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変化が無いのが変化の証拠である。
これを考察してみてください。

A 回答 (10件)

 そんな事を考えて何になるのでしょうか。



 いずれにせよ 観察者が「変化の証拠である」と言えるのみでしょう。

 そこにずっと居る人間にとっては変化がないのは明らかですね。

 猫と遊びたくなくなったら猫を捨てるか、それが出来なければ自分が離れれば良いんじゃないか?

 そうすればムダに他者に対して嫉妬したり危機感を覚えたり貶めようとしたりする必要はなくなると思うが。猫と遊びたいのは調和云々ではなくて自分の都合だ。

「オレの言うことが嫌なら辞めれば良い」と言う人間が居るが、そういう人間に「自分自身が」ならないように気をつけるように。

 嫌~な奴がたまにいるからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/07 13:22

 【変化していない、という変化をしている。


 という観察と分析、そして表現ではいかがでしょうか?

 【変化が無いのが変化の証拠】とは一定の時間内での、しかもその指示している対象体の現象の見かたですね。
 
 創造界ということばを使わせてもらえば、そこの界に存在するものは存在する。そこの界に存在しないもは存在しない。
 創造界に存するものは、認識や認識の構成(紡ぎ)でも時間(同時に空間)という存在形式である。
 創造界の万物は時間(空間)を以って、その中に存在する。
 永遠の時間はない。変化のない次官はない。時間(空間)は変化の観念である。
 同じ状態であるかの如き変化なき存在体は、万象の変化の中に無変化である。存在全体が変化する中の無変化は、無変化という変化である。
 

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>時間(空間)は変化の観念である。

おっしゃることは他の回答者様と同じかなと思いますが
上記の指摘が興味深かったです。

お礼日時:2010/07/07 13:41

変化がない=幼稚な時期



やがて大人になると、細胞も含めてすべて変化する。またそれを知る。

ですから

昔は変化がないと思っていたけど、今は変化してる現実を知ったということでしょうか?

意識は、昨日も今日も、「自分」という意識ですが、
人は、知識を得ることで変化します。

 今は、自分は不変で、情報は常に変わってると、間違った考えがはびこってます。

人は変われる存在で、知識を得て変わってます。変わってるが、意識は同じ自分で変わってないと思う。


上記の質問は、不変と思ってた自分は、変化している。と、自分に置き換えるといい題材ですね。

 学校の小学生でも、細胞の変化ぐらい知ってる時代です。

 雲の流れをじっと見詰めて、すべてものは常に変化している。と言うシーンが漫画「ブッダ」(手塚治虫)にあったのを思い出しました。

 現代人は自分は変わらないと思っているが、昔の人は自分が変わると思っていたものだ。今はさかさまに間違ったことを信じてるという「馬鹿の壁」に書いてあったのを思い出しました。たしか著者は脳科学の養老さん。

 そこに書いてあったのは、体は使わないと退化する。脳も同じ。だから、いろんなことを考えて脳を退化させないようにするらしいと書いてあったと思います。
 養老さんは「下手な考え、休むに似たり」という古いことわざは、本当で、脳科学から言えば、そう言えるとも書いてありました。ということを、この考察で思い出しました。
 やはり、すべてのものは変化流転をしていますよね。
 まぁ、細胞分裂は見えませんが、変化はわかってますし、3ヶ月もすれば、全身の細胞も入れ替わってますしね。まぁ別人といえば別人と科学では言いますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 現代人は自分は変わらないと思っているが、昔の人は自分が変わると思っていたものだ。

キツネ憑きなどという表現は非科学的ですが、言葉に惑わされず全体として説明しようとしているものを観察すると味わい深いものがありますね。

お菓子で出来た家だけど構造自体は本格的といいましょうか。

お礼日時:2010/07/07 13:18

あんたの質問には、



Wait a second! I will be back in two minute.

に相通じる、中々人には無いものが有る。そういう閃きの光をけしてけさないでね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

褒めていただいてありがたいのだけど
閃きの光なのかな・・・・

閃きは一目ぼれのように偶発的で鮮烈なのです。

一目ぼれしたい・・・

お礼日時:2010/07/07 13:09

変化の有る無しは、観察によって得られる結論である。


(全ての時間が止まれば、それがどのような長さであれ、その直前と直後は連続しているのと等価)

そこに於いて、「変化しないものを観察するという変化をしている観察者」にとって、「変化していない」というのも相対的な変化によってのみ可能となる。
(川の流れの中に留まるように)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

観察者の存在に関しては前提にいれてませんでした。
ベストアンサー候補にさせていただきます。

お礼日時:2010/07/07 13:30

変化がある状態とない状態があることが


分かっている場合は、
・変化がある状態
・変化が無い状態
の二分論になり、
変化が無いのが暗に
変化がある状態が有る事を示唆して証拠に
なるのは分かった。

しかし、常に変化が無い状態の場合、
つまり
・変化がある状態(空集合)
・変化が無い状態
である場合は
変化が無い状態であることは
変化がある状態があることの
証拠にならないので、真でないと思います。

つまりこの文は変化があるという暗黙の前提に
真偽が左右される文ですね。

先の回答で車の例がありましたが
相対性理論を使うと
ややこしい話になりそうで興味深いですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おっしゃるように暗黙の前提がありましたね。
前提という存在に大変惹かれます。

お礼日時:2010/07/07 13:00

例を挙げると



街中に車が止まっているわ。
なぜ「止まっている」と言うの?
それはその車が走っている状態があるからよね。
2つの状態を明確に区別するために
わざわざ「止まっている」と言うのよ。

同じように
変化がない
という状態は
変化がある
という状態と区別するために言っているわけ。
つまり
「変化がない」
という状態があることは
「変化がある」
という状態があることを説明しているのよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

深く考えるとなかなか難しい回答ですね。

お礼日時:2010/07/07 13:25

万物は生々流転する。

万物に流されずにそこに在るということは、流転する万物側からすれば常時変化している事と同義になる。ゆえに変化がないことは変化の証拠である。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も同じ意見です。

お礼日時:2010/07/07 12:52

人の意思とは無関係に変化は自ずと起こり得るものだが、それがいつまでも無いということは、何かしらの変化が働いている証拠である。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も同じ意見です。

お礼日時:2010/07/07 12:52

今までは変化していたのに、今は変化が止まったのだから、変化しなくなったという変化があった。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

深く考えるとなかなか難しい回答ですね。

お礼日時:2010/07/07 13:24

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