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プラトンのイデア論っ何ですか?
教えてください
それを理解するために、何の入門書お勧めですか?

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A 回答 (6件)

簡単に説明しますね。



好きなアイドルや俳優の写真を持ってますか?
持ってなくても持ってると思ってくださいな。
(テレビ番組でも映画でもドラマでも何でも構いませんが写真で考えましょう)

でもその写真は本物のアイドル(俳優)ではないですよね。
写真のもととなってるアイドル(俳優)が真実で、
逆にその写真に写ってるアイドルは言ってみたら偽物です。

真実であるそのアイドル(俳優)本人がイデアなんです。
(イデアは真実。イデア界は真実の世界)
そして真実である本人の姿を見たことがないのに・・・
僕達はいつもその偽物(写真)を見て恋し焦がれる。
それでもその真実のアイドル(俳優)に憧れて、もっと知りたいと思う。
これがエロース。

つまりイデアは現象界(僕達が住む世界)における物のカタ。
アイドル(俳優)そのものがカタで、
現象界に住む僕達はカタで作った偽物(写真や映像など)しか見れないのです。。

簡単に言えばこれがイデア論です。
かなり省きましたが・・・。

※エロース:イデアを恋し慕う事
※ちなみに人間も一人一人名前が違うように十人十色。
つまりイデアに真実の唯一の人間がいて、そのカタを元に現象界でたくさんの人間が創られた。


参考URLも分かり易いと思います。
NO.4さんがお勧めのソフィーの世界もかなりイイと思います。
では哲学頑張ってください。

参考URL:http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html
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プラトン自身はイデア論という言葉は使っていません。

後の世でプラトンのイデアについての思考をイデア論としていると思います。プラトンのイデア論を最も的確に理解するにはニーチェの著作やハイデガーの著作を読まれることが早道かと思います。
イデアの世界と現象の世界という2つの世界によって成り立っている。イデアの世界が真であり、現象の世界はそれの不完全なコピーに過ぎないという考えでしょう。これは中世のスコラ哲学では「天国とこの世」という風におきかえられていきますが、前述のニーチェはそのような世界観を完全と否定しています。(アンチクリスト/善悪の彼岸参照) 否定しているような著作物はその反面で良き理解者の書いているものともいえ参考になると思いますのでご一読ください。
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プラトンだけに限らず、哲学に興味がおありでしたら、読んでみてください。


「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル著 NHK出版
物語形式で、哲学を楽しく読めます。かなり内容を削った形で映画も出ていますが・・・
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実証的でない、合理的でない、科学的でない、世界です。

この世は物質でできた3次元世界ですが、その背後に真、善、美、の実相の世界がある、すなわち
「イデアの世界」がある、と説いてます。
仏教で言えば、金剛界、胎蔵界、と称される世界と考えてよいですね。
実在界(実相世界)の様子や転生輪廻の仕組みを明確に説いています。本来の魂の世界を説明しています。
師であるソクラテスは客観的真理の実在と知徳合一を説き、問答法によって、「知」の本質を述べました。
プラトンはイデアこそ真の実在であるとする観念論哲学を体系づけました。
プラトンの思想の核は、霊界思想であり、現代に蔓延する唯物主義と、全く逆の開いた社会の哲学であります。
やや同時代、釈尊が天国地獄や、あの世の世界、を説きました。孔子が、天帝と呼び真理を説きました。
2千5百年経っても尚、人を惹きつけてやまない、
これらの真理価値は真実のものであると確信できます。
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イデア論はプラトン著の「饗宴」で述べています。



 イデア界:生滅、感覚をこえた永劫不滅の世界。(これが真理、理想の世界、イデア界)

 真・善・美をイデアとして善を最高として、この道徳的善に向かって努力するとき、魂は清められ、さまざまな徳が実現されるとしました。
 
 このイデアの世界に憧れる魂の活動は、人間の本性としてここでいう憧れを「エロス」と呼びました。
     
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KAWADE夢新書の「哲学者たちは何を知りたかったの?」という本がお勧めです。


とてもわかりやすく哲学のことが書いてあります。
最近読んでよかったと思う本です。
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Qソクラテスの無知の知は矛盾していませんか?

ソクラテスの無知の知についてです。
高校の倫理でソクラテスのことを学び、
その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。

ソクラテスは、
「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」
と習いました。

しかしここで思うのが、
ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、
これを同じく返されたらどうなるのでしょうか?

ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか?
ソクラテスに対して、
「あなたは実は無知であることを知らない」
と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?

Aベストアンサー

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテスは考えます。
俺が一番賢いわけがない。


ソクラテスは、この神の言葉は間違いであることを証明しようと試み、自分より知者であると思われる、評判高い人々を訪れるわけです。その人達の職業は詩人であったり大工であったり様々です。


ソクラテスは彼らが自分よりも知者であることを期待して訪ねたのですが、話をしてみるとどうも勝手がちがいました。


といのも、彼らは確かに専門的な知識はソクラテスよりも優れていました。しかしそれに奢って
「徳であったり、本当に善いものに関する知識」
を持っていないにも関わらず知ったかぶりをして話をしていたのです。


その一方で自分は、徳とか善きものについて知らないということを自覚している。
その点で彼らよりも自分は賢い。
ソクラテスはそう考えました。


ここでソクラテスに初めて「無知の知」が自覚されます。


「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。

といのも、
「知っているものが何も無い」
という状態ではなく
「知らない(不知)ということを知っている」


と解釈しているからです。

ですから、質問者さんが問うように
「ソクラテス、あなたは無知(不知)を知らない」
と言われれば、きっとソクラテスは
「いや知っている、自分は善とか徳については何も知らないことを知って(自覚して)いるよ」
と答えると思います。


付け加えるなら
「ぜひ教えてくれないか、君も知らないならば一緒に探求しようではないか」
とも言いそうです(笑)



気になるようでしたらぜひ『ソクラテスの弁明』を実際に読んでみてください。文量は多くないので気軽に読むことができると思いますよ。


長文失礼しましたm(__)m

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテ...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Qルソーの一般意思ってなんですか

ルソーが言った一般意思っていうのはなんですか?
全体意思との違いなども簡単に教えていただけるとうれしいです。
ウィキペディアなどで見たのですが、どうも私には難しすぎてさっぱりわかりませんでした。
なんか高校の政経の授業で一般意思は代表しない、とか
なんかそんなようなことを先生が言っていたような言わなかったような、、、でもうろ覚えなので意味はわかっていません。
素人なのですがわかりやすくおしえていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

なるべく簡単に書きます。
簡単すぎて、不十分な点はあると思いますので、ここらへんをもっとくわしく知りたい、という問題意識がおありでしたら、補足要求してください。

国家というものはどうつくられるべきか、ということをルソーは考えます。
単独で、孤立した個人が集まって作る国家はどういうものが望ましいか。
それは、ひとりひとりが自己の利益を脇に置いて、共同体全体の利益を考えるような、そういう意識をよりどころに結びついたような共同体である。

ひとりひとりの利益を追求するのが「特殊意志」
「特殊意志」を単純に加算していったのが「全体意志」
「一般意志」というのは、社会契約のもとに集まった、共同体の意志です。

そこでは、各個人の意志は「一般意志」にすっぽりと呑みこまれていきます。
ルソーは『社会契約論』でこう言っています。(引用は.「社会契約論」 『世界の名著 36 ルソー』所収)

-----
この社会契約のあらゆる条項は、よく理解されるならば、ただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員は、自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡すということである。それはなぜかというと、まず第一に各人はいっさいを譲り渡すので、万人にとって条件は平等となるからであり、条件が万人に平等であるなら、だれも他人の条件の負担を重くすることに関心をいだかないからである。
-----

重要なのは、「自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡す」という点。
個人は社会契約を結ぶ時点で「特殊意志」を捨て、「一般意志」に委ねるのです。

つまり、個人は個人の自由を手放し、共同体の一員となることによって初めて真に自由になれる、とルソーは考えたんです。「特殊意志」を捨てて「一般意志」のもとにみずからを従属させることで。そうすることで、人間は自己のもつ最高の可能性が発揮され、最高の自由を手に入れることができる、と。

なるべく簡単に書きます。
簡単すぎて、不十分な点はあると思いますので、ここらへんをもっとくわしく知りたい、という問題意識がおありでしたら、補足要求してください。

国家というものはどうつくられるべきか、ということをルソーは考えます。
単独で、孤立した個人が集まって作る国家はどういうものが望ましいか。
それは、ひとりひとりが自己の利益を脇に置いて、共同体全体の利益を考えるような、そういう意識をよりどころに結びついたような共同体である。

ひとりひとりの利益を追求するのが「特...続きを読む

Qエロスとは?

エロスとは何ですか? エロスという言葉は、文脈によって、以下のように様々な意味で語られているように思えます。(1)に限定していればわかりやすいのですが、(4)まで広がってしまうと、そもそも「エロス」って何なのか、さっぱりわからなくなります。

(1)性欲、性愛、男女間の愛
(2)男女間の愛よりも広く、人間一般への愛、隣人愛・人類愛などを含む。
(3)人間への愛だけではなく、物事への愛を含む。知識欲などを含む。
(4)もっと広げて、「生きる」ことへの情熱、あるいは、欲望全般。

結局、「エロス」って何なんでしょうか?

Aベストアンサー

エロスはもともとギリシア神話における愛の神の名で,ローマ神話におけるクピド(キューピッド)に相当します。
あらゆるものを結合する力を擬人化したもので,アフロディテ(ローマ神話ではヴィーナス)の子とされます。

エロスは人間の娘プシケと恋に落ち,アフロディテが課した過酷な試練を乗り越えて恋を成就させます。
このことから,エロスは(1)のように恋愛・性愛を指して用いられるのが一般的です。

(2)のような無償の愛,神の愛はアガペーと称され,エロスとは対比されることが多いと思います。
(2)や(3)をエロス含めるのは,たぶんプラトンにおける独特の用法ではないでしょうか。
『肉欲から始まり,愛の上昇の種々の段階を説き,最高の純粋な愛は美のイデアに対するあこがれであるとし,
エロスは真善美に到達しようとする哲学的衝動を意味する』(広辞苑第五版)
というのがプラトンの説です。

また(4)は,フロイトの精神分析における用法に近いものです。
フロイトは生の欲動(本能)の意味でエロスの語を用い,晩年にはこれを死の欲動(本能)であるタナトスと対置させました。

エロスはもともとギリシア神話における愛の神の名で,ローマ神話におけるクピド(キューピッド)に相当します。
あらゆるものを結合する力を擬人化したもので,アフロディテ(ローマ神話ではヴィーナス)の子とされます。

エロスは人間の娘プシケと恋に落ち,アフロディテが課した過酷な試練を乗り越えて恋を成就させます。
このことから,エロスは(1)のように恋愛・性愛を指して用いられるのが一般的です。

(2)のような無償の愛,神の愛はアガペーと称され,エロスとは対比されることが多いと思い...続きを読む

Qプラトンと三つの比喩

「太陽」「線分」「洞窟」の比喩の中で、知、無知、思惑(臆見)の三つの認識状態をどのように区別しているか、教えてください。

Aベストアンサー

 
  まず、わたしはまことに無知であるので、このような問題について確かにこうであるとは言えないということを前置きします。参考URLにある、プラトーンの『国家編』からの引用の文章を読んで、どういうことか考えてみました(本当は、この本は読んでおかねばならない本なのですが……「プラトン全集」は何のためにあるのか、と思います。本棚に並べているだけですね)。
 
  三つのこと、知、無知、臆見が問われていますが、ここでは、「無知」はどう扱えばよいのか分からないので置いておきます。最後に無知について考えてみます。
 
  引用のプラトーンの文章からも読みとれるように、プラトーンは、真理論について、「真知(エピステーメー)」と「臆見(ドクサ)」の二つの審級を立てました。また、感覚的認識と、知性的認識(または叡智的認識)の二つの認識の審級を立てました。プラトーンは色々なことを言っていますが、真知とドクサについては、これを区別しましたし、感覚と知性も、これを区別したことは事実です。
 
  人間は、認識能力として、感覚認識と、知性認識の両方を持ち、また、知識については、多くの人は、臆見に捕らわれているが、賢者は、真知を得ることが可能だとされます。無論、この場合の「真知」に更に、審級があるでしょうが。人間の身で、完全な真知、善のイデアーそのものを認識することなどできないからです。
 
  「太陽の比喩」では、太陽が善のイデアーの比喩になっています。そして太陽を認識する時、とりあえずは、感覚的認識で、それはまばゆいものだとか、熱いものだとか、光っているものだとか、色々な認識がある訳で、これらは、太陽という実在については、個人個人の思いこみで、臆見(ドクサ)のレヴェルにあるとも言えます。太陽そのものは、臆見の知識の上に、知識の源として、実在としてある訳です。そして、善のイデアーは、これを認識するには、叡智的認識が必要であるが、それでも、我々が認識できるのは、あるものは良い、それ故、このものには、善が分有されているというようなことで、善のイデアーそのものは認識できない実在として、超越的に留まっていると言うことが言えます。
 
  ここで、「太陽」が「善のイデアー」の比喩であるというのは、太陽は、単に、感覚的に認識され、臆見としての知識の源であるだけでなく、光を放射し、ものを育て、生成するという積極的機能を持っていると言うことです。普通の感覚的認識の対象としての実在と違い、実在を生成する役割が太陽にはあるというのです。これと類比的に、善のイデアーも、事物、実在を生成し、生み出す能力があると言います。善のイデアーはイデアーのイデアーとして静的に認識や観照の極致にあるだけでなく、実在を生成し、実在を支え、実在の根拠であるというのです。これは、新プラトン主義の「一者」からの事物・実在の階梯的生成・流出の原理論であるとも言えます。
 
  「線分の比喩」においては、一本の線分を二つに分け、一方を、叡智的認識の領域とし、先の善のイデアーの認識の領域、他方を、感覚的認識の領域、先の太陽の領域として、更に、この領域を、同じ比率で、分割し、全部で四つの領域を考えるのです。後の分割は、感覚的認識の領域で、似像あるいは影像(エイコーン)の領域と、その像の元になっている原像の領域とします。例えば、鳩なら、鳩の実在に対し、その感覚的認識の像としての影像(エイコーン)としての「認識像=臆見」があるのです。真の鳩の像、真知の鳩は、原像の側にあります。
 
  このような原像と影像の関係を、叡智的認識の領域に類比的に当てはめ、この領域の影像の領域に当たる部分では、魂は、感覚的認識の臆見は克服して、感覚的な認識の原像の真知を捉えているとしても、そこから、考えを知的にめぐらして、結局、自己の思いこみのなかで自己完結し、真の認識へと進まないという認識者=魂の段階に対し、他方の、原像に当たる領域では、魂は、感覚の臆見を越えた真知を手がかりに、知性の臆見を克服しようと、叡智への道を探求し、ものごとの本質、究極的には、善のイデアーへと、真知への道を一歩一歩進んで行くことができる段階・領域だと述べているのです。この第四領域の探求が、魂の愛智者としての望むべきありようで、この段階・領域に、諸々のイデアーの真知があるという比喩的な話なのだと思います。
 
  「洞窟の比喩」は、参考URLに載っていませんが、これは有名な比喩で、我々は暗い洞窟のなかにいるのであり、奥の壁を見ているのです。すると、壁には、色々なものの形が見えていて、我々は、この形を見て、馬はこういう動物であるのか、とか、悪い人間とは、こういうことをするのか、とか認識するのです。それは、感覚的認識の場合もあれば、知性認識の場合もあるでしょう(此処は、少し不確実ですが。比喩の訳文の部分でも参照しながら書けば、もっと正確になるのですが)。
 
  しかし、我々が壁に見ていたものは、実は、洞窟の外にある太陽あるいは、光の源が、元の原像に光を当て、その影が実は壁に映っていたのだとすればどうなるのか。わたしたちの認識は、事物の本当の姿ではなく、その影、影像(エイコーン)を見ていたのではないのか。エイコーンを元に感覚的に認識を行い、ドクサに捕らわれ、あるいは知性認識で、感覚のドクサを脱して、知性の真の知識を得たと、「思いこんでいた」だけではないのか。壁の方ではなく、洞窟の表を見れば、何が影の本来の原像であったか、更に、影を造っていた、光の源も見えるはずである。しかし、私たちには、振り返って背後を見ることが許されない。可能ではない。それ故、影像を元に、知性ある者でも、原像は何であろうか、光源は何であろうかと、臆測するだけである。
 
  しかし、叡智ある者は、事物の原像とは何かを知ることができるであろうし、魂の叡智的探求においては、原像の背後の光源そのもの、すなわち、イデアーのなかのイデアーである、「善のイデアー」とは何かの真知へと、近づくことが可能なのではないのか。その場合、神話という方法で、光の輝きを防ぐしかないのであるが。
 
  ここで、知(真知=エピステーメー episteemee)と臆見(ドクサ doksa)の関係が出てくるのですが、無知(アグノアイ)はどこで出て来るのかということです。或る意味、真知と臆見の懸隔や、感覚的認識と叡智的認識の関係を述べているところで、実は、無知が語られているのだとも言えます。臆見の上に真知があると言うことは、臆見を持つ者は、自分では「知識ある者(ソポス)」と思いこみながら、実は「無知な者」であるとなる訳で、知を持つ者も、その上に更に審級の高い真知があることを思うと、自己は無知であると悟らざるを得ないですし、何よりも、「洞窟の比喩」は、人の存在のありさまが、根元的に「無知」であることを語っているとも言えるでしょう。感覚的認識に対する叡智的認識の真理の審級からも、無知は出てくるのであり、真知の道は限りないということになり、また、その道を歩み始めると、常に自己が「無知」だと悟らざるを得ないということでしょう。
 

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/village/good/platon.html

 
  まず、わたしはまことに無知であるので、このような問題について確かにこうであるとは言えないということを前置きします。参考URLにある、プラトーンの『国家編』からの引用の文章を読んで、どういうことか考えてみました(本当は、この本は読んでおかねばならない本なのですが……「プラトン全集」は何のためにあるのか、と思います。本棚に並べているだけですね)。
 
  三つのこと、知、無知、臆見が問われていますが、ここでは、「無知」はどう扱えばよいのか分からないので置いておきます。最...続きを読む

Qメタファーとは

メタファーとはなんでしょうか?まったく意味がわかりません。
何かわかりやすく説明しているいいサイトなどありましたら合わせてよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミル。
「彼は執念深いこと、蛇のようだ」……「ようだ」がありシミル。

メタフォアはこれに対し、

「彼はまさに希代のキツネだ」
「彼は蛇だ」

前者のシミル(直喩)では、「ように」などがあるのとは別に、「何を喩えているのか」が、明示されています。彼がキツネなのは、「ずるさ」が比喩されています。彼が蛇なのは、「執念深さ」で比喩されています。

しかし、後のメタフォア(暗喩)では、どこがキツネで、どこが蛇なのか、明示されていません。「ように」とか「似て」は、「キツネのように狡猾だ」「蛇に似て執念深い」などで使うので、何を比喩しているのか明示する言葉が来るのです。

彼はキツネだ。彼はイヌだ。彼は蛇だ。……などは、よく使う比喩なので、メタフォアの形をしていても、前後の関係から、何がキツネで、何がイヌか分かります。「キツネだ」というと、狡賢いになりますし、「イヌだ」というと、誰かの忠実な手先だという意味です。

シミルの形をしていても、どこが比喩なのか分からないシミルもあります。例えば、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥のように彼は穏やかに微笑した」というのは、「穏やかさ」を比喩するシミルですが、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥」が、どういう関係で、「微笑の穏やかさ」になるのか、よく分かりません。

こういうのは、形の上では、シミルですが、実質はメタフォアになっています。

メタフォアというのは、「詩」で多く使われますし、効果的に使うと、非常に印象的になります。

「兵士は、獲物を探す鷹の目で、遙か眼下の平野を見下ろした」というのは、おそらく、「鋭い視線・注意深い視線・鷹のように獰猛な意志」などの比喩なのでしょうが、読む人によって色々なものが、想像され、了解されます。

「西欧中世の古風な宮廷舞踊会の毎日のように、時が傍らを過ぎ去って行った」というのは、「ように」がありますが、これはシミルではありません。時間が経過したというのは、分かるのですが、どういう風に経過したのか、その部分がメタフォアになっています。

華麗に過ぎ去ったのか、繰り返しのように過ぎ去ったのか、静かに過ぎ去ったのか、典雅に過ぎ去ったのか、退屈に過ぎ去ったのか……読む人により、前後の文章により、色々なイメージや意味になります。

つまり、何か「比喩」なのですが、意味が明白でない代わり、イメージや雰囲気があり、「暗示的な比喩」であるのです。

メタフォアが多い文章というのは、イメージや雰囲気は豊かなのですが、それで何なのかが分かりにくいような文章です。メタフォアのイメージや雰囲気を味わうことが意味あることになります。

「新月の夜の緑の沼の眸で、スレートの笑いを彼は頬に浮かべた」では、何のことかよく分かりません。「暗い緑の眸で、スレートのように硬い笑いを彼は頬に浮かべた」なら分かります。「スレートの笑い」は、シミルで言えば、「スレートのように硬い」になるのです。

しかし、そう言ってしまうと、イメージや雰囲気の余韻が出てこなくなるので、メタフォアという、何をどう比喩しているのか、イメージなどは分かるが、それが何を意味するのか、自分で味わって了解しなければならない修辞の形式を使うのです。

メタフォアというのは、文章修辞の典型で、詩の本質は、このメタフォアのできぐあいに係っているという見解もあります。

また、以上は、文章修辞のメタフォアですが、メタフォアは、人間の概念思考に常に付随するもので、あらゆる芸術や日常生活にも、メタフォアが関係するというのが、一般的な考えです。三番目のURLは、かなり難しい文章ですが、メタフォア論になっています。

>日本語の修辞法―レトリック
>http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two

>特別企画 第六回 比喩
>http://plaza5.mbn.or.jp/~gendaibun/kikaku/kikaku0601.html

>メタファーと認知
>http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html
 

参考URL:http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two,http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミ...続きを読む

Q哲学の授業でレポートを書くのですが・・・

テーマを、「主体の構造 自己意識と存在への開き」「意志の構想と意義への問い」「人間の共同存在の哲学的解明」のどれかから選ぶのですが、本を調べようにも一体何に関する本を探したらいいのかもわかりません・・・。
何でもいいので、何かヒント・キーワードなど教えてください!お願いします!

Aベストアンサー

 
まず、何の質問をされておられるのでしょうか?

哲学概論または哲学通史の授業のレポート課題で、こんな問題が出るはずはないとおもいます。もっと特徴的な哲学者に固有の用語を使っている場合とか、タームとしてある程度限定されたものを使って課題が出されている場合、それは、誰の考えにあるとか、いうはなしになります。

けれども、ここまで一般的で、しかも現代哲学のテーマであると同時に、哲学史を通じて問題になっている主題をあつかう場合、これだけでは、何のことか分かりません。

つまり、授業で実際に、どういう話を先生が行ったかで、全然、考える方向が違ってきます。

たとえば、「人間の共同存在の哲学的解明」とは、「間主観性」の問題を尋ねているのか、または、独我論に対し、哲学はどのように、主体の共同存在性を確保してきたのか、という問題を尋ねているのかで、答えが違ってきます。また「間主観性」といっても、独我論に対する反論として問題が立ちます。

「主体の構造」「存在への開き」「人間の共同存在」というと、現代哲学の問題のようにおもえますが、カントの哲学についての現代からの批判的展望として、こういう問題を立てることもできます。

これは、先生が授業で何を話したのか、ということが問題になります。授業に出ていれば、これらの課題で、何を尋ねているのか、分かるはずです。何か具体的な、特定の話や、現代倫理学概論のような話が、授業で行われたのだとおもいます。

だから、こういう問いは、その先生の授業を受けていたひとに、どういう哲学者の名前がよく話に出ていたか、どんな話があったか、参考書として何があげられていたか、を教えてもらうほうが、よほど有効です。

その上で、さらに、質問するというのは具体的なアドヴァイスが可能だとおもいますが、現在の質問内容では、アドヴァイスはできません。

これらの三つの課題を眺めると、現代倫理学の実践的課題についての理論的考察の問題のようにおもえます。そういう概論的話を、先生が授業でしたのだとおもいます。

現代倫理学入門というような本をみると、これら三つの課題に対応した問題提起が記されている可能性があります。内容を確認していませんが、比較的に安くて、入手しやすい本として次のような本があります。

>> 「現代倫理学入門」講談社学術文庫
>> 加藤 尚武 (著) 文庫 (1997/02) 講談社
>> 価格:¥820

次のような本もあるようですが、高いですし、入手は難しいとおもいます。(内容は分かりません)。

>> 「エチカとは何か―現代倫理学入門」
>> 有福 孝岳 (編集) 単行本 (1999/11) ナカニシヤ出版
>> 価格:¥2,400

現代倫理学入門というのは、新書で、そういう本がいくつか出ているともおもいます。授業に出ていたひとに尋ねることと、もうひとつ、大きな本屋に行って、現代倫理の入門書を探してみて、目次を見て、先の三つの課題に対応するような問題があつかわれているようなら、その本を参考にするのがよいでしょう。

本全体を読む必要はなく、それらしい話のある部分をもとに、自分なりに、課題に合うように、まとめるのがよいでしょう。
 

 
まず、何の質問をされておられるのでしょうか?

哲学概論または哲学通史の授業のレポート課題で、こんな問題が出るはずはないとおもいます。もっと特徴的な哲学者に固有の用語を使っている場合とか、タームとしてある程度限定されたものを使って課題が出されている場合、それは、誰の考えにあるとか、いうはなしになります。

けれども、ここまで一般的で、しかも現代哲学のテーマであると同時に、哲学史を通じて問題になっている主題をあつかう場合、これだけでは、何のことか分かりません。

つまり...続きを読む

Qソクラテスの『善く生きる』

ソクラテスの『善く生きる』という言葉の意味をできるだけ簡潔にまとめたいのですが、どのようにしたらよいでしょうか。私は専門が理学系なので哲学は未履修です。高校の倫理の教科書を借りて読んでみてはいるのですが、いまいち内容に合点がいきません。

Aベストアンサー

ソクラテスの『善く生きる』ですか。
ソクラテスやプラトンが用いる「善く」という意味がわからないと答えようがないですね。
かれらの意味する「善く」というのは単なる道徳や慣例・知識ではないのですね。神の目から見て「正しいこと」を「善く」といっているのですね。
ソクラテスの時代も現代も同じですよ。殆どの慣例や知識が神の目から見て「正しいこと」ではないので、『善く生きる』ということは「ラクダが針の穴を通るほど」難しいことですね。
とはいえ、回答としては「あなたの良心に従い生きること」が『善く生きる』に一番近いと思いますよ。
知識や道徳ではなく「良心」というのがみそですね。
とはいえ何か例がいりますかね。例えば、葬式の後の塩なんかは慣例ですが、だれが始めたのかも不明、効果も不明、単なる迷信ですが多くの人が信じて実行していますね。正しくないのでこんなのまねても『善く生きる』にはならないということですね。多くの知識や道徳・慣例などもあなたの良心に従い見直しながら生きるということですね。

Q読みやすい「イデア論」は?

プラトン著「イデア論」を読みたいのですが
いままで哲学書なんて読んだことも無く、
敷居が高すぎて躊躇しています…。

初めての「イデア論」として、お薦めの本を
教えてください!

Aベストアンサー

「イデア論」の入門書ではないのですが、
哲学の入門書として「ソフィの世界」をお勧めします。

主にヨーロッパの哲学を時代順に追っていく形式なので
それぞれの思想の繋がりなんかもわかりやすいのですし、
物語になっているので(少々分厚いですが)読みやすいと思います。

Q住民票、身元証明書を取る際に必要なもの

住民票と身元証明書を市役所に取りに行きます。印鑑などいるのでしょうか?必要なものを教えて下さい。

Aベストアンサー

H20.5から窓口での本人確認が法律で義務化されています。
つまり、本人確認のため、
運転免許証、パスポート、
住基カード、健康保険証などが必要です。
ただし、顔写真がないものは、複数の提示を求められることがあります。
あとは、ハンコと手数料ですね。


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