙空間に仮想のガウス的自然数目盛り(つまりジャングルジム的ワイヤーハーネスですが)が縦横無尽に走っている光景を思い浮かべます。存在とはそのなかにひっそりと静かに浮かんでいる暗黒星や宇宙船のようなもの。物体が存在したことで空間のゆがみは既に発生しているのでしょう。しかし基本的に時間はまだ発生してはいません。
星が何らかの事情で発光する時、あるいは宇宙船が移動する時、空間であるハーネスの森を光や船自体が相対的に横切って動く時に初めて世界が時間を刻み始めるというイメージでしょうか。光は時間とは無関係であるという説もあるようですが、少なくとも星が光り始めた時に、その発光体そのものは物理的な振動を開始したわけであり、必然的に時間がそこに発生したことは間違いないと思います。そういった物理現象が始まった以上、そこに更なる空間の(いや、ハーネスですが)ゆがみが起こらないはずはないと思いますが、どんなものでしょうか。
空間そのものに「時の流れ」のようなものは必要ないし、実際ないのだろうと思います。空間を無限の速度で走りめぐっていた光が消え、宇宙船が再び静止したとき、時間も止まるのでしょう。
全く個人的な、単純な妄想です。
ご意見、拝見いたしました。
明日、締め切る予定なので補足質問はいたしません。
この問題については、物理的にも精神論的にもいろんな意見が出されました。
amazo007さんの回答でさらに、一件増えました。
ちょっぴり反論したい気もするのですが、ここはグッとこらえて、次回機会があれば、お手合わせお願いいたします。
ありがとうございました。
No.33
- 回答日時:
#21です。
>時間が曲がりくねったり、交差したりすることが考えられるでしょうか。
>走るスピードが変わることが変わることがあるでしょうか。
このような疑問が湧くこと自体、我々の頭が如何に洗脳されてしまったかを如実に示しているように思われます。そもそも時間が同じ早さで流れるとういことは自明なのでしょうか。私はその反対だと思います。自然界を虚心坦懐に観測したら、時間は決して同じ早さでは走っていないと言う結論に到達するはずです。我々の観察している世界では、ある時は時間が早く流れ、ある時は遅く流れています。寝ている時と、起きて居る時では時間の流れが全然違うでしょう?
それを無理矢理、同じだと言い出したのは、どうやら周期運動という、運動の形態の中で最も単純な運動形態が、この世の中に偶然に在ったからのようです。我々の世界では周期的でない運動の方が圧倒的に、それこそ99.99999%以上を占めています。それに対して、人間の手の加わっていない自然界では、周囲運動は、惑星の公転や自転、偶然に摩擦が小さい場合の振り子の往復運動、あるいは光の色を決める振動などの、例外の例外中の運動にのみ現れてくるのです。地球の自転を止めることは人間の存在の根幹を揺るがしてしまうので、それは自然なものとして認めるとしても、地球の地軸が傾いていな状況はそれほど不自然ではありません。ところが、そのような状況だったら季節は存在せづ、我々は周期に関してもっと鈍感だったかもしれません。
周期運動が我々の感覚に取ってどれくらい不自然であるかを、一つの例で示しましょう。江戸時代に作られていた、お茶汲み坊主などのからくり人形の内部にある歯車の数は皆素数だったそうです。素数にしておくと、最小公倍数が大変長くなるので、その茶坊主は、余程長い時間待っていないと、それが周期運動をすることが判らないように出来ていたのです。周期運動は人間の感覚には余りも不自然ですので、その人形が自然には存在しない人間の作り物であることが直ぐにバレてしまうからです。周期運動と言うそんな不自然な概念を根底に置いてこの宇宙を理解しようとは、人間、洗脳に因ってどうにでも世界を眺められるようになってしまうと言う、面白い例の一つだと思います。
同じ早さで流れる時間という概念が如何に不自然であるかは、明治以前の日本の時間の刻み方が、不定時法であったことからも明らかです。不定時法とは昼を6等分、夜を6等分して時間を刻む方法です。従って日本では季節によって時間の進む速さが違っていたのです。昔、まだ電灯が無かった時代には、日本の不定時法の方がヨーロッパの定時法と呼ばれている、季節に関係なく一日を24等分する方法より遥かに自然で合理的な方法でした。私は、ヨーロッパ人が何故そんな不自然な定時法を採用してしまったのか、長い間疑問に思っていたのですが、ある冬に西欧のある国で暮らしてみて、そのことがやっと判りました。イギリスでもドイツでもオランダでもベルギーでも、緯度は日本に比べて大変北の方にあります。ですから、夏の昼の長さと冬の昼の長さが、それこそ6時間以上も違う所がざらにあります。そんな所で不定時法を採用してしまうと、大変不自由なことは誰にでもすぐ判ることだったのです。日本はその点、大変適した位置に在ったので、太陽の出入りに基準を合わせた合理的な不定時法が、無理なく採用できたのです。
質問者さんは、科学が西洋で発達したように考えておられるようですが、上の素数に対する江戸時代の人達の認識は、前に紹介した進化論などのように、日本人は西洋人に接する前から大変科学的な民族たったと言うことにお気付きになられたでしょうか。
物理的な時間と感覚上の時間とを、混同して考えているように思います。
また、「不定時法」に就いては、科学的というより、体験学的といってみたいです。
ありがとうございました。
No.32
- 回答日時:
時間が曲がりくねったり、交差したりすることが考えられるでしょうか。
時間がゆがんでいるということがありうるでしょうか。このとき、何に対して、という問題は、自然に発生しますよね。でも、空間がゆがむというのも、実は、おかしな話ですよ。「ゆがむ」という言葉にも、「変化」のような意味を持たせていますからね。時間の止まった世界には、「ゆがむ」という言葉を使うことは意味をなさないと思います。
時間と競走する何かはあるでしょうか。時間というものは、何でしょう?例えば、それこそ、時間は走っているのでしょうか。走っているとしたら、どちらの方向に進んでいるのでしょうか。また、走っている方向が変わることや、走るスピードが変わることが変わることがあるでしょうか。ここでも、何に対して、なのか、という問題は、自然に発生しますね。
二つの異なる時間が両立する世界というものを考えるのもいいかもしれません。でも、そのとき、その二つの時間は、関係式、例えば、一次変換で等しくなるようなものだったら、二つの時間がある意味は、なくなるでしょう。かといって、全く、関係が見出せないとすると、もう一方は、時間であるかどうかも、わからなくなるのではないでしょうか。
限界というものがあるかどうかについては、どうなんでしょうね。形というものは、限界があるように思えてきます。二次元球面を思い浮かべるときも、二次元球面の外から、眺めるようなイメージを私は描いていました。でも、限界がないのであれば、われわれは、それを見下ろすことはできないでしょう。仮に、見下ろすとしたら、というアクセスはあるかもしれませんが、そのようなことをしてもいいのかどうか。
勉強不足なので、「時間がゆがむ」に尽いてはよくわかりません。
あくまでもイメージです。
空間のゆがみ、それと時間。
これが、限界の無いことを指しているように感じます。
例えでイメージを伝えてみます。
おなべに水を張ります。
その水に羽虫が落ちました。
ちょっと油のついた楊枝でその羽虫を取り除こうとしました。
でも、楊枝には油がついているので、羽虫は逃げ回ります。
楊枝ですくい取ることは出来ませんでした。
この逃げ回るような現象、これを時空のゆがみ現象とイメージしています。
言い換えると、逃げ回られてしまうので、限界にたどり着けない。
それは限界がないということ。
また、我々はこの宇宙空間の内部の存在。
宇宙科学が発達したといっても、まだ、この内部の外を見ているわけではなさそうです。
No.31
- 回答日時:
No.1 & 6 & 15 & 16 & 27 です。
。。>>> No.27お礼欄
「アキレスと亀」では、追いつくまでのことを分析して、追い越せないことを証明したように、見せかけようとしている。
という点がパラドクスとなっている、ということでしょうか。
ゼノンはそのことを分かっていたからこその「問題」であったのですね。
今はそのように受け止めることが出来ますが。
正しいでしょうか。
<<<
すでに、「ゼノンのパラドクス=アキレスと亀 その2」の質問を立てておられるようですので、そちらで回答した方が良いかもしれませんが、時空との絡みについてのみ、再度、記述しておきます。
まず、
●理想と現実
●思考と実際
●論理的かつ無矛盾な理論と真実・真理
といった概念があります。
これら並列しうる(場合によって対立しうる)二組の概念が「どうして」立ち現れてくるのでしょうか?
このことは、両者の間に、何らかの差異があることを示しています。その「差異」を認識すると言うこと自体が、ゼノンのパラドックスをパラドックスとして認識するということそのものに該当します。
それらの間の「差異」が消失したように思えても、実はそうではなかったということがしばしば生じます。
数学カテでも物理カテでも同様の質問がくり返し出されているのは、そういったことに起因しているからでしょう。。。
「知」は、「空想の時空間」にて「無限分割の可能性」や「実数」および「無理数」といった「無限」の概念を操ることができます。
しかしながら、思索の対象となる「現実の時空間」では、「無限分割が不可能」なのかもしれません。
>>>ゼノンのパラドックス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8E% …
ゼノンの意図としては、これらの論証によってその非現実的な結論を主張したかったわけではない。そうではなく、世界が不可分な要素的な点やアトムからなるという前提から運動が不可能となるという帰結を導き出すことで、運動が可能であるという現実との矛盾を示そうとしたものであった。その場合、運動自体を否定しようというつもりはそもそもゼノンにはなく、否定されるべきはむしろ、そのような非現実的な結論を導く際に前提としてはたらいていたような考え方にある、というのがゼノンの考えであった(一種の背理法)。
<<<
このあたりは、量子力学と重力理論との間の整合性を保つために、無限分割が不可能(時空間に最小単位がある)という前提で理論を再構成した時空の考え方にも関連します。
前回も紹介させていただいた「ループ重力量子理論」などがその代表です。
>>> ループ重力量子理論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC% …
時空は、本質的に連続で滑らかな値をとるものと考えられてきたが、この理論で時空は、(中略)離散的な値をとるものと考えられている。
(中略)変化前と変化後の時間の差は1プランク秒(10-43秒)で、これが積もり積もって人が感じる時間となる。
<<<
また、時空間に最小単位があるという前提を取らない「超弦理論」でも、
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BC%A6% …
物質の基本的単位を大きさが無限に小さなゼロ次元の点粒子ではなく1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に超対称性という考えを加え拡張したもの。 超ひも理論とも呼ばれる。
<<<
とあり、(時空間ではなく)物質の「無限分割不可能性」を前提にしています。
この回答への補足
いつも回答ありがとうございます。
今週の水曜日に締め切ろうと思っています。
今日はwikiの「ゼノンのパラドックス」を印刷しました。
どこまで理解できるか、がんばって読み込んで見ます。
ありがとうございました。
No.30
- 回答日時:
こんばんは、No.23のHidocchiです。
誤解を招いてしまったようですので、再度ご説明させていただきます。
(1)「在る」について
「”唯一ににして絶対な神”を知ること、近づくこと」が、西欧科学の進展につながったと申し上げましたが、もっと具体的に申し上げますと、「(神の)創造物の構築性・法則性なるものが確固として存在し、それを知ること」といった方がわかりやすかったかもしれません。
例えば、アインシュタインのよく知られたな言葉「神はけっしてサイコロをふらない」も、ハイゼンベルクの不確定性原理等についてのアンチテーゼでした。つまり、今、我々には知り得ないだけで(将来は知り得る可能性があるが)、”隠された法則”が絶対にあるに違いないといったものでした。つまり、何らかの自然現象の背後には何らかの法則性・規則性があるといった確信があり、それを認識したかったのだと思います。
(2)「成る」について
東南アジア含め、仏教、その他の宗教では、このような絶対性はなかったのだと思われます。つまり、極論を申しますと、例えば日本のような大乗仏教では、「何らかの自然現象には、その背後には”縁起”等によって形成している」ということです。つまり、確固としたものは存在しない、もしくは存在してもそれを把握することは不可能だといったものです。
ですが、日本人は、農耕民族であったためか、天候に関する知識は十分にありましたし、また手先が器用だったためか、ものづくりには長けていたようです。以下の言葉は、「トロイ遺跡の発掘」で著名なシュリーマンが日本に来た際に発した言葉でございます。
H. シュリーマン著「シュリーマン旅行記清国・日本」
「ニュルンベルクやパリの玩具製造業者が太刀打ちできないほど玩具のレベルが高い」
ご参考になれば、幸いでございます。
この回答への補足
ご返事が前後してますが、
なにぶん理解するために必要な下地が無いのでたいへんです。
印刷して、関連する回答と共に読んでいるところです。
ありがとうございました。
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本当の私とは意識のことだった...
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