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 時空。
 好きな言葉です。
 ちょっと前は「愛」なんて、いいなと思っていましたが、今は「時空」
 アムロナミエも、時空を超えてぇ~~なんてかっこよく歌ってますし。ちなみに曲のタイトルは「ドクター」。(よろしく)

 その時空に関係する疑問です。
 宇宙が存在するということは、時と共に、ということだと思います。時の経過で存在を現象させる、と。

 その宇宙の中で、物体は‘移動’あるいは‘変化’します。
 ここは‘移動’で、考えてみることにします。

 物体が空間を移動する現象には、時間と距離が伴います。
 ちょっと難しい問題なので、距離は脇へ置いといて、時間のみ取り上げて考えます。

 宇宙の中での移動という現象に付きまとう時間は、比較するもの(静止しているものとか)をよりどころにして、速度というものを割り出しました。

 そのことと、存在する(時の流れに依存して)という時間?との関係はどうなっているのでしょうか。

 あまり適当ではないかと思う例えですが、動く電車(存在する宇宙)の中で動く物体、を想像してみてください。

 また、比較するものがあるから速度というものも考えられますが、宇宙が存在するための‘時の流れ’には比較するものがないので、速度は計れないのではないか。

 こうした疑問について、教えを請いたいと思います。あるいは感想でも。

 よろしくお願いいたします。

 

A 回答 (38件中31~38件)

>この宇宙の現象は、すべて精神であるといいたいのでしょう。



 いいえ、断じてそんな荒唐無稽なことは言っていないのですよ。

>この事実を貴方の理屈では、否定していることになります。

 一切否定などしていないのに、なぜ、否定していることになるんですか?
 神がこの宇宙にボールと時間をどの様に存在させていたとしても、あなたは、そのボールと時間をあなたがそういう風に存在していると把握している以外の存在のさせ方はできないのですよ・・・

>あなた自身の存在も。

 私自身の存在は、私が一番良く知っています。それこそが存在です。

 哲学カテだからこそ、アインシュタインの時空ではなく、自分の存在をベースにした立場をとった木村カエラの色鮮やかな時空を回答しています。

この回答への補足

 bananasandさん。再度の回答ありがとうございます。
 ここは哲学カテでした。
 すっかり“物理”?の世界に入っていました。 
 質問自体が“物理カテ”っぽいですが、用意していただいた“土俵”に上がってみます。

 何度も読み返してみるのですが、うまくつかみ取れません。

 宇宙は私の存在と関係なく、あるけれど、私の見る宇宙は、私だけのものであって、それが正しい姿かどうか分からない、ということを言っているのでしょうか。

 他者の見る宇宙と、私の見る宇宙とは違うかもしれないと、あるいは違って見えているかもしれないと。

 でも宇宙そのものの存在を否定するわけではない、と。

 こんな受け止め方で合っていますか。

 

 

補足日時:2009/10/13 08:31
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時空、つまり時間と空間に対する解釈というのは様々なものがあります。


曰く、乱雑さの増大だとか、錯覚だとか。もちろん静止している一点
『絶対座標』からの比較であるというのもありますよね。


かつてガリレオガリレイが船の上でボールを真上に投げても手元に戻るという
『相対性原理』を示しました。(よって地動説には矛盾が無い、と続くわけですが)
その後、この考え方が補強され、加速と減速している場合は慣性力という
"実際には無いけど見かけの力"が発生すると解釈されました。
電車が減速するとつんのめるアレです。

この慣性力を受けないのは、静止した場所と、等速で直線運動をしている
場所だけです。同様に、物に力を加えれば、必ず加速や減速をするわけです。
よって、静止した(あるいは等速の)場所というのは、外から全く力を受けない
場所を意味します。



さて、いきなりですが、力を全く受けない静止した場所というのは
この世に存在しません。天体の重力はどんな場所にも届くからです。
そこで、科学者アインシュタインは等速直線運動を"作る"ほうに着目しました。
例えば宇宙ステーションで重力の影響を受けていないようなTV映像を
見たことがあるかと思いますが、あれは宇宙船の遠心力(慣性力)と
重力がつりあった状態なんです。

アインシュタインは見かけの力の慣性力によって、実在の力である
重力を消せると考えていました。力さえ消してしまえば、後は静止した空間と
同様の空間(慣性系)が出来る、と考えたんです。
(これを特に『特殊相対性原理』といいます。後の相対性理論の元ネタです。)

この前提では、比較の対象というのは何も絶対の基準が必要だというわけじゃない。
すべて慣性系を作る観測者しだいだということになります。





唯一の例外は我々にも身近な『光』です。

動いている電車の上からボールを投げれば、ボールの速さは電車の速さと投げた
速さの足し算になりますよね。ですが、光というものだけは静止している場所からでも、
電車の上からでも常に同じ速度になることが、実験でわかっています。

これは実は光が特殊で全ての基準である、というよりは質量こそが動かしにくさの
犯人であるためなんです。実際に電子にどんどんエネルギーを与えて加速させていくと
ある境を越えられないことがわかっています。そのエネルギーは質量に換わっていって
しまう。その中でも質量がゼロの光はこの世の最高スピードで動ける、ということなんです。
ここで重要なのは、光速がとても速い、というよりは"常に一定"であるということです。



このことを時間に絞って解釈する有名な思考実験をひとつ。
光速で飛ぶ宇宙船から、ボールをこれまた光速で前と後ろに飛ばした場合、
宇宙船の中の人から見れば、光の速さで前と後ろに『同時に』飛んでいきます。
ですが、外から見てもボールの速さは同じ光速。

この現象が矛盾無く成立するためには、あることが起きなくてはいけません。
つまり、後ろから出るボールが時間的に先に、前からでるボールが時間的に後から
出なければ、外から見ている人も"光速が一定"と見えないはずなんです。
外から見ている人は『同時に』飛んだとは見えない。


つまり、光速が一定であるという測定結果から導かれる結論は
2人の同時が異なるという『同時性の不一致』です。
そして、これはなにも時間に限定される必要が無く空間も同様にゆがみうるんです。
速さは距離と時間で求めるものですからね。



これをぱっと理解しろ、というのはなかなか難しいので、一行でざっくり言えば、
『物が動くということは、自分以外の全宇宙の時間と空間がぐにょんぐにょんに歪む一大事』
だということです。これこそが光速が常に一定という実際の現象を、矛盾が出ないように
考えたときに導くことができる結論となります。

ただし、観測者がお互い同じ速度で動いている場合、前述の慣性系が成立するので、
やはりどっちかが歪んでいる、とは言えなくなるんです。測定の段階ではあくまで慣性系か
否かが重視される。そして、その評価はやはりあくまで"相対的"になるんです。

この回答への補足

 今すぐにでも、20pt受け取っていただきたいくらいですが。

 さらに質問を受けていただけますでしょうか。

 光は物ではない、質量がゼロ、について。と、

 ボールによる思考実験で、外から見る人が同時に飛んだと見えるための時間差は、割り出されているのか。あるいはその時間差は光の速度の時間?というものです。

 ご面倒でも、ぜひお願いいたします。

補足日時:2009/10/13 01:20
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No.1です


>>>
 ネーターの定理では、数式?がたくさん出てきましたが、高校の数学を学べば分かりますか。
<<<
ですが、残念ながら、高校の数学レベルでは難しいとのことです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa304503.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa316948.html

しかしながら、概念的に捉えることはある程度可能だと思っています。簡単に言えば、「時空間における対称性がある限り、いつでも・どこでも同じ法則(保存則)が成り立つ」ということであり、「対称性が破れているところでは、別の法則(保存則を補完する思索)を考えなければならない」ということです。

それ以前に注目すべきなのは、時間の流れ方とエネルギーの保存則との関係など、時空間そのものの性質が、「ネーターの定理」という概念で捉えうるということです。
ある意味、「はじめに時空ありき」ではなく「はじめにネーターの定理ありき」的な概念になります。

ちなみに、ネーターは20世紀初めに活躍したドイツ出身の女性数学者とのことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F% …

この回答への補足

 回答拝見いたしました。

 感想はちょっと待ってください。

補足日時:2009/10/12 22:31
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この回答へのお礼

 いただいた回答に就いては、難しいので置いといて。

 宇宙が存在するという現象に、時の流れが必須であると受け止めていますが、その時の流れを、太陽と地球の関係から割り出した時間で、掴もうと、あるいは掴んでいるのだと、ようやく感じることが出来ました。

 我々が使っている時間は、宇宙の存在足らしめる、‘時の流れ’を計測していることになるのですよね。

 あくまでも‘時間’であって速さではない。

 速さは、物が移動する時間と長さ(距離)によって表す。
 速さは、物が変化した状態とそれに要した時間によって表す。

 存在という現象は変化は無くてもあり得るとすれば、速さは求められない。

 最後の行は消化不良のような考えです。

 ご意見いただけますでしょうか。

 

お礼日時:2009/10/13 22:37

大森荘蔵という哲学者が、時の流れについて考えていたような。



宇宙の時の流れというとき、宇宙に形はあるでしょうかね。

宇宙が三角錐になったり、立方体になったりするのであれば、
何かが流れているような気もするのですけどね。

宇宙に形がないとすると、位置も決められないので、
速度を考えることは、ナンセンスでしょうかね。

私は、宇宙を箱や容器のように、うっかり考えてしまうので、
なかなか、速度というものを考えなかったですね。

この回答への補足

 存在という現象に時間、時の流れを感じます。

 時の流れがない。たとえば、一瞬。

 一瞬では、存在はあっという間に消えてしまいます。

 存在し得ない。

 ある本を読んでいたら、一瞬の連続が現象であるといった説がありました。

 思えば、“今”はそれこそあっという間に過ぎていってしまっています。

 そう思うと“今、現在”は一瞬の連続か、なんて思えてしまいます。

 一瞬の連続、継続、時の流れ、それを時間という。

 でも、“速さ”は他と比較してのもの。

 宇宙が存在するために必須の時間と、速度という時間とは本質的に違うのかな、なんて思い始めました。

補足日時:2009/10/12 22:18
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この回答へのお礼

 corpusさんの回答を、再び読んでみました。

 考えていることは、時空のゆがみ現象と関係しているのではないでしょうか。

 「限界」というものを考えると、必ず、ではその先は、という疑問が出てきてしまいます。

 限界はありえないとしたほうが、「自然」なように思います。

 キーワードは「時空のゆがみ」かと思います。

 時間は、追い越せません。

お礼日時:2009/10/17 22:42

宇宙を存在させているのも、過去、現在、未来へ時間を流しているのもあなたであって、あなたの外部に、あなたが把握してように宇宙が存在し、あなたが感じているように時間が流れているのではないんですよね。

たぶんね。

あなたはあなたの驚異的能力を使って非常に個性的に空間と時間を把握してるんですよ。

投げられたボールの時間経過と位置の移動がそういう風になっているのは、あなたがそういう風にしているからなんです。

じゃ、ボールも時間も存在しないのかって言われるでしょうね。

そう問われれば、あなたにボールや時間を存在せしめているのは、あなたですと答えます。

じゃ、じゃ、ボールと時間は、本当はどんな風に存在しているのかと言われるでしょう。

そう問われれば、それは残念ながら知ることが出来ない・・と答えます。
なぜなら、あなたは、ボールと時間をそういう風に存在させる以外の存在のさせ方ができないのですから・・・

この回答への補足

 この宇宙の現象は、すべて精神であるといいたいのでしょう。
 
 この世界の現象を捉えるのは確かに“心”です。

 でも我々の心がなければ、この宇宙は存在ないといえるのでしょうか。

 我々の心はそれほどまでに偉大なのでしょうか。

 人間が誕生する遥か以前より、宇宙の存在があるから、この地球があり、地球に生物が誕生したのでしょう。

 この事実を貴方の理屈では、否定していることになります。

 あなた自身の存在も。

 

補足日時:2009/10/12 22:08
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この回答へのお礼

 ろくにコメントを理解していないくせに、こんな生意気な態度。
 反省しています。

お礼日時:2009/10/15 22:16

現代の物理学の本流では時間とは光のあり方そのものです。


光の速度は299792458 m/s
つまり一秒は光が299792458 m進むのに要する時間です。
従って光が進めなければそこには時間はありません。
だからその解釈に於いてブラックホールの中には
時間は存在しません。
しかしブラックホールは認識できるわけです。
つまりブラックホールは存在すると言えるわけです。
さらに言うならば時間の存在しないブラックホールの中も
存在すると言えるのです。
「存在する」ということは超物理的概念であり、
無い部分が在るという風にも捕らえることができます。
ただ物理学においても、無いことは無いという考え方が
主流になりつつあります。
ビッグバン以前も緩い波があったとする説です。

私見ですが、
光より早いものは普通にあると考えています。
物理学で言う時間を内包する超時間が存在すると考えて居ます。
存在するとは超時間的には超空間的事実を指します。
超時間と超空間とはあらゆる可能性を許容する空間と時間を指します。

この回答への補足

 存在という現象が‘時間’を必要としているのではないでしょうか。

 時間がないということは、我々の概念で言えば、一瞬とか。

 あるいはゼロに限りなく近いとか。

 その一瞬とかゼロでは存在という現象は現れないのではないかと思うのです。

 それこそ一瞬のうちの消えてしまうというように。

 一瞬の連続が存在なんて意見も何かの書物で見たことがあります。

 これについてはまた、べつに質問してみたいと思っています。

補足日時:2009/10/12 21:39
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この回答へのお礼

 存在=時間
 光=時間
 存在=光
 ???

 科学で捉えようとしている宇宙のゆがみ、
 この“ゆがみ”がすべてを物語るような気がいたします。

 “ゆがみ”が解明されれば、限界の無いことも証明されるのではないでしょうか。

お礼日時:2009/10/15 22:11

>存在する(時の流れに依存して)という時間?との関係はどうなっているのでしょうか。



重要なことに気が付きましたね。我々は西洋人達の考えて来たことを無批判に勉強させられ、暗記させらて来ましたので、多くの人は「存在」の意味を分かった気になっているようです。

我々が世界を認識する場合には「ある」と「なる」の違った見方で認識しているようです。「ある」即ち「存在」は、暗に「永遠」の概念を含む無時間的な概念です。一方、「なる」即ち「変化」は永遠の否定であり、従って、時間を基本的に認める概念です。西洋では、ユダヤキリスト教の一神教の影響が根深く、神の目から見た世界を記述しようとして来ました。その証拠に、宗教画は常に「永遠」がテーマになっており、その絵の中に「一過性の事象」を描くことを出来るだけ避けて来ました。事実、西洋の絵では、渦が描かれることはほとんど在りませんでした。ところが、「諸行無常」すなわち「なる」を中心に世界を捉えようとする東洋では、中国でも日本でも、絵画の中に、頻りに渦を巻く雲や煙が描かれて来ました。

また、西洋人達の作り上げて来た物理学の基本法則を見ても、ニュートンの法則、シュレーディンガー方程式やハイゼンベルグ方程式などの量子力学の基本法則、そしてアインシュタインの一般相対性理論は、全て、時間の符号を入れ替え、過去と未来を入れ替えても方程式の形が変わらないように作られて来ました。さらに、それらは全て微分方程式で表されていますので、現在が決まってしまうとその全ての過去も、また全ての未来も完全に決まってしまう決定論的な世界を表しています。別な言い方をすると、過去現在未来に関する全ての情報が初期条件の中に既に「存在」し、神でも想像出来なかった新しい世界の出現や、創造性の営みを否定する世界を表しており、まさに神の目から見た無時間の宇宙を記述するように出来ています。

現在の物理学の基本法則をトコトン押し進めて行くと、この宇宙は「在る」宇宙であり、「成る」宇宙ではないと主張しているように見えます。もしそうであるなら、我々の「創造的営み」は宇宙の何処にその居場所を占めれば良いのでしょうか。

蛇足:量子力学では、コペンハーゲン派による確率解釈が使われておりますが、その解釈を正当化しようと試みたフォン ノイマンの「観測の理論」は、シュレーディンガー方程式とは両立しない独立な原理であり、観測の理論を量子力学の原理の枠に組み込むことは出来ません。物理学者はこの宇宙は一元論的に記述可能であると信じている物理教の信者ですから、物理学者達はフォン ノイマンの観測の理論では未だに満足しては居りません。孰れにしても、量子力学のシュレーディンガー方程式は確率過程に対する確率微分方程式ではなく、決定論的な偏微分方程式ですから、波動関数は決定論的な運動を表しており、すなわち、初期条件の情報には含まれていない新しいものが現れてくることを否定した運動を記述しております。従って、シュレーディンガー方程式は「在る」世界を記述しておりますが、「成る」世界を記述しては居りません。

この回答への補足

 どうぞ、小学生を相手にしていると思って、再度回答をお願いします。

 ‘永遠と永遠の否定’に関連づけてしまうと視点がずれてしまうのではないでしょうか。

 cyototuさんの気持ちは、なんとなく感じますが、思想の話ではないので神を持ち出す必要はないように思います。

補足日時:2009/10/12 21:27
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この回答へのお礼

 補足コメントは白紙に。
 再度、感想を試みます。
 「蛇足」は、今は全く分からないので、除きます。
 「在る」と「成る」の違った見方で認識している・・・、以下の説はcyototuさん独自の考えでしょうか。

 西洋人たちの作り上げてきた物理学の基本法則は、「ある」の世界を記述している、という意見は、物理学という手段が、そのような傾向に向かってしまう、ということなのでしょうか。

 東洋は「成る」の世界だから、科学は発達しなかったのだと。

 よろしくお願いいたします。

お礼日時:2009/10/15 21:54

時間という概念は、「変化するものがある」という概念から派生的・間接的に得られるものです。



変化するものがなければ、「時間」といった概念が生まれ得ないでしょう。いや、「概念が生まれる」ということ自体、すでに変化であり、時間と関連しています。

変化の基準に太陽を用いると太陽暦になり、月を用いると太陰暦になります。また、よく引き合いに出される「ネズミの時間、像の時間」も、変化の基準の重要性を物語っています。
http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms/antiEtoMtime00 …

今では、原子時計という原子の状態変化から生み出される一定の周波数(変化が一定の波)を基準にしているそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90% …

時間関連の本としては、ゼノンのパラドックスを含め、ネーターの定理(※)にまで触れている
「時間のはなし」 チェルニン著、田井正博訳(東京図書)
が、面白かったです。(ただし、現在は古書に属するようです)

ちなみに、メモに残っている「時間のはなし」の最後の締めくくりは

>>>
時間とはなにかに対する決定的な答は存在しないも同然だ。いいや、不可能だ
<<<

です。

※ネーターの定理
時空間の対称性があれば、特定の保存則が成り立つという定理ですが、時間に関する対称性は、エネルギーの保存則に関連していることが示されています。
>>> http://homepage2.nifty.com/eman/analytic/noether …
1.空間の並進対称性 → 運動量保存
2.空間の回転対称性 → 角運動量保存
3.時間発展対称性 → エネルギー保存
<<<
上記「→」は一方通行で、「逆は必ずしも真ならず」ということを意味しています。

この回答への補足

 ネーターの定理では、数式?がたくさん出てきましたが、高校の数学を学べば分かりますか。

補足日時:2009/10/12 08:39
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この回答へのお礼

 対称性、について分かりやすく説明していただけないでしょうか。

 辞書を引いてもよくわからなかったのです。

 保存、についても。

 ぜひ、お願いいたします。

お礼日時:2009/10/17 22:58
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