性格いい人が優勝

近頃は、宗教についての話題が多く、あれこれと話がありますが、雑然としていて
まとまりが全くないように思えます。

宗教については現代の日本では時代としては「否定」だと思います。ただ、一人ひと
りの本心は「どうだろう」ということは思います。

1.宗教に必要性があるとお考えの方御意見をお願いします。

2.宗教と言うものの本質を論じていただいた上で、批判をお願いします。

3.北伝仏教(大乗仏教)の哲学について、優れているとお考えの方、ご意見をお願いします。

4.北伝仏教(大乗仏教)の哲学について、批判してください。

5.聖書の哲学についてお願いします。

6.コーランの哲学についてお願いします。

質問者からの補足コメント

  • そのほかの宗教についても結構です、お願いします。

      補足日時:2019/11/13 01:28
  • この質問の意図は、信仰を持っている方が、現代社会の中のクウキでは
    言いにくいであろう、宗教論を訊きたいということと、このクウキの中
    ではテキトーなことも、すんなりいえるであろう宗教批判を、キチンと
    した形で訊きたいということであります。

      補足日時:2019/11/13 03:36
  • 創価学会についてでも結構です。

      補足日時:2019/11/13 09:38
  • 宗教の下劣な批判には、「なりすまし」という方法が昔からあるという
    のも定説になっているようです。

      補足日時:2019/11/26 06:01
  • 少し考えました。

    強者の威嚇に対しては、民衆は「自分たちを守ってくれる力」であるという風に「曲解」して従うものであると、映画を見たりとかとか歴史物小説を読んで思ったものです。

    また、それとは別に、人間の心の中には「賢者のイメージ」があるということを、心理学の本の中に書かれてあったことを覚えています。
    どうも、この二つを長い間混同してきたのが人類なのではないかと今思っています。そして、そういった混同を整理するための認識の仕方を人類は習得すべきだと思います。

    >弱者の中に希望を見る事

    大変に重要な点だと思います。しかし、弱者の中に希望を見出すためにはどうしたらいいのでしょうか?現実社会の中では弱者はあくまで弱者でしかないといえると思うのですが。

    No.35の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/26 08:28

A 回答 (54件中21~30件)

no33如月さんに補足すると、


鍵は希少性。
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この回答へのお礼

ふむ。

お礼日時:2019/12/01 17:23

宗教の本質とは何か、少し思いはせてみます。


今たまたま私のPCの壁紙が赤い日に染まる富士山の写真です。富士山は、一つの信仰の対象となっていますが、これはこの山に神々しさ、美しさ、大きさ、などといった感覚を持ち、しかも時に噴火するこの山に畏怖するから信仰の対象となるのだと思います。
信仰が発生するには幾つかの条件が必要で、それは気高さや美しさ、大きさ、力、災厄と祝福、などを併せ持つものがその対象となるのではないでしょうか。ですので、山岳、天体(太陽など)、海、などは信仰の対象になっています。
一方で、小さいもの、弱いもの、醜いもの、卑しいものなどは信仰の対象とはなりません。
例えばカブトムシなどは子供には人気ですし、昆虫の中でも立派な虫だと思いますが、信仰の対象になっているというのは聞いたことがありません。蟻にしても、小さな体にすごい力を秘めているのに、小さいと言うだけで軽んじられているようです。

また、人間にしても、優れた人間、力のある人間、数奇な運命をたどった人間、偉業を成し遂げた人間、権勢をふるった人間などは、時に神としてまつられたりします。国の礎を築いた人(国父)が神になったり、力ある戦士が軍神になったり、将軍が神になったりすることは昔からある事ですね。一部の人間もまた信仰の対象になります。

そして、宇宙そのものとか、遠くの銀河や星なども、ニューエイジ思想においては信仰の対象になっています。しかし、腸内細菌の善玉菌や、白血球は人体と言う小宇宙の中で非常に象徴的な役割を担っているにもかかわらず、小さいという理由で信仰の対象にはなりません。

要するに、人間は自分より遥かに優れたもの、大きいもの、美しいもの、強いものなどに畏怖や憧れをもって信仰する、これが一つの宗教の本質だと思います。つまり信仰の対象に比べて自分は劣っており、小さく、醜く、弱い、このように考えているわけです。そして、そのような自分は信じるには値しない、このようにも思っているかもしれません。

もう一つの視点としては、信仰の対象になる人間が持つ考えや志向性とはなにか、という事です。
つまり賢聖や聖王、軍神、国父たちはどのような者であるかということですが、これらのものたちは自ら道を求め、道を見出し、その道を歩いた人々であったと考えられます。その道が智慧の道だったのか、善の道だったのか、闘いの道だったのか、建国や政治の道だったのか、色々あるとは思いますが、そのような道を自ら行った者たち、そのような者たちが、結果として信仰の対象になってしまったのだと思われます。

ですので、支配、被支配の構造は、圧倒的多数の弱者の自己卑下と、強者崇拝が基礎となって形成されていると見てよいと思います。

根本的に、宗教の欠点や、世の支配構造を瓦解させようと思うならば、

  ”自分より弱いもの達を信じる道を見出す事”

となると思います。

自分より偉大なものを信じてしまうと自己を損なう。自分が偉大な者になってしまえば他者を損なう。
しかし、自分よりも小さなものを信じて、道を達成する。

そうすれば偉大とか矮小とかいった両極の束縛を完全に断ち切って、人間は自由になれるし、ずっとやさしくなれる。

このように考えられました。
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この回答へのお礼

>支配、被支配の構造は、圧倒的多数の弱者の自己卑下と、強者崇拝が基礎となって
形成されていると見てよいと思います。

なるほど。

私は、人間の信仰心というものの本質は、「物自体、第一原理、究極の実在」などと
表現される宇宙の本質というべきもの(私はそれがあると信じています)を、潜在意識
で感じ取ったものであると思います。

それは、誰にでもある認識能力だと思いますし、能力であるから、個人差もある。で
すから、感じ取ったものもそれぞれで、煙のように漠然としたものから、ありありと
したイメージを持ったものまでありうると思います。
その能力が、太陽や山、海など自然崇拝を生み出したのでしょう。

それが、世界三大宗教に取って代わったのは、一つは本質に対する表現が支持された
ということ、二つには権力と結びついたこと、三つには強い布教がなされたというこ
とであると思います。

このうちの、「権力と結びついた」ということが私は宗教の本質を分かりにくくして
しまったと考えています。

私が知っている範囲では、聖書もコーランも神が人間を支配するという考え方はあっ
ても人間が人間を支配するという考え方はないと思うんです。
それが、祭政一致・政教一致によって、人間が神の代理から、神そのものになってし
まったケースもあったということです。

ここいらは微妙で難しいと思いますが、丹念に考えねばならないでしょう。

次に、弱者の自己卑下も強者崇拝も、私は強者の「威嚇」によって生じてきたもので
あるということを申し上げたいと思います。

昔は権力者の持つ武力等で威嚇し、制裁、粛清的な法の適用で押さえつけ、支配体制
を固めてきたと思います。
現代は民主主義の意識が高まってきたので、その支配の仕方も巧妙になって、大変に
分かりにくくなっていると見ています。
また、一般大衆の中での支配・被支配(精神的な)が顕著になっているというのが現代の
特徴であると思います。

例えば、企業の中での立場、正規雇用か非正規雇用か、とか、収入の額であるとか、男女
(近頃は女が男を威嚇することが多いかも)、若いか年寄りか(年寄りは威嚇されていますね)
等々、自分の小さな支配体制を築くのに一生懸命に見える節もあります。

現代は威嚇するかされるか、だ。なんて言った人がいましたよ。

お礼日時:2019/11/22 12:30

no.31です。



どうか誤解をなさらないでください。
概念ではなく、今回に限っては「支配があるかぎり平等ではない」ということを言っているわけですね。
数千、数百、数億の人間たちが何を考え、何を定義しようと、支配があるかぎり、結局ヒエラルキーはどうあがいてもヒエラルキーのままだといっているのです。何も変わらないんですよ。
賢い人々はそれを知って諦めています。足掻けば足掻くほど、泥沼のように己の人生まで狂わされるからです。
過酷な辛い人生になるとわかっているなら、周囲に流されて生きた方がまだましだからですね。

しかし、人生をかけて足掻く人間も社会には必要です。
過去の偉人たちは失敗を繰り返し、諦めず試行錯誤してきたからこそ偉業を成し遂げました。
たとえ、馬鹿げていると周囲に言われても諦めない人間が必要なんですね。
そして、人々はそんな彼らの数えきれない努力や成し遂げた姿を見て初めてあなたのいう「人々は興味を持つ」ということが起こるのです。
あなたが求めているのはそんな「現実世界での、実際の行動を伴った思想」ですよ。

現段階は単なる思想の入り口です。誰も知らない景色を求めるならば、あなた自身が冒険をしなければならない。
欲しいものは自ら行動してのみ手に入れられますが、それには相応の努力や苦痛も伴うでしょうね。損失も大きいかもしれない。しかし、偉人たちが皆通ってきた道です。先進的な考えは、道がない場所に道を作ることです。
ピリッとした表現は道がない場所にあるわけです。だからこそ、ご自分で進みつづけたら得られるわけですよね。あなたが欲しい答えはそこにしかないのですから。
他人のなかには端からないわけです。ただ、他人の思想の中には前進を促すヒントが点在して隠されているわけです。
それをあなたがどう拾い、どう繋ぎ合わせるかによってあなたが欲しいものを得るため「何をすればいいのか」という次のヒントへ導き出されるわけですよ。
未開のものを得るには、けして楽はできないということです。
そういう意味では、質問したあなた自身が問われていると思いませんか?

他人が実際は何を言いたいのか、きちんと要点を拾えているのか。
知り尽くし、わかりきった言葉の中にこそ本当のヒントがあるんですよ。
偉人たちはそれを拾ってきたんですよ。リンゴが木から落ちる様を見ただけで、答えを得るヒントになった。何気ない事柄の中にすら答えがあるからですね。

本来であれば、自発的に発掘しに行き冒険をすることは「楽しい」と思うものですよ。そこには無限の可能性があるからです。
自らの肉体は刻々と老いてはいきますが、精神的に成長し進化しつづけることができるのですからね。その喜びを知っている人々は己の行いに誇りを持っています。辛いことがあっても、試行錯誤をやめません。
私はそういう人々を見てきましたので、あなたにもその意味を伝えたかったのですが。私の言葉では恐らく難しいのではないかと思います。実際に体験されなければわかりようがないこともあるのでしょう。

思考に限界を感じられたら、実際に行動されたほうがよろしいですよ。
私自身もそうですが、先入観を持つ事をやめなければ、新しい思想は手に入らないものです。
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この回答へのお礼

現代社会に危機感を持って、何かできることをしたいという志は感じます。

「すべての人は平等だ」

「支配があるかぎり平等ではない」

その通りです。要は、その支配関係を終了させるにはどうしたらいいかということになります。
宗教の創始者も哲学者も思想家も、少なくともそれを求めたと思います。

その数々の哲学・思想の中で、最も優れたものが自らが信奉する哲学だと考えています。何が
優れているかと言えば、一つはすべての人間は平等であるということと、人間が一番尊いとい
うことです。

その哲学を、思想化・文化化することが、これからやりたいと思っていることです。

お礼日時:2019/11/21 04:01

no.26です。




この話自体に関してはあなたが理解していないというわけではなく、一般的に間違った認識をしている人が多いということですね。


ーー権力者に染まった思想とは、どのような思想と言えますか?
ーー本来の宗教にある真理とは、どのような思想と言えますか?

それはもう既に書いていますとおりです。

「すべての人は平等だ」
これが本来の真理です。それ以上でもそれ以下でもないのですよ。
人間には個々によって能力にばらつきはあるが、上下関係などの優劣はない。ただ地上の上に自然の恵みを得て生きながら互いのできる事をし合い、互いを助け合って生きる。貧しい人々が宗教を拠り所にしたのは、そういった生活に根付いた思想に共感されたからでしょうね。誰か少数が特別ではなく、皆が特別である。命ある特別なものだからこそ、皆が大切だ。

しかし、権力者に染まった思想にはつづきがあるんですよね。
「すべての人は平等だ。しかし、権力者は例外である」
この場合の権力者は、王族・皇族・政治家だけでなく、創始者もですね。創始者に当たる人物を特別視・神格化している。そして、その後に生まれた様々な宗教においても創始者を特別視する傾向がある。
この時点で矛盾を作り、平等の概念がすっかり崩れ去っているわけです。確固たる地位のある存在を認めているからですね。
神=恵みを与えてくれる自然です。その自然の前に、地位を巡り競う合うこともなく、互いのありのままの姿を認めあう世界を目指した創始者と呼ばれる人々にしてみたら悲しい話ではないのでしょうかね。
支配があるからこそ競いがあり、競いがあるこそ支配があるが、その連鎖には何の意味があるのだろうかという疑問もあるからこそ世界に向けて「教え」として訴えたというのに……。
(この場合の競争は、技術を磨くために切磋琢磨することとは同一ではありません。権力における地位を巡る争いのほうです)

そのことに気づいていらっしゃる方は、この知恵袋でも大勢いらしゃいましたね。
ただ、私個人が考える「人は考える生きものだ」という事は、他に「人間は実行に移すために思考をする生き物だ」という意味もあるのだと思いますから。行動なしに、思考はその意味を成さないと考えます。
つまり、持論を発言しているだけでは「放棄」しているのも同じわけですね。
では、なぜ「放棄」しているとわかりながら持論を書いているのか。それは、微力ながらに私の思想からまた別のより良い思想や解決策へ修正させたり、転化させたり、発展させたり繋いで行動に移してくれるくれる人がでてくることを願っているからですね。
なかにはこんなところでと思う方もいらっしゃるでしょうが、ここは問答する場ですし、書く場所があればどこでもいいわけですからね。あながち馬鹿にもできません。

先日、もっと突き詰めて考え行動しようと思っていると仰った方がいらっしゃいました。
立派だと思いましたね。ですから、こうしたほうがよろしいのではないかという意見をお話ししました。
その方がその後どのような選択し行動されるかは義務ではありませんから、その方の自由です。
しかし、その方が動くことによって波紋のように多くの人々へ広がっていくこともある。
だからこそ微々たるものでも応援したいと思ったからですよね。
何度もいいますが、それが私にできることだと思ったからです。
「人間は考える生き物だ」という言葉は、直接的な行動でなくとも、間接的な行動もあると思うからです。

しかし、現代の多くの人々は途中で思考をやめてしまうのです。
自己完結し、繋げる事をしない。ですから、そこで何もかもがストップしてしまうのですね。
思想は繋げ発展させることが重要なんです。しかし、それは一人ではできないんですよ。
宗教の起源においては、人が互いに協力し合うのは自分にできないことを別の人が行い、その人ができないことをまた他の人が行い、幾つもの連鎖を経て多くの物事を築き上げていくことができれば、支配や争いなど必要ないという考えがあったはずです。

権力者を崇めなくても、人は生きていけるのです。ただ、より大きな存在を求め心の拠り所にしたいと思う人がいるなら、宗教にも意味がある。しかし、支配や争いの原因にしかならないなら、真理を引き離して考えるべきだという事ですね。
大きな存在に頼りきり思考することが止まると、新しいものを生む出すことができなくなるからです。
新しいものが生まれないということは、あとは衰え消え去るのを待つだけです

無謀であっても否定するだけでは意味がなく、新しい試みへの歩みをとめてはいけないわけですね。
ただこれらの意味を真剣に受け取る人とそうでない人がいるだけです。
それだけで何もかもが変わるのです。
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この回答へのお礼

>「すべての人は平等だ」

平等だの自由だのという概念は、とても難しいものです。
そして、観念的な話というものも、結局、分かったような分からないような話で
終わり、分かったつもりになってしまうことが多く、このことが人類の進歩を阻
んでいる一番の要素かも知れないと思います。

だから、何かピリッとした表現を期待したわけです。

特に、宗教、哲学、思想なんてものは、膨大な堆積物の中にありますから、それを
発掘しなければならないので、大変です。
そして、その姿が見えてくれば、人々は興味を持つに違いないと私は思っています。

お礼日時:2019/11/19 01:09

no29のお礼に関して



>それだけで民度が高いとは言い切れないと私は思います。
>空き巣が多かったんです。

多かったんじゃなくて少なかったんじゃないの???

多い少ないという言葉など、観測対象と観測方法を曖昧なままで使って結論を誘導している所がニャンさんみてていつも危ないなーと思う点です。
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この回答へのお礼

人の話に割り込んでくる奴は「がきんちょ」だよね、他にもいるけど。

今までの経験上、ああだこうだ、ということは世間で成り立っていることです。
それは、科学をロクに知らないくせに、観測方法だなんだ気取っている奴らの
言っていることより、よほど当たっていると私は思っている。

あなたが「少なかった」と私を誘導しようとしているのは、どんな根拠ゆえなん
でしょうかね。

お礼日時:2019/11/19 00:58

東日本大震災等の大災害後にみせた世界が驚嘆するほどの民度の高さが日本人が脈々と受け継がれてきた証ですかね

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この回答へのお礼

こういうことを言うと、怒られるかもしれませんが(笑)、被災者の一人として
思ったことは、あの整然たる態度は日本人の習慣でしかないということです。
私もずいぶん並びました、食料とガソリンを手に入れるために。

その習慣が、世界では珍しく、多くの人たちが称賛したわけです。良い習慣には
違いありませんが、それだけで民度が高いとは言い切れないと私は思います。
空き巣が多かったんです。今回の台風19号の時もそうでした。

お礼日時:2019/11/18 02:59

宗教は必要であると考えます。


人類は何千年と宗教を信仰してきましたし、日本においてはお盆、クリスマス、神社参詣などの宗教が日常に溶け込んだ、無宗教という名の宗教を信仰しています。

世界には様々な宗教があります。キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教など、またその中でもたくさんの宗派に別れ、信仰の仕方も様々です。
また、宗教と称して、政治参入したり、他人に危害を加えたり、怪しい教えや霊感商法などで世の中を騒がすものもあり、人の心が求めるものがどこにあるのか疑わしいものまであります。

仏教やキリスト教などの一般的な宗教に共通するのは、
・神仏の存在がある。
・死後の世界観があり、どう生きるべきかという規範や死生観がある。
・それらに関する体系化された教義があり、定められた儀式が存在する。
といった点が挙げられると思います。

 また、宗教は人々の不安に対する心の拠り所になってきたことや、心に安らぎをもたらしてきたことに、その大きな役割があったと考えられます。

宗教の教えにより、または信仰することにより心が穏やかになり心が落ち着き安らかに過ごせるようになれば、そこに宗教の大きな役割があると言えるように思えますし、
宗教を志した人にとっては何事にも捉われない心を育み、精神世界を極めることや悟りの境地を得ることに、宗教の本来の意味や真髄があるように思えます。

そういう意味では、人の不安をあおるようなものは宗教とは言えないように思えます。

大乗仏教や聖書などの個々問題につていは、専門分野外なので控えさせて頂きます。


宗教において外せない話題は、創価学会だと思います。
昔から人を呪い、機関誌に悪口雑言を並べ、出版妨害、投票所襲撃、電話盗聴、中傷ビラ、集団暴行など、思いつく限りの悪行を行ってきました。
創価王国を作るなどと言って公明党を作り、政治権力を手にした教団は、今や日本にとってマイナスどころか、日本を壊しかねない存在になっています。

入会者数と公明党の得票数ともに減り続け、焦った教団はクーデターを起こします。
数年前から創価学会・公明党は組織として、主に個人を標的として、盗聴、盗撮、尾行、誹謗中傷、個人攻撃などを繰り返し、第三者に嫌がらせに加わるよう煽っています。
やっていることが暴力団そのものです。
公明党を使って、警察や司法関係にも犯罪をやらせています。
警察からは捜査情報が創価に流れ、通報者は警察から脅されたり口止め強要され、企業は従業員に不正を指示、役所では書類の改竄などが横行しています。
日本人全員を共犯にするんだ、とか、どうやって殺してやろうか、とか公明党の支持母体の言うことじゃない。
これを一般に、国家犯罪といいます。

池田大作の死亡発表も近い時期に、国家犯罪をきっちりと清算するわけだから、日本を巻き添えにしながら、跡形もなく消えるでしょう。

組織内の不正行為などを持ち寄って公開すれば、創価学会は終わりです。
国民の何割という人が、刑法に触れることをさせられ、警察や霞ヶ関の人もカルト教団の共犯になっていたという先進国ではあり得ない事実は、改めて世界に衝撃を与えるでしょう。

宗教には触れてはいけないという風潮が、オウム真理教の地下鉄サリン事件や、創価学会のストーカーテロ事件を引き起こしました。

創価学会のテロ・クーデターでは、日本から憲法も法律も道徳も消え、未曾有の事態となっていても、創価学会について詳しく調べようとしない人が多いことは紛れもない事実。

日本で2回もテロ犯罪が行われたことを重く見て、宗教団体への監視を強めることは必要不可欠であると思います。
宗教不要論が一部であがっていることも頷けます。

こういった議論もむなしく、創価学会・公明党が横暴を続ければ、日本が死んだ国であることは広く知られるようになり、日本は北朝鮮と同レベルの国家として見られ、再起不能になる可能性も高いです。

今一度、宗教とは何のためにあるのか、危険な宗教を監視する必要があるのではないかということを、議論して頂きたいと思います。

ところで、過去に創価学会が起こした事件はどんなものだったか知ってましたか?
一部だけ公開します。

創価学会の事件一覧
全件で創価学会は民事・刑事裁判で有罪判決が下されました。


*言論出版妨害事件

創価学会と公明党が自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するために、著者、出版社、取次店、書店等に圧力をかけた事件。憲法を侵害するものだとして激しい社会的批判にさらされた。

出版予告が掲載された直後から、著者 藤原弘達への手紙や電話等による嫌がらせや脅迫が始まる。
藤原は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として出版に向け執筆を続け、藤原の妻によれば、「段ボール箱に3 箱以上も投書が来たり、警察が子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次いだ」という。
本が出版されると、創価学会系列の出版関係者や創価学会員などが取次店や全国の書店を回り、本を返本するよう、扱わないようにと働きかけた。

西日本新聞は、版元の文部大臣から出版中止を要求されるなど、様々な圧力が加えられた。
社長は出版社に正体不明の者から、「暴力団を向けるぞ」と脅迫され、暴力団風の男が身辺につきまとうようになるなど、周囲からの圧力でノイローゼ状態に陥ったことなどから初版は出版されず絶版となる。後に出版社も印刷所も倒産した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AB%96 …


*携帯電話通話記録窃盗事件

2002年に創価大学や創価学会の幹部が共謀して通話記録を盗み、被害者に脅迫電話やつきまといをして逮捕された事件。
中にはジャーナリストの乙骨正生の通話記録や創価学会に対立する団体幹部らの通話記録を盗んでいた事も発覚。
被害者で元創価学会員の女性ら2人が、東京地検に告発状を送付した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF …


*Yahoo! BB顧客情報漏洩事件

2004年、450万人分ものYahoo! BB登録者の個人情報が漏洩している事が発覚し、この情報に対してBBに現金を要求していたソフトバンク関連元社員らが逮捕された。
逮捕された3名のうち、2名は創価学会の幹部だったことが話題となった。
『日刊ゲンダイ』と『朝日新聞』が、創価学会幹部が流出事件に関与していたことを報道。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Yahoo!_BB%E9%A1%A7 …


*練馬区投票所襲撃事件

東京・練馬区の第4選挙投票所において、午後6時の投票終了時間後に創価学会員の2名が投票に訪れた。
係員が投票終了後のため投票できないことを告げると、数百人が投票所を取り囲んで襲撃。
女性・高齢者を含む投票立会人4人に暴言、集団暴行を加え流血させ、土下座謝罪を強要した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%B4%E9%A6%AC …


*創価学会違法ビラ事件

創価学会は他宗を中傷する違法なビラを10都府県、34市区にわたり10万枚以上を配布掲載。
創価学会が280万円の損害賠償を命じられた。
https://matome.naver.jp/odai/2153398119029601801


*顕正会盗撮事件
2017年5月、創価学会の謀略部隊3人が「顕正会」の施設に侵入し、盗撮を繰り返した。
偽名を使って侵入したことが職員に見抜かれ、あえなく御用となった。
https://www.soka-news.jp/2017-5-16.html


*創価学会本部 発砲事件
暴力団後藤組と親しかった創価学会は、富士宮市の地上げや政争問題を機に対立してから、後藤組と争いや抗争が絶えず、1981年4月、ついには創価学会本部で組員が発砲事件が起こした。
暴力団後藤組の元組長が回顧録「憚りながら」で発砲事件を暴露した。

http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04shose …


【参考資料】

創価学会はストーカー犯罪の常習犯であると証明された
https://matome.naver.jp/odai/2153412187173818501

創価学会の事件史
https://soka-news.jp/jiken.html

幹部の告発書一覧(本の転載サイト)
http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04.html

国会の会議録まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2153285695827108701
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この回答へのお礼

以前に日蓮正宗の人と議論をしたことがあると書きましたが、あなたと同じように
様々な話を並べ立てていました。
その内容が、今回あなたが書いている内容と、全くかぶっています。それどころか
ネット上で出回っている情報とも、全くかぶっています。

これは、すべて「お仲間」である可能性はかなり高いといえると思います。勿論、
断定はできませんが。

当時、その人が提示する情報の一つ一つに反論し、議論しましたが、彼が主張する
結論を裏付けるものは一つもありませんでした。

そこまでで、いたずらに時間がかかってしまいました。

そこで、私は提案をしました。あなたが主張することのいくつかが、あるいは一部が
真実であるとしても、創価学会もこれだけ大きな団体になっているわけですから、問
題があったとしてもおかしくはなく、あるいは商売のため、政治家になりたいため、
悪宣伝をするために組織に入り込む人がいる可能性もあるから、それだけの理由で
創価学会の宗教としての教義が間違っているとは言えないから、あくまで、教義につ
いての議論をしようではないか、と。

彼はまだ話の通じる人だと思いましたが、結局、「御書」の大幅な変更についての根拠
を求めたところ、答えられずにそのままいなくなりました。

虚実を取り混ぜて、ひたすら悪印象を与えようとする下劣な方法でなく、宗教を批判す
るなら、教義、哲学の部分を堂々と批判していただきたいものです。

お礼日時:2019/11/18 00:22

欧米の教育スタイルの根底は「選民思想」と「個人主義」にあると思われます


質問者さんが仰っている戦後施行された教育方針や憲法が日本国民に馴染みきれていないとしたら、上記が日本国民の根底で噛み合っていないからでしょう
多くの日本国民には大和民族として受け継がれてきた「血の継続」即ち「Y染色体ハプログループD・E」が及ぼす特性と噛み合わないからです 
「Y染色体ハプログループD・E」が及ぼす特性は「調和や協調」です。だからこそ日本人は八百万の神を崇めてきたのです
数多の自然災害になやまされ続けて来ましたが、それらの自然災害をそれぞれの神の行為として甘んじ受けそれでも生きる事選択してきたのです
日本人固有のその根底的な特性と現在の合理性が融合してそれが多くの日本人の心の奥底にあるのです
現在の日本人が生にこだわり「運」を意識するのはその為だと思います
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この回答へのお礼

Y染色体というものが、人間の精神や思考にどのように影響しているかという
ことの知識はありませんが、アメリカが日本に対しやってきた占領政策政策
というものは、西洋人が多くの先住民族の文化を根絶やしにしてきた、傲慢さ
というものを感じてなりません。

戦勝国であるという立場が、二千年の日本の文化を破壊してしまったと言って
いいと私は思っています。

今の日本人に一体何が残っているか?若い世代には何も見出していません、今
のところ。

お礼日時:2019/11/17 23:51

No.20です。



ーー人間は考える生き物です。

「しかし、人は考えることを放棄する生き物でもある」

それがあなたの疑問に対する最たる答えだと思うのですよ。
考えることを放棄した人々は、大きな損失さえなければ与えられたものや環境に対して多少疑問を抱いたとしても、大きな疑問を抱くことはありません。
そうして、「考える人」が少しずつ少しずつ減っていったわけですよ。

プラトンの考える理想的な資本主義国家は社会と戦う「戦士」が権力者よりも多い方がいいという考えだったのでしょう。
社会において権力者というのは誰でもなることができ、そして、その采配によっては引きずり降ろされることもある。
だから権力者は常に謙虚でなければならなかった。
しかし、今の日本は権力者の数が増え、思想家であり社会に訴えるべき「戦士」の数が異様に少ないのです。権力者が同じ権力者を引きずり下ろすことはできても、国民はできませんよね。
バランスを崩し病んだ社会にはサイコパスという「他人に対して思いやり」が欠如した人間が増えました。
些細なことで一般市民が一般市民を攻撃し合い、集団で個人を攻撃するようになりました。
だからこそ人々は胸の内を隠すようになりました。他人と違うだけで攻撃されるからです。
衝突を避けようとするあまり考えることを放棄した人が増えた為、人間と人間の接触も減りはじめ日本人自体の消滅が危惧されているのです。


何が言いたいかと言うと、あなたの考えている真理を求めた考えは宗教の「起源」においての思想なんですよ。
しかし、受け継ぐ者が最初に訴えた者と同じ思想を受けついているとは限らず。
現存する宗教は長い歳月権力者と結びついてきたため、その思想は権力者の思想に染まってしまっているのです。

「すべての人は平等だ。しかし、権力者は例外である」
これが今の世界の現状です。
税金を支払う国民は貧しくても、支払われている側は裕福である。
なぜ根本的な問題に疑問を抱かないのでしょう。
もっと考えるべきなんですよね。

今ではテロなどでも宗教が憎しみを生む火種となってしまっているのです。
私個人は現在の宗教から、本来の宗教にある真理を解放させるべきだと思うわけです。
「宗教」という枠に頼らずとも人は生きていけますが、人は思想がなければ進む方向を見つけられません。
ですから、今までにない新しい思想が必要です。

過去の偉人たちのように、「疑問」をもっと抱くべきですよ。
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この回答へのお礼

>しかし、人は考えることを放棄する生き物でもある

人間の本然的な部分にそれもあると考えています。人間にはそのどちらもある。

現代人を見て、明らかに「根本的なことを考えることを放棄している」つまり、
「文明自体の正当性の根拠を考えない」と言っていいと思います。

幕末には、幕府の正当性を疑う人があれだけいたのに、現代では安倍内閣をボロ
クソに言う人は多いが、文明そのものを疑う人はまずいない。(私は大いに疑って
いますよ)

何故そうなのかと言えば、「そう教育されているから」という、簡単な答えにな
ると思います。

サイコパスなどの人格的な問題が多いのは、家族の人間関係のトラブルと、学校
での大人と子供つまり、教師と生徒の関係性のトラブルが主たる原因であると考
えています。

>現在の宗教から、本来の宗教にある真理を解放させるべきだと思う

権力者に染まった思想とは、どのような思想と言えますか?
本来の宗教にある真理とは、どのような思想と言えますか?
伺ってみたいです。

お礼日時:2019/11/17 23:34

>本来の宗教は、人間のため社会のためにあるもので、それは科学とか政治とかと全く


同じであります。

「宗教」を利用するビジネスにおいてはみな異口同音にそう言います。
「人間」=「自分」
「社会」=「自分の生活」
という意味でなら正しい。

ついでに言うなら、
科学も政治も本質はビジネスであります。
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この回答へのお礼

>「宗教」を利用するビジネスにおいてはみな異口同音にそう言います

そう言わないとビジネスは成り立ちませんから、当然です。

>科学も政治も本質はビジネスであります

違います。

個人の経済的利益のみが至高の価値になってしまって以降、日本も世界も
経済がよくありませんし、倫理観が崩れているし、貧富の差は大きくなっ
ています。

つまり、言ってみれば油が切れて、ガタピシいい出したということです。

お礼日時:2019/11/17 03:40

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