

哲学の素人の質問ですみません。
本を読んでいると、「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」という言葉に出くわすことがあります。英語の本でlived experienceという言葉も見かけたことがありますので、「生きられた」はlivedにあたるのかと思われますが、「生きられた」の意味が今ひとつピンときません。
「世界を生きる」「経験を生きる」「体験を生きる」「live experiences」という表現があれば、「生きる」が受動態で用いられても不思議ではないのですが、そういった表現はあまり見かけないように思います。
どなたか教えていただければ、ありがたいです。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」に対置する言葉は、、「普遍的世界(客観的世界)」「普遍的経験」「普遍的体験」ではないかと思います。
「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」などの言葉には、その背景として、個々人の認識を離れた「客観的世界」とか、「普遍的経験/体験」などと言うものが本当にあるのかという疑問があると思います。実際にあるのは、個々人や、それぞれの民族が見てきた世界であり、また、個々人やそれぞれの民族が経験/体験してきた内容が有るだけなのではないかということです。
だからこそ、イスラエルとパレスチナの紛争があり、日本では、高校生が家族を焼死させたりという問題が起こるのではないかと思います。従って、個々人の心の内側から、実際に世界がどう見え、何をどう体験しているのかを問題にする必要があり、そのことを強調するため、「生きられた世界」「生きられた経験」「生きられた体験」などの言葉が生まれたのだと思います。
No.3
- 回答日時:
出拠、出てきた文章の前後を出してもらえれば少しはっきりするのではと思いますが・・・・・・。
単純に敬語、尊敬語という感じもしますが。
この回答への補足
さまざまな本で見かけたり、ホームページで出てくるので、出典の特定はできないのですが、現象学の影響を受けた社会学について書かれた文章でよく出てくるように思います。生活世界についての議論のなかでよくでてくるように思います。(といっても、ハイデガーも、シュッツも、ハバーマスもきちんと読んでいない私には、生活世界の概念そのものをきちんと理解していないのですが・・・。)
補足日時:2006/07/07 20:09No.1
- 回答日時:
少し前に流行った、存在や現象を扱う本だと思いますが、哲学や思想の本はとにかく説明をしやすくするために造語を多様します。
また、著作者の癖が出やすいし、難解な文章も多いです。その辺を考慮して読む必要があります。ググルと以下のような文章に遭遇しましたので引用します↓A.シュッツの主著の英訳版では、「Erfahrung=経験=experience」に対して、「Erlebnis=体験=lived experience」とされている[Schutz,1967:50. ff.]。"lived experience"を「生きられた経験」と訳す妥当性の吟味はともかくとして、ここに私たちにとって必須の問題を解くべき鍵が蔵しているようにみえる。
参考URL:http://www.wakhok.ac.jp/~harie/experience.html
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