No.39
- 回答日時:
今晩は。
お返事読んだのですが、やっぱりまだ分からないところが多いので問い返しですが。
>http://otasuke.goo-net.com/qa1443355.html
こういう視点(的外れ)もが投稿されていましたので
どの辺が的はずれなんでしょうか? わからなかったので・・
>集団全体が丸ごとで「中庸」化し、流動的に海外からの文化の輸入をも果たせた
これは、東洋的なところに持ってきて、中庸によって西洋的なものを受け入れる余裕が生まれた、という風な意味でしょうか?
>東洋哲学的な視点では、特殊性を見逃さない様に取り組む為に、
ノイズの混入を予防させ得る措置を講じてきた
ノイズ、とは具体的にどのようなものをイメージされてますか?
ーーーーーーーーーーー
>でも、たとえ東洋の伝統技術に要素還元論が盛り込まれていなかったと申しましても、此の表現の妥当性に、長らく私は疑問を覚え続けて参りました。
盛り込まれてない、というのはありえないですよねー。東洋の技術者も要素還元論を使ってはいますが、
ただ最優先事項ではない、というだけのことですから。
表に現れない、出さないようにしてる、ということだと思います。それの価値をあまり認めてないと思います。
価値観の優先順位の話だと思いますので。
というか僕自身がちょうどそんな日本人で、森を先に見て、その森を見た上で、なるだけ木も見る枝も観るようにはしてますが、先に森を見るのは捨てられません。
>『「中庸」は「無我による尊敬」と繋がり、
「止揚」は「称え合いの”respect”」と結び付いている』
厳密な証明は僕も持ってませんが、大枠そうだと思います。
止揚は、先に我が存在するリスペクトと同じで、2つの相反する我がぶつかり衝突して、上に上がるというイメージですし。
尊敬は東洋らしく、へりくだりも含めて、我を一時的にでもなくし頭を下げる感じはありますねー。
自分の立ち位置は変えずに、相手を上に持ち上げるとリスペクト。
自分を下にさげて、それで相対的に相手が上になることが尊敬、かしら。尊敬には謙譲も含まれてる気もします。謙譲と尊敬は相対的かと思います。言葉では区別できても、人の内面的に、この2つが区別できるものかなーという気もしてます。
真の尊敬においては、どちらも差はないと思いますが、概念とその形成には言われるとおり違いがあるのかもしれません。
英語では実際いつも「I、I」 と私が頭につきますし、とにかく主語主語主語ーで押しまくりますし、
日本語なんて、主語省きますもんね、しょっちゅう。
で僕もそれに慣れ親しんで日本で育ったのですから、そりゃそうなりますねー。
逆に生まれつき我の強い人は、ちょっと日本は生きづらいだろうか?という気もします。
貴重な御縁(特殊性)を見落とさない様に、
感受性を高めるべく、東洋医学では、
経絡の流れの滞りの原因(ノイズ)の為の技術を磨き上げてきたのではないでしょうか?
No.38
- 回答日時:
こんばんは。
37の補足を読んだのですが、何を問われてるのかよく分からないので、噛み砕いていってもらえたらと。
あるいは・・僕の勘違いで、質問されてるわけではないのかしら・・?
どっちにしても素人意見なので、割り引いてくださいね。
この回答への補足
すいませんでした。
そもそも東洋医学と西洋近代医学とを比べる際には、
『「森(全体)を見る」のか「木(部分)を見る」のか、という比喩』がよく用いられてきました。
でも、たとえ東洋の伝統技術に要素還元論が盛り込まれていなかったと申しましても、此の表現の妥当性に、
長らく私は疑問を覚え続けて参りました。
と申しますのも、
東洋の伝統技術の継承者達は、外から森を「透視遠近法図法」的に眺めているのではなく、
「天人合一」の語からも窺われ得ます通りに、
『内側で全体の成り行きに一体化するべく、
「視聴覚」の他の個性的な感覚をも動員してきた』
と少なくとも私には考えられ得るからです。
しかも此の事情は"respect"と「尊敬」との相違の根拠をも明らかにしてくれ得ますので、非常に重要な情報に繋がっていく筈です。
従いまして、伺います。
『「中庸」は「無我による尊敬」と繋がり、
「止揚」は「称え合いの”respect”」と結び付いている』
という認識に辿り着いたつもりでいるのですが、
其の解釈は誤りを含んでいますでしょうか?
非常にややこしい問題になっていますが、
私見で構いませんから、御意見の提供を宜しく御願い致します。
因みに、今後にも更に御付き合いへの御協力を下さると、
有り難いので、許して頂けるのでしたら、
未だに是を締め括らずに継続させて頂きたいのですが、
他の方からの御指摘が気になったものですから、
慌てて抽象的な表現を前回の枠に入力してしまいました。
http://okwave.jp/qa/q6621905.html
上記の様な興味深い項目が見付かりました。
此処への御返事もが上手く纏まらないせいで、
酷い遅延を辿り、御迷惑を御掛けしまして、
申し訳が御座いませんが、
相互に今後にも役立つ情報が揃いませんと勿体無く思われますから、
もう少しの御時間を下さいませ。
宜しく御願い申し上げます。
No.37
- 回答日時:
こんにちはー。
>『「文字が誕生する前」の時代に於ける手段の採用の方が、
「真理へのアクセス」の際には、遥かに適している』
という認識が適切なのでしょうか?
無文字時代とはこの文のことでしょうかー。
人類の歴史と個人の歴史は同じと思ったので思わず赤ちゃんに話を持って行きましたが、それが僕はそういう切り口で見てるので・・でも分かりにくかったですよねー。人の視点ですし。
そうではなく、言われるとおり受け取ると、今の文明より、大昔の文明の手段のほうがはるかに適している、のではなく、
それらが、今の文明に「足りない」のだと思います。言い換えると、今の西洋的な分析だってもちろん必要だけど、それだけでは片手落ちですし。
昔の文明がそんなにいいのなら、その後人類が色々変化する必要もなかったですし、赤ちゃんもオトナになる必要もありませんし。
だから逆に、大昔の文明には、今の文明のようなものが足りなかった、だから今に向かって変化したと思います。
物の言い方にもよりますが、
>『「文字が誕生する前」の時代に於ける手段の採用の方が、
「真理へのアクセス」の際には、遥かに適している』
という表現が上のような意味を含むんだったら、この言い方はそのとおりだと思います。
上を含んだ意味であるなら、「主観的」には、言われるとおりだと思います。
いい大人が今から赤ちゃんに戻るのがおかしいように、でも反面正しいように、
人間の歴史を見ても、これまで人がやってきたことが無駄とかではなく、それだけじゃまだ足りない、それを補うために、大昔の時代の手段を見直す、それによって現代の文明に、失われた手段を加えること、西洋医学と東洋医学の融合、のようなことは、不可欠と思います。
2つの医学の使い分け、でもいいとは思いますが、それより、それら2つを内包する統一的な視点がほしいですねー。
昔の手法とはある種の、いい意味でのプリミティブさ、原始性かなと。
東洋と西洋は止揚すべきでしょうし、宗教と哲学、心理学なども止揚したらいいのになーと思ってます。というか同じ人の脳が考えついたものなのに、バラバラの分野で林立してる事自体、それらの不完全性を示しているも同然ですから。
一個の独立した分野がある(哲学でも宗教でも)=不完全さ、という風に、極論ですが思います。
この回答への補足
有り難う御座います。
伺いたい言葉が綺麗に纏まらない故に返事が遅くなりまして、
申し訳が御座いませんでした。
『「木を見て森を見ない」西洋近代的な遠近法に対しまして、
東洋の伝統的な視点では、「森を見て木を見ていない」』
とよく言われ続けていましたが、
現実の東洋的な伝統技術の力量を発揮させている場面では、
「森の中へ潜り込んで」おりますので、
安易に「視聴覚」中心の考え方を其処へ当て嵌めたがる判断を鵜呑みに出来なかろう、と思って参りましたから、
矯正の為の「締め括り」にもなり得る御教授を宜しく御願い申し上げます。
http://otasuke.goo-net.com/qa1443355.html
こういう視点(的外れ)もが投稿されていましたので、
適切な見解を連続的に提供して頂ける展開に感謝しています。
多くの哲学的な質問への回答が「逆引き」を拒み易くなっている故に、
それ等の中からBestAnswerを選び出している判断の根拠が分からない、という印象を受けやすいので、此のページでは、
『「中庸」と「止揚」との違いを確実にさせたい』と願う意志の下で、
長らくの御付き合いへの御協力を御願いしておりますから、
とても嬉しく思います。
因みに、丁寧な御協力を下さった御蔭で、
現時点では次の通りの段階に至っています。
『西洋近代的な思想の下では、
相手達を称えるrespectの為に、対象を冷静に「比較」すべく、
自己と他者達との間での思想的な「分析」を徹底した過程の御蔭で、
「止揚」が誕生し、それに対しまして、東洋哲学的な視点の下では、
自分が分析される「御縁」を御互いに受け入れ合う為に、
御互いに遜り合う「表敬」が採用されてきた御蔭で、
集団全体が丸ごとで「中庸」化し、流動的に海外からの文化の輸入をも果たせた』
という考えが纏まりました。
従いまして、此の内容に紐付けさせたい疑問が御座いますので、
御意見を纏めて頂きたいものですから、伺わせて下さい。
『西洋近代的な視点では、
秩序から例外を排除する為に、結果を分析しているが、
東洋哲学的な視点では、特殊性を見逃さない様に取り組む為に、
ノイズの混入を予防させ得る措置を講じてきた』
という解釈は妥当なのでしょうか?
No.36
- 回答日時:
こんばんは。
「芝居」も、もっともだと思います。
以前言われてた、時制の一致もそうですし、ほんとにたくさん例をご存知ですねー。
これだけ色いろあると、全体像も浮き彫りになりそうな感じもします。
言葉の意味や構造に敏感というかなんというか・・
>『東洋医学の様に患者達との距離を広げない認識(?)の下では、
共同体の外部から其の「秩序」を眺めさせて貰い難いですので、
「混沌の成り行き」に自分達の「縁起」を任せやすくなるのだろう』
切り口がとても独特で、特徴的ですよね。
秩序を眺めさせてもらい難い、とは、客観視のようなものですかねー。
この回答への補足
度々の御協力を賜り、助かっています。
因みに御指摘の内容の意図は、下記の通りの物です。
『西洋近代の透視遠近図法的な視点は
客観的な情報の「同時的な共有」をも助けてくれていますが、
東洋医学の臨床の場合には、
患者の方々との「間身体的なセッション」が重視されていますので、
作者が物語の全貌の生成を共同体(造化神?)の働きに委ねる「連歌」と同じ様に、「内部からの融合(中庸)」の為に、距離の設定を行なっていなかった』
という事を想像しまして、私は其の表現を用いました。
因みに前々回の返事に盛り込みました「無文字時代」なる言葉には、
『文字が発明される前の原始時代』という意味を託しておりますので、
御意見を伺えますと、嬉しいですから、宜しく御願い申し上げます。
No.35
- 回答日時:
21,27,33です。
以前、質問は接ぎ木しないで新しく分けるようにとの旨を、運営から告げられたことがありました。
新しい質問を並立されてはいかがですか。
>『「第3人称」の「再帰代名詞」を利用して、動作主達が自分達自身を目的対象化させていく』
自分を目的語にするという文法と世界認識との関わりについては、外国文学科で言語学を専門にしている方の紀要論文がいろいろと見つかると思います。ときどき見かけますがわたしは読もうとしたことがありませんのでお役に立てそうにないです。
出身大学があれば図書館で閲覧できると思いますし、他大学からの取り寄せも可能でしょう。
市区町村の図書館でも取り寄せられるかもしれません。
> という透視遠近図法的な距離設定
おっしゃる文脈のなかでの意味が、わたしには取りかねます。
遠近図法は何よりも紛い物として、眼球の中にあらわれる世界として、法則性と整合性を持っているものだと思いますが、それを利用して遠近図を作成したときに、確かに距離設定が生じてきましょう。
描かれようとしている対象物は、消失点ではないことはいうまでもないでしょう。
もしかすると次の質疑はどこかしら参考になるのかなと薄々感じます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6052608.html【「間身体性」とはなんですか。】
わたしが遠近法を喩えに使ってお答えしました。
>『「霊気」の掌握と「言語」による認識とが干渉し合ってはいなかったのでしょうか?』
ガレノスの霊気説は、神経系の知識がなかった間、そのかわりを埋めていたわけです。心臓を動かすとか、脳でものを考えるとかのしくみを説明する理屈です。
背景には、霊魂の実在という思想がはたらいています。霊気説が人体の知識でない部分を埋める、という意味では、霊魂が言語把握の外をつかさどる、というのも同じ構図でしょう。プラトンから得られるものはないでしょうか?
何かひとつのテーマを詳しく消化していくうちに、一緒に解けてくるテーマもあるようです。
わたしは今回はこれで打ち止めとさせていただきたいと思います。
この回答への補足
此処で終わりになる展開は、強い寂しさを感じさせますね。
「諸行無常」ですか?
『「間テクスト的な成り行き」の効果が此のサイトでも期待され得る』
と考えていたのですが、誤っていたのですね。
東洋の「氣」は「霊魂」と似ている、という印象を強調なさった文献もが流通してますが、矢張り違うのだろう、と思われます。
私は決して会員社からの御支援を募れませんが、
世間の啓蒙の為に協力し得る道筋の模索を続けさせて貰いたいものですので、御力を貸して頂きたい、と思われますから、
今後にも機会が御座いましたら御指導を下さいませ。
No.34
- 回答日時:
>『統合の内部に所属していますと、
「時制の一致」の様な「秩序」の全貌を掌握し得ませんが、
「諸行無常の成り行き」に自分達の縁を任せますと、
「混沌」が自分達の立場の見直しをも促してくれる』
という事なのでしょうか?
こんにちは。全然個人的意見でいいですか。
混沌、という言葉で真理を表現する人は初めて聞くので、ちょっと心もとないのだけど、
混沌が、超越概念的なものだとするとです。
そうだと、もう言われるとおりですよね。全くそうなんですが・・
問題は、本気ではなかなかそう思えないということです。前にも書いたですが。
本当に、混沌が立場の見直しを促してくれる、と上辺や論理でなく、人生の真実だと思い切るのは命がけですし。
微妙に訂正したいところは
混沌が立場の見直しを促してくれるのではなく、混沌以外立場の見直しを促すものはない、ということが現実だと思うのですが、なかなかそうは思えません個人的に。
それが、「リアリティー」であると、確信する事になりそうですが。
心臓が動くことも言葉をしゃべれることも混沌あってのことなんですが、
大人は、「そんなの当たり前」ですます解釈を、何百何千何万と脳みそに蓄えているので、
そしてそういう思い込みがそれぞれ連動して構成される世界を現実だと思って生きてる以上、
あらためて、それらの無数の思い込みを訂正して、世界と自分のすべてが全て混沌による促しだと思い切るのは、
世界を裏返しにするような、判断や決断がいるように思うので・・
あまりはっきりと言いにくいところです。
僕もいつも本音に問うところですが。
理屈はそのとおりだと思うのですが、シビアな質問ですー。
この回答への補足
有り難う御座います。
『東洋医学の様に患者達との距離を広げない認識(?)の下では、
共同体の外部から其の「秩序」を眺めさせて貰い難いですので、
「混沌の成り行き」に自分達の「縁起」を任せやすくなるのだろう』
と考えまして、先の通りに申しておりました。
多彩な表現で実際に役立ち得る解説を提供して下さって、
非常に助かっていますので、もう少しのお付き合いを御願いしたいものですから、伺わせて下さい。
『日本の伝統的な舞台芸能が「演劇」と呼ばれず、
客の行為が盛り込まれた「芝居」なる名称が採用されている、
という事情もが、「対象重視」の日本的な発想に起因している』
と思われますでしょうか?
長い対話への御付き合いを御願いしまして畏れ入りますが、
貴重な御意見を賜れなくなる展開は勿体無いですから、
何卒宜しく御願い申し上げます。
空いている枠への入力で御邪魔を致しますが、御容赦を下さい。
『一般的な「直接話法」と西洋的な「間接話法」との峻別の為に、
「時制の一致」もが必要になっているのだろう』
という事情を鑑みまして、此のサイトへの加入の前から、
私は東西医療の技術的な相違の根拠を長らく求めてきましたが、
此の質問欄への投稿の御協力を賜れる迄の「熟成」を始めて実感させて頂けましたので、本当に嬉しく思っております。
因みに「文字が誕生する前」という表現を盛り込みましたが、
其処では、「原始時代」という意味を託しておりましたから、
『其の頃に於いて御先祖様達がどうやって真理へのアクセスを叶えていたのか』、という問題に関しましての御意見を伺えると、
助かりますから、御協力を御願い出来ますでしょうか?
No.33
- 回答日時:
21,27です。
>『世の東西を問わず、自然の猛威に曝された際に、古代の御先祖様達はそれ等の現象を神仏の霊力と見做して、受け入れてきた』ということなのでしょうか?
質問者さんの中で何がどう繋がり、自然現象=神仏の霊力 に思いが及んだのかはよく判りませんが。。。
おっしゃるところに即して考えますと、神話を持つ文明ではいずれも、内容は自然現象を反映していますね。受け入れるという意味が、万象の原理を神話として認識するという意味でよいのなら、古代王朝や古代都市文明にはそのロジックが共通に働いています。
インドでもメソポタミアでもエジプトでも紀元前20世紀より前に神話を見つけることができますが、質問者さんはそれらの自然観に興味があるわけではないでしょう。紀元前20世紀~10世紀の話をしたところで、東洋医学と西洋医学の同異の話にはならないです。紀元前10世紀~紀元3世紀の話では幾分似通った事項がみつかりますね。地中海(エジプト~ギリシャ~ローマ)・メソポタミア(バビロニアを継承するペルシャ~ローマ)・インド(アーリア人のインド)・中国のいずれでも、天文と占星術が発達して医術と結びつきます。占星医学に興味があれば調べてみてください。
> 次のサイトによりますと、仰る通りの説が強調されておりました
サイト紹介をありがとうございます。サイトでは、罪を未然に防ぐための民衆への威嚇説と、ほぼ内容的にそれを敷衍しているものの、罪を犯すと神の怒りを買うという図式で民衆を教育するのだという池上氏の説、それからサイト運営者の意見として「正式に裁かれなければ神の怒りに触れる」というのが紹介されていると読みました。
>『神仏等の「真実在」からの「教訓(?)」を「秩序」化させたのか否かによって、東西文化の発展が、是程の格差を齎されたのは、何故なのか?』
んんん、キリスト教での、神はロゴス也、神は掟也、となるのは何故だろうかという疑問なのでしょうか。難しいですね。
少なくとも、前提として、人間の社会共同体が言語をもつときの、自然の万象から事象を掬い取って秩序づけるという認識のありかたを、 "ロゴス"の働きであるとして、その前と後ろに分ける思考がキリスト教にはありますね。分析と類推という思考法をギリシャ哲学から受け継いで神学の理論付けをしてきた土壌によりますし、ストア派からスコラ哲学へ展開し、ルネサンスでも再びギリシャ哲学の取り込みがあったためです。
一神教の理論をギリシャ哲学で固めたのはキリスト教の強みですね。プラトンの「一なるもの」やプロティノスの「一者」およびそれから流出したヌースという考えが焼き直されていくのです。
まあ、文化にはおのずと言語と世界観があるわけですが、漢字圏などでは万象がそのまま一つの文字や数語の文字に写される感がありますから、掬い取って秩序づける理性と全一性などがことさら対峙しないのではないかなとわたしは思います。一文字に宇宙の認識がありますもんね。
>『下記のサイトによりますと、「カメラオブスキュラ」の原理は、アリストテレスによって発見されているそうですが、若しそれが介在しているのでしたら、「陰陽五行説」と「霊気説」とは別の概念なのではないでしょうか?』
もとより別の概念ですが。。。陰陽五行説と類似性があるのはむしろ、#21で「古くは占星術的であり類推の賜物でした。身体や草花の外観と性質は、星の性質(と考えられたもの)に対応させられていました」と書いた部分ですね。
霊気説の医学はガレノスに始まります。14世紀のペスト流行でもこれに頼るしかないのですね。基本的には人体は霊魂支配という考えなのです。『ガレノス 霊魂の解剖学』という本はご興味がありましたらおすすめです。
ところで光学がどのように介在するとお考えですか? ちょっと文脈がわかりませんでした。
遠近法などの光学は、神のロゴスの認識の"前"側の追求でもあれば"後"側の儚さの追求でもあったでしょう。遠近法にご興味があればバルトルシャイティスは一読をおすすめします。論説は説得力に欠けるところもあるのでさておき、史料は多く博学なので面白く読めますよ。
この回答への補足
有り難う御座います。
『専門分野の史料へ綴られた情報の寄せ集めと違い、
複数の分野の間での越境が叶ってこそ、
新たな閃きもが導かれ得るのだろう』
と私は考えておりますが、中々機会に恵まれず、
困っておりましたので、色々と情報が揃えて頂き、嬉しく思います。
尚、『霊気の捉えられ方が文化圏によって変化させられ得る』
と私は認識していましたが、その理由は、
『「時制の一致」・「再帰代名詞」の存在』です。
つまり『「第3人称」の「再帰代名詞」を利用して、
動作主達が自分達自身を目的対象化させていく』
という透視遠近図法的な距離設定が、西洋の伝統的な言語認識の基本を築いている筈ですので、
その発想が「(伺った)霊気説」にも反映されているのではないか、
と思われたからです。
そこで伺います。
『「霊気」の掌握と「言語」による認識とが干渉し合ってはいなかったのでしょうか?』
恐らく、こういう内容は史料に記載されていないのではないか、
と思われますので、御教授を頂けると幸いです。
No.32
- 回答日時:
こんにちはー。
>『「文字が誕生する前」の時代に於ける手段の採用の方が、
「真理へのアクセス」の際には、遥かに適している』
という認識が適切なのでしょうか?
文学が誕生する前=言葉を覚える前、子供や赤ちゃんの頃、と受け取っていいですか?
仏教などでも、悟りは赤ちゃんと同じ心境なのか? という疑問がありますが、
僕個人としては、心境としては同じだけど、自覚としては違う、と思います。
なったこと無いのですが、あるいは赤ちゃんより上かもと思います。
禅では 父母未生以前の本来の面目 とも言うそうです。
真理についた人は、それをそうだと知ってます。一方赤ちゃんは知らないので、成長と共に真理からどんどん離れますから。
言葉を覚える前が正解だと思っても、それが本当にそうなんだろうか?という大人の知恵と疑いの鋭いメスを寄せ付けないほどの完璧な真理だ、という確信がなければ、恐ろしくて、そんなノーガードの心理状態に、今更もとには戻れないはずです。
単なる部分的把握の確信じゃなく、全人的な、自分や人生の全体性で受け取る真理、という感じでしょうか・・ 自分の人生との完全な整合性マッチングといったような。
天人合一でも、なるほどそうらしいと思っても、実際に出来ないのは、そこの問題をクリア出来ないからと思います。僕もそうなんですが。
父母未生以前の本来の面目というように、心境としては赤ちゃんと同じと思いますが、
一方違いとしては、赤ちゃんや胎児は真理に無自覚ですが、真理を知った人は当然それが真理を表す状態であることを妥当と思っているはずです。
というか真理と一体なら、その人自身が真理を表しますし。
私が真理を知っている、などという因果関係すら、すでにそこにはないはずです。そういう把握できるものじゃないと思うからですが。
つまり、言葉以前の状態に戻る、というのは半分正解で半分は、間違ってるというか違う側面もあるように思います。
言い方変えれば、この世を疑いだすまでは、幼子なら、天人合一は当然過ぎて自覚がないと思うので、いちいち気にしてないように僕は見えます。
つまり、アイデンティティー、それも全体を包括する、自我を超えたアイデンティティーの成立は、赤ちゃんにはなくて、悟った人天地人をひとつに観る人にはありますから。その違いは大きいです。
ある意味同じ、ある意味違う、と思います。
>私の学習の中で纏まっていなかった内容を説明して下さっていて、
本当に助かります。
そ、そうですか・・思いつくまま書いただけなので、そう言われるとこちらも助かります。
無関係なこと書いてないか気にしてたので。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>『英米語で「時制の一致」が適用されている理由もが、
「空間重視」の考え方に直結するのでしょうか?』
時制の一致って何? と思って調べたら、これもぴったりの例を引用されますねー。こういう例をピックアップされるのがとても上手というか、僕は気づいてなかったので。
例文でこんなのですが
I knew she was beautiful. というものですね?
確信はないですが、
英語では感性より把握が先に来るのはホントですねー。あらためて。
日本語だと、感性による対象への感情移入、言い換えると相手を主と観る視点が普通なので、
時制も、対象の時制を優先したい気持ちになりますけど、
つまり、時間の基準の取り方が相対的ですね日本語って。
英語では、今の自分から見たら,私が知っていたのも、彼女が美しかったのもどちらも過去に属します。
よく言えば自分を見失わなしい、悪く言えば融通きかないですが。
英語では自分基準にするところはぶれないみたいです。
そっか、日本語では空間的にだけじゃなく、このように時間的にも対象の方を主と見ることをやってるんですねー。
論理的には英語が正しいけど、イメージ的には日本語のほうがシンプルに感じるんですが・・
・・・ちょっと今考えて、細かいところがうまくあわないので、大雑把にですが。
英語のこういう文法はややこしいですねー。日本語のほうが合理的だとおものだけど・・
この相違点は、天動説と地動説を連想します。
天動説みたいに地球を中心に考えたら、理論はとても難しくなるけど、地動説のように太陽を、あるいは銀河など対象を主に中心に考えたら、理論的に数式的にとてもシンプルに表現できる、という不思議があります。
言葉の文法と、物理の(数式の)文法は似てるのかもしれません。
この回答への補足
様々な視点からの考察への御協力を下さり、
誠に有り難う御座います。
応用の幅が広がりませんと、
折角の御教授の内容が勿体無い、と思われますので、
更に深めたいものですから、確認をさせて下さい。
『統合の内部に所属していますと、
「時制の一致」の様な「秩序」の全貌を掌握し得ませんが、
「諸行無常の成り行き」に自分達の縁を任せますと、
「混沌」が自分達の立場の見直しをも促してくれる』
という事なのでしょうか?
もし支障が御座いませんでしたら、御教授を御願い申し上げます。
言語が発明されていなかった頃の御先祖様達の自然観と、東洋的な身体操作技術との繋がりは、新しい科学技術の模索の為にも、非常に重要になるのでしょうね。
枠が勿体無く思われますので、此処への入力を致しました。
No.31
- 回答日時:
システムエラーで投稿できませんでした。
おかしなことになりすみません~続きです
ちなみに僕は超越概念としては、神を好むのですが、そのあたりは人それぞれですし、僕が神を信じるのと、真理が意味不明であることは全く矛盾しません。
僕には真理は神だとしか思えないのですから、これは仕方ありませんし。質問者さんなら、天人合一と脳裏に浮かぶのですから、それがいいのだと思います。
いつも方向性である超越概念と、真理そのものをダイレクトに示す、「&#?〄;$※♂(右)?」 を、必要に応じて使い分けます。
合一や大同、というのはバラバラだったものがひとつにまとまる、という方向性でそれは統一への途中経過であり、過度期を表現する言葉です。
違うものがひとつになる、というのは、同一化、一体感、の延長線上にあると言ってもいいと思います。
またこういうイメージを持つことは、実際真理への道で、とても役に立つのじゃないかと想像します。・・・まだ途中の僕が言うのは変ですが。
でも統一してしまったら、もうバラバラという対立概念すら消えるので、そこでは統一という概念もありません。真の統一はばらばらを排除しません。
真理でない場所から真理を指さす言葉と、真理そのものを理解しようとするときの言葉(言葉ではもう無いですが)は、違う、という説明でした。
そんな概念的になんにもなくなるようなゴールなど気にせず超越概念を追求する、というのももちろんありで、それも含めて、個人の嗜好によるかもしれません。
最重要課題という言葉で調子にのって主題を外れてなければいいのだけど、僕も人にこう言うの書くのは初めてでなんとも心もとないのですが。
この回答への補足
有り難う御座います。
私の学習の中で纏まっていなかった内容を説明して下さっていて、
本当に助かります。
今迄の内容を振り返りまして、ふと思いつきましたので、
しっかりと抑えておきたいものですから、伺わせて下さい。
『英米語で「時制の一致」が適用されている理由もが、
「空間重視」の考え方に直結するのでしょうか?』
伺った内容への理解に関しましての漏れが残ると、
非常に勿体無く思われますから、御教授を御願い申し上げます。
http://okwave.jp/qa/q6548489.html
此の項目への回答の内容を拝見しまして、
応援の為に、私もが其処への御邪魔を致しております。
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