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現在、国語の授業で
「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。
文章の雰囲気は分かるのですが形而上学
というテーマそのものがよく分からないので
どうも、しっくりこないでいます。

「形而上学」というものをくだいて説明して
頂きたいのですが。。。

中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

すごい教材を使用されていますね。

大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。

お察しの通り岩井克人さんの論文です。
国語の教師も大学レベルだという話はしていました。。

回答、非常に分かりやすくて驚きです。
お仕事はこちらの方面なのですか??

ソシュールの言語論を理解するとこんなにも分かりやすかったんですね。
2回程読み返して深く深く納得してしまいました。
ソシュールの言語論は何故書かれているのか
よく分からなかったのですがここへきて
初めて意味のある文章だったんだと知りました。。


丁寧な回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/12/11 17:59

簡単に言うと、形而上学とは存在そのものを問うということです。



例えば、kazanaさん自身の存在です。
kazanaさんは、「○○という名前で、××という所に住んでいて、……」という人間であると疑わないでしょう。
しかし、それはkanazaさんという存在があるという前提に立てばの話であるはずで、あなたがどうしてここに「存在する」のかは名前や住所からは分かりません。

形而下学というのがあって、これは形而上学の反対です。つまり、これこれの存在が保証された前提で、議論をするのです。
形而下学のよい例は自然科学(数学とか物理とか)です。物理などは典型例で、「物質が存在する」という前提があるこそ物理法則が意味を持つのです。

逆に、形而上学は存在そのものを問題にします。
「なぜ私は存在するのか?」とか、「なぜ、私は私であって、私はあなたではないのだろう?」とか。
だから、形而上学は形而下学と比べて、メタ(上という意味)なのです。

「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文はよく知らないのだけど、推察するに、
『広告というものは宣伝のために使われているけれど、なぜ広告というもは存在しているのだろう?
なぜ広告という形でなければならなかったのだろうか?』
というのが論点なのではないでしょうか。

もちろん、その論文を読んだことがないから、私の論点の解釈が間違っている確率が高いだろうけど。。。
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この回答へのお礼

お礼、大変遅くなり申し訳ありませんでした。

皆さんの回答を読み、形而上学をやっとこさ
捉えられました。(理解にはほど遠いですが。)

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/27 19:16

ANo.1です。



もう少し一般論的な説明を追加します。

目の前に咲く花を見て「美しい」と感じることがある筈です。

このとき多くの人間は、目の前の花が一番美しいのではなく
どこかにもっと美しい「完璧な姿」のようなモノがあると
思い込みます。

もちろん多くの人間は本当に「完璧な姿」が存在したとしても
自分の目の前に現れることは多分ないと予測します。

しかし「完璧な姿」は概念的/論理的には語ることが出来る筈だと考えます。
ちなみに「完璧な姿」を哲学用語で「イデア」といいます。
完璧な美を「美のイデア」みたいに言います。
また「概念的/論理的には語ること」を「ロゴス」といいます。
この「イデア」を「ロゴス」で解き明かすのが「形而上学」です。

以下は蛇足。

1960年以降になると「ポスト形而上学」が主流になります。
ポストとは「後の」といった意味で
メタの「上の」と近い意味があります。
ポスト形而上学は、形而上学のロゴスに焦点をあてました。
ロゴス(概念的/論理的には語ること)は「言語」を使います。
簡単に言えば「人間は言葉で思考します。」

20世紀の初頭にフロイトに代表される精神分析学が「無意識」といった概念を提出します。
ここに「無意識は言葉で表現できないだろう」といった疑問が生まれます。
つまり「言葉は思考の道具として完璧なのか?」といった研究が始まります。
これは「記号論」などと呼ばれます。ソシュールなんて人が有名です。
この記号論を応用して、形而上学が打ち立ててきた「真の善とは何か?」などの論理的概念を
言葉のレベルでズタズタに解体したのが「ポスト形而上学」です。
ジャック・デリダなんて人が有名です。
※ポスト形而上学というよりは「ポスト構造主義」と呼ぶ方が一般的。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
NO1の回答と合わせてお礼させて頂きます。

やはり、目に見えないものと言うが基本なのですね。
教科書の補足だと物事の根本的なものを解明する~
と言った感じでしたが、一段上から捉えると
した方が分かりやすいですね。

ロゴス、イデアでの解説非常に分かりやすかったです。

丁寧な回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/12/11 17:52

うっへ~



私は広告を生業とする者ですが
広告の形而上学・・・なんて難しい響きでしょう!

形而上学ってのは「哲学」の一種で
簡単に言うと「一段上から見直してみる」ことなんです。

例えば、幼稚園のころ分からなかったことで
中学生になって改めて見直すと
簡単に分かってしまうようなことって沢山あるでしょう?
幼稚園のころは物そのものしか見てなくて
かえって盲目的になってしまって分からなかったことが
中学生になって、他の物との比較や関係などを考えながら
一段上から眺めてみたら「何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう!」みたいな。

形而上学は英語で「metaphysics(メタフィジックス)」といいます。
metaは「上」の意味。
physicsは「物理学」の意味。
物理学ってのは物そのものの特性などを探求する学問ですよね。
metaphysicsってのはphysicsの上から、物そのものでなく
相対化したり抽象化して見直してみよう、という学問です。

数学って今、勉強していると思うんですけど
数学はまさに数字の法則や使い方を学びますよね。
メタ数学(metamathematics)っていう学問もあるんですけど
それは例えば「数学は正しいのか?」みたいなことを問うんです。
もう少し数学的に言うと「数学は数学の正しさを証明できるか?」みたいな。
蛇足ですが、ゲーデルという人の「不完全性定理」なんてのが有名で
それによると「数学は数学の正しさを証明できない」そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB% …

形而上学というのはヨーロッパ哲学の主流なのですが
そこにはキリスト教的な視点があって
形而下(時間・空間の中に、感性的対象として形をとって現れるもの)が
人間の視点だとすれば
形而上というのは、詰まるところ「神」の視点なんです。

「広告の形而上学」とは、つまり「広告を人間の生活や経験の領域でなく
その上の視点で考える」といったような意味です。
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