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5月24日付で木枯らしさんから同じ趣旨の質問が出されましたが、十分回答が寄せられないうちに不適切だと思われる回答がベストアンサーとされてクローズされてしまいました。このままでは読まれた方が誤解する恐れがあるので再度問題として提示したいと思います。

同時に別の空間に存在したものは不可避的に別のものと認識する、それが我々がア・プリオリにもつ論理ではないかと思います。質問した木枯らしさんもベストアンサーのpsytex1さんも不確定性原理を想定しているようですが、それは果たして一つのものが同時に複数の場所に存在することを示しているといえるのかは疑問です。

もし、同時に複数の場所に何かが存在したとして、それらのものが同一のものであるということはどのように証明されうるでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 「まったく同じものが複数個ある」ということを問題にしているのではありません。一つのものが複数の場所に同時に存在することが可能か、という問題です。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/02 11:49
  • 『同時に2か所に存在する』は『存在確率が2か所に分布する』とは意味が違います。それを「一般的」に認められた話とするのは強引すぎます。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/03 10:28
  • うーん・・・

    >「離れた二か所に存在する素粒子が一つの素粒子の表と裏である。」

    私の疑問は、離れた二か所に存在する素粒子をどうして一つの粒子であるとみなす必要があるのか、という素朴な疑問です。「表と裏」というのを二つの粒子の密接な関係性と表現することはできないのでしょうか。
    あえて神秘的な考え方をしなければならない理由がわからないので、この質問をあげました。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/03 10:45

A 回答 (12件中1~10件)

「まったく同じものが同時に別の空間に存在する」のなら、その同時の時点でそれぞれの空間にそれぞれ「もの」があるのだから、「もの」はふたつあるということになる。

ならば「まったく同じものが複数個ある」ということに他ならない。しかし、「まったく同じ」というのはその「もの」のあらゆる属性が同じだと言っているのであり、さらに「もののありか」もまたその「もの」の属性であってみれば、ふたつある「もの」それぞれの属性が少なくとも「もののありか」という点で異なるのだから、それらは「まったく同じ」ではない。なので、「まったく同じものが同時に別の空間に存在する」や「まったく同じものが複数個ある」はどちらも自己矛盾している。だからそんなことがあるはずがない…という議論は言葉の上だけの話で、物理とは関係がない。

 さて、「一つのものが複数の場所に同時に存在する」という表現では、「もののありか」という属性がひとつの場所ではなく、ふたつの場所を同時に指しているということを意味する。こちらは量子論ではすっかりおなじみの話だが、ただしそれは「状態」についての話である。
 だが「状態」は「もの」と同義と言えるのかどうか、と問うと、ふたたび言葉の議論になる。逆に言えば、「もの」という概念が既にして「同時に別の空間に存在したものは不可避的に別のものと認識する」態度に縛られている概念だからこそ、量子の話では「状態」と呼んで、迂闊に「もの」などと呼ぶのを避けるのだろうと思う。
 箱Aと箱Bの中にボールを2箇入れるやりかたは、箱Aに2箇入れる、箱Bに2箇入れる、箱Aにボールaを入れ箱Bにボールbを入れる、箱Aにボールbを入れ箱Bにボールaを入れる、の4通り。ランダムにやればこれら4通りが等確率で生じる。しかし、箱Aと箱Bの中に電子を2箇入れるやりかたは、箱Aに2箇入れる、箱Bに2箇入れる、箱AとBに1箇ずつ入れる、の3通り。ランダムにやればこれら3通りが等確率で生じる。これがフェルミ=ディラック統計のキモであり、経験には反するけれども、実験的に検証されているからすっかり物理の話である。「ふたつの電子は原理的に区別が付かず、別のものと認識することが不可能だからだ」と思えば一応の説明がつく。これを詩的に言い表すなら「まったく同じものが同時に別の空間に存在する」と言えなくもない。ともあれ、厳然としてこの世界がそうなっているのなら、おかしいのは言葉の辻褄の方、つまり「同時に別の空間に存在したものは不可避的に別のものと認識する」ので足れりと思っている方だ。それで足りるのなら、ふたつの電子の区別が付くのであり、ということは、電子ひとつずつを個別に扱えるということに他ならない。しかし物理学では「「2つの電子がある」ということを表す一つの関数」が状態を記述する。このことが、電子ひとつずつを個別に扱う訳にはどうしてもいかない、という事情を反映している。

 ところで、同じ情報を書き写して複数の場所に置くということは何でもなくできる訳で、その情報の媒体である鉛筆の芯の粉だとかその粉がへばりついている紙だとかは情報そのものではないと考えれば、あるいは同じビデオを複数のテレビに映して、テレビの装置は媒体であって情報そのものではないと考えれば、情報ははたして「もの」なのか、という問いが残る。これもまた、もちろん、言葉の上での話に過ぎない。

 以上を要するに、質問者氏の言う「もの」とは何を指す言葉なのか。これはご自身が答を出す以外になかろう。その答によって、ご質問が意味を持ったり持たなかったり、あるいは、ここに寄せられた回答が明確な説明になったり的外れになったり、ということが決まるであろう。
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この回答へのお礼

丁寧な説明を有難うございました。

お礼日時:2016/06/09 11:47

問題点としては、「同一性」の判断をどのように行うかと言う事でしょう。


現実的に、同一の時間で、別の空間に存在するものは、同一で無いと言うのは、一つの判断基準です。(法的な「アリバイ」はこれに基づいています)
素粒子などが、我々の時空として認識される空間以外の部分から、我々の時空に部分的に表象されている存在と認識するならば、その空間的結合が複数になる可能性は、想定されます。
その場合は、我々は、同一の物を、別の物と認識している可能性はあり得ます。
ただし、それを証明する事は、我々が別の空間を観測できる必要性があるでしょう。
イメージとしては、3次元の物体を2次元に投影した場合は、それらが一体となる場合もあれば、部分が複数で投影される場合もあると言う事です。
思考としては、ある実体の存在を複数で認識する場合があり得ると言う事ですが、見えない物(観測出来ない物)を語っているわけですから、科学的にはあくまで仮定でしか無いと言う事です。
法理的には、証明できなくても、同時に別の場所にある物は同一ではありません。
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この回答へのお礼

丁寧な説明を有難うございました。

お礼日時:2016/06/09 11:47

古典物理学の範囲の理解であれば、時間は空間とは独立して存在していますので、「同時に別の空間」という問題設定は可能です。


そして、その範囲であれば「同じものが同時に別の空間に存在すること」はありえないという解釈で間違いはありません。

しかし、アインシュタインの相対性理論以降の現代物理学においては、時間は計測する座標系に依存しています。
別の空間の同じ時間というのは、そうなるような座標系をとった結果に過ぎないのであって、別の座標系をとれば異なった時間になります。
結果的に、「同時に別の空間」ということは、観測者次第であって、観測者に依存しない絶対的「同時に別の空間」というのはありえません。

また、「同じもの」というのも、厳密に考えれば極めて難しい話です。
そもそも、ものとはどのレベルのことを言っているのでしょうか。
原子のレベルでしょうか。
素粒子のレベルでしょうか。
このレベルになってくると、存在そのものが極めてあいまいになってきます。
例えば、光子はものでしょうか?
光子がものであるとすると、波動もものと考えることになります。
チリで大地震が起こって、東北地方にチリ津波がやってきました。
この場合は、海の水がやってきたわけではありません。
ただ、波動がやってきただけです。
波はものでしょうか?

ということで、一般的常識すなわち古典物理学の範囲であれば、「同じものが同時に別の空間に存在すること」はありえないということで、問題はないでしょう。
上に書いた議論が理解困難ということであれば、一般的常識すなわち古典物理学の理解でいいと思います。

しかし、人工衛星を飛ばし、GPSを利用するのに必要な、現代物理学では、空間・時間・もの・波動といった全てで、一般的常識とはかけ離れた理論展開がされ、「同じものが同時に別の空間に存在すること」自体意味不明になります。
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この回答へのお礼

丁寧な説明を有難うございました。

お礼日時:2016/06/09 11:46

二つの素粒子が量子もつれ関係にあって対を成している状態を


重なり合った波の状態と解釈し、それを測定できる状態にしたときに
重なり合った波からの一つの素粒子になって
それがミクロの世界で発現する高次元の空間において存在する状態が
三次元空間上では二か所に存在するように見える
という可能性はあると思います。
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サンタクロースは、クリスマスの夜に子供たちにプレゼントを配るとき、2箇所だけでなく何億ヶ所に同時に配っているそうです。

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ひょっとしたら量子もつれってそうかもしれないですね。


三次元空間で二か所に存在するものが
実は高次元空間での
一つの素粒子の表と裏だった、とか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答を有難うございました。

お礼日時:2016/06/09 11:44

同一性の定義を、


「2つの対象x,yは任意の同じ命題関数Fを満足するときに同一である」
と定義したら、
場所的規定も命題関数Fになりうるので、違う空間にあるものは同一ではないということになる。

この定義はラッセルが与えた同一の定義ですけれども、その源はライプニッツの不可弁別者同一の原理であり、西洋哲学の伝統的な同一性の定義の一つです。

ここなどが参考になるのではないでしょうか。
ライプニッツのモナドロジー
https://sites.google.com/site/kyototekken2011/re …

ヘーゲルの言うように両者が〈まったく同じ〉ものだったら同一性を議論してもしょうがないし、両者(xとy)が同一であるか否かを議論するときは、xとyに違いがあることを前提として議論するものですよ。

「まったく同じ」という曖昧な文学的用語を使っての議論はほとんど意味がない、と思います。

そして、量子力学は、「まったく同じものがない」ことの根拠にはならない。限りなくゼロに近くても、その可能性はゼロではなく、限りなくゼロに近いから、まず、起こりえないとしか答えることができませんから。
場所的規定を取り払ったら、ひょっとしたら、量子的な状態を含めて同じものがあるかもしれない。

日常語でこうした微妙な哲学的問題を語ってはいけないと思います。
「まったく同じものが同時に別の空間に存在す」の回答画像6
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この回答へのお礼

質問の趣旨は「一つのものが同時に複数の場所に存在する」ということですが、「日常語でこうした微妙な哲学的問題を語ってはいけない」というのはその通りであると思います。
回答を有難うございました。

お礼日時:2016/06/09 11:44

こんばんは


これはいわゆる「普遍論争」ですね。
詳しくはウィキペディアなどで御自身が読まれるのが良いでしょう。
簡単に言うと、「青さ」や「赤さ」と言った普遍概念に相当する普遍体が存在すると主張する実在論者と、それらは単なる言葉であると主張する名目論者の論争です。小説「パラの名前」で有名です。もちろん結論は付いていません。
これらの違いは、存在するものを外延的に定義するか、内包的に定義するかの違いです(外延性と内包性については集合の2つの定義の仕方を思い出してください)。
外延的定義では、すべての存在するものは、初めに、お互いに識別されます。それから共通性質を持つものを集めてクラスが作られます。一方、内包的定義では、まずクラスが定義され、その実例に属性値を与えることで存在する識別できる個体を作ります。すなわち、内包的定義では、クラスという普遍体がまず最初にあります。大切なことは、外延的に定義された集合には、少なくとも1つの内包的に定義された集合が存在します。
物理的には、外延性と内包性は質点力学と波動力学に対応します。すなわち質点の運動は、波の重ね合わせによって記述することができます。この時、波それ自体は全空間に広がっています。
カントは物それ自体は我々には認識できないと言いました。私たちが存在するものたちを記述するのに異なった方法を使えば、物自体はそれぞれの方法によって異なって見えます。しかし、異なった方法で現象を記述しても、その記述結果は現実に観測されたことに合うように解釈されます。問題はどの方法がより簡潔により多くのことを記述できるかです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
すみません。私の能力不足で内容があまり理解できませんでした。

お礼日時:2016/06/09 11:37

これは、「まったく同じ」の定義次第でしょうね。


化学的な組成、素粒子の状態まで寸分違わず同じものであったとしても、別の空間――これはパラレルワールドのようなものの意味だろうか(・・?――にあるのだから、「まったく同じ」ではないと言うこともできます。

こういう話をするときは、まず、「まったく同じもの」とは何か、これを明確に定義し、そして、この定義を互いに了承したところから始めないと、噛み合った議論にならないと思いますよ。
〈同一〉という言葉を違う意味で使っていたら、神学問答になってしまうと思います。

ここなんか、参考になるのではないでしょうか。
同一性
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E4%B8%80 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ご指摘の通り通りだと思います。この問題は既に別の人が提出したものですが、十分なやり取りもないまま八百長的に間違って結論付けられたことに対する抗議の意味であえて再提出したものです。

お礼日時:2016/06/09 11:35

「同時に2ヵ所に存在する」というのを、


「存在確率が2ヵ所に分布する」とすれば、
一般的に認められた話です。
この回答への補足あり
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