性格いい人が優勝

近頃は、宗教についての話題が多く、あれこれと話がありますが、雑然としていて
まとまりが全くないように思えます。

宗教については現代の日本では時代としては「否定」だと思います。ただ、一人ひと
りの本心は「どうだろう」ということは思います。

1.宗教に必要性があるとお考えの方御意見をお願いします。

2.宗教と言うものの本質を論じていただいた上で、批判をお願いします。

3.北伝仏教(大乗仏教)の哲学について、優れているとお考えの方、ご意見をお願いします。

4.北伝仏教(大乗仏教)の哲学について、批判してください。

5.聖書の哲学についてお願いします。

6.コーランの哲学についてお願いします。

質問者からの補足コメント

  • そのほかの宗教についても結構です、お願いします。

      補足日時:2019/11/13 01:28
  • この質問の意図は、信仰を持っている方が、現代社会の中のクウキでは
    言いにくいであろう、宗教論を訊きたいということと、このクウキの中
    ではテキトーなことも、すんなりいえるであろう宗教批判を、キチンと
    した形で訊きたいということであります。

      補足日時:2019/11/13 03:36
  • 創価学会についてでも結構です。

      補足日時:2019/11/13 09:38
  • 宗教の下劣な批判には、「なりすまし」という方法が昔からあるという
    のも定説になっているようです。

      補足日時:2019/11/26 06:01
  • 少し考えました。

    強者の威嚇に対しては、民衆は「自分たちを守ってくれる力」であるという風に「曲解」して従うものであると、映画を見たりとかとか歴史物小説を読んで思ったものです。

    また、それとは別に、人間の心の中には「賢者のイメージ」があるということを、心理学の本の中に書かれてあったことを覚えています。
    どうも、この二つを長い間混同してきたのが人類なのではないかと今思っています。そして、そういった混同を整理するための認識の仕方を人類は習得すべきだと思います。

    >弱者の中に希望を見る事

    大変に重要な点だと思います。しかし、弱者の中に希望を見出すためにはどうしたらいいのでしょうか?現実社会の中では弱者はあくまで弱者でしかないといえると思うのですが。

    No.35の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/26 08:28

A 回答 (54件中1~10件)

聖書では空間と時間と神は最初から存在する。

この3つを神は創っては
いない。

宇宙は、何故、存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか。

_神が創ったのなら、

_神は、何故、存在し、 _神は、どうしてどのようにして始まったのか。

こう考えると宇宙も神も立場・位置づけは対等になります。
ある意味「宇宙 イコール 神」。宇宙は神であり、神は宇宙である。

広がり,空間が無い宇宙,空間が無い世界は,何かが存在する為の空間が無い
のだから,何も存在できない。つまり,何も無い「無(む)」と言う事だ。
空間・広がりは有るが「時間」が無い宇宙・時間が無い世界を考えると、
何かが存在する為の時間も瞬間も無いのだから、何も無い・何も存在でき
ないと言う事になる。
つまり,空間が無いとは,何も無いと言う事で,同様に,時間が無いとは,何も
無いという事だ。
何かが存在する為には,この「何か」には,当然,「空間」と「時間」も含ま
れるが、「空間」と「時間」が必須なのだ。
空間と時間は,「時空」と呼ばれる。「時空」が,「宇宙」なのだ。
「存在」とは,何でしょう? 「存在」とは,何か? 貴方は明解に誰かに説明
する事ができますか?
「存在」が成立するには、ある二つのものが必須です。
その二つが「時間」と「空間」です。
我々は、時/時間が無かった状態をイメージできない。時/時間が無かった
状態から「時/時間」が始まった状態/状況もイメージできないのです。
「空間/広がり」が無い状態もイメージできません。と言う事は、つまり
「時/時間」と「空間/広がり」が無かった状態は、存在しない/存在でき
ないと解釈した方が自然です。
「時間と空間」が無い状況/状態はあり得ない、必ず「時間と空間」は
存在していると考えるべきです。
このように極めて自然に論理的に思考すると「時間と空間」の創成/創造
は無かった/あり得ないと言う結論になります。
「時間と空間」、つまり、「時空/宇宙」は、創成/創造は無く、無限遠の
過去から存在していたと認識するのが正しいと言えるでしょう。
「時空/宇宙」は、無限遠の過去から無限遠の未来まで時間が流れ続ける
無限の大きさ/広がりを持った空間で、「最初/起源」も「終わり/終焉」
も無い。
と認識すべきなのです。
「最初の時」「最初」と言う事、それ自身が「時/時間」の概念です。
世界創成の話で、何も無い状態で「神」が最初に「時/時間」を創った。
としても、ここにも「最初」が在ります。最初と言う「時/時間」は既に
存在していたのです。
「時/時間」は、神が創ったのでは無く、「空間/広がり」と共に無限遠の
過去から「存在」していたと理解/認識するしかないのです。
「真空のエネルギー」とか、「宇宙の相転移」と言う言葉を御存知でしょ
うか?「最初、何も無かった」は有り得ないのです。以下で説明しますが、
我々が存在しているこの宇宙がビッグバンを起こしたのは「超時空」
「超宇宙」「母宇宙」とでも呼ぶべき「起源や最初」が無い存在だと認識
するのが最も論理的です。

宇宙は、何故あるのか?
回答は、「ある」からあるです。
宇宙が「存在」するのに理由など無い。
宇宙が「存在」するのに理由など必要ない。
宇宙が「存在」するのに理由が必要だ言う根拠は?
宇宙の「存在」に理由など必要ない。
森羅万象に対して、何故、存在するのか? 存在する理由は何か?
を問う事に何の意味があるのか? 意味など無い。
宇宙は何故、空間は何故、時間は何故、存在は何故、「存在」するのか?
こんな事を問う事は、無意味である。
「ある」から「ある」。「存在」しているから「存在」しているだけだ。
「ある/存在」に対して,「目的/理由/根拠/起源」が無ければならない!!
と決め付ける理由は? 何事にも目的/理由/根拠/起源が無ければならないと
考える事、自体が視野の狭い、偏屈な考えなのだ。
別に何に対してでも「存在の目的/理由/根拠/起源」が必要な理由など無い
のだ。

我々は無知です。宇宙や空間や時間について殆ど何も知りません。
解っているのは、「空間」と言う三次元の広がりと「時間」と言う一次元
の過去から未来への流れが「存在」すると言う事ぐらいです。
この空間と時間を「時空」と呼び、時空は四次元であると解釈されます。
我々が「存在」している「宇宙」は、この四次元の「時空」なのです。
ハッブルが遠くの天体ほどより速く地球から遠ざかっている事を発見し、
この事から我々が存在している宇宙は、膨張し広がっていると科学者達は
認識しています。
我々が存在する宇宙の「空間」自体が膨張し広がっており、ダークエネル
ギーと呼ぶ未知の存在が空間を押し広げており、我々が存在する宇宙は、
「空間」が加速膨張する性質を持つ「宇宙」なのだと解釈されている。
あらゆる向き/方向に均等にムラなく広がっていると考えるのが妥当のよう
です。

何も無いところから我々の宇宙がビッグバンで誕生し、膨張して来て、
今も加速膨張を続けていると言われますが、「何も無い」と言うのは、
無理があります。
現在、多くの人が「何も無い」訳では無く、「母宇宙/超宇宙/超時空」
とでも呼ぶべき、無限遠の過去から存在し、無限遠の未来まで存在し
続ける、それぞれが無限大の大きさ/広がりを持った「子宇宙」を
無限個/無数も含んでいる、無限の大きさ/広がりをもった「時空」が
存在していて、その中で時空の「揺らぎ」「ゆらぎ」がビッグバンを
起こし、ビッグバンの引き金となって、我々の存在している宇宙が誕生
し、我々が存在する宇宙は「子宇宙」として,「母宇宙/超宇宙/超時空」
の中で誕生し、今も、そこで、加速膨張し続けている。
そして、我々の宇宙と同じ様な無数の無限個の「子宇宙」が「母宇宙」
の中で同じ様に生まれ膨張し成長していると考えています。
これがマルチバースと呼ばれる考え方です。
「母宇宙/超宇宙/超時空」は「初め/始め/最初/起源」も「終わり/終焉」
も無いと考えられます。

1900年にプランクが量子論を,1905年にアインシュタインが相対論を創始
し,それまでの物理学は古典物理学と呼ばれる様になった。
今,物理学界は,宇宙の加速膨張が観測され,ダークエネルギーや超弦理論な
ど話題沸騰している。1900-1905年に物理の大革命が起こった様に,今の
現代物理学が古典物理学と呼ばれる様になる,全く新しい「真新物理学」が
誕生する可能性は非常に高く,それは,1900年ごろの人々がGPSや量子コン
ピュータを理解できない様に,2019年の我々に理解できない技術を産む。
任意の範囲の空間を自在に制御して,その空間を通常空間の中を波乗りする
様に滑らせ,通常空間を光が何万年も掛かって到達する遥か彼方の惑星や衛
星に極,短時間で人や貨物を輸送し,何万光年も彼方のスーパーアースに移民
船が大挙して押し寄せ,ネオ日本,ネオアメリカ,ネオロシア,ネオ中国などが
建国されるかも?

宇宙全体から見れば、我々が存在している「銀河系(天の川銀河)」は、あ
りふれた普通の銀河だ。太陽もありふれた普通の恒星だ。地球もありふれ
たと言えるかは何とも言えないが,標準的な岩石型惑星と言えるだろう。
地球の特色は、表面に豊かな大気と海が存在している事だ。金星の大気は
厚く熱く生命の発生や生存には厳しい環境だ。火星の大気は薄すぎて、太
古の昔は海や大河があったが、今は液体の水が存在するのは難しい。
銀河系だけでも2000億個から4000億個もの恒星があると考えられ、恒星
の多くは惑星や衛星を持つと考えられる。
地球から11光年離れた位置に2017年11月に惑星ロス128bが発見された。
地球の1.35倍の質量を持ち、地球規模の大きさで岩石で構成されているら
しい。
地球に生命が誕生し進化して来たのだから、どこかの惑星や衛星で生命が
誕生し進化している可能性はある。地球にしか生命は誕生しないと考える
方が無理がある。
地球は全球凍結や白亜紀末期(約6600万年前)のチクシュルーブ隕石(チ
クシュルーブ小惑星)の激突による恐竜やアンモナイトなどの大絶滅など
何度も大絶滅と大進化を繰り返して、ようやく人類が誕生した。宇宙
のどこかの惑星や衛星では,神の試行錯誤の様な大絶滅/大進化が非常に効
率良く進んで早期に科学技術文明が開化し、銀河間航行など我々より優れ
知能を持って繁栄しているかも?
彼らの惑星や衛星で生命が誕生する過程で核分裂物質を体内に取り込み、
その核分裂のエネルギーで生命活動を維持するタイプだったり、光合成の
様に光を浴びてそのエネルギーで生命活動を維持するタイプの生命体とし
て誕生して進化して来た可能性もある。だとすれば、地球の生態系の様に
他の生命体を捕食して自己の生命活動のエネルギーを得る必要は無いので
口(くち)は無い。呼吸も不要なので鼻も無い。我々が声を発して耳で聞
く様に彼らは、電磁波を発してこれを受信してコミュニケーションしてい
るなら、目も耳も無い。手足も無く、触手の様な体の器官で物を掴み、宇
宙船を作るのかも?こうした生命体と我々が意思の疎通が可能なのかは疑
問です。地球の生態系を見て、他の生命体を捕えて食べる事で成り立ってい
る事に戦慄を感じ、宇宙に存在してはならない悪夢の悍ましい惑星として
瞬時に地球を丸ごと宇宙から消滅させるかも知れない。
googleなどで「科学の真実・宇宙エレベーター/軌道エレベーター」と文
字列を入力して検索するヒットするブログを是非、御覧下さい。
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この回答へのお礼

宗教の話ではなく、時空、そして宇宙のお話ですね。いや、結構です。
大変刺激を受けましたから。

私は何の専門家でもなく、学問の知識も乏しいのですが、好奇心だけは
人一倍の人間であるということをお断りしておきます。

時空というものは「ある」と私も考えています。その理由はただ一つ
「ない」と考えることが今はできないからです。

宇宙は何故あるか、それは「ある」から「ある」という説には一応賛同
します。それ以外の確たる理由が考えられないからです。

ただ、宇宙の存在理由を考える必要がないということには賛同できません。
これは、絶対にできません。
何故なら、宇宙とは何か、時空とは何か、人間とは何か、などという根源
的な哲学的な探求(求道)がなくなれば、自身に対する反省的思考の放棄、
そして、文明自体の反省の放棄に繋がると思うからです。

現に、現文明はその状態に入っていると思います。ま、この話の詳細はこ
こでは省略しましょう。

>「ある/存在」に対して,「目的/理由/根拠/起源」が無ければならない!!
と決め付ける理由は? 何事にも目的/理由/根拠/起源が無ければならないと
考える事、自体が視野の狭い、偏屈な考えなのだ。
別に何に対してでも「存在の目的/理由/根拠/起源」が必要な理由など無い
のだ。

「存在の目的/理由/根拠/起源」が必要な理由など無いと決めつける理由は何
でしょうか?ならば、これも偏屈な考えになります。

地球外において生命の存在を考えられない人は、脳に誠に重厚なバイアスがか
かっているとしか思えませんね。
様々想像力を働かせることは楽しいだけでなく、脳の活性化にもなるでしょう。

地球の他の生物を捕食して自らの生を保つという生態系は、非常に原始的で特
殊ではないかと私も常々思っていました。

時間があればブログも拝見したいと思います。

お礼日時:2019/12/25 00:56

真実・真理を求道する宗教が出来たらそれに越したことはにです。



科学も哲学も取り入れて永遠を目指さう宗教をこれまでの宗教から練りだしましょう。

何処までも進化する宗教。止まってしまっては何時頑なになると思います。
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この回答へのお礼

求道こそ信仰の命であると、私は教えられ、それを納得しています。

科学とか他の哲学と冷徹に相対してゆかねばならず、相対の上に立っ
た絶対を掴むべきだと教えられ、それを納得しています。

仮に、より正しい哲学が目の前に現れたならば、古いものは捨てるべ
きで、それが「信仰者」の魂だと考えています。

はるか昔の僧たちは、法論をして負けた場合、相手の弟子になるという
文化があったといいますから。

真に正しい哲学ならば、いかに時代が変わろうが矛盾はないはずだと思
います。

お礼日時:2019/12/22 13:47

無神論者は日本人の方が多いのです。


世界から見ても恐らくね

ニャンパラリん❣


私はこう考える前
アメリカンドラマを見て理解しましたが、大抵、神がいるかいないかわからなくとも、
【バットラック!】不運をその身に受けたくもないからと、神につば吐くような行為は避けるようにする!
つまり神を否定しない!それがあちらさんの常識
 あえて不況を買って出たくもない。

 未だアメリカとて、公に神はいるはずはなあと公言するものは、余程の何らかの学術的方面の 長じたるもの以外に
憚られるものなのでしょうや

といったことなかれ思想なども多く、 まだまだキリスト教主体の道徳意識の
高い、ある程度、敬虔な国家でしょう


アメリカのマネをしているつもりの若者が、(自由主義謳歌)
神は信じるべきでないとなったのは、
単にモノを見る際の狭い目線!

そもそも、
アメリカのほうが正義感を一般人は多く持っているそうですし、神も普通に、信じられている。

日本人こそ特殊になりつつある


これだけ科学が発展したのだからと言う意味と、神を信じて敗戦した我が国が
国家の国体などでの
神を主張することをやめたことによる空白

そこに恐らく、神を否定しても良い風潮が生まれ始め、
主にフィクション!アニメや、漫画、小説等からの、神をも倒せる場合のストーリーなども生まれてきた。
自由主義思想に生まれ変わっていった、そうこの国の宗教観 系譜は
このように空白をなぞって行った
そう考えます。


第一、神がいるいないでなく
もし、いるかいないか、わからない部分があると言うなら
 本来否定して " 絶対いない " という無狭い観点の
(無神論)、それを信じる道理も、また
極めて決めつけは ない!
強くそちらを道理だと主張するははずがないのですよ。
 無神論は日本の常識、世界では非常式レベルの普通から外れた理解ではないでしょうかね…






皆さんも、周りに流されるている現在の常識変更に際する、" 事態 " をこの話から、見る事ができましたでしょうか?

もちろん、怖な一方的な話を信じる前に、事実どうであるかなどは多角的に客観性を持てる、信憑度の高いソースから
学ぶことが好ましい。

まぁ、主張を自己否定しすぎても意味がないから、この辺にして、それでも
ニャンポコリンさんに
貴方は傲慢な目線で、盲目に世界を見ていませんか?
と、問うておきましょう。

それも良い意味で話し合いとして、この場と、世界をつなぐ意味を、スレッドに残していけるように…。


私は世界平和の宗教革命を望み突き進んでいきます。
もちろん宗教世界だけのものではありませんけどね♪

道徳の大切さを
人を敬う意義を
そして、慢心が見えないのは仕方がないにせよ、世界は、それでも
反省しなければならない。

人は自分が容易く奢らない生き物だと考えるからこそ、容易く見失っている。
無知の知の事実…

これがあると言う常識こそ!
むしろ兵法のごとく シビアで
当然と学ぶべきもの!

私はこう解く!(功徳、高徳)
高尚なる事とは、
 考えなくても良いと考えて
 怠惰に自分を甘やかす
 完成の論理よりも

 まだ不安定で自身も出ないところもあるけれどと、謙虚に物を見て、いつでも
 やり直せる 誠実を(傲慢に対する術と持ち)

 更には、極めたるときの時節に
 自らをその段階と認知し!
 それでもいつか奢ることを恐れなさい

 されども、世に必要な主張とは
 その不確定・不安定な中に合ってでも

 言わねば始まらない、伝え聞いた人々が、その先を探すという体当たりの体(てい)で、新しい未来を目指さねばならない。

(しかし、基盤は最低限度必要。詰まりは最低のレベルのそこに集う協同者(賛同者)たちが共有、及び理解を持たざれば壊れてしまう。簡単にできるだけまとめ、共に旗印ともできるまた、その大義の細部を仲間内で、事細かに研鑽したもの)


 むしろ絶対など 絶対と言っていいほど一生の途方もない時間を費やし探そうとも、見つかることは少ないのですから。

 そのぐらいで
ようやく中庸の【一段】

合格です♪な❕

読みビトの方々、努力してくださいね。
頑張れは"
ここまで話せば階段を途中から、段飛ばしに登ってきたも同然!教えるはおごりなく伝えることのほうが難しい。

教育と洗脳の違いなど、かすかなほどしかないのでしょうか?

まぁ、それは
 教えてくれたる人にどれだけ誠実であると、考え及ぶ心が 聞く方(出紙)にあるか…
それでも変わりますよと…



 まぁ、私 天啓受けたから、
  この中に絶対(級)の、諭しで問題ない、理論を【含】ませているんですけどね…

光の徳識 ライトカルマの論法です…

それはまだまだ読み日とのレベルが上がるの待ち!としておきましょう


 残念ながら、ここまで程度の読みづらさの文章を、単にふざけているんじゃないかとか?(礼節不足)
 わかりにくいことがあるからもう読みたくないとか、

そんな視線・視点でしか見えない人に、子こまでは至れない
 『階梯』
 登った人に飲み話して意味があるものがある。残念ながら、味会い尽くしたくない人には理解及ばせたくないじョうねんがある!


  登れる人を求めましょう!

  主さん、貴方は、なにか光を見えましたかな?無明の光明

 光陰矢の如し!

 人生短し!人に良いことを教えようとするな!教えようとしても必ず
 その主張の諸刃の刃で悪いこともしするのだから。

 だからですよ。それでもしたけりゃよリ気を使え!
 と言っておきましょう。

  ニャンだってあなたまだまだ、お若い。勉学の途中のようでござんしょ…
 最近の渡しときましたら、
 良く知らぬ間に、先行のように光が頭の上に降りてきて、
 飛び抜けて、先を行く展開を、怒涛に思いつく…
 まぁ、目視野が広いことで!
 ですからね。

 この様にとぼける。
 明日天気にして送れレ!

 さてさておあとがよろしいようでシェ

日本の過渡期の時代

けれども自由な発想には、確かにこれは良い点があったかもしれません。

アニメの隆盛など!






そろそろもとに戻るべきではという面もありますが、もう少し見ていたくもありますね、この稀有な国民性の行き着く先を…。

世界的に少数であろう無神論主義に近付いた国家。
そして、時代的にもむしろ稀有なる空白状態。

ここは過渡期…






まぁ、伸び伸び育っている点は、いきいきしていてよろしいのではとも思います。

しかし楽観できない面で、
人間が上(神・カミ)なる
存在の(理解及び)欠落による
傲慢さが蔓延し始めています。

それは、簡潔に言葉に変える場合、

無知の知、それを自身に当てはめない。恥をしれない
高慢なるかな
傲慢さなのです。

自分よりも強大いな存在がいない、または、自身の知識を絶対視するが故の
道徳の欠落。

こんな具合のものです

まぁ、これは詰まり、恐れるものがない状態と、カオス化しつつある情報奔流に、社会の人々がついていけなくなっていきそうなその兆し!と呼べそうですね


この国と言う この世間!日本世界は 自由主義の、行き過ぎにてすでにカオス化しています。

それは例え宗教的信仰の対象を失ったことよりも大きな意味で、

信じるべき道徳基盤などをないがしろにしている、し過ぎているといいえます。


詰まり、見たいものだけしか見ないとは

それ一つに割く余裕しかない!そうとも呼べるし、また、時間の無駄になるほどの
たくさんの主義主張から、自分の「取るに足る」べき考え方を選び出せなくなってきています。

つまり前述した、
世界を維持するべき、危機管理基盤たる知識
これを蔑ろにしても、問題無いみんな自由なのだからという、安易な楽観 教育のふやけた話。

多すぎるのです!取るに足るべき主張としすぎた主義、人が提示する良いものだと言う、本来最初に固めるべ基盤から逸脱した知識が。
(各人の是正という正義が)




みんな思い思いにこれが大切だと発言しすぎて、情報のキャパ(シティ)オーバーが行われています!


精査&選べつ
星ベツ


んじゃねー
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この回答へのお礼

虚空を見つめての演説は、今どきは誰も聞かないし、こういうところでは尚更。
読みにくいですね、読みましたけど。
まあ、人に自分の考えを伝えるのは至難の業だと思っていますが。

日本人は無神論が多いとは思いません。なぜなら、完全に神を信じていないのな
ら初詣にあれだけの人が集まらないでしょうし、占いも流行らないでしょう。

それに、現代人の多くは、結局社会は少しずつよくなっていると思っている人が
多いと思う。それって、何かを信じているということですよね。

じゃあ神ってなんだと考えれば、白いひげを生やしたおじいさん、磔になったキ
リスト、慈顔をたたえたマリア様あるいは観音様…

そんな実在は、サンタクロースが実在しないのと同じで、いるはずもないもの、と
いう意味での無神論でしょ?

哲学的思索が著しく足りないのが日本人だと思います。

お礼日時:2019/12/22 13:37

④番目の回答




銘作
銀河英雄伝説の言葉にこんな物があります。
『《特権》は 腐敗を生む、最悪の毒だ!貴族たるワシも、戦場で一平卒の兵士と出会い、接するまで気付けなかった』

自分が人より優れているという思いや、特別良いものを貰えているという、感嘆なる利権…それは
傲慢になり得る毒でもある。
だからこそ、謙虚さが美徳!

忘れずに無知の知!
自分が奢っているときがなかったかは、定期的な瞑想などをして見返りましょう(メディテーション)


とにかく奢るなら、成るべくして成るべく良き 誇りを持ちましょう!


先輩が‥ 奢ってくれるは、
嬉しいな。

玉には慢心と知りつつも、後輩たる後に続ける者達に
似た恩の飴を売ると、尊敬してもらいやすいものですね。無知だけでは無知なる優しさ。
 おごり過ぎなければ一応 互いの幸せにもなるという事です。

酒は百薬の長、されど飲み過ぎれば、身体に毒!

栄光に酔いすぎれば、その国は満身創痍

酩酊(めいてい)しているのを自分で気付けなくもなる。
すなわち宵の酔い
酔うならばわきまえ(弁え)る " 粋 "を
とね。

それすなわち調和の節度なり!



何度でも自分の器を砕き!
磨き上げていく。錬磨
百錬制覇!!
自分自身を創造することができる  それが人の強さ!と呼べるでしょう


貴方は知っていますか?

キングダム(中華:秦の時代)
という漫画のイチシーンですが、王騎という将軍に、弟子入りして鍛えてもらう事となった主人公 信は(軍を率いる  大将軍を夢見 それを叶えるお話)

中華の果の辺境にて、強国である自国とは異なる 国とも呼べない村(邑)のような国々の争いがあり。
そこに投げ込まれます。
「この諍いを平定してみせよ!」

その村々は、大国の争いの余波もあり、
いつでも互いに諍い合い、安息の時など来ない… まるで修羅界のような様相でした。

信は、何とかお供の大男と共に、その群発の村々の争いを収め平定(たいらげ)修行を終えます。

しかし、この話は見方を変えればこういう事と呼べます。

大国 秦は生まれるべくして生まれた。
カノような大国の統治は
もし生まれなければ
永遠との織田信長が生まれない
日本なら戦国時代を
豊臣秀吉、徳川家康が平定せず
繰り返し続ける世界。

それは恐ろしき、弱きものが声を上げてもたやすく強き者に踏み潰されてしまう世界です。


国には本来まとまるべき範囲があり
国境線が地形的に適した範囲であるかや、情報・法制の伝達の観点での利便性からも限界はどの程度なのか、が存在します。もちろん民俗文化などの観点からも、それはひとまとめであるほうが諍いが起こり得ないという範囲がある。

国としてまとまると良い大きさは存在する。(※現代はインターネッの社会ですからもう少し大きくなって統制が効く場合もありえます、が)

単に、戦争をするものが悪と呼ぶならば、
戦争を平定してくれた者達に、恩義がある目線が持てない未熟者では無いでしょうか?

例えば日本ならばまず大君(天皇の祖先)が大きくまとまりある島の大部分を統治してくれたおかげ、もちろん代替わりがあるので王の統治とは、完全であり続けることも少なく、傲慢になったりして腐敗で、王政が新しいものに取って代わる場合もあった。

フランス革命は 更に一つ上の人類権利を、平等を説き!世界に高らかに宣言した、人間 尊厳を立てたる革命。

しかし、現在王政が続く国家はあります

王とは、英雄の末也!

ほとんどの国家などの場合、乱世の時代が遥か遠い昔、文化があまり作られる前から存在し、それを収める豪族!強き者達によって王制は生み出されて行きました。

時代の変化の波は、来ます。







傲慢に、戦争するのが
ただ悪いという決めつけを
簡単に全体周りを見ずに行うと
こう呼べてしまいます。

「貴方は苦労して、今の時代 文明の基盤を作ってくれた人々への感謝を忘れ、
ただ暴力のみの野蛮な生き物が 昔の人間でしかないと思っているなら
信賞の与えるべき価値のない人物となり下がりますよ。

まず自分が何によって今そこに立ち得ているのか?
親の台だけでは無い
遥か未来を思い、開拓者魂でこの世界を満ちに立ち向かう勇気を持って進んだ者たちの思いを、引き継げないならば、
未だに、社会の土台の大切さを知らない
稚児に過ぎないのです」よと

自立する事とは、自らの力だけで立ち得た、

それが人間。人の間に生きて、営み、糸の間で愛をもらい学び、ようやく立てる生き物なのです。

感謝と畏敬を忘れた文明は滅びをたどる運命でした。

誠実にまっすぐに物を見る目線! 
一貫性そして真剣さ。

これを忘れては、人の道は進んでは行けない ハズレ道!
外道と成り下がり畜生のごとく行きたくなければ、一羽


正しい矜持を持って進むべきでショウ!


人を愛するには、まずその人を信じぬく勇気が前提にあります。

信じ抜けるまで相手を知り確かめましましょう。噛み締めるべし!上知るべし!


ご清聴、成長!
有難うございました。




信じる者は救われる…っナンテね♪


続きあります
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この回答へのお礼

戦争は「絶対悪」です。

確かに「国」ができれば王のもと官僚が生まれます。大抵はその官僚が国を
腐らせてゆくものです。
ならば、武力で抑え支配しても、同じことの繰り返しになるではないですか。
ということは、いたずらに人を殺す行為に他ならないということになります、
戦争というものが。

明治維新という無血革命もあったわけです。

王は歴史上、破壊者であったことが多いといえるでしょう。建設者は誰か?
建設者であり、国の中身は「民衆」ではないですか?

その民衆の、「プライド」を肯定し、さらに「与える」ことができるのが真の
宗教ともいえるのではないでしょうか?

お礼日時:2019/12/22 12:42

済みません。

③誤字多すぎましたかね。確認が足りませんでした。失礼しました

なんとか、頑張って
本意を読んでみてください

修行になりますよ(傲慢)

続きに行きます…
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この回答へのお礼

確かに修行になる。

お礼日時:2019/12/22 12:22

③番目の回答。

 トルコ国旗は白の星と月のマークに赤の背景 ❃ 友好を ❦



プライドは増長する事によって傲慢になる。謙虚に見返って(顧みる、省みる心)を持ち、反省した者は、修練すれば、いずれは黄金の誇りをも身に着け得る!




最初に示した①〜④は、
正しい知識で身につければ本来世界から争いをなくせるレベルのもの。

私は、あらゆる宗教的な道徳の下地に、これらがあるものであり、また、それがあるべきものであるという世界常識を築き上げるべきだと!
考えています。





そうすれば、どんな宗教でも
血を流し
争うことを愚かなる事と簡潔に説明ができる。

わかりやすさがまずは一番
理解を生み出しやすい


プライドの観点は難しく考えずに謝れる心と、許す心!
この2つが両立できれば、
主義主張を正しく権利として世界に挙げ、広めるのにも必要な、人のイニシアチブ(主導権主張)のバランスを取れるものともなる。

主義を主張しなければ、人は
間違いを正そうとは出来ないものです。

そう言う時、意地を張って頑迷に、無駄な今までの常識を維持しようとすると、世界は進むべきタイミングを逃します、それに恥をもかく。


認め合うには、許し合う心。

「隣人を愛せよ!」この言葉も高く、高尚なる 理解の思想ですね

罪を侵さぬ人はこの世にはいない。

何故ならば、歩けば蟻を踏むことになるし、
食事を取れば動物や、植物を殺すことにもなる。

肉を衛生面で安全にするために火をおこすことを学んだ我々は、つまるところ己の毒、とも呼べる 他の小さき生命、その秩序を破壊し、細菌や微生物を焼き殺してから食事を摂取する 消毒的な意味も含んだ料理を覚え扱って来ました。


 【罪と罰】!

それは正しい厚生を目的とします
罪を認知する事で!人反省し品性ある威厳を覚える!
そういった矜持を人は誇る!

〘隣人法則〙
万引き犯の隣には
窃盗犯がいて
その隣には、詐欺師や強盗犯
そして
傷害罪や強姦罪の犯罪者
更にその隣には、殺人を侵した者がいる。

例えば軽い気持ちで、万引きをする人が多くいる この社会でも、やり直しができるべきラインがある。

人を殺したとしても、いつかは許されるべき刑罰の期限がある(刑期)


正しく反省する人を、許せる寛容さ
それを持てないなら、
憎悪という罪で己の身を焼き続ける、
それもまた、罪人に近くなる悪識なのだと理解しましょう。

けれども それは全て、
結局、自分にも罪はあると考えれれば、謙虚にては、
全ての罪は
「五十歩百歩」と呼べる側面があります。

隣人を愛することができれば隣人の隣人の気持ちをも理解し、愛せよう。

隣から知り、更に隣を推し量る。
【怠惰】でもある、億劫に相手を知ろうとしない心とは、
自分の中に【無価値】な存在を生む行為です

愛するべき熱量を持てなくなると、
子供を愛さない親になる事もありますし、愛されることを求めることをやめてしまう場合もある。

疲れるものです、が
それが熱を持つ、身体の本能!

疲れは、無駄に働きすぎた場合の身体からのメッセージです。
だから、どの程度の温度で人に接するか、それを測らなければならず
おざなりにすることは、無関心に近い、無礼を相手に働く事。
要は見下し、そして尊厳を持たせずに
相手に対して傲慢な態度を取ることにもなる。

疲れてもどうか、人を許せる余裕と、
熱量(愛)を持てるように自分自身をコントロールしましょう!
詰まりは、己を知る事。
体力や精神のキャパシティを知り
バランスよく熱量を振り分ける必要があります


《 信賞必罰 》
褒めるべき人には賞与を与え、
間違えを起こした人には、 正しく更生できる、為の 【罰】を与えるべき!

この考えについて

全ては、許されたる人類の未来の為に!

隣人をよく知りその事情を考慮できたなら人類の寛容さは完成する。

優しさとは優れたること!

例えば、私も昔、出来心にて万引きをしてしまった事がありました。しかし、母にとても良い意味で強く叱ってもらえたことで、二度と万引きなどの 犯罪を侵さないと考え、誓う事ができて、
この年まで、特に犯罪などを起こさずに生きてこれました。

過去の罪をいつまでもなぶり、その罪ある人を罪人、その子であっても罪ある人などと言うのならば、

それは、現代のあらゆる人間はかつておそらく戦争で血を流した祖先を持っている事!それを見ます。

誰も殺人者の血を引いてない人などいない。

これも、公平という観点から見れば、救いにもなり得る言葉でしょうので。


平等に罪と向かい合わない限り人は、コマうまンに甘えてある自分を自重できない、気づけばしない。


一言!

その犯罪を侵さた境遇の人間を責めるならば、

その状況に自分が生まれついたとして、自分なら、決して同じ過ちは侵さないでいられると信じれる場合以外、カノ人を糾弾する権利はないのです!

その不遇は、社会が生み出したる不遇。いち大人で、いち社会人たる人物であるならば、不平を正せない無力さ!
それこそ
自身に説き!噛み締め!
自らの至らなさの方を鑑みましょう!
(これが謙虚、誠実の美徳)


「罪の無いもののみ、石を投げよ」

このキリストの言葉とも近い理論です。



なので、自らの縁ある人が
傷をおった場合でもないのに、相手の気持ちを組まずに、罪を糾弾するのはやめましょう!

社会としてよモラルを守り、その人が構成するためという目線にて、罰は適切に与えるが、
被害者だけに同情して(感情移入し)、罪の深さを煽り立てるのは、無知なる恥と知れ!


愛ある家庭で適度なる教育を受けれたるは、先ずは、その国の建国よりの、民に幸せがあるべしという大義の思想!このように、守りてが充実した場所で運良く生まれ得た。
甘い飴。〈天恵〉
しかし、甘さのみ 溺れていては、傲慢になりつつある自分に気づけなき事!幸運。


溺れる者は久しからず!奢ったね…(笑)




いゃー徹夜してしまいましたよ。書き終わるまであとちょいと!
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この回答へのお礼

「修羅」の心も「菩薩」の心も人間は持っていて、しかも同時に二つが出ることはない、
と、仏教では説きます。

「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」の悪しき心に支配された場合、自己を内省的に見、学
び思索するという「声聞」「縁覚」の心を志向させ、更には「利他的」な行為によって、
利己的な自己を超克させてゆこうというのが大乗仏教の考え方だと思うんです。

そうした自分であることを深く理解し、学び、思索を続けてゆくということが傲慢、憎悪、
争いといった悪しき心の抑制になるに違いないと思う。

お礼日時:2019/12/22 12:21

②番目の回答




それが誇らしい時代でもあったのでしょう。イスラムの信徒たちにとって!
ヨーロッパの統一国家でもあったローマの如く!


そして、多数宗教が和合した安息の国家の誕生の時でした。
(白人思想だと未だに認めない人はいますが、あの国家には偉大さがあると言えまする。 多数民族とイスラム含む、多宗教信者達の平和に暮らす理想の地があったとも言える)


これが、産業革命時の 白人達の盲目たる、白人絶対主義思想により、崩壊してしまいました。
(黄禍論!これをウィキペディアで調べるとどんな物であるかが見えてきますね。
情報が簡単には国や海峡を超えない時代、世界においての閉鎖的な、偏見迷信をも含む論理 かとな)


更には、数百年に及ぶ
白人の十字軍編成、進行による
長年の軋轢が互いに起こります。
キリスト教義の世界のモラル

それを崩す存在であるとされたイスラム教義

(理由は一夫多妻等の、地域特色とも呼べる僅かな教義の違い。これらもありえてます)

こうして同じ名前の神、そして ほぼ同じ信仰であるに関わらずに、
2つの世界宗教が争い続けて来た!(ユダヤ含め、合わすと世界の六割程度の人口でした かな)

コーランは私の見解で見る所、道徳的に間違っている箇所は、ないものと考え得ています。


他に大切にするべき
ムハンマドの教えなどもありますが


なぜ宗教間にて争いは起こり、こじれてしまう場合があるのか?


それは、
傲慢を甘く見ている! 多くの人が… 

私は
そう結論付けます!

例えば、命は尊ぶべきという思想、それは大抵の宗教にはあり、
古来より、地獄に落ちたくない人、敬虔なら信徒の人には、犯罪を抑制する効果!それがあり得ました。
そして天国に行きたいとする集団には、思想的な謙虚さそしてまとまりを生み出す効果があったと呼べます。


でも何故か、神を信じる身で、
争いは国家間等にて
起こり得ます。今も起こり続けてしまっている


そう、それは

一つ、プライド!
これを守る為!
そして利益助長主義
(七つの大罪:【強欲】)

この辺りの人、主に商人にあたるであろう 利益主義には、

神を信じても、それ以上に生活・生計を立てる為に取るべき富!利益を優先させても良いのではという、甘えがあります。


敬虔さにも度合いが、各人にはあります。
それが、生み出すところとは
命を軽く見る人は、命は大切だと教える教義に置いては、敬虔の度合いが低い人!そう呼べ、されど、一国家内にはかなり存在する場合もある。
 どの程度の敬虔さの信者が
どのくらいいて、また戦争にどれだけ関わろうとしているのか?

全体を大きく捉え、
割合を見つめなければ本質は見えません


同じ宗教の信者とて
それぞれ、毎日や、毎週日曜日に教会にお祈りに行こうとする人。

適度にたまに行く程度でも、神の怒りを自分が買うことはないだろうと、現代人らしく たまにしか祈らないタイプ。
それぞれが居ます。

国や民族、宗教者や世界。

一枚岩であると考えるのは、慢心した見方なのです。


なので、聖書を読んでも、重要を掴めず、自分は敬虔なる信徒であるから裁かれないと、既に 傲慢になりつつある心、それを自身では見抜けなくなっていく!そんな場合もありえます


または聖書の一部を抜粋するかの如く
②③に関連する言葉などを引用したりして、
①の命を尊ぶべきとする
部分を無視している。

①〜④について、その宗教で持ち得ていても(④は特にはない場合も多い)



故に必ずしも敬虔な信徒の行いで
宗教による(論争含む)戦争は起こるわけではない  と呼べ
誰であろうと
命の尊厳を見いだせない者とは、
そもそも敬虔とは呼べない。
これも真実であると呼べるでしょう

他には
プライドを守るべきものとして
盾に使い、命の尊厳をおざなりにするもの、彼らは傷付けられし誇りを持っているならば、私達は大まかに括って悪と呼ぶべきと決めつけることは、浅はかと呼べ
本来、推し量るのは難しい、大変器量のいる判断となります。

ですので
和解を目指しましょう!
対話にて、悪いところは気付き、反省して、相手を許す心。

それが本来、あらゆる神聖さを宿し持てたる 宗教が、示すべき、寛容と神の愛たる高潔の精神と呼べます。

プライドを傷つけられたもの達には、
誠意を持った本人からの反省と謝罪の言葉が有効になると呼べます

簡単に許し会えなくとも そこは長い時間をかけても当事者である両者達や 調停をするべき者が、歩み寄り、
互いに相互の理解を求めるべきなのです。


教えが示す
命と社会のモラル!その点においては、未だに根強く、社会に貢献している それが宗教です。

容易く無くせばいいなんて考えるのは、過去の功績を無視した 理解から遠い これも傲慢に近い心。そうも呼べますよ

しかし、傲慢にはミカエル!本来自分と向き合い自分がどこからか慢心し出している部分はないか、「定期的に顧みる」その、自己浄化の心が必要!


ルシファーを倒せるのは、 ミカエル!
そう
覚えておきましょう。

プライドは容易く甘えに通じ、
そして自己を甘やかした結果
他者に優しくない行いを、神の正義であるかの様に行う。聖書への理解が足りません
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この回答へのお礼

表現は「パッパラパー」でも(笑)、知識は豊富で、鋭い点を指摘しておられると
思います。

イエスにしてもマホメットにしても、どのような哲学的洞察を得たのか、私には
よく理解できていませんが、神や天国を説いたのは、仰るところの人間の「傲慢」
を抑制する意図があったのではないかと考えています。

ところが、人間の傲慢は自らを神としてしまったのでしょうか、権力者と権力者の
対立は神と神の対立になってしまい、悲惨な宗教戦争が起きてしまったと考えてい
ます。

つまり、「神と人間」の哲学の限界が露呈されたのではないかと思います。

お礼日時:2019/12/19 12:10

今日は〜お久しぶりの


メルクリウスです! ①

今回、長くなりますので
いくつかに分けます。

①から順にお読みください!※

なるべくなので、分かりやすく
なるべく誠実に回答し 
《 神 聖 》の何たるかを示せればと、
できるかどうかわかりませんが、
頑張っていきます。
どうぞ読み人の皆さん!よろしくお願い致します


1 宗教は必要か!?

それは必要だと考えますが、内容は後ほどまとめてご説明します。

各国はそれに依存している。それを崩すことは、すでに単なる和を乱す行いと呼ぶ方が近い。詰まりは平地に乱を起こす、的な革命的な行い。 
これは…
理に叶わないと信じたからと言って、
今まで、何ら問題なく継続していたものに、あえてやっかみを吹っかけ、無用な犠牲を発生させるという意味です。

さてさて、なるべくは起こさない、方が良いのですけど、根回し万全、ですかぁら
さぁ、ジ (The) Hard ❗ なる 論戦を始めましょうか!


2 
宗教における
私が 研究、発見した
' 真理 ' をここに書き記します

宗教が世の中に必要となる部分
その大体と呼ばれる理論の
体系化は以下の4つ!


①命を尊び無用に奪うことを悪とする点!
(これは、ほぼ全ての宗教にある)

③窃盗や諍い、強姦など、社会モラルに反する行いを、悪とし、地獄に落ちる事を諭し、
社会に反するモラル思想を流行らせなくしよう出来ている点。(秩序の維持に貢献!)


③人の慢心した様を悪識と呼び!反省を促そうとする点。または修行とする宗教・宗派であれば、慢心せず、瞑想などにて改心し、改善により高尚なる人類を目指すべきとするモラルがある点(仏教系統はこの、人間的成長に寄る覚醒【悟り】を目指しています)

④最後の一つ
それは、『プライド』の肯定!
それをする点!!


これが果たすべき役割が、まだ多くは見えない人がいます。 
イスラム教などでは教義として用いられる思想


またこの ④の性で、少し話はややこしくなるのです!


プライド!それは七つの大罪(キリスト教義の1つの聖典)にて、
七つの大罪 ルシファーの
【傲慢の罪】!(ゴウマン)
そして、「誇り」とも訳する言葉!


これは即ち、誇りとして人間が持つべき、自立に必要な尊厳意識、とも言えるでしょうか

それか、または、強気なプライド!
その行き過ぎによる慢心!!
主張主義を強めるが故の、
【傲慢】と呼びます!


イスラム教 を例に話ましょう!

イスラム国家はなぜ現在、荒れているのか?

その本質とは?


つまり簡単な話にすると、ネ申 仕上げますよ!

イスラムが一つの国家で
大きくまとまっていた時代
オスマン・トルコ帝国がありました。
しかし、産業革命に成功した
ヨーロッパ諸国に敗退し、
そしてケーキをナイフで切るように、
地図に直線を引いて切り分けられたる事!
これに尽きるのです!

今でもトルコのあたりの国境を見ると、定規で引いたように
きれいな直線で大雑把に分けられている国々がある事がわかりますね。
元は一つの宗教 それを旗印に集った大いなる国家でした


これ(この状況に)立ち向かうべきとするプライドを持つべきか
それとも、へりくだり、
抗い、贖わ(あがなわ)なくとも、
先祖の霊に申し訳ないと思わずに、生きることを優先するべきか。

この二極化に、大きくは、イスラムの

プライドを取るか、平和を取るかの
選択があり、究極的にはそれが恐らくは最も国が一つにまとまれない原因を生んでいます。
また、まとまらない意見に、後継者(カリフ)の 権力(的な)争い、そして石油 権益なども混ざり合ってしまい、殺伐、混沌とした末…
世界に、社会全体に 報復の構えをとっている。そのような一部の教派を抱える。このような状況と呼べるしょう。


もちろん、第一次大戦後も何度も、地に落としてはならない、傷つけられてはならないとしてきた、プライドを傷つける出来事があり、それも積み重なっています。


簡単に日本に例えて言うと!
国土の沖縄がずっと占拠されているような状態!

または、四国や北海道や埼玉など、別々の国に統治されて痛みを持つ状況ですかね。

沖縄問題や漁島などで、まだまだ収集をつけられない、荒れを経験している
我々ならばわかるでしょう。

何年立っても消えない、魂を侮辱された記憶…
そう呼べるものがあるのです


傲慢なのは?
白人か?
それとも戦う彼ら過激派か?
それとも見て見ぬ振りを決め込み、アメリカ専横諸国を支持して資金援助などして来た日本?
それも、可能性として考え、持つべき目線ではないでしょうか?


第二次世界大戦前に、イギリスの不和を生んだ約束、そして白人社会の傲慢!

それだけではなく、あの地域には、様々な火種が隠されている。油田など地下資源


大戦後も、兵器商人が
死の商人と呼ばれてますが
彼らは、民族間争いの火の粉に油を注ぎ、燃焼し続けるように仕向けました。

争いをコントロールできるのは資本主義者たる自分自身であるという自負と共にに。傲慢となっていたのでは無いでしょうか?


また、テロ弾圧の為の、
誤爆含む空爆!

政権に混乱をきたす、政情不安定を生んだ 長年の欧米とヨーロッパによる国家介入!

これらは冷戦中にもずっと続いていましたね。

私達世界は、彼らを遠まきから眺め、世界紛争の火種になる可能性もあると思ったからもありますが、ずっと手を差し伸べずに見てみぬふりをし続けてきた。
これが、彼らから見た私達、日本人。

トルコには戦前ある程度、
交流がありました。

お隣、
韓国も思えば悲劇の国なのです

太平洋戦争後、
日本撤退時、
米国の進行を恐れた東側諸国(主に中国毛沢東の策)は、北朝鮮を建国させ!
東と西の戦いの前哨戦となる箱庭(仮想代理戦争の場)を、彼の地に築きました


そこでなら、中国やロシアとアメリカ西欧列強は、直接の火種は燃え上がらず、
大惨事たる 第三時世界大戦を抑止する効果もあり

世界は、容認して、北側のエリート主義 社会主義の国を、作り上げる事に協力。
そして2つの国は未だ、纏まっていません。
これは日本の敗戦の結果と呼べますが、それまで信じてきた日本という国に裏切られたという感覚は韓国にも残ったのではないでしょうか。

敗戦直後とはいえ、誰も彼も、彼ら元同国民である韓国、朝鮮には、気を配る余裕はないと生きてきました

アジアの因縁と呼べるかも知れません…



示し申す!


中東、イスラエルの地とは
ユダヤ教とキリスト教義にて神に約束された繁栄の地、
そして
イスラム教においては
神の言葉とされる絶対の道徳知識でもある
コーランを授かった。
ムハンマド縁の地! イスラム
月の石を置く、聖地宮殿のある土地。

それだけではなく

シルクロードで考えると狭きき道幅の内陸、どうしても通らざる負えない、多くの民族の流動で不和、紛争が起こりやすい土地!

そこに

コーランが降ろされたるは、深き理由があった、かも知れません
ね♬





この問題は、遡ると、プライドの何たるかを最も示すに足る、大きな聖戦の話に行き着く事になります。


ユダヤの商人は何故、
イスラム教を神の言葉による
正当な ユダヤ教の後継宗教と認めなかったのか?キリスト教は認めたのに

そこにも、大きな問題と、未知なる謎がありました

ユダヤの承認!証人!聖人(ショウニン)

同じ神の名前、ヤハウェイであり、また、ガブリエルという天使など共通の項目をも持ち、正当に預言者として
神の地上代行者とされ、

神に遣わされた可能性のある
ムハンマド
彼が直接、神からの声を聞き、その言葉を書き記した(預言の書)コーラン!

さて、それについては
幾らか見方があります。

公に残っている理由としては
コーランの内容に出てくる聖人等の有名な登場人物がすでに死去していたり、時代背景の違う人々が会話している状況を信じられなかったとされるところが大きい。とも言われ

これは、見解を変えると神の国、天国にての会話である可能性や時空を超えたテレパスシーに近い霊的イノセンスの可能性もある。

この問題については解決策は個人的には、もう見出しています…が、今回は少し本題から遠いので、これはここまでとします。
また機会あればまとめて‥
メシア その 神聖とは、について語らせてもらおうと思いますね。


ムハンマドは、
例えば宗教抜きの観点から見れば、平和をその地域にもたらす為に、長年続いた部族間の、無駄に近い宗教的争いを終わらせ、ユダヤ教系列の一派として帰依しても、国をまとめ、平和の橋渡しをしたかった  の… かも知れない。なども考えられます。が、


宗教逸話の観点を加えてみると、神の言葉を聞いた 「新たなる宗教を、その地に立てよ」との神意たる願いがあったのに、
それを道半ばで投げ出し、
しゅうごうせずに、
争いが起こり続ける地を平定せずに見続けるる。そうするしかない のか?

それとも、武力において国を起こし、
平和を唱える イスラム教を崇める信者達が暮らす為、この地を平定するのか?


このような迷い、葛藤があったと思われますね。

そう、その後 彼は、世界に版図を広げる巨大帝国の皇帝となり、宗教主義の国家を築き上げます。(世界王クラス。チンギスハンやバビロン王、ナポレオン クラスの王)


更には、彼の亡き後、暫くして、
オスマン・トルコ帝国は立ち上がり
預言者の後継者達が成し遂げた、大帝国と長き平和、平穏の時代。
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この回答へのお礼

イスラムの話、面白く読ませていただきました。

お礼日時:2019/12/18 00:10

現生活圏の外から、あるいは上から、宗教の教え=尺度をもって、生活圏内の事柄に対し、どう考え、どう判断し、どう行動すべきか、生活する、あるいは、人生を生きる上での、明確な判断基準を与えくれるのが宗教で、結果として、宗教は大切にされているのでしょう。

そうでなければ、結果として、必要とされないでしょうね。ちなみに、この物事を判断するための尺度基準を、criterionと英語で言いますが、このcriterionの崩壊のあと、何が訪れるのか?英語で、crisis危機が訪れる、と判断されます。つまり英語の観点で考えれば、人が危機crisisに陥らないために、宗教は、それなりに生きる上での、criterion判断基準、尺度を与えてくれるのだと考えます。
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この回答へのお礼

そのように宗教というものを認識する人間は、ほんのほんの僅かの人であって、
大多数は、直観的には何かを感じながらも、全く非科学的であると一蹴している
と思います。そういう時代の流れではないですか?

その後に、仰るような本格的な危機感の充満した時代が「来なければならない」
と考えます。

ですから、私は現代の「非哲学性」と「非論理性」をこれから追求したいのです。

お礼日時:2019/12/15 19:51

正しい知識を得るには、全てのものを疑うことの出来ない自明なものなのか否か問いかけることが必要です。

デカルトは、この方法的懐疑により、全ての知識を自明なものか否か検証して見ました。
 その結果、自明なことは唯一つしかないことが判明しました。それは、全てのものを疑っている自分が存在することだけは 疑うことが出来ないと言うことでした。 「我思う故に我あり。」です。それ以外は、正しいと思ってはいたが、そう思っていただけであることが分りました。 これが「無知の知」です。

 しかし、自明なものしか信じないのであれば、そこまでです。そこから先は、何を信じるかによります。
 心は、その中に宇宙を作り出しています。私たちが感じている宇宙は、心の外の宇宙ではありません。心が作り出した宇宙です。 心の外を覗くことは不可能です。心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。
 しかし、心は外界に似せて、心の中に世界を作り出しているのです。心の中では、1+1=0でも、1でも3でも何でも構いません。 心の中に在るものは、消えたり生じたりします。従って1つと1つ在ったものが消え去り0となっても良いし、 新しく生じて3になっても良いのです。決して増えもせず減りもしないと前提して、1+1=2としなければならない必要はありません。

 しかし、外界では、無から有は生じませんし、有が消滅して無となることもありません。エネルギー保存の法則が成立します。 従って、1+1=2でなくてはなりません。
 心が1+1=2に制約されている事実は、心の中の世界は、外界に出来る限り似せて作られていることを証明しています。 外界に1+1=3を適用すると、その行動は誤りであり、失敗するからです。
 従って、外界には、心で感じている様な世界が存在することを前提とせざるを得ません。

 ユダヤ教・キリスト教では、外界は神が創造したと信じます。
 ここに物が落ちたのは、ここに落ちるように、宇宙が作られているからであると考えます。そして、どうしてここに落ちたのかを追求し、 物体は外から力が加わらなければ、そのまま飛び出した方向へ等速運動を続けるが、落下距離は時間の2乗に比例する為、 放物線を描いて地上に落下し、ここに落ちたことを発見します。
 宇宙で起る全てのことは、必然であり意図されたものであると考えます。ですから、一見偶然に思える事柄に対しても、 必然であると確信し、その仕組みを解明しようとします。
 ある天才は、「神はサイコロを振らない。」と言いました。 これは、現象を確率で説明しようとする態度に対して、必然な説明をしなければならないと批判したものです。
 この様に、西洋では神が宇宙を創造したと言う確信により、自然科学は発達して来ました。

 それに比べて、東洋では仏が宇宙を作ったとは考えません。精神の中に仏が存在していると考え、内心の仏を追求します。
 宇宙は偶然出来たと考えます。物は色んな所に落ちます。物がここに落ちたのは偶然だと考えては、 落下の法則や万有引力の法則は思いつかないでしょう。
 無神論も同様です。ハッキリと必然と分ること意外は偶然であると考えたのでは、人に先駆けて新しいものを発見することは出来ません。

 神を持ち出すと、単純に非科学的であると非難する方が居られます。しかし、科学で全ての現象を説明出来るでしょうか。
 第一、物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。 物質の因果関係は、原因→結果=原因→結果=原因→結果・・・と続きます。原因があり、その為に結果が生じ、 その結果が原因となり次の結果が生じると言う順番となります。
 しかし、これでは最初の原因が存在出来ません。その最初の原因は、何らかの原因により生じなければなりませんが、それがありません。 物質のみでは、宇宙の始まりを説明できないのは自明のことです。

 また、コインのゲームを考えて見ます。コインを縦に立て、倒れて表が出れば私が勝ち、裏が出れば貴方が勝ちます。 科学では、このゲームで私が勝つ確率は50%、負ける確率も50%としか言えません。 しかし、現実にはどちらかが勝ち、掛け金を全て手に入れます。それを決めるのは何でしょうか。
 これと同じことは、素粒子レベルでは無数に起っています。完全に均衡している状態で、僅かな力が加わり少しの不均衡が生じると、 不均衡が不均衡を呼び次第に大きくなり、終にはコインは倒れます。

 確率は50%ですが、ほんの僅かな力が加わることで、表が出たり裏が出たりする。その為に、ある者は人生で成功し、ある者は失敗する。 その僅かな力が精神である可能性はあります。

 精神である私は、物質である手を動かすことが出来ます。肉体は動かすか動かさないかで物的に均衡した状態にあります。 ほんの僅かな精神の力を、物的に均衡した物質(脳)に加えることにより、手は動いたり動かなかったりします。 この様に、精神は物質を動かすことが出来ます。

 単なる偶然の連続で、この宇宙は進行しているのでしょうか。それとも、何らかの意図があり、僅かな精神の力が加えられているのでしょうか。

 宇宙の仕組みを完全に解明した時、物質だけでは説明出来ないことが残されたら、神の存在を証明したことになります。  この様に、宗教は全く科学的な態度であると言えます。

詳細は下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/syuukyouhahikagakut …
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この回答へのお礼

様々なことを深く思索されているといつも思います。

考えたいことがいくつも提示されています。極力、順を追ってまとめてゆきたいと思います。

哲学も宗教も本来、全く科学的な態度であると私も思います。それを、非科学的であると決め
つける一部の人間こそ非科学的でありますね。

お礼日時:2019/12/15 19:43
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