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上の文はベルクソンの哲学について述べられた文章の一節です。どのように訳せばよいのか困っており。質問させていただきました。

「時間は空間的ではない」では訳になっていないので、「時間は『空間』ではない」とやってみたりしたのですが、「それじゃあ、当たり前のことをいっているだけだ」というわけで逡巡しております。

この前の文は、「ベルクソンの主張するところ、人びとの記憶を引出しや貯蔵庫として見るべきではない。というのも、これらの概念は空間に基づいた、時間の誤った概念化によるものだからだ。」といった感じです。

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

補足欄拝見しました。


どういった性格のテキストなのかよくわからないし、文章全体を見ているわけでもないのですが、原則として、翻訳する場合、オリジナルテキストにない文言は加えない方がいいですよね。
ちょっと考えてみたんですけれど、「時間は空間化されない」としてみたらいかがでしょう。
「時間は空間のようなものではない」としたら、それこそ普通の感覚で、「あたりまえじゃん」になってしまう。
「空間化された時間」というのは、"spatial time"の定訳のようですから、問題はないと思います。
確かに日本語としては耳慣れないのですが、逆に、え、どういうこと?という違和感から、この部分に対する注意を喚起できるような気がします。

"spatial time"はやはりキーワードなので、日本語にする時も大切に扱う必要があると思います。
文脈全体を通じて、やはり「空間化」ということが分かりにくい場合、脚注などで補うようにされてはいかがでしょう。
大変だと思いますが、翻訳、がんばってくださいね!
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この回答へのお礼

「時間は空間化されない」。使わせていただきます!
SVC型で、Cが叙述用法の形容詞に当たる場合、Sの限定用法として日本語を考えてみるという技術に瞠目いたしました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/31 21:37

ベルクソンに関しては、通史レベルの知識しかありませんが。


これは「空間化されない時間」のことを言っているのだと思います。
>「時間は『空間』ではない」
で、間違っていません。
おまけにこれは当たり前のことを言っているわけではないんです。

空間化されない時間というのは何か。
そもそもこれはカントに遡るんです。
カントは、人間の感性というのは、時間と空間を把握する先天的な能力がある、とした。
このときのカントがいう「時間」とは、朝が昼になり夜になる、という順序であり、砂時計の砂が落ちていく様子です。
つまり、人間は時間が流れていくことを直観しているけれど、その認識のし方は、時間を空間化することである、と考えたわけ。
カント以来100年ほど、西洋哲学では、人間は空間化された時間を認識している、ということになっていたんです。

それに対して異をとなえたのがベルクソンです。
空間化されることで成立した時間は、“純粋”な本来の時間ではない。
ベルクソンは純粋な時間を「空間化された時間」から区別しようとします。

空間というのは無限に分割することができます。
けれども、時間というのはそのようなものではない。
持続するものを空間のように分割してとらえる、ということは、ちょうど映画のフィルムが、静止している断片をつなぎ合わせて、あたかも動いているかのように見せるのと同じだ、とします。
運動は通過した空間と、通過の行為の二種類という要素がある。
前者は空間として把握できるけれど、後者は「人間の意識の中でのみ現実性をもつ」。

過去は、すでに決定され、固定されているために分割可能だけれど、「いま」、そして「これから」は連続のなかにあって、決して分割(空間化)されるものではない。
時間を空間化する、とは、時間を過去化しようとするものだ。
人間は、空間化されない「いま」の一瞬を意識することができる。その知覚が刻一刻、移り変わっていくのを意識することができる。真の時間とは、その「いま」が継続して意識に生じる「純粋持続」である、と考えたのです。

この回答への補足

丁寧な解説をいただきありがとうございます。
なるほど、カント哲学からの流れで「時間は『空間』ではない」といえば、文意がすっきりしますね(この後に出てくる「生きられる空間」と矛盾しない)。勉強になりました。

ただ、問題なのは、ghostbusterさんのように哲学によく通じていらっしゃる方であれば、よいのですが(私も「時間は『空間』ではない」で分かるだろうと思い周りの人に聞いたら「当たり前のこといってるだけじゃん」といわれてしまったのです)、これはテキスト的なものの翻訳なので、どういう訳にすればよいのだろうと思案していたのです。

ghostbusterさんの解説を参考に、「時間は(カント的な意味で)『空間』ではない」と補って訳そうかと考えています。

補足日時:2004/07/31 17:08
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「時間は、空間と性質が異なる」


という感じではないでしょうか。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card13143.h …
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。また貴重な情報を提供いただき、大いに参考になりました。ただ、ブラウアーとベルクソンの違いがどう節合されるのかが気になりました。

お礼日時:2004/07/31 21:43

私自身はよく理解できませんが、物理学では、時間と空間を同じ性質のものとして扱う考え方があるようなので(例えば参考URL)、「時間は空間ではない」が必ずしも当たり前ではないかもしれません。



参考URL:http://maverick.riko.shimane-u.ac.jp/files/Relat …

この回答への補足

早速のご回答ありがとうございます!

確かに話は、このあとバシュラールやアインシュタインに飛び(つまり時間=空間の視点)、まさにミンコフスキー的なものに移っていくのです(私も文系なので教養書程度のことしか理解できません……)。

ただ話の流れを考えると、如上の文脈は後から出てくるので、ここでいきなり「時間は空間ではない」というのは変なのかな(つまり作者にベルクソンを貶める意図はない)と思う次第です。

いずれにせよ貴重な情報をありがとうございます。

補足日時:2004/07/30 23:58
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